大河 徳川慶喜 第38回 「条約勅許」▽あらすじメモ▽

チャンネル銀河 2020/11/5(木)AM8:00~

第一次長州征伐は尾張公が攻めずに引き上げ 慶喜 断固たる処置を望む

京都 慶喜の 宿館 小浜藩邸
およし(清水美砂)が 慶喜は身の回りの世話をする事が決まった。
公家の娘に礼儀作法を教わっていた。

二条城
中納言慶喜(本木雅弘) が老中 稲葉美濃守正邦水野和泉守忠清長州をなぜ一度も攻めずに 引き上げたか問います。
老中は「我らの方がお聞きしたい。尾張公が我らのいうことに耳も貸さず 引き上げました。その上、公方様に報告せよという 幕命を無視し、逆に公方様の御上洛を督促されている。」

慶喜は「尾張公は 勅命により 長州討伐の総督になられた。幕府は 勅命をお受けして 諸大名の大命を発した。それを 総督の一存で中止しては、無責任のそしりを免れない。」
そして「昨年来、何度も 公方様の上洛を希望しているのに実現しない。このような時、上洛し 長州討伐の先頭になぜ立たれないのですか。」と聞いた。

老中は「諸外国が江戸 大阪 神戸の開港開始を強く要求しています。長州の賠償で300万ドル要求され 江戸を動けない。」

慶喜は「諸外国の開港は今に始まった事ではない、長州の問題は国の一大事です。長州は御所に突入し、幕府に戦いを挑んできた。これを許してしまうとは信じられません。幕府の権威が問われているのです。幕府は力強く答えなければなりません。諸大名からも甘く見られ、幕府は時を待たずに滅亡します。」

京都守護職 松平肥後守容保(畠中洋)が「幕命による 長州藩主親子並びに三条実美どの達の江戸送致命令は尾張公参謀長 西郷がその中止を進言して来ています。何やらおかしな話です。討伐軍の責任者二人が口を揃え 敵のために許しを求めておられる。」

京都所司代 桑名藩主 松平越中守定敬 は「噂によれば 長州は2つに割れ、下の者達が幕府への謝罪拒否している との事です。」

慶喜は、「長州内部のことは後にして、大事なことは早急に断固たる処置をとることです。」

一橋家
慶喜からの手紙を読んでいる美賀(石田ひかり)松島(岸田今日子)が話しかけるが素っ気なくあしらう。
徳心院直子(鶴田真由)が戻り、慶喜が戻されるかもしれないと話した。

大奥 和宮輿入れから4年 家茂と仲睦まじく

大奥
大老 酒井雅楽頭忠績が 就任の挨拶のため和宮(小橋めぐみ) 天璋院(篤姫・深津絵里)を訪ねた。
天璋院が 「公方様に上洛の噂が囁かれているが 誠か」 と訊ねる。
酒井は「その話は、都から聞こえてきますが 幕閣は一度も話しあっていません。」
天璋院が 「今 都では 一橋中納言殿禁裏御守衛総督になっておいでで、聞くところによると、あの方が 長州の肩を持ち 長州征伐を中止させた とか。そのような方がいる都へ 公方様がお出でになるのは危険なこと。この先も 公方様の上洛はお控えなさいませ。」

天璋院 御年寄 瀧山(佐々木すみ江)に一橋殿は水戸の出身。斉昭公の時代から将軍の座を狙っていた。あの方は 都におり、お上の側近くに勤め 朝廷を掌中に収めようとしている。それなのに 朝敵 長州を討伐させなかったのか。長州を味方につけ 次の将軍職を狙っているような気がする。」

上臈の高部(園佳也子)が瀧山に、「一橋殿が将軍職に就かれることがあれば、この大奥は取り潰しになるかもしれない。」と不安を口にすると、瀧山は「そのような心配はない。大奥勤めが長くなり どこを押せばどうなるか、誰が誰と繋がっているか 十分に承知しているつもり」という。

観行院(山本陽子)が和宮に「良かった。公方様上洛にならぬことが判った。詳しくは判らぬが 都も平穏にもどり、公方様も心休む。何はともあれ、公方様が心優しいお方なので、貴方は幸せだ。江戸に下向して来たときはどうなるか心配したが、なんとか今日まで来ました。あれから4年 良き御台所になりなさい。」と語った。

公方様がお見えになるとの知らせに 立ち上がった観行院がふらつき、挨拶をし その場にじっとうずくまっていた。 

将軍 家茂(進藤健太郎)が 母を心配していた和宮に 誰かが意地の悪いことを言ったら「余に申せ」といい、フランス公使が和宮に持ってきた時計を渡した。
観行院が具合が悪くなっており 医者を呼ぶ。

時は過ぎ 第二次長州討伐 幕府が計画 慶喜は反対 実際は何も進まず

慶応元年(1865)閏5月
二条城 
将軍 家茂が自ら長州征伐を決断して上洛した。
老中 阿部豊後守正外が「本日 お上に参内し 奏上したとおり 明日にも 大阪城に入り 断固 長州を征伐するつもりである。」

それを聞いた慶喜が、昨年暮れ 尾張公を中心に1回目の長州征伐が行われるはずでしたが、されど長州藩主の謝罪や 三家老の切腹などを条件に手を打ち 一度たりとも戦うことなく 兵を引かれてしまいました。あれから半年 時は過ぎ 事情が変わったと感じます。
今や多くの藩が長州討伐に反対し、薩摩藩も兵は出さぬと申している。これは、1回目に戦わなかったからです。
時の勢いを失った。各藩は兵を出せば、多大なる軍資金が必要になると気付いてしまいました。諸外国の貿易により、攘夷より開国の方が国を富ます事に気付いた。まして国内に戦乱が生じれば、国そのものの力が衰えることに気がついた。
それがしも 昨年までは 長州討伐に賛成であったが、今は違います。これ以上長州をお責めにならない方がよろしいかと存じます。

阿部は「我らは 長州に対し けじめをつけようとしている。藩主を呼びつけ、非礼を詫びさせ、領地も10万石ほどに減らし厳罰に処する所存で、あらかじめ戦を考えてはいない。」
慶喜は「長州が 命に従わなかったらいかがいたす。」とたずねた。
阿部は「その時は断固討伐するしかない」と答えた。

その結果、長州は幕府に従わず、幕府はいつかはくるだろうとのんびりしていた

連合艦隊が兵庫に 幕閣の一存で兵庫開港を容認 慶喜 朝廷の承諾が先

慶応元年(1865)9月16日
四ヶ国(英仏米蘭)連合艦隊が兵庫に来着

京都 慶喜の 宿館 小浜藩邸
慶喜に 京都所司代 松平が「噂では長州は赦免嘆願を口にしながら、藩内では倒幕と衆議一決しているとのこと、しかもイギリスとにわかに手を結び密かに 藩主をイギリス本国に留学させたとか。」と報告した。
京都守護職 容保は「けしからん事だが、連合艦隊は幕閣に任せ、我らは 京の都の警護をかためよう」
慶喜はもしかすると「公方様上洛に合わせ、連合艦隊が大阪に来るとは?もしかすると長州と繋がっているかもしれない。」

そこに 将軍 家茂からの 書状が届く。それには大阪にくるよう書いてあり、慶喜は夜中に馬をとばした。

大阪城
老中 阿部豊後守は大坂町奉行 井上主水正義斐 老中 松前伊豆守崇広を傍らに置き「新任のイギリス公使は傲慢で兵庫開港を要求し、即時 承諾しなければ 公使一同 都に上り 朝廷の許しを得るというので、即答は出来ないといったが 一切聞き入れず 是が非でも都に上ると申し、朝廷が承諾しなかったなら  戦端を開くとまで申した。そこで1日の猶予を申し入れ 大阪に戻り 一同衆議いたしたが 到底 朝廷からの返答いただけるわけもなく、何万という人間に害が及ぶ事になります。よってやむを得ず幕閣の一存で兵庫開港を承諾することにして 先ほど松平周防守を兵庫に発たせた。」
慶喜は「少々お待ちください。今 兵庫開港を承諾された仰せになられた?」「ハイ」の答えに
「朝廷の承諾を得ないで開港を許すのは大間違い。井伊大老の結んだ通商条約さえ まだ勅許を取っていない。違勅条約のままです。そのような先例がありながら、朝廷の反発は必至でござる。幕府は長州相手に戦をしようとしている。そのようなときに朝廷を敵に回すのですか。今すぐ兵庫に遣わした周防守を戻されよ。そして新に人をやり 公使達に 日限の延期を申し入れてください。その間に条約が勅許になるよう奏聞します。」


兵庫港
連合艦隊の公使達は1日後に返事をするといいながら、10日の猶予を求めるなんて日本人は嘘つきだと思っていた。
若年寄 立花出雲守種恭はどうにか猶予を引き出した。
証拠が欲しいといわれ 大坂町奉行 井上主水正義斐が血判を押そうとして刀を抜いたら、公使達は慌てた。

通商条約の勅許をめぐり 朝廷が2老中罷免 慶喜 勅許のため奔走

京都 御所
孝明天皇(花柳錦之輔)を前に、慶喜は公卿たちに 「こたびの兵庫開港は本気で、我が国の出方次第で 戦になる恐れがあり。お上に奏上して ペリー以来 違勅状態の 通商条約の勅許賜るようお願いします」と願い出た。
関白 二条斉敬は「それより 将軍家は大軍を率いて 今大阪城にいらしゃる。勅許を求める前に外国軍艦を追い払えばいいのでは 幕府には やる気がない。阿部 松前はたったの1日の猶予しか引き出せなかった。大阪町奉行にも劣る あの者達に勅命により罰を与えた。」
慶喜は「今 敵は 幕府ではありません。諸外国の公使達が都に押し寄せようとしている。通商条約の勅許お願いします」
そこに、知らせが入り、5人一人一人伝達して関白に伝えられ、「将軍家が 阿部 松前に対する朝廷の処理を不服として 将軍職を辞し江戸に戻る と仰せだ」と慶喜にも伝えられた。

慶喜は 御所を 辞し、あちこち 馬に乗り 駆け回った。

伏見で、慶喜公方様に会い 格別なることがあったか訊ね 「イヤ」お悪いのか「イヤ 年寄り達がかくのごとく申せというので申した」と聞いた。

慶喜は幕閣を集め「無責任とはこのこと 長州の件はいかが いたされるおつもりですか?兵庫にいる 連合艦隊は どうするおつもりですか?すべて投げ出し、いかなる所存かお聞きもうしたい。」

老中 松平伯耆守宗秀 が「こたび 朝廷より 直に沙汰があり 阿部豊後守、松前伊豆守が罷免された。このようなご処置は前代未聞で、元来 幕府の 役職について その任命罷免は幕府の専断事項で、将軍の権限を奪うもの。これでは将軍家が政なすこと出来ない。よって 将軍職を辞され 江戸に戻られてしかるべし と思います。将軍職を中納言様に譲りたいと存じます。公方様もよくよくご承知の上のことで、中納言様なら必ず良きに計らわれる事と思います。」

それに対し 慶喜は「まず公方様は江戸に帰らず、早急に都にお入り願い その上で朝廷と相談いたす。
ようやく 勅許につては、決死の覚悟で お上に奏聞いたす。今この時を乗り越えずして、いかなる未来があろうか。」

京都 小御所
孝明天皇(花柳錦之輔)を前に、慶喜は公卿たちに、こたびの兵庫開港を求めている4カ国はそれらの国の代表で事の他強く、公使達は条約の勅許なければ、兵庫を去らず、戦に及ぶ覚悟のようです。公使達の要求は これまでに開いた 横浜 函館 長崎の正式な 勅許で、叶えば兵庫の海より去るでしょう。拒否すれば、あの者達はお上のと尊さをわきまえぬもので、都に殺到するかもしれない、その時になって和を講じようとしても手遅れ、あの者達は 戦いを常としてきた国の生まれで、この世のものとも思えぬ武器を備え、闇夜の大海を迷うことなくまっすぐ進む技を持ち、体も日本人の倍も有り、赤鬼のごとく乱暴にて、牛 ブタ 馬と何でも食らいます。絶え決戦の決意で戦っても必勝はおぼつかなく、世界万国を相手にすることとなります。もはや 返答する日も迫っており、早急に結論を出さなくてはなりません。何とぞ この国が焦土とならぬよう 評議お願いします。

このようにして ペリー来航以来 違勅状態の 通商条約 が7年目にして 正式の条約になった。

▽まとめ&感想

第一次長州征伐は尾張公が攻めずに引き上げ 慶喜 断固たる処置を望んだ。
大奥 和宮輿入れから4年 家茂と仲睦まじく安心していた観行院が体調崩す。
時は過ぎ 第二次長州討伐を幕府が推進、慶喜は反対し実際は何も進まず。
連合艦隊が兵庫に 幕閣の一存で兵庫開港を容認、慶喜 朝廷の承諾が先と動いた。
通商条約の勅許をめぐり朝廷が2老中罷免 慶喜 勅許のため奔走し正式の条約になった。

※この放送は、字幕が出ません。私が理解できない言葉があり、間違っていたらゴメンナサイ。

長州征伐 慶喜や幕府の考えが 反転し、老中が多く出てきて混乱してしまいます。
さらっと見ようとしても ちょっと判らない言葉出てきて 引っかかって 気になってしまいます。
検索するとだいたい 出てきます。史実なので 驚きます。

公家の知らせの 伝言ゲームみたいな様子あきれてしまいます。