大河 徳川慶喜 第47回 「朝敵」▽あらすじメモ(超ネタバレ)

チャンネル銀河 2020/11/18(水)AM8:00~

慶喜 官位返上と領地献上に薩摩の陰謀 戦うべきの声

慶応3年(1867)12月
二条城
王政復古の大号令により、慶喜の官位返上と徳川家領地献上が決定した。
徳川慶喜(本木雅弘)陸軍奉行 竹中丹後守重固達が押し寄せ 、薩摩の陰謀、戦うべきと 声を上げる。
慶喜は「余が割腹したらいかようにもいたせ、されど 余があるうちは妄動してならぬ。大命だ!」
と押しとどめた。

前 福井藩主 松平春嶽(林隆三)が呼ばれ、慶喜がこのままでは騒乱になるので兵を引き連れ 大阪に下る。200万石献上の件 お受けいたしかねる。大阪に下ってから 改めての話し合いにしていただくよう よろしく仲介下され。
春嶽は、できうる限り手を尽くすと言い、先日拝見した「議題草案」を預からせていただき、新政府を作る上で参考にさせていただく。
余が元首にならぬ時のことは 西周から聞いて下さい。都を引き払うこと 内密に。

寅之介が ざわざわしている家臣に 上様のお出ましと 声を掛ける。
慶喜は 老中 板倉伊賀守勝静に 全員城内に 一人残らず 集めさせよと命じる。
騒ぎを起こさせないためだった。
慶喜は 「容保・定敬 兄弟は」と訊ね「それぞれ軍勢を従え城内に入りました。」「それでよい」

夜になり、およし(清水美砂)松島(岸田今日子)に 明日大阪に下ると伝えた。
将軍で無くなったが、徳川家 当主であると言うと、およしは 「いいじゃ無いか?人生谷あり山ありだ、谷が来れば次は山だ」と励ます。
松島が そんなことと言うが、およしは「大阪に下って、作戦練り直し。わッしなら薩長 皆殺しだ!」

京都 めし屋 新門
たみ(水野真紀)みよ(一色紗英)新門辰五郎(堺正章)と、中山五郎左衛門(藤岡琢也)が訪ね、慶喜さんは、王政復古の大号令だ 後は戦争でけりをつけるしかない。火消しの野郎どもは今夜にも江戸に立たせる。あんたらも江戸に戻った方がいいのでは、と声を掛けた。俺たちは城に呼ばれている。
たみ達3人は、江戸に行ってもあても無く、客がついているので 残るという。
そこに 中山の長男太郎が 「戦だ、幕府軍が二条城に立てこもった、我が軍も御所の廻りに集まりはじめた。勝ち馬に乗ろう。」親子敵味方で戦うのか悩んでいた。
辰五郎は、中山に たみ達を残って守ってくれと頼んだ。
「ええじゃ無いか」が聞こえている。
中山は 人生の大矛盾だ とつぶやいた。

慶喜 兵を連れ大阪に 辞任しても諸外国外交

その夜 闇に紛れ 慶喜は 1万の兵を連れ 大阪に向け立った。

御所 小御所
参与 岩倉具視(寺脇康文) 「慶喜はなんて無礼なやつ、都を離れるのなら、お上にお暇を願い出て 勅許を得て 離れるのが礼儀でしょう。」
前 土佐藩主 山内容堂(塩屋俊) 「誤解でござる。徳川殿は都に争乱が起きぬよう 会津・桑名を移した。]
議定 正親町三条実愛(森田順平)「大阪に下り挽回策を講じるためでは無いか?」
春嶽「徳川殿は領地返上の件で 改めてと言われた 心配ない。」
正親町三条「軍艦を持って海路を絶ち、江戸に戻り 大挙押し寄せるかもしれない。」
容堂「江戸では、争乱が起き 薩摩の手先が 放火、強盗、略奪しているという」
薩摩藩士 大久保一蔵(池田成志)「山内様、それは我が藩に対する 言いがかり、江戸に起こりし事は江戸の不逞浪士の仕業でしょう」

大阪城
皆を集め、老中 板倉「改めて申す。大政奉還と官位を返上したが、何もかも言いなりになるわけではない。大阪に下ったのも 人心を沈静するためで、落ち着きを取り戻したなら 徳川宗家の立場で話しあいその結果でしかるべき処置をとるお考え、それぞれ下の者に 徳川宗家の臣下たることの 誇りを忘れぬようよくよく申し渡せ」
容保・定敬 兄弟、新撰組の面々が聞いていた。

各国公使がお目通りを願っていますと告げられた。
老中 板倉は「諸外国のこと 重大なること以外は… と言われておるのに」
若年寄 永井尚志は「上様が会われぬなら さっそく上京したいと申しています。変更声明が出されていなく困っているようです」
慶喜は西周(にしあまね:小日向文世)にこのような場合 どうなるかたずねた。
西は「国際的には、政権の移動があった場合 新しい政府は 政権の移動を各国に表明すると同時に、外国事務の取扱窓口を発表します。朝廷から未だ各国にその通達がなされていなければ、政権の移動がなされていないと言うことで、各国公使が望むなら 上様がお会いになるのがよいと思います。」
慶喜は板倉に「そういうことと 各国公使に伝えなくてはならない。公使達に伝えよ。」と命じた。

慶喜は、各国公使達と会った。この時が最後の晴れ舞台だった。

江戸 浅草
「ええじゃ無いか」が聞こえている中
れん(大原麗子)ガンツム(山下真司)があちこちで 薩摩の奴ら暴れ、おときさんの家も襲われた。見回って 止めないと 他の火消し達と飛び出した。
れんが一人になり、心さみしくなったところに、会津藩士 寺岡勘十郎(柴俊夫)が明日大阪に発つと 別れを言いに来た。
おれんは 入り口の戸を閉め 別れを惜しもうとするが 寺岡は振り切り出ていった。
「ええじゃ無いか」「月」
「ええじゃ無いか」 大勢踊れ狂い 「月」

江戸 西の丸火事 庄内藩の屯所で殺傷で薩摩藩邸焼き討ち 薩摩討伐に

大阪城
会津藩主 松平肥後守容保(畠中洋)桑名藩主 松平越中守定敬が 越前公 土佐公の仲介と申せ なぜ上様が上洛し 謝罪をしなければならないのかと 怒っていた。
江戸城 西の丸の火事は 薩摩の仕業と噂がある。不逞浪士が薩摩屋敷に出入りしている噂がある。なぜほっとくのか、なぜ我らは 耐えるのですか?

大目付 滝川播磨守具拳が、ただいま江戸寄りの知らせで、江戸で暴挙を振るうもの 薩摩の雇いしものと判明した。そのもの達 庄内藩の屯所に発砲して、藩兵を殺傷したので閣議で、薩摩藩邸を打払令を発し 25日夜 前橋藩・西尾藩・上山藩を中心に薩摩藩邸を焼き討ちしたそうです。また捕らえしものが申すには 西の丸の火事は薩摩が 天璋院救出のための放火だった。もはや薩摩の罪状は明々白々です。(そうだそうだ)直ちに薩摩討伐令を発して下さい。(そうだそうだ)江戸の有志達は我らを臆病者と思っている。よって関東より戦端を開いたのです。

板倉「薩摩の挑発に乗ってはならぬ。上様はまもなく上洛され、天顔を拝した上で議定に任ぜられるのだ。」
定敬「上様上洛なら 幕軍1万5千がお供する。天顔を拝し議定に任ぜられるなど なぜ信じられるのですか」
容保「江戸城に放火するは 上様に刃を突きつけたと同じ、幕軍全体を切りつけたと同じ、幕軍1万5千 黙していれば 臆病者のそしり免れない。上様 都に駆け上り 薩摩を倒しましょうぞ!」

慶喜は「静まれ、余が動けば余ばかりで無く幕軍全体が朝敵になる。江戸の騒ぎが薩摩のものとなればなおさらのこと。あれらは 我らが先に兵を動かすこと 挑発しているのだ。薩摩の不正義が判っただけで十分だ。 あの者達は 後世に汚名を留めるだろう。」
「怒りにまかせて動き回れば、下々の者まで 不幸が及ぶぞ。」
容保「されば 会津一藩にて参ります。上様の銘に従わぬ謀叛人にしてください。」
定敬「桑名藩も続きます。これ以上の忍耐は世間の笑いものです。」
滝川も「大目付の役返上し 会津 桑名藩に従います。」

容保「上様この声をお聞き下さい。この声こそが徳川幕府260年を支えてきたのです。幕軍の誇りを奪わないで下さい。死をもっても替えられぬものです。」
慶喜「勝手にいたせ!」と席を立った。

部屋に戻り、板倉に 「各国公使に使者を送り 薩摩討伐を知らせ 諸外国は一切手出しせぬよう申し渡せ。」
板倉は「まだ間に合います。城内に留め置けます」「もうよい」「このままでは朝敵になります」
慶喜は「あの者達の誇り奪うこと出来ぬ。一度たりとも戦わず理不尽に耐えたまま生きるは至難の業だ。このままでは あの者達に大義名分がない。余の薩摩討伐令を発するのだ。」

鳥羽伏見の戦い 錦の御旗で賊軍となり敗れ 慶喜 海路江戸に戻る

西郷吉之助(渡辺徹)「勝った」

慶応4年(1868)1月3日 鳥羽伏見の戦い
薩摩藩の砲撃を受けて、幕府軍は苦しんだ。
この戦いで 錦の御旗(大久保と岩倉が勝手に作らせた。天皇に「朝敵を討て」と命を受けた印し)が登場、幕府軍は賊軍となってしまった。
このため 1万5千の幕府軍が5千の薩長軍に敗れた

大阪城
容保・定敬は 彦根藩が寝返ったこともあり、再度の戦いを願った。
慶喜は「そち達は武士の誇りのため出陣した。勝ち負けは時の運。このあたりで踏みとどまるのが 武士の節度だ」
二人は、訴え続けるが慶喜は「消えてもか? もし藩主が消えれば 気力を失うだろう。 そのもの達は余と大阪を去るのだ」
容保は「お断りします。」
慶喜「戦いは終わった。皆家に帰るのだ。後のことは余が責任をとればいい。」
板倉が私が残り後始末しますというと、主席老中も消える事が必要だ。その前に 春嶽殿 容堂殿に極秘に使者を送り、余が江戸に戻り、恭順謹慎した上で勅敵とお沙汰を謹んでお待ちいたすと伝えるのだ。

まず幕軍を欺く。余をあきれたる卑怯者と思うようにな。
上様のお出まし。
滝川を筆頭に 慶喜の出陣を願う中、出馬いたすと告げた。

そして夜中に、辰五郎、およし、松島、 板倉、梅沢孫太郎(中原丈雄) と裏口から城を抜け出し 江戸に戻ることになった。
このため 幕軍は2度目の出陣を取りやめた。

軍艦 開陽丸に乗り 慶喜一行は江戸に向かった。

船から 横浜の灯りを 眺め(上手になった 梅のピアノ演奏が続く)

江戸 浅草
ポツンとしているおれんの元に辰五郎とおよしが ただいまと帰った。

江戸城 御座の間
慶喜は京都で将軍になったので、はじめて江戸城に入った。

東征軍 参謀長 西郷吉之助朝敵 徳川慶喜に 切腹を申しつける

▽まとめ&感想

慶喜 官位返上と領地献上に薩摩の陰謀と戦うべきの声が上がる。
争乱を避けるため兵を連れ大阪に退いた。 役が無くとも従来どおりで諸外国外交を行う。
江戸 西の丸火事、庄内藩の屯所で殺傷があり薩摩藩邸焼き討ちした。ついに薩摩討伐決意。
鳥羽伏見の戦いに錦の御旗がたてられ賊軍となり敗退、慶喜は海路江戸に戻る

※この放送は、字幕が出ません。私が理解できない言葉があり、間違っていたらゴメンナサイ。

慶喜は なかなか戦いを始めなく、戦いたい 容保達の熱い意気込みに圧倒されました。
戦ったら すぐ負け、江戸に帰ってしまいました。この辺の美学 理解しきれません。
会津の兵達 賊軍となって、 白虎隊になると思うと 戦いに踏み出さなかったらよかったと思ってしまいました。