大河 徳川慶喜 第43回 「議題草案」▽あらすじメモ(超ネタバレ)

チャンネル銀河 2020/11/12(木)AM8:00~

孝明天皇の崩御 16歳明治天皇が即位 公武合体消滅

慶応3年1月4日(1867)
江戸 大奥
孝明天皇の崩御から10日して 大奥に知らせが届いた。
和宮の母 観行院、夫 家茂、兄 孝明天皇が相次いで亡くなり、静寛院宮(和宮:小橋めぐみ)は深い悲しみの中にいた。これで公武一和 が消えた

1月9日
新しく 睦仁親王(明治天皇:安藤一平)16歳で即位
関白 から 摂政になった二条斉敬が 補佐することになった。

京都 慶喜の 宿館 小浜藩邸
慶喜(本木雅弘)に 杉山寅之介が書状をもってきて、新門辰五郎(堺正章)の伝言で、さくら(田中伸子)が伏見にいたが数日前に消えたと伝えた。
慶喜は 生きていたと安堵した。

そこへ、原市之進(山口祐一郎)が 新帝になり 摂政 二条斉敬 に長州方の三条実美、押しかけた公家達、岩倉具視まで 許すよう働きかけてるようですと伝えた。

公武一和を望んだ帝はもうこの世にいない。荒野に投げ込まれたような慶喜だった。

慶喜 西周に徳川中心の憲法草案の作成を命じ、フランス語学ぶ

お城に開成所教授 西周(にしあまね:小日向文世)が来たと杉山寅之介が知らせると、今日は忙しくなるので、黒書院の中に 屏風で囲い その中で講義が聴けるよう指示。

老中 小笠原壱岐守長行 が値上がりが激しくなった。世の中がずっそうになったと報告。

京都守護職 松平肥後守容保(畠中洋)と弟の 京都所司代 松平越中守定敬が来て、「長州 討伐が 中止になった。 一時休止だったのに。?」
慶喜 「中止にしたのは、私。」
容保「反対です。先帝は許していない。外様一藩に負けるのか。諸国の藩士、薩摩の兵続々 上京している、」
飯倉「長州藩主を隠居、領地を削る」
容保「会津、桑名が出陣します」慶喜「国内から争いなくしたい」
容保「正義です。」慶喜「正義だけで国は保てない」
容保 定敬「職を解いてください」慶喜「そのようなむずかしいこと言うな。その方達が頼り」

屏風で囲った中で、西周三権について講義
独立して何者にも侵されない権利
・法を作る … 議会
・法を行う …政治
・法を守る …役所
幕府はすべてを行ってきた。将軍は西欧では大統領に近い、
政府の長は選挙で選ばれている。 議会には 上院 下院がある。

イギリス公使 バークス に兵庫開港を求められるが 勅許得られない

老中 板倉が「イギリス公使 バークス が兵庫開港を求め軍艦まで出してきた。」と報告。
兵庫は京都に近く、大の夷人嫌いであった孝明天皇の反対が強かった。
慶喜は「兵庫開港は5年前に約束しており、これ以上延期できない。朝廷に 兵庫・大阪港を開く勅許をもらわなくてはならない。情けない顔するな。」と板倉を励ました。
そして、フランス公使を内々に呼ぶよう 命じた。

屏風で囲った中に慶喜は戻り、西周にフランス語で挨拶をしたいので 教えてもらった。

今度は、梅沢孫太郎(中原丈雄)が、兵庫開港の裏に 薩摩藩邸で相談していると 報告してきた。
慶喜は、兵庫開港の勅許をもらえるよう 公家達を説得続けるよう命じた。

新帝を政争に巻き込みたくない。天皇は、高貴なもの 静けさが訪れるようしたい。
西周に 憲法の草案を作るよう命じた。

江戸 新門一家
れん(大原麗子)に会津藩士 寺岡勘十郎(柴俊夫)は、京都で会津藩が活躍してる話を話します。
れんも 新公方様 目から鼻へ抜けるような顔立ちで、ここに来たことがあると言っても 寺岡は信じません。
れんはだから主人が100人も火消しを連れて行ったと言い、寺岡は 殿様が 評判を聞き火消しを呼んだと言い争い、二人で昼酒を飲んでいると、ガンツム(山下真司)が来て 毎日 このようなことと 注意します。
とき(三條美紀)も来て 不義密通はいけないというが、追い返されます。

京都 慶喜の 宿館 小浜藩邸
夜 慶喜は ノートに書いたフランス語を 一人で勉強しています。
寅之介が およしの方様が お部屋に来てと呼んでいると伝えても 慶喜はフランス語を学んでいます。

二条城
屏風で囲った中で、西周議政院(国会)の講義
上院…万石以上の大名から選び 2.3年で選び直す
下院…最初は、各藩1名ずつ選出

フランスでは 皇帝 ナポレオン3世が 周辺とうまくいかず 今メキシコと戦っていて国の力落ちている。
幕府は600万ドルの借款して さらに50万ドル追加する話があるが これ以上危険です。
返さなければ、我が国の一部が フランスのものになります。ご用心ください。

黒書院に大老 板倉が来て、 先帝より罰を受けた公家達、朝廷への参内が許されているようです。そして、兵庫開港の勅許はむずかしく 延期できないと 伝えた。

慶喜は、何やら思案していた。

大老 板倉は、諸外国公使を招き 将軍就任の祝宴を開くには、兵庫開港を約束できなければ、朝廷を 日本の政府と認め、幕府は滅亡する。

将軍就任の祝宴が開かれ 慶喜 兵庫港開港を宣言します

京都 伏見 薩摩藩邸
桂小五郎(黒田アーサー)西郷吉之助(渡辺徹)は将棋をしていた。
西郷は、「さくら(田中伸子)は、なかなかだったが、京の都から日本が 消えたと言うこと。」
桂小五郎は「まもなく 徳川慶喜も消えるでしょう。」 、西郷は「徳川慶喜はよく分からない。」と言っていると、 家老 小松帯刀と 大久保一蔵(池田成志)が戻り、手はずは整ったので、朝廷は、我らの公家方で押し切れます。
西郷に、一度国元に戻り、久光公に報告し、上洛軍の支度をするのだ。

噂によると、フランス公使 ロッシュさんは公使と同じ洋服を慶喜に送ったそうだ。
西周より西洋式の挨拶の仕方を教わった。

大阪城
その洋服を着て、慶喜はフランス公使 ロッシュさんと フランス語を使い 会談した。
ロッシュさんは、よくしゃべり、フランス皇帝の自慢、外交、貿易、イギリス公使の悪口、薩長の裏側まで教えてくた。税の取り方、あらゆるものから税を掛ける事を教えてくれた。

慶応3年3月25日
イギリス公使と会う日が来た。やはり 兵庫開港 不許可という 勅旨が出て、慶喜さんも終わりだと噂が飛んだ。
将軍就任の祝宴が開かれ、慶喜が挨拶し、5年の間の懸案になっていた兵庫開港、12月7日を持ち 兵庫開港し大阪を開始いたします と宣言。この件は将軍徳川慶喜が日本の元首として約束します。

西郷吉之助達は、兵庫大阪を許可した?徳川慶喜は、首を落とさねば こちらが飲み込まれる。

▽まとめ&感想

孝明天皇の崩御で16歳の明治天皇が即位し、公武合体消滅。
慶喜 西周に徳川中心の憲法草案の作成を命じ、フランス語学びます。
イギリス公使 バークスに兵庫開港を求められるが 勅許得られない。
将軍就任の祝宴が開かれ 慶喜 兵庫港開港を宣言します。

※この放送は、字幕が出ません。私が理解できない言葉があり、間違っていたらゴメンナサイ。

今回は、慶喜さん 慌ただしく動きます。
よく 短期間で 西欧風の 憲法 議会のこと 判ったことに 驚きです。洋服まで着てました。
フランス公使の おしゃべりで色々 教わったのは事実でしょうか?
週5回も放送があると、遅れ遅れになってきました。 もう少しです 完走頑張ります。