大河 徳川慶喜 第48回 「恭順謹慎」▽あらすじメモ(超ネタバレ)

慶喜江戸に戻り 天璋院・静寛院宮に経緯説明 責任は私一人

慶応4年(1868)1月
江戸 一橋家
松島(岸田今日子)が戻ってきた。 徳心院(鶴田真由)美賀(石田ひかり)は 慶喜の事を尋ねるが、松島は泣くばかりだった。
そこへ、徳川茂栄(石丸謙二郎)が、「一大事です。京都で戦いがあり、上様は朝敵におなりあそばそた。」それを聞いて、美賀が気を失った。

江戸城
大奥
将軍家定の正室 天璋院(篤姫・深津絵里)と将軍家茂の正室 静寛院宮(和宮・小橋めぐみ)に、徳川慶喜(本木雅弘)が「大政返上の後 徳川宗家の処遇に就きまして、余に官位を辞退し 領地200万石を返上すべしとのご沙汰が下り、折しも 江戸の騒ぎ 西の丸の放火が 薩摩の手の者とわかり、家臣一同 奮闘の結果 よんどころなく戦争に及んでしまいました。その結果、不名誉にも朝敵の汚名をこうむりましたが、もとより お上に対して ほんの少しも存念などなく ひどまず 江戸に戻った しだいでございます。余はこれ以上 戦をする意思はありません。徳川宗家の当主を退隠し、いかなるお沙汰も受ける所存です。一刻も早く 朝廷にお伝え下さい。すべての 責任は 余にあります。」

老中 板倉伊賀守勝静達に 家臣達が「上様が、天皇に対し 二心なきは 天下万民の知るところなので 追討令は 勅命にあらず。陰に隠れる薩長の仕業だ」「にわかに兵を挙げ向かい受けるべし」「上様のお出ましをお願い申す」「死んでもこの江戸を渡さないぞ」と迫ります。

慶喜が 梅沢孫太郎(中原丈雄) に 春嶽・容堂達に書状を届けるよう 命じます。
杉山寅之介は、亡くなった 原達の名をあげ 大きな役目をしたいと言います。
慶喜は、あの者達は、余のため殺された。申し訳ない。

寅之介「追討軍は上様の命を狙うと言っています。」
慶喜「それもよかろう。余の命ですべてが終わるならば。上に立つものは理不尽を生きるということだ。ただその前に やらねばならないことがある。いかなる手を使ってでも 戦になるのを避けるのだ」

慶喜は 集まった家臣達に、 今までの礼を言い、我が身を恥じ 恭順謹慎し、沙汰が下るのを待つと告げた。そして、「もはや徳川幕府は この世にない。大政を返上し、幕軍最後の戦いも終わった。おのおのこれ以上 無益な戦を考えず家に戻ることだ。朝敵の汚名は余が一人でこうむれば 済むことだ。」

そうはいっても 皆 納得しなかった。江戸にいた人はまだ戦ってなく 敵の姿も見てなかった。

大奥 私達は 徳川家のもの 家名 領地を残すため 嘆願

大奥
天璋院静寛院宮 に「私は薩摩に生まれ、宮は 御所に生まれあそばしたが、今や 徳川家のものでございます。徳川家当主が 朝敵の汚名をこうむれば、私達も同然です。なんとしてもこの汚名を晴らさねばなりません。」
静寛院宮「慶喜さんお話を聞いても どうして汚名を請けたのか判らない。だから助命嘆願は書けません。私に出来ることは 徳川家の家名が断絶さぬよう徳川家が末代まで汚名を受けぬようお上に嘆願書を書くことでございます。」
御年寄 瀧山(佐々木すみ江)が「汚名を晴らすため 幕軍は戦に勝つことだと申しており、上様の力で幕軍を押さえられない。やがて薩長の軍勢を迎え 戦いになるでしょう。嘆願書はもうしばらく控えた方がいいではないでしょう」
女官 重子「瀧山さん 朝廷の汚名を被ったまま 朝廷に弓引けば 末代はおろか未来永劫朝敵になるでしょう。」
瀧山「朝敵はおかしい。薩摩が他の藩と手を結んで仕掛けてきた」
上臈の高部(園佳也子)「瀧山さん 天璋院様は薩摩がご実家の方、非礼である。」
天璋院「薩摩は横に置くのだ。私達は 徳川家のもの、徳川家の家名が消え、領地を失ってはご先祖様に申し訳ない。」

静寛院宮「瀧山 長く大奥を取り仕切ってきた。家臣と多くのつながりがあるでしょう。慶喜さんは恭順謹慎で沙汰を待っている。下の者達にも静かに 沙汰を待つよう申しつけよ。」

板倉が、朝廷より 上様をはじめ 二十数名の官位停止と 松平姓を持つもの従来の名に戻るよう勅を発した。また会津・桑名・それがしを含め 京・大坂の屋敷が没収された。
このようなことされて、引き下がれない。田安家からも応援の申し出がある。戦いたいというと、慶喜は 戦えば勝てるかも知れないが、勝ってどうする。幕府はもうない。

この 260年 録と役職を伝えてきた。長い間の平穏により、家の安泰を願って傲慢になった。
勝ったとしても、余の考えでも 、譜代 旗本から と録と役職を奪うことになる
譜代 旗本を裸同然で放り出せるのか?その決心がなくて 申すな。

江戸 一橋家
慶喜が戻り、徳心院、美賀にも「留守の間 ご苦労だった。」松島にも声を掛けた。
しばらく ゴタゴタがあるが、もう何も起こらない。

徳心院「朝廷は、追討軍を 関東に向けることになったらしい。戦うのか」と聞いた。
慶喜「戦う気がないので、そのうち落ち着くだろう」
徳心院「一人で 責任をとる気か?」「腹は 決まっている。」

美賀とふたりになった慶喜は「申し訳ない 京に連れて行けなかった。」
美賀は「万が一 事が起こる前にお知らせ下さい。お供します。」
慶喜「自ら 死を選ばない。朝敵になるようなことしていない。家臣に戦うなと申した。余が死を選べば、死を無駄にしないよう 戦うだろう。多くのものが新に死ぬだろう。余は、生きて忘れ去られることを望む。生きるつもりだ。」

新政府ができ 東征軍が江戸に向かう 水戸藩は朝敵の汚名を免れた

京都では、新政府ができ、外国との和親と、条約交付がされた。

慶喜に諸外国が 反乱軍よりも応援したいと 資金を含め応援を申し出るが 固辞した。

幕府がなくなったので 老中職など、お役御免で国元に返した。

徳川家だけの役目を決めた。その中に 陸軍総裁 勝海舟(坂東八十助) がいた。
都からの知らせで、まもなく東征軍が都を発するそうだ。
余が望むのは、徳川家と家臣を守ること、江戸を始め 全国が戦火に巻き込まれないよう尽くすこと。
決して戦わぬこと。まだ戦いを望む者がいるが、その方達の力で断固止めること。そのための役職だ。
私は当主を田安の亀之助に譲る。予期できることは 恭順謹慎の姿勢を示すことだ。

慶応4年(1868)2月3日
天皇 親征の詔発布
東征大将軍 有栖川宮熾仁親王 参謀長 西郷吉之助(渡辺徹)

江戸城
慶喜と慶篤(内野聖陽)は「水戸藩は朝敵の汚名を免れた。この勅書によれば長年の父上の尊王の志が認められた。京都に勤めていたものが天狗派だったこともある。しかしお受けすれば 兄上は水戸に戻って 市川三左衛門ら 幕府寄りのものに罰を与えなければいけない。京から戻ったものは今西の丸にいるとの事。兄上 小石川藩邸も幕府よりの者多く注意が必要です。」と言うと、慶篤は「わしの心配は言い。何もしてやれない。もっと話しあいたかった。」
慶喜は 兄の顔色も見て、気遣う。

勝海舟に後を任せ 寛永寺で恭順謹慎 山岡鉄太郎 勝の書状 西郷に届ける

勝海舟が、幕臣 山岡鉄太郎(伊武雅刀)を呼んだ。勝は山岡が大小を持っていないので、貧乏していると思いたずねると「喰ろうてしまいました。」と言った。勝は、「塚原卜伝の家柄で直心影流北辰一刀流の達人が刀を喰ろうとはなんたる情けなさだ。」と笑った。

上様は数日うちに上野 寛永寺に入られ、恭順謹慎なされる。私は 後のこと任せられた。
第一は徳川家を断絶しないように、第二は江戸が焼け野原にならないようにの2点だ。

西郷吉之助に書状を書いたので 届けてもらいたい。読め。大奥からと 寛永寺住職から、朝廷に嘆願書が出されている。朝廷としては、静寛院宮様に害が及ばぬよう嘆願書を受け入れるかもしれない。されど 参謀長 西郷を説得しなければ、上様の命は奪われ、この江戸は焼け野原になるだろう。

西郷と言う男は命を捨てている。かつてあの男は 一橋派だったが、安政の大獄で親友 月照を殺し変わった。あの男は戦いを好んでいるのではない。自分の信じてるもののために戦っているのだ。信じないもののためには決して動かぬであろう。そういう男だ。あの男には、誠実というものの 恐ろしさが 、今時にない武士だ。よってその方を選んだ。

上野東叡山 寛永寺
大慈院
慶喜は 2月12日に江戸城を出て、寛永寺に入った。恭順謹慎の意を表し 家臣が戦うのを諦めるようにするためだった。

西郷吉之助 山岡鉄太郎に 江戸攻め回避の条件提示


慶応4年(1868)2月15日
東征軍 京都 出発。

その頃 山岡鉄太郎 は刀を知り合いから借り 西に向かった。

駿府 大総督府本営
山岡が駿府に着いた頃、官軍は到着していた。
山岡は「朝敵 徳川慶喜 家来 山岡鉄太郎 大総督府へまかり通る」と大きな声で断って入っていった。
西郷は、皆を下げ 2人で会い、「先生のお手紙拝読いたしました。勝先生からは 色々ご教授いただき 尊敬しております。されど 今は敵味方にて ご意見をすべて受け入れること出来ません。」
山岡は「ごもっともなことです。」
西郷は「書状は書状として、我が方からの条件がある。」と懐から 書き付けを取り出し、山岡に示した。
「江戸攻めを免れたいなら、1つ 徳川慶喜を備前藩に預けること、
1つ 江戸城を明け渡すこと 、1つ 軍艦並び武器をすべて引き渡すこと、
1つ 城内住居のものはすべて向島に移すこと 1つ 慶喜の妄動助けたるものには謝罪を申しつける
なお徳川家で鎮撫できぬものは これを官軍が鎮圧すること 以上の条件を満たせば 江戸攻めについて 考慮の余地もあるということである。」

山岡は「他の条件は受け入れること出来ます、されど 最初の条件上様を備前藩にお預けることは 受け入れかねます。」
西郷は「恭順謹慎とは、いかなる条件でも 飲むということでは ありませんか?」
山岡は「上様はいかなる条件ものむと思います。されど 家臣が承服しないと思います。 それがしがこの条件をのんだ上で、江戸に戻れば、家臣一同 譜代大名を含めて立ち上がり 戦争になります。」
西郷「それもまた いたしかたのないことでござる。」

山岡「お願いです。この最初の条件を削って下され。 上様はすでに大政を返上され、将軍職も辞退され、恭順謹慎されています。恭順謹慎されている 上様にこれ以上何をお望みなのでございますか。武士には武士の礼節がござる。それがなければ 刀を持った只の狼藉者です。」
西郷「すべての条件は、満たさなければならぬ。これは朝命です。」

▽まとめ&感想

慶喜江戸に戻り 天璋院・静寛院宮に経緯説明し一人で責任とる覚悟。
大奥で私達は徳川家のもの家名領地を残すため嘆願。
新政府ができ東征軍が江戸に向かう。水戸藩は朝敵の汚名を免れた。
勝海舟に後を任せ慶喜は寛永寺で恭順謹慎。 山岡鉄太郎勝の書状を西郷に届ける。
西郷吉之助 山岡鉄太郎に 江戸攻め回避の条件提示。

※この放送は、字幕が出ません。私が理解できない言葉があり、間違っていたらゴメンナサイ。

聞こえてくる 言葉をそのまま 入力すると それらしき漢字が出てきます。初めて見る漢字ですが 合ってそうなので、書きました。合っているかな?
もう 最終回前です。毎回迫力ある人が出てきます。 今回も 西郷さんと山岡さん迫力があります。