所さん大変ですよ 「伊東四朗83歳 昭和のスターたちとの日々」▽こんな話 ▽世の中は「縁」で最後の喜劇役者

NHK総合 2021.6.3放送

昭和のスター 渥美清・森繁久彌・エノケン そして伊東四朗のなつかしい映像。
伊東四朗さんスタジオで所さんと対談。
ストリップ劇場で誘われて芸能界入り 渥美清に出会い てんぷくトリオを結成 市川崑に認められ 大河出演 森繁久彌と共演、世の中は全部「縁」。 伊東四朗は喜劇の中にはすべての物が入っているから 喜劇役者でありたいと話した。「おしん」にまつわる出来事。

【司会】所ジョージ 木村佳乃 庭木櫻子
【出演】伊東四朗 牛窪恵 ヤマザキマリ 伊藤海彦【語り】吉田鋼太郎

昭和のスター 渥美清・森繁久彌・エノケン そして伊東四朗

私 生まれも育ちも葛飾 柴又です。
姓は車 名は寅次郎。人呼んで フーテンの寅と発します。

「男はつらいよ 望郷編 」(S45)

♬「生まれてやりくり 死んでもやりくり」 「森繁のやりくり社員](S30)
日本の芸能史に 輝かしい功績を残した 渥美 清森繁久彌

コロナ禍の巣ごもり需要で 再び「寅さん」人気が高まるなど 昭和の名作が注目を集めているが、実は 2人とも 浅草の劇場などで 腕を磨いた過去を持つことを ご存じだろうか?
♬「ダンナ のませてちょうダイナー」
戦中戦後の劇場では 「喜劇王」と呼ばれた エノケンこと榎本健一なども活躍。

爆笑の渦に包まれる 舞台を 食い入るように 見つめる 一人の少年がいた。
その少年は 偉大な先人たちの DNAを受け継ぎながら 今なお 現役の喜劇役者として 活躍している。
その人物とは「伊東四朗83歳」

♬「電線に スズメが3羽 止ってた」 「みごろ!食べごろ!笑いごろ!!」 (S51)
70年代 「電線音頭」がブレークしコメディアンとして 一世を風靡。
♬「ヨイヨイヨイヨイ おっとっとっと」

そして、連続テレビ小説「おしん」(S58)
おしん! おしん!
日本中の涙を誘った「おしん」など俳優としても活躍。
おしん すまねえ… すまねえ…。

「伊東四朗生誕?!80+3周年記念『みんながらくた』」
雰囲気 変わったよね。 お化粧のせい?
芸歴60年を超えた今も衰えを知らぬ 芸能界の巨人だ。

そんな伊東さんが 今なお かたくなに こだわるのが 喜劇

ラサール石井は「喜劇のDNAを受け継いでいて すべてを知っていて、なおかつ いまも現役でやっておられる 最後の喜劇人」という

伊東四朗さんスタジオに

もう 喜劇人っていうより あの方は存在がもう面白いんですよね。
(伊東)お久しぶり ぶり ぶり ぶり ぶり…。
トコちゃんとは 随分久しぶりだよ。
僕はね たぶん 日本テレビでお会いしたのが最後かもしれない。
最後といわないでくれる。

僕は ドラマとか一緒に こう ご一緒させていただいたときに 私の知ってるかぎりは
「台本 覚えるの 面倒くさいな」とか「早く終わんねえかな」とかっていう人だと思ってたんですけどね
面倒くさいのがやるのが また好きなんですよ。手間はかかっているんだけど 早く終わって帰りたい。

今日はですね 伊東四朗さん まあ 83歳 これまでの 道のりを 振り返っていきたいんですけども。
先ほど VTRでも出てきましたけども 渥美 清さんだったり 森繁久彌さんなど 昭和の名優たちとの出会いですとか あと さまざまな偶然が重なってですね 実は 今に至ってるんですね。
そうした生き方というのが 今 コロナ渦で先がわからない中 生きるヒント 勇気につながると感じています。
ということで 伊東さん よろしくお願いします。

ストリップ劇場で誘われて芸能界入り 渥美清に出会い てんぷくトリオを結成 市川崑に認められ 大河出演 森繁久彌と共演

所さん! 伊東四朗が大変ですよ~!

喜劇役者 伊東四朗のルーツは 昭和12年に遡る。
昭和12年。5人きょうだいの4番目として 東京 台東区に生まれた。
幼いころから 家族に連れられ 劇場や映画館で 喜劇を見るのが大好きだった。
高校に入ると みずから脚本を書き 演じるほど のめり込んでいった。

そんなある日 映画館で見た 1人の役者に釘付けになった。
♬「誰かが誰かと麦畑」 「東京ロマンス 重森くん上京す」(S29)
♬「逢引している いいじゃないか」

後に「昭和の名優」と称される 森繁久彌
♬「夜はしらむ」 「森繁のやりくり社員](S30)
喜劇の中に 巧みに差し込まれた 哀愁漂うシリアスな演技。
これまでの喜劇役者とはひと味違う演技に 伊東さんは 心を奪われた。
文学的にはすごい知識をお持ちだし、それからドタバタの方の知識を持っている幅の広い人だと思いますね。私の血となり肉となりは 80%ぐらいは森繁久彌さん

森繁さんのせりふや歌を暗記するほど熱中した伊東さん。
しかし 役者の道に進んだのは全くの偶然からだった。


昭和31年。高校を卒業したものの 伊東さんは なかなか 就職先が見つからなかった。
しかたなく始めたのは 牛乳を売るアルバイト。
そこで得たお金のほとんどを あることに つぎ込むようになる。
それはストリップ劇場ですね。 新宿に2軒 浅草に4軒 池袋に1軒 これを見まくってくるワケです。全部そこに コメディアンがいるんですよ。

戦後 娯楽が多様化する中 劇場は 次第に廃れ、コメディアンはストリップショーの合間に出演するようになっていた。

毎日のように ストリップ劇場に通い詰めた伊東さん。
すると ある日、コメディアンの一人(石井均)に声をかけられた。
「おまえよく来ているな」「はい」「好きなのか こういうの」「そうです」
「今度俺劇団を作るんだ。おまえ出てみるか」といわれたのは 初めてのことです。

公衆便所から出てきて ジッパーを上げて 去っていったのが 私の初舞台。
これをきっかけに 伊東さんは 21歳で 喜劇役者としてデビュー。

その後 まもなく ある人物と出会うこととなる。
それは…。
「男はつらいよ 望郷編 」(S45)
止めるなって言ったろ?
そんな大きな声 出さないでよ。本当に 今日は 私たちが悪かったわ。謝るから。
当たり前だよ お前。だまされたようなもんだもんな 俺 結果的にはよ。

後に大スターとなる 渥美清
このころ 売れっ子となりつつあった渥美だが 実は もともとは ストリップの合間に演じる コメディアンの一人だった。

「私とぱっと目があいましてね。「新人かい、おかしな顔しているね」 私はあんたに言われたくないと 喉まできた」

「自分も いつかは渥美さんのように大きな舞台に立ちたい」。
下積みを重ねること3年、ついに転機が訪れた。
先輩の三波伸介 戸塚睦夫と 後のてんぷくトリオを結成
≪落ちるよ!
当時 最高視聴率が60%を超えた人気番組 「てなもんや三度笠」(S42)への レギュラー出演が決まったのだ。

この活躍に意外な人物が注目していた。
「ビルマの竪琴」で国際的な評価を得ていた映画監督 市川崑
新聞に 伊東さんを評価するコメントを書いてくれたのだ。
てんぷくトリオの中の一番若くて一番痩せている人。演技開眼したらしく からだとセリフのタイミングが見事。面白い。

名監督も注目した演技力は ほかの業界関係者の目にも留まり 伊東さんも驚くような大仕事が 舞い込んできた。
大河ドラマ 「天と地と」(S44)
兄貴! 兄貴…!
主人公 上杉謙信(石坂浩二)の家臣というシリアスな役だった。
目を疑い 耳を疑いましたね。間違いじゃないかと思いました。他に伊東って役者いるんじゃないのって!人生にはそういうことがあるんでしょうね。いまだに 不思議な体験です。

そして…。
♬「電線に スズメが3羽」
コメディアンとしても 着実に人気を集めていく。 電線音頭は社会現象にまでなった!
♬「ヨイヨイヨイヨイ おっとっとっと」
デビューから21年目。
ついに 憧れの人物 森繁久彌と共演を果たすことになる。
伊東さん 撮影の合間に 思い切って 森繁さんに声をかけた。
「すぐ隣に腰をおろしながら、♪「一人手酌の屋台の酒に」「おい いい歌だな 誰の歌だ」「いや先輩の歌ですよ「俺 歌った覚えがねえんだけど」そんなようなことを繰り返して、あんまりにも 私が いろんなことを言うもんだから「おまえ 今度 カセットレコーダーもってこい」冗談のつもりで言ったらしいんですけど、私が ちゃんと 撮影所の門の所でカセットレコーダー持って 立ってたら
車に乗ってきて パッと開けて「おまえ 本気だったのか?」ていって、でもとても嬉しそうに いろんな歌を吹き込んでくれましてね。至福の時間でした。」

世の中は全部「縁」

ストリップ劇場で誘われての芸能界入り。そして 森繁さんとの出会い。
伊東さん 本当に 人生 何があるか分かりませんね。
世の中は全部「縁」だと思っています。
本当 そうですよね。

だから 人に会うっていうことが 全部 その人の人生だと… 出会い。
どんなにやりたいことがあって どんなに才能があっても 何か きっかけがなかったら 出せないですもんね。
そうですね。
だからね 悲観ばっかりしていてもしょうがないですよね。
世の中はね。ひょっとしたら 好転するきっかけになるかもしれない

そうですよね。
あんまりにも暗くならないことだと 今 振り返ってみると そう思えてきます。

(庭木)でも 私は 伊東四朗さんというと バラエティー番組の司会者をされていたり 役者さん されていたりっていう感じで あんなに 机の上に乗って踊ったり 伊東さんがされるなんて もう驚きました。

あれは 全国のPTAからも 教育委員からも 俗悪番組で早く終わらせようという運動があった。
ええ~!
あるとき 私 歌の司会をしてるときに 、美空ひばりさんに呼ばれちゃって「四朗ちゃん 辞めてくれるあれ ウチの息子が こたつ板破っちゃったのよ」


(牛窪)実は 私 電線音頭 大好きで 私くらいの年代の人みんなはまった。教室の机にのって先生に怒られた。 これ 皆さん 体験してると思いますね。
今の若い子たちって やっぱり 皆さん それぞれ 好きなことを インターネットやSNSでバラバラにみているんですね。
なので やっぱり 当時の子どもたちみたいに、全員が 同じタイミングで 同じものをみて 興奮した体験がないんですよ。

森繁久彌さん 紅白歌合戦に7回も出場

伊東さんが憧れていた 森繁久彌さんですが 歌手としても活躍し なんと 紅白歌合戦に7回も出場していたことご存じでしょうか?
♬~「フラメンコかっぽれ」。第14回NHK紅白歌合戦(S38)
♬「塩茶でカポレ 甘茶でカポレ」♬「ねんねこせ ねんねこせ」
♬「ねんねのお守りはどこへ行った」♬「あの山超えて里へ行った」

(ヤマザキ)これ 「紅白」?すごい歌ですね これ。
最高じゃないですか。

(木村)私 あの森繁久彌先生といえば「知床旅情」が大好きで、これも森繁さんが作詞 作曲なんですよね。
小さいときは 歌詞の意味が 全然分からなかったんですけど だんだん 年を取るごとに 何とも言えない気持ちになる歌詞なんで。
「知床旅情」の元歌があるんですよ。「オホーツクの舟唄」で
♬「オホーツクの海原」

伊東さんも実は 27年前 56才の時 歌をリリースしているんです。
西口物語
「♫ なんとかしろよ、なんとかすれば、なんとかなると信じて生きる」。

ちゃんと歌ってるけど 詩に内容がない歌ですね。
ハハハハ…!

伊東四朗は 喜劇の中にはすべての物が入っているから 喜劇役者でありたい

伊東さん 80歳を過ぎても、本当に多岐にわたる 舞台ドラマ CM ラジオと 幅広く お仕事を続けられていますけども、こうやって現役でずっとこだわって やられている背景には ある理由があるんですね。

万馬券! 万馬券が…!
そんなことは どうでもいいから下りてくれよ。

この春 「伊東四朗生誕?!80+3周年記念『みんながらくた』」喜劇の舞台で主役を務めた。
上演時間は およそ2時間。その大半に伊東さんは出演していた。

さらに、テレビコマーシャルの撮影やラジオ番組出演なども精力的にこなしている。
80を過ぎた今なお 一切妥協せず 仕事に取り組むのには訳がある。

私はずいぶん長生きをさせてもらっていると思っておます。それだけに責任というものがあると思いますので…
共にステージに立った仲間や 憧れの先輩の多くは すでに この世を去っている。

そして、
「みごろ!食べごろ!笑いごろ!!」 (S51)
「♫しらけ鳥飛んでゆく南の空へ みじめ みじめ」

去年暮れには 共に 一時代を築いた盟友 小松政夫さんも亡くなった。
伊東! 伊東! 伊東の運動会!
赤組か?
いや 「しろう」。(笑い)

数々のギャグを生み出し 「黄金コンビ」と呼ばれた2人は厚い信頼で結ばれていた。
小松さんは 伊東さんを心配させたくない という思いからか 最後まで 自身の病状について 伊東さんには知らせなかったという。
彼が死ぬということは全く私の中になかったですからね 。もう一度会いたかった。もう1回コントでもやってみない?ということを言ってみたかったですね。

初めて舞台に立ってから60年。
伊東さんは 一日でも長く現役を続けたいと考えている。

伊東四朗は「喜劇の中にはすべての物が入っていると 思っていますから、そこから 外れたいとは思っていません。ですから 喜劇役者でありたい

「おしん」にまつわる出来事

最近 もう一人伊東さんにとって かけがえのない方が 亡くなられました。
≪父ちゃん! 父ちゃん!
おしん!

1983年から放送された 連続テレビ小説「おしん」で 伊東さんは おしんの父親を演じましたが…。
脚本を手がけた 橋田壽賀子さんが 今年4月95歳でお亡くなりになりました。

「おしん」が いい視聴率を取ったっていうんで小さいパーティーを一回 やったことがあるんですよ。
そのときに橋田さんがそばに寄ってきて「ねえ 伊東さん 今度死ぬことになるんだけど、どうやって死ぬ?」
「それ どういうことですか?」って。
「私ね いろんな死に方 考えたけどね 伊東さんて何やっても死にそうにないのよね。何がいいかな? 死ぬのは」って。
みんな もう くすくす笑って聞いてましたけどね。

(ヤマザキ)「おしん」といえば 世界73の国と地域で放送された 世界的なヒットドラマとしても 有名ですよね。中でも 「おしん」の人気が高かったのはイスラム圏の国。イスラムでは 女性たちが耐え忍ぶことに 美徳があるので だから そこに 自分の姿をおしんと重ねていたんじゃないかな 思うんですけども。

そんな中エジプトで ある日 「おしん」の放送中に 停電が発生しました。
するとですね 視聴者が激怒して電力会社とテレビ局に押し寄せ 暴動が発生したといわれています。
で 政府が 慌てて再放送を約束して 暴動が収まったと。
それくらい「おしん」は エジプト国民に 愛されていたということでございます。

あるときね うちの庭先で 女房とやり合ってる男の人がいたんですよ。
で 帰っていったんで「何があったんだ?」って言ったら「ここが おしんの父親の家か?」と聞いてきたので 「違う」とも言えないから「まあ そうです」って言ったら
いいかげんに やめろと いっておけ! バカ者が!」


(庭木)というわけで 今日は 喜劇役者 伊東四朗さんの これからやりたいこと…。
目標とか教えてください。
いや 自分からね そういうことを 考えたこと 私 ないんですよ。
というのも プロデューサーという人が世の中にいて 考えてくれるから。
必ず 誰かが考えてくれてます。考えてください 今回も。


(所)伊東さんの歳になったら 振り返って欲しい。今のうち何かいい映像残しておこう!

▽まとめ&感想

昭和のスター 渥美清・森繁久彌・エノケン・伊東四朗のなつかしい映像。
私でも 若い頃の森繁さん覚えがありませんでした。
ストリップ劇場に通い詰め 誘われて芸能界入り 渥美清に出会い てんぷくトリオを結成 市川崑に認められ 大河出演 すごいの連続でした。
「おしん」の話 どれも面白いエピソートでした。
前回の所さん大変ですよ 伊東四朗 83歳 驚きの健康術(こちらです)