大河 徳川慶喜 第19回 「父の死」▽あらすじメモ▽

チャンネル銀河 2020/10/8(金) AM8:00~

大老・井伊直弼の暗殺は幕府に大きな衝撃を与えます。慶喜は政敵の死を悼みますが、直子(つねこ)と美賀(みか)は、隠居謹慎中の慶喜が改めて当主になることに期待します。
王劇

大老 井伊直弼 が桜田門外で暗殺され 幕府は傷で登城できないことにした

安政7年(186) 3月 江戸城 桜田門外 で大老 井伊直弼が脱藩した水戸藩士らに殺害された。

水戸城 斉昭(菅原文太)が倒れた。

江戸城 幕閣会議
老中 脇坂 は我が屋敷に 大老を襲ったあと 脱藩した水戸藩士が4人ばかり駆け込み 天誅を加えたという『斬奸趣意書』を差し出していった。
老中 安藤 は 彦根藩が手を打たねば 水戸藩を襲うかもしれない。
老中 内藤は 大老は死なかったことにする。傷を負われて屋敷に戻ったことにする。彦根藩は軽々しく動けないだろう。 彦根藩を潰せない。 大老は急ぎ過ぎ、罰しすぎた。
大目付、目付を集めた。

美賀と直子は慶喜が当主に再びなる事を願った

一橋家
刑部卿慶喜(本木雅弘)美賀(石田ひかり )と「明るいのはイイ」。
中根長十郎(信太昌之)が 大老 井伊直弼 を襲った、脱藩した水戸藩士が 脇坂邸に『斬奸趣意書』を差し出した。それには、あくまで井伊大老に対して 天誅であって、幕府に対して意趣はないと書かれていた。大目付より、井伊大老は軽症にて 登城されないが、見舞いなどお断りとのこと。

奥では、松島(岸田今日子)は天罰が下ったと喜び、徳心院直子(鶴田真由)は当主に慶喜がなればいい。
しばらく 悲しげに暮らしましょう。

浅草 新門一家
新門辰五郎(堺正章)れん(大原麗子)、およし(清水美砂)、ガンツム(山下真司)が、集まって 酒を交わし 桜田門外で 井伊大老が斬られ、慶喜が生き返ると話していた。彦根藩に水戸藩が襲われると心配していた。
そこに、水戸藩士 傷ついた 広木が、新三郎に聞いて かくまってくれるよう、頼ってきた。
奥の押し入れにかくまうと、中山五郎左衛門(藤岡琢也)がやって来て、「くやっしい。何もしていない。桜田門外」と騒いだ。
そこに、南町奉行所が「御用だ。」と来るが、すぐ引き上げた。

水戸の斉昭 慶篤 慶喜を心配 吉子 永原に水戸藩のため

水戸 翌日の夜
寝ている 斉昭と、吉子(若尾文子)の元に、井伊大老を襲い、命を奪ったと第一報が入った。
男子禁制の部屋に永原帯刀(佐藤慶)が招き入れられた。
詳細を説明させた。永原は、井伊大老を襲ったのは、水戸脱藩士17名及び薩摩脱藩士1名のだった、幕府は 井伊大老は軽症として死を隠し、彦根藩のお家断絶を避けたと報告した。
斉昭は、江戸に行き慶篤(内野聖陽)慶喜に伝えて欲しいと、書状を永原に託し、直に届け返事をもらうよう頼んだ。
吉子は、永原に、そなたが頼り、斉昭公は明日をも知れない。慶篤(内野聖陽)は藩主に向いていないので、下支えをするため、私の杖となり、言葉を伝えるよう命じた。

一橋家
慶喜に中根が平岡円四郎(新井康弘)が目通りを願っていると告げた。
平岡は、小普請組に移り、「ご用心なされ」 彦根藩はいきり立っている。出掛けるなと忠告。
幕府は、彦根藩を押さえるので、精一杯。
水戸藩にも風当たりが強く、勅諚をまだ返していないので、お取り潰しの噂もある。

今幕閣には、新たな策を考える人が居らず、大老の進めた策をそのまま継続し、和宮様 御降嫁によって、公武一和を実現し、朝廷の条約調印反対の機運ををなし崩しに収めようとしている。

京都 桂宮邸
和宮(小橋めぐみ)と母 観行院(山本陽子)のところに、九条尚忠(森山周一郎)が来て、祝辞を述べた。
観行院は、お上はこの間まで、和宮と有栖川の宮とのご婚約を祝っておられたのに。お祝いの言葉など入らない。関白 九条を恨みます。

将軍 家茂 と和宮 婚約

8月15日 中秋の名月。
浅草 新門一家
新門辰五郎(堺正章)れん(大原麗子)、およし(清水美砂)、ガンツム(山下真司)が、集まって月見。

一橋家
慶喜達もそろって月見。

水戸
寝ている 斉昭、月をしみじみ見ながら、吉子 手を握りながら 亡くなりました。

一橋家
慶喜に 斉昭の逝去の知らせがと、最後の手紙が届いた。それには、毎日牛乳を飲み、罰を受けていても気落ちせぬようにと書いてあった。

▽まとめ&感想

大老 井伊直弼 が桜田門外で暗殺されたが、幕府は死を隠し、彦根藩を潰さないようにした。
美賀と直子は慶喜が当主に再びなる事を願った。
病の斉昭 慶篤 慶喜を心配 、吉子は永原に水戸藩のため手足となるように命じた。
幕閣は井伊の政策を進め、和宮の将軍 家茂への降嫁を進めます。病気の父・斉昭が亡くなりました。

・この放送は、字幕が出ません。私の解釈が間違っていたら、ゴメンナサイ。

井伊直弼は跡目を決めていなかったので、藩主が死んだ彦根藩は お家断絶・お取り潰しになる事になります。喧嘩両成敗で、同じことが水戸藩にも及ぶのを避けました。
調べてみると 首を探し胴体と共に並べ軽症として、側室の子を嫡子として届け出、大老職を辞任し、ようやく死を1ヶ月後に公表出来たとか。 享年46歳