大河 徳川慶喜 第2回 「新しい母」▽あらすじメモ▽ 本木雅弘さん登場

チャンネル銀河 9/16(水) AM8:00~

天保15年(1844年) 徳川斉昭は謹慎・弘道館はひっそり

天保15年(1844年) 七郎麿(8才 若葉竜也)は 藩校 弘道館に行くも誰も居なかった。
上が変われば、下もがっらと変わった。
倉石佐衛門(佐藤淳)と剣の稽古をして、準備された牛乳をさくら(5才)に与えた。

水戸藩 江戸駒込 中屋敷
徳川斉昭(菅原文太)が謹慎していた。
水戸では、嘆願の動きが有ったが、斉昭は時が来るのを待てと命じた。

三年後 弘化4年(1847) 七郎麿に一橋家に養子の話

水戸の庭園を、七郎麿・倉石佐衛門・新三郎・さくらが、散歩する内に3年経ちました。

水戸藩士 会沢正志斎が七郎麿(11才 崎本大海)らに、父上は謹慎こそ解かれたが、未だ藩の政に関わることは許されていない。学問する者は悪人扱い。…… まずは、斉昭 公の名誉回復。心引き締めるよう話した。

江戸城では、第12代征夷大将軍 徳川家慶(鈴木瑞穂)が主席老中 阿部伊勢守正弘(大橋吾郎)からオランダを始め各国から通商条約を求められていると、報告を受けていた。多くの砲台を積んだ大きな船が迫ってきていた。
続けて、一橋家の当主が亡くなって間もないが、新たな養子がひ弱で明日をも知れない。新たな養子に水戸の7番目はどうか?養子に出さないと聞いているが、斉昭を許し、養子の件も切り出すよう命ずる。

水戸藩 江戸駒込 中屋敷
徳川斉昭(菅原文太)吉子(若尾文子)が火消しの技を見ていた。
を組の頭 新門辰五郎(堺正章)と不思議とウマが合い、付き合いが続いていた。
「ダチョウ倶楽部」が次々に失敗、心配する吉子。
お互い、年だと 斉昭と辰五郎。 辰五郎が、まだまだとはしごの上で技を披露。
後ろで見ていた、吉子の側用人 永原帯刀(佐藤慶)が目を廻し退場。

徳川斉昭吉子が七郎麿の養子の件で、思案していた。
ゆくゆく 将軍職も見えてくる。水戸家のために使うのか、徳川宗家のために役立てるのか?

水戸城では七郎麿と世話係の松島(岸田今日子)に水戸藩家老 鈴木石見守重矩(頭師孝雄)が、江戸表より知らせが入り、七郎麿様が、三卿の一橋家に御養子入りが決まった。将軍職に就かれるかもしれない。
七郎麿は、養子に行かない、父様と約束していたと、暴れる。
斉昭様の親心、生涯部屋住みをさせたいのかと、松島に話す家老。

七郎麿はさくらの顔に髭と眉を描き、自分の顔にも書かせる。ついには、体中に塗り、養子に行く、さくらを連れていくと宣言。

蚊帳の中で、松島の話を聞きながら、寝入る七郎麿。

七郎麿 江戸に 父に再会 母に初めて会う 慶喜の名を賜る

水戸藩 江戸駒込 中屋敷で七郎麿は斉昭に会う。
三卿の一橋家は将軍家の家族の扱い、そちは一橋家の当主として、迎かい入れられる。徳川家のため、精一杯尽くせ。
母 吉子と面会。初めまして七郎麿です。 言葉がでなく、立派になられてと泣く吉子だったが、七郎麿は、素っ気なく退出。

江戸城では、第12代征夷大将軍 徳川家慶に七郎麿が元気に挨拶。将軍・家慶から慶喜の名を賜る。

を組の頭 新門辰五郎 のウラから火が出て大騒ぎしていた。

江戸城内 一橋家屋敷
慶喜は、位までいただいて一橋家の当主になった。
養母になる、未亡人 徳心院直子(つねこ:鶴田真由)は17才、わずか7歳違いで、慶喜に恋心が芽生えた。

五年後 嘉永五年(1852) ペリー来航の噂

江戸城 ご用屋敷
阿部伊勢守正弘達が、アメリカがプレジデントの国書を持って艦隊を派遣するらしいので、内々に協議しなければならないと相談。 ペリー提督が映る。

一橋家では、直子の見つめる中 徳川慶喜(本木雅弘)がなぜか、刺繍をしていた。
それを見ていたさくら(池脇千鶴)が消えた。

第3回は「黒船が来た」

▽まとめ&感想

天保15年(1844年) 徳川斉昭は謹慎になり・弘道館はひっそりし、七郎麿は側の者と武芸励む
三年後 斉昭の 七郎麿に一橋家に養子の話
七郎麿 江戸で父に再会、母に初めて会う、 慶喜の名を賜る、養母に恋心芽生える。
五年後 ペリー来航の噂、徳川慶喜が本木雅弘に変わった。

幼い、七郎麿はいじらしかった。世話係の松島に見守られ、眠る所など、幼いなりに。
あっという間に、養子に。本木雅弘さんの慶喜楽しみです。