大河 徳川慶喜 第40回 「徳川家相続」▽あらすじメモ(超ネタバレ)

チャンネル銀河 2020/11/9(月)AM8:00~

将軍 家茂 急死 遺言は田安家 亀之助 4歳に継がせる

長州征伐で負け戦が続く中、 将軍 家茂が急死しました。

江戸 大奥 和宮の部屋
瀧山(佐々木すみ江)が「大阪から急使が来て、 新しい公方様決めなくてはならないので ご意向をお伺いしなければならない 」と 天璋院(深津絵里)と 御台様の和宮(小橋めぐみ)に話した。
天璋院に「老中達は誰を望んでおる?」と聞かれ「まずは 天璋院 御台様のご意向を聞き、添うように努めたいとの事です。」
天璋院は「公方様は 出かけられるとき 万が一は 三卿 田安家の 亀之助殿に徳川宗家をつがせるよう仰せだった。」
和宮が「田安家の 亀之助殿 と聞いていたが まだ4歳。 公方様の死が早かったので まだ幼いのでは」というと、高部(園佳也子)が そうなれば 一番ふさわしくない 一橋慶喜様が押されるのではないかと心配し、瀧山は 今 お上とのやりとりは 何もかも 中納言を通さなければならない と言うのだった。
天璋院は「お互い手を取り合って、徳川宗家を守りましょう。そのために 宗家を亀之助殿につがせるのが一番じゃ。さすれば、御台様の思うとおりに この徳川宗家を動かせる。」

老中会議で 慶喜に徳川宗家継ぐようお願いされ固辞する 内心は?

京都 慶喜の 宿館 小浜藩邸
中納言慶喜(本木雅弘) に 老中 板倉伊賀守勝静が 「中納言様が 徳川宗家を継がれ、晴れて 15代の将軍職に就かれること望む 」ことを、老中会議で決まり、私がお願いに来た と奏上。
慶喜は、申し訳ないがお断りいたす。 私はかつて 将軍継嗣で取り沙汰され あたかも野心があるように伝えられた。今回 承ければ 世間は野心があるとみられるので お断りする。

水戸藩士 梅沢孫太郎(中原丈雄)原市之進(山口祐一郎)は 徳川宗家を継ぐことをすすめる。
慶喜が もはや幕府に権威などない。大政を奉還し 王政を回復してはどうか、今 将軍職を預かる者がいない、朝廷に政を返す いい機会だ と言う。
原は 「決して そのようなこと 口にしないで下さい。国内は騒乱になります。」
慶喜は、「幕府は 政を任されているとはいえ、何もかも 朝廷に伺いを立てなくてならない。しかも朝廷は 勝手に諸大名に命令を出す。あげくに 外様1藩が反旗を翻しても 討伐も出来ない。」
原は「幕府に信用がないのは、誰の意思で動いているのか 判らないからです。殿が将軍職に就き、大号令を掛ければ 幕府を立て直すに 遅すぎるということはない。」
慶喜は、「軍資金もなく、気概があっても、長州に比べ 武器も旧く 、幕政改革も考えてこなかった ツケが今来ている。余が将軍職に就いても 徳川幕府250年の怠惰を払拭できない。」

原は、「いかようにしても 大政奉還 されるのですか」と訊ねると「そこだ。今 大政奉還しても 幕府に代わる受け皿が 見当たらない。混乱を起こし、全国に戦乱が起き、諸外国に漬け込む隙を与えるだけだ。よって いかなる時期を選んで大政奉還するか よくよく考えなくていけない。」
梅沢は、「そのためには 殿が将軍職に就かなければなりません。一番良い時を選べるのは、将軍家だけです。」
慶喜は、「では、そち達だけに申しておく。此度 逃れられない役目であること よう承知している。余をおいて人はいない。されど お受けするときではない。まずは皆のものから 懇願され仕方なく 将軍職に就くという 形が欲しい。またいかなる決断にも反対しないという 言質が必要だ。その上で はじめて朝廷と対等な話が出来る。 その方達は まず 余は 宗家相続を引き受けないだろうと 公家達や他藩の者達にふれ回れ。」

慶喜に、 老中 板倉が 再び 徳川宗家を継ぐお願いに来た。
慶喜は、それより 長州征伐はどうなっているか聞いた。
京都守護職 松平肥後守容保(畠中洋)は 公方様の 逝去が漏れ、薩摩藩が態度を一変し、幕府を批難している。その上 自藩の兵を京の送り込んでいる。 長州が都に近づけば、薩摩は呼応するでしょう。
弟の 京都所司代 松平越中守定敬も「薩摩と 長州の間には 何らかのつながりがあります。」と話すと、
容保が 長州に私が赴くといい、これを慶喜が止め、明日 大阪で話しあってくると語った。

慶喜は、およし(清水美砂)と花札をして、楽しく過ごします。
およしに 将軍になって、公方様の第一の側室になりたいと言われ、将軍に なってみせると言います。

京都守護職 容保から長州征伐の状況や 各藩の様子聞く

大阪城
留守居役 の 前 福井藩主 松平春嶽(林隆三) を慶喜が馬を駆けて訪れた。
相談役として 長州の 状態を訊ね、幕府の小倉城が攻められ、各藩が逃げているていることを知る。

春嶽にも 宗家を継ぐことをすすめられるが、固執した。そして、春嶽が 西洋式の議会の素晴らしさを説くので あなたがやればいいと 退出。

京都 慶喜の 宿館 小浜藩邸
大阪に行って疲れた腰を寅之介に揉んでもらい、原に 朝廷のことを訊ねる。
原は、お上は 慶喜が殿の相続をお望みで、長州寄りの公家達は慶喜と 京都所司代達に勝手にされると反対しているが、関白 九条様達が叡慮を反対することはないと思う。
梅沢は、長州討伐に反対する藩は 殿の御相続に反対のようです。幕府寄りの藩は、様子を見ているようです。幕府内部、特に 幕政改革を恐れている役人に反対の声がある。

慶喜 自由に幕政改革 長州討伐再開を条件に 徳川宗家を継ぐ事だけ受諾

それから、連日 老中会議、朝廷会議 が行われ、やはり 慶喜しかいないということになった。

老中 板倉が 夜分に再び 訪れ、徳川宗家を継ぐ件「ダメなら腹を切り死にたいという。老中達も同じ思い。再考お願いします。」と言われ、慶喜は「では、お受けしましょう。」と答えた。
板倉は、再度確認し、御礼を述べた。
慶喜は 徳川宗家相続だけ、お受けし、将軍職は断る。新たなる 幕政改革を 思うように改革する事を確認し、長州討伐への弔い合戦と同時に発表することを要求した。

京都 常御所
孝明天皇(花柳錦之輔) に慶喜はお暇ごいをした。
お上は、徳川宗家相続は喜ばしく、ふさわしい、長い間待っていて やっとその日が来た。
なぜ 将軍職は、辞退したのは なぜかと聞かれ、私にふさわしいか しばらく 考えてみたい と答えた。

お上は、いつしかこのような有様になってしまった。何もかも我が不徳のいたすところなれど、そなたと力を合わせ 今一度、この国の良い形を取り戻したい。憎みべきは 己の野心によって この国を乱すもの達だ。長州は、良き藩なれど、我が意に背き 都に攻め入り この国の秩序を乱している。許してはならん。必ず行って征伐するのだ。

江戸 一橋家
慶喜の徳川宗家相続を知り、 徳心院(鶴田真由)美賀(石田ひかり)はなぜ将軍職を承けないのか、御台所と呼ばれるのか 戸惑う。大奥に入らず、しばらくこのままと美賀は教えられる。慶喜殿が戻られたら お決めになる。
松島(岸田今日子)がおめでとうございます と言い、歓喜する。

老中小笠原が 小倉城から戻り 慶喜は状況を聞き中止する

大阪城
徳川宗家相続した慶喜が 幕閣に、今回の長州征伐は 旗本を中心として行うと話していると、小笠原壱岐守長行が「申し訳ない」と 鎧を着たまま戻ってきた。
小笠原は、小倉口の総督として指揮していたが、各藩が兵を引き 持ちこらえられず 戻ってきた。
責める老中達を止め、 状況をたずね ほぼ九州全体が 反幕府になったことを知り、慶喜は 長州征伐を中止とする。

孝明天王は、長州征伐を願い、そのため 奔走する慶喜だった。

▽まとめ&感想

将軍 家茂 急死し、 遺言は田安家 亀之助 4歳に継がせるとありましたが、幼すぎます。
老中会議で 慶喜に徳川宗家を継ぐようお願いされ固辞するが、内心は 承けざるを得ないと思い、いろいろ情報収集、京都守護職 容保から長州征伐の状況や各藩の様子聞く。
慶喜 自由に幕政改革・長州討伐再開を条件に 徳川宗家を継ぐ事だけ受諾
老中小笠原が 小倉城から戻り 慶喜は状況を聞き長州討伐を中止する。

※この放送は、字幕が出ません。私が理解できない言葉があり、間違っていたらゴメンナサイ。