あしたも晴れ!人生レシピ★“悔いなき人生”今を楽しむ! 料理家 栗原はるみ▽こんな話

Eテレ 2023.3.3
「僕を待つだけの女性にならないで」の一言で 料理の腕を磨き 料理番組のアシスタント・雑誌で自分のレシピを発表 ・料理本多数▽レシピは何度も試行錯誤、作る人が確実に作れるもの・夫の納得する味▽自宅のキッチンでの収録 撮影スタッフにスイーツや昼食の気配り▽「死ぬまでにしたい100のこと」書き出し実行、韓国語・ギター・雑誌
【ゲスト】栗原はるみ
【司会】賀来千香子,小澤康喬【語り】堀内賢雄

「僕を待つだけの女性にならないで」の一言で 料理の腕を磨き 料理番組のアシスタント・雑誌で自分のレシピを発表 ・料理本多数

人気料理家 栗原はるみさん 75歳。栗原さんお肌がもうツヤツヤでいらっしゃり 秘けつをうかがうと、「すごい変な話なんですけど 脳にいろいろ言い聞かせるんですね。脳に例えば 目の下のたるみは絶対出ないでよとか。立てないと料理家になれないので 姿勢だけはちょっと気にしてる」
1947年 静岡県下田市で生まれた栗原はるみさん。父親は印刷業を営み 母親は専業主婦。料理が得意な母の博子さんから手ほどきを受けてきました。21歳の時兄の友人で14歳年上のテレビ番組のキャスターだった 栗原玲児さんと知り合い 26歳で結婚し 2人の子ども も生まれました。
専業主婦でいるつもりでいたところ、夫から 「僕を待つだけの女性にならないで」と言われ 母から教わった料理の腕を磨きました。料理番組のアシスタントから始め、雑誌などで自分のレシピを発表していきました。33年前からはNHK「きょうの料理」にも出演しました。はじめて出演したときのレシピが サバのそぼろで さばの身をほぐし みじん切りにした野菜と甘辛く炒めたものです。モットーは手短で無駄なくおしゃれにでした。海のある町で育ったため魚料理は得意でした。こうした 簡単においしく作れるレシピで栗原さんの評判はますます高まっていきました。その人気ぶりから「カリスマ主婦」と呼ばれ大きな注目を集めるように。「私のレシピには自分の家の残り物と言うことはよくあった。ブロッコリーでも細く切って増やしたり、アスパラなんかも 束が5〜6本なので 細く千切りして量を増やすってことは 誰でもは してないかもしれない。 考え出したというよりは 必要に迫られて 出てるレシピの方が多いですね」
栗原さんにとって料理は家族との絆を深めるもの。時々家族全員でキッチンに立ち それぞれ思い思いの料理を作っていました。家族が喜んでくれるか、夫がおいしいと言ってくれるかが レシピ開発の支えとなっていました。

レシピは何度も試行錯誤、作る人が確実に作れるもの・夫の納得する味

一体どのようにレシピを生み出しているのでしょうか?
自宅のキッチンで試作が行われていました。あんかけうどんは何度も作ってきましたが 今回 考えるのは ひとり分のレシピです。初めにすることはメモ帳に分量を書き出すこと。これまでの経験からの分量で まず作っていきます。今回うどんに加える、かき揚げの具は えび・さくらえび・長ねぎ・三つ葉。様子を見ながら天ぷらの 衣の量や 揚げ方も そのつどレシピに合わせて調整します。
続いては あんを作ります。書き出した分量に沿ってきっちりと量りながら加えていきます。
「作る人は 食べていないのに 私の数値だけを頼りに作る」と、何度も味見をしながら 分量は毎回 試行錯誤なんだそうです。具材によってだし汁の微妙な味付けまで変えるのは 栗原さんの徹底した こだわりです。最後に七味をかければ完成です。早速 試食して味を確かめます。納得いくまで繰り返し 試作多い時には100回も 行った。確実なレシピを提供したいという強い思いが 栗原さんを支えています。
(栗原)私たちの時代 専業主婦がほとんどで、働くって どんなことだろうと思ってました。昔って 旦那さんが芸能人の場合 奥さんがテレビ番組に出る企画が多かった。ある料理番組に1回だけ出たことあって、その番組の裏方に起用された。うちの夫が「働いたことないからやってみたら?」と言ってくれた。何しろ私は 夫に嫌われることだけが嫌だったんです。ずっと生涯。そこがあって 今の私があるから 数字を命として扱うということで。
それから 私はシェフではないので 自分の料理をふるまう機会がない。私の本を買って頂いた方が 作って おいしいかどうかが大事なことで、最初に作った時に おいしいってならないと よくないと思っています。
それから なるべく覚えやすい数字ゆで卵の酢じょうゆ卵 のレシピ。大さじ2のおしょうゆ、大さじ1のお酢、小さじ1のお砂糖で、2.1.1で 数字が分かりやすくするといいのではと考えています。

(小澤)栗原さんの「おいしさ」というのは 玲児さんが おいしいって言った その味のイメージでしょうか。
(栗原)師匠がいないので、必ず試作したら夫が食べてくれていた。何度も繰り返すのが楽しい。自分が思う結果になりたいんですかね。きっとね。

自宅のキッチンでの収録 撮影スタッフにスイーツや昼食の気配り

栗原さんの自宅のキッチンでNHK「きょうの料理」の収録が行われ、取材してきました。
撮影スタッフが準備をする中、栗原さんはバターケーキを切っていました。その他にも オートミールのクッキーやマフィンも用意。全て栗原さんの手作りです。訪れた人に必ずスイーツを出すようにしていて、初めてで緊張する人もいるので 少し和んでから仕事が始められます。
この日は手作りケチャップの作り方を紹介。甘みと酸味のバランスを自分好みに調整できるので手作りすることを楽しんでほしいと考えたのです。味の決め手として紹介したのは こだわりの 白ブドウから作られたホワイトバルサミコ酢です。そのケチャップを使ったナポリタンも紹介しました。
収録は無事に終了。栗原さんは 休む間もなく再び エプロンを着け 料理を始めました。これは撮影用ではなく スタッフの昼食なんです。撮影が始まった頃 スタッフが収録の時はいつも お弁当を食べていると聞き、自らお昼ごはんを作り始めた。温かいものや野菜サラダ。栄養バランスも考えています。
TAIRIK(たいりく) さんに栗原さんの印象を伺うと「気さくで いつでも フランク フレンドリーで酢。 オンオフって あると思うんですけどそれが もうないのか…」

今回栗原さんにスイーツを作ってきて頂きました。カスタードクリーム入りのバナナクレープです。
(栗原)私が料理家に いつか なった時 絶対おやつを出してと… ずっと決めてました。みんなに喜んで頂いて、それが喜びで 自分を支えてるような感じです。そうすると結局 お皿も工夫したり、もっとレシピを覚えないといけないとか。デザートは もっとおいしくどうやったら なるだろうかとか。人のために やってないんです。自分のためです
「きょうの料理 栗原はるみのキッチン日和」この時で いったんお休みになって、福島の食材を使ったお料理を皆さんに ご紹介していくのが また4月から始まります。

「死ぬまでにしたい100のこと」書き出し実行、韓国語・ギター・雑誌

栗原さんは今 新しいことも始めていらっしゃいます。料理家になって40年近く、4年前 最大の理解者であり 心のよりどころでもあった夫・玲児さんが 85歳で亡くなりました。栗原さんは食事も ろくに取れなくなり5キロも体重が落ちるほど憔悴。涙が止まらない毎日を過ごしていました。玲児さんに ささげる思いで SNSに心情をつづったところ 数多くの励ましのコメントが寄せられたのです。同じように伴侶を亡くした人たちからの自分の体験や いたわりの言葉に 慰められたといいます。
息子で料理家の心平 さんから「死ぬまでにしたい100のこと書いて それができるよう 僕がサポートするから」
その言葉をきっかけに「自分は何がしたいんだろう?」と考えるようになり スマートフォンにメモをするようにしたのです。
「書きだしてみると 結構やり残したことがあるなと思って、すると自分を見つめるかもしれない」
書きだしたのは「玲児さんが行きたかった所に行ってみたい、玲児さんが残したことば調べる、雑誌をやってみたい、自転車に乗って出かける、快適な暖房器具を見つける …etc」
玲児さんにまつわることから身近なことまで多岐にわたっています。
そのやりたいことを実行に移し始めています。2年前から始めたのは韓国語の勉強です。「韓国には何回も行ってるので ちょっと仲良しも いるじゃないですか。何も しゃべれないのはちょっと残念な気がしてきてね。もう時間がないので やるべきことを やらないと いけないな。やる気しかないから。もう今日 宣言します テレビで。」
さらに去年から ギターも始めました。ロックミュージシャンの佐野元春さんに憧れ 思い切って挑戦することにしたのです。「意外でしょ。意外だよね」練習しているのは 結婚した時に 夫にプレゼントした アメリカのバンドグループBreadのレコードの中の一曲でとても気に入っているんだそう。
このギターの腕前のお披露目は もうちょっと上手になってからとのことでした。
栗原さんが楽しみにしているちょっとしたイベントも。日本酒に詳しい友人を招き日本酒の勉強会です。自分が これまで深く知らなかったことを吸収したいと 新たな世界を広げています。

仕事でも新しい試みを始め、自分の名前を付けた雑誌を発行。その内容も自分で考案しています。テーマは自分の大切にしているもの、器や、リラックスする方法、大好きな京都のことなどの情報を発信しています。この日は 次の発行に向けて春のワンピースのページの打ち合わせ。実はワンピースが大好きで 着こなし術などを紹介したいと考えています。
一つ一つのことを丁寧に大切にしたい。そうした気持ちが以前よりも強くなったという栗原さん。心がけたいことなど思いついことをメモしています。(面倒なことから始めよう・ネガティブなことも前向きに) 思いついたら書く。今一番幸せだと言い切れる人生じゃないと。自分の可能性を発揮して、やりたいことを自分らしく。今 悔いのないよう 全力で楽しんでいます。
(栗原)75から やってますからね。だから ありがたいなと思って。こんな人生ないですよね。
夫がいたら約束事がいっぱいあり こんな早く亡くなるって思ってなくて。でも夫はあんまり泣いてばっかりいると 悲しむかなと思って。だから 残された人生を大事に生きないと もったいないかなと 最近 やっと思えるようになってきました。
私には 残された人生が そんなに もうないから、楽しくやるしかないと 思います。今 雑誌 元気な間は ずっとやり続けたいのが一番の目標でしょうか。
「ひとりごはん」というのを始め  もう撮り始めていていつか単行本 出したいなと。ひとりごはんって結構 難しいんですよね。
(小澤)単身赴任中に自分で 自分のための料理を作るって 実は億劫おっくうでしかなくて。自分のためには頑張れないなって思ったことがあるんですけども。
(栗原)本できたら差し上げます。
(賀来)私も ひとりなので。多くなっちゃったり。今日も あしたも食べたくないですよね。
(栗原)そこをなんとかします。やりたいことを最後まで。だから雑誌やって バタンキューみたいになったら いいですね。

▽まとめ&感想

「僕を待つだけの女性にならないで」と言われた 栗原さんの試行錯誤の レシピつくり に驚きました。確かにレシピの分量、手順を頼りに作ります。そんな風に考えて作られていたとは 思ってもみませんでした。75歳で「死ぬまでにしたい100のこと」エネルギッシュですね。雑誌 全部自分で 驚きでした。