大河 徳川慶喜 第33回 「池田屋騒動」▽あらすじメモ▽

チャンネル銀河 2020/10/29(木)AM8:00~

慶喜は横浜港閉鎖を朝廷に確約も 翌朝薩摩の家臣に翻意が伝えられた

二条城
久光に従4位下左近衛少将の官位を与えられ、島津大隅守久光(江守徹)となり 正式な参与となった。

中川宮邸
中川宮朝彦親王中納言慶喜(本木雅弘)が訪ね、願い出ていた 久光の官位の御礼を言った。
無謀な攘夷は、朕が望むところにあらず」 どこから と慶喜がたずね、長州や 関白 鷹司からと聞いた。
実は、幕府は 昨年の勅状を真摯にお受けし、せめても 横浜港閉鎖を考えた。使節が談判のためヨーロッパに出かけている。諸大名への示しがあるので、後日 将軍家より勅状の請け書には、横浜港閉鎖はむずかしいと 書きますので 改めて 朝廷より 断固 横浜港閉鎖せよと沙汰をいただきたい。」

京都 小御所
孝明天皇(花柳錦之輔)を前に 参与達が集まった。
関白 二条斉敬が 請け書の 横浜港閉鎖が曖昧です。
中川宮 無謀な攘夷は、望んではいないが せめて 横浜港閉鎖 したい。
参与 福井藩主 松平守春嶽(林隆三) は、「一方的に 横浜港を閉じれば それこそ無謀なる攘夷となりたちまち戦争となる。」
久光は「閉鎖に反対で、諸外国は 隙あらば 我が国を狙っている。」
慶喜は「事重大なので、明後日改めて お話申し上げます。」

二条城
翌日 参与達は集まった。労をねぎらい 将軍 家茂(水橋研二)もお出になり、酒を振る舞われた。
幕府の思い通りになってきたからだった。
夕刻になり 慶喜が 「横浜港閉鎖について 協議したい。」
久光が「実は今朝方 中川宮に我が家臣 高崎太郎が召されて、横浜港閉鎖はお上の意向でないとの言葉だった。」
春嶽も「私も脇の方から 昨日の沙汰は後見職の心底を試みられと お聞きした。」
慶喜は「大隅守殿 高崎太郎はせっしゃも存じてはいるが、 中川宮はなぜ そのような重大事 拙者に告げずに 高崎に告げたのだ 。兵15000を連れている あなたへの敬意か」

春嶽も「いずれ、直にお会いして お聞きしたい。」
慶喜「いずれでは遅い、国の重大事を左右する事 さっそく中川宮をたずね、昨日の沙汰が今朝になって叡慮でなくなったのか お尋ねしなくてはならない。」

中川宮邸
慶喜、春嶽、久光、宇和島藩主 伊達伊予守宗城(大門正明)がじっと待っていた。
中川宮にようやく会えた。

慶喜は 高崎に告げた件を確かめ、なぜ私に言わなかった。薩摩の家来などに言ったとののしった。
朝廷は、朝夕に意見が変え 勅状さえ人を欺く手段にしている。誰が畏敬の念をもてるか?
閉鎖の儀 ご満足と 修正され 全国の諸大名に布告してください。」
中川宮「明日 そのようにします。」
慶喜は「宮は人を信用されすぎます。この3人は 天下の大うつけです、このように悪賢い者を なぜ信用される。大隅守に台所向きのこと お任せになっているからですか。」
続けて「もし それがしの申し上げたこと 心得違いと思し召されるなら、拝顔も今日限りとします。道理と思し召されるなら 正しいお沙汰が下されるよう ご修正下さい。 そのことがなりましたら 改めて御礼に伺う所存」膳を倒し よろけながら退出した。

春嶽は「もう参与の会も終わりだ。慶喜はなぜ急に攘夷になられた。」
久光は「このような侮辱生涯忘れぬ」

慶喜は、さくら(田中伸子)を側に 酒を飲み「余は 朝廷にも 幕府にも あのもの達にも だまされない。余は変わったであろう。もはや別人だ。 日々悪しきことを考え、人の顔色を見て、策略を労し 汚れるに任せている」
「今宵は このさくらがお慰め申し上げ、その汚れをいただきます。」

慶喜 禁裏御守衛総督になり

新選組 近藤勇(勝野洋) 以下が、怪しげな者を切り捨てる。

京都 薩摩藩邸
大久保一蔵(池田成志)が「参与会議がつぶれた。朝廷と力わせ 政を 京に移すのは無理」
久光が「15000の兵が都におる。何か方策はないか」と問うと、
「一旦 兵を引いて、西郷を呼んだ。」と答え、西郷を許した礼を言う。
久光は、先代を神のように慕う西郷を許したわけではないが、家老達がやかしくいうので仕方無しだと言う。
西郷吉之助(渡辺徹)に大久保が 無礼のないようにと釘を刺され、久光に面会。
久光は、「朝廷 幕府を見張り 長州の動きに目を光らせ、藩の方針に従い動くのだ。吉之助を 軍部役に命ずる」

京都 小御所
孝明天皇(花柳錦之輔)に 委嘱され、慶喜は将軍後見職を辞めて、御所を警備し 大阪の海を守る 禁裏御守衛総督 兼 摂海防禦指揮に就きます。

鷹司家
慶喜は、鷹司政通(宝田明)と斉昭の姉・清子(有馬稲子)をたずねます。
清子は病が悪く、もう会えなかったと思い、二人だけになりたがった。
後見職を辞めたことを気にし、私も貴方も水戸の武家生まれ、何をなすべきか判るか?
水戸に戻りたい。

水戸
吉子(若尾文子)に永原帯刀(佐藤慶)が、藤田東湖の子 藤田小四郎(田辺誠一)ら 数十名 攘夷を唱え 筑波山で 兵をあげ 藩と争う気配 と伝えた。
吉子は「慶篤はどうしている。」とたずねられ 江戸表では、武田耕雲斎を遣わし、説得するようです。噂によれば、しばしば 長州や土佐のものが 藩内に入り 藤田らと会っていた。
吉子は「長州の者、昨年都を追われたのであろう。都で何か起こっているのではないか。慶喜が心配だ。」

慶喜 水戸藩士借り受け 、水戸藩を心配する

京都 慶喜の 宿館 小浜藩邸
慶喜が水戸藩士 梅沢孫太郎・原市之進を水戸藩から借り受けた。
「まず水戸のこと 藤田東湖の子息達 天狗党が 筑波山で兵をあげたと言うが。」
「どうやら 長州と呼応するためのようです。」
「長州藩は、昨年の騒動で 都を追われたが 一緒に逃げた三条ら公家7人を匿い続けている。水戸の天狗党が長州と示す合わせて、兵をあげたとすれば、狙いは京都。よくよく 警戒が必要だ。」
「それから早急に連絡いたし、武田耕雲斎など 筑波に派遣し 天狗党を説得するようにいたせ。」
「恐れながら、今 藩内は家老市川三左衛門の率いる諸生党と、攘夷派の武田耕雲斎対立し慶篤様が苦慮しておられる。 その上幕府が 天狗党討伐に乗り出す噂がある。」

平岡円四郎(新井康弘)が「水戸のことも大事だが、今 殿は禁裏御守衛総督 になり。配下の新撰組の調べでは、長州 肥後 土佐 あたりから 相当数 浪人が入り込んでいるらしく いつ騒ぎになるか判りません。

新撰組が池田屋で尊王派志士を急襲

2ヶ月ばかり経って、都では 祇園祭の2日前 宵々山の夜だった。

三条小橋 池田屋
桂小五郎(黒田アーサー)が、同市を前に 古高俊太郎が新撰組に捕まった。ここ京都にいるのは危険。それぞれが 一度都を出て、策を練ったらと提案。
肥後藩士 宮部鼎蔵が「水戸では兵をあげたではないか、我らも申し合わせ通り 今夜動こう。」
「新撰組の屯所を奪い あの者達を皆殺しにし、古高を助けようではないか。」「古高は 死を覚悟している。それより 申し合わせ通り、町中に火を放ち、素早く、中川宮と守護職に天誅を加えよう」
桂は「申し合わせでは 北風の強い晩に火を放ち、大火にする事になっていた。今夜は蒸し暑く無風だ。大火にならねば この人数では戦えない。将軍家は 兵と共に去ったが、都には、会津 薩摩を始め、まだ数万の兵がいる。どう戦うんだ」

下に降り、戸のかんぬきをあげた。
守護職の兵が 今しばらく遅れるようですと伝えられ、新撰組 近藤は これ以上待てん。沖田行くぞ。
伝令に 会津公に新撰組は切り込んだと伝え、急いで兵をお出しするよう申し上げるのだ と伝令に命じた。

池田屋に 御用改めだと入り、 「新撰組だ」と斬り込んだ。
新選組局長 近藤勇(勝野洋)沖田総司(小澤征悦)が激しく斬り合った。

慶喜に 京都守護職 松平肥後守容保(畠中洋)が 昨夜 池田屋で 長州の手先 浪人どもを切り捨てました。
そのもの達は、北風の強い晩に火を放ち、中川宮と守護職の私を殺害し、お上を長州にお移ししようとしていた。長州は放ってはおけません。

長州 萩
長州藩主毛利慶親に 報告が入り 去る6月5日 三条小橋 池田屋 にて我が藩の吉田稔麿を始め土佐の者が守護職配下の新撰組に襲われ 見え 吉田 杉山 多くの者が殺害され、捕らえられた。 我らの願いも聞かずこのような暴挙あのような者からお上をお救い申し上げるのだ。

慶喜 「戦いになる。」

▽まとめ&感想

慶喜は横浜港閉鎖を朝廷に確約したが、 翌朝薩摩の家臣に翻意が伝えられた事を知り、朝廷を批判し、開国派の参与を罵倒します。
慶喜 禁裏御守衛総督になり、水戸藩士を借り受け 天狗党のことを知り水戸藩を心配する。
新撰組が池田屋で長州などの尊王派志士を急襲した。

※この放送は、字幕が出ません。私が理解できない言葉があり、間違っていたらゴメンナサイ。

「青天を衝け」の渋沢栄一が天狗党に参加しようと考えていたが、周囲に止められ果たせなかったそうです。

慶喜の 細かいやりとり、行ったり来たりで なかなか 理解し切れません。