チャンネル銀河 2020/11/16(月)AM8:00~
薩長と戦えばイギリスが出てくる
長州処分について 皆受け止め方が違っていた。
幕府 ⇒ 罪あるものへの寛大 長州藩主に 謝罪の嘆願書出させ、 それで罪を許す。
春嶽 ⇒ 将軍家はおかしい。嘆願書を以前 出していて、解決済みのはず。 久光を説得するのは大変だった。
久光⇒幕府は朝廷を牛耳り 長州と我が藩を潰そうとしている。そのまま長州を敵にしておく必要がある。
容堂⇒4藩を集めて決めた 同時解決の趣旨が無視された。薩長の同盟が武力によるものに変わってしまう。その前に大政奉還を持って穏便に
伊達宗城⇒我ら4藩は朝廷の元、将軍家と共にこの国の政を預かるのでは
二条城
老中は、物騒になり 徳川慶喜(本木雅弘)を二条城にお移しした。
慶喜は、フランスからの600万ドル借款計画 曖昧になってきた のは本当か訊ねた。
老中 板倉伊賀守勝静 が、パリ博覧会で日本が統一国家では無いと新聞にのり、フランス政府が浸潤はじめた。ロッシュ公使は以前と変わらずです。
慶喜は ロシュに600万ドル借款の実行を申し入れるよう命じた。
老中 小笠原壱岐守長行 は、薩長は繋がっており 安芸、土佐も近づいている。後ろにイギリスがいて、自由貿易を望んでいます。フランス公使は我らと商社を作り、独占的に貿易を望んでいる。
薩長が兵を挙げればイギリス海軍が後ろ盾になるのは確実です。
いっそのこと 薩長の準備が整う前に一挙に攻めたらいかがですか?
慶喜は、大々的に兵を動かすには300万両の軍資金が必要だ。
小笠原は、短期決戦なら なんとか都合つく。
慶喜は、長州 薩摩は遠い。戦いとなれば地元の優位もあり、町人百姓も我らを憎む。小笠原はついこの間 小倉で長州軍に負け逃げ帰ってきた。今は戦にならぬよう手を打たねばならぬ。戦になれば、諸外国が介入してくるかもしれない。
坂本竜馬の「船中八策」を見て猶予できない 西周の議題草案が完成
そこに、京都所司代 松平越中守定敬が来て、土佐藩の後藤象二郎 が土佐藩の建白書を持って老中にお目通りを願っています。
板倉が、山内容堂の側近でかねてより 大政奉還を主張しているものです。明日にも会おう。
所司代は 、これが土佐の浪人 坂本竜馬が書いた「船中八策」でと慶喜に手渡した。坂本は、これをご覧になれば、薩長が何を企んでいるか 判ります。
慶喜は、目を通し、横井小楠が申していたようなもの。詳しいことは判らないが このようなこと 薩長や土佐で語られているなら、もはや猶予はないと言うことだ。
西周の議題草案が完成した。 慶喜は酒を振る舞い、よい出来だと褒め称えた。
慶喜は寅之介に読ませた。
西周は、万が一 大政奉還 すれば 上様の立場が消える。
この草案は 元首を上様として、形作られている。 元首の上様がいなくなれば 基本が崩れます。
慶喜は、「西 元首が消えたら 、諸外国には その国の元首として大統領がいる。その大統領のごとき者を選べば良い。余が新たな国家の元首を望むのは 橋渡しの役目が必要と思っている。」
「ええじゃ無いか」が流行 土佐藩が「建白書」を提出
その頃 「ええじゃ無いか」が流行っていた。
京都 めし屋 新門
たみ(水野真紀)とみよ(一色紗英)も 「ええじゃ無いか」を聞いていた。
新門辰五郎(堺正章)と、中山五郎左衛門(藤岡琢也)が 迎えに行かせた「はつ」を連れてきた。
たみは、はつを抱き寄せ泣いた。 みよは一人泣いていた。「ええじゃ無いか」が店の中にも入ってきた。
京都 伏見 薩摩藩邸
薩摩藩 家老 小松帯刀と西郷吉之助(渡辺徹) を土佐藩の後藤象二郎が訪れ、「建白書」について協議。
土佐藩は 政権奉還を速やかに行い、朝廷を中心に 諸大名が幾人か集まり 政治を行い、その中に徳川宗家を一大名として入れるというものでした。
薩摩藩は 徳川幕府を倒幕したいため反対し、土佐藩は それでは争いが起きることを危惧しました。
二条城
土佐藩の後藤象二郎は、 老中の板倉、若年寄の永井尚志に、土佐藩が「建白書」を提出し、大政奉還を行うよう要請し、薩長は兵を動かし始めて入るので、早急に行うよう迫った。
板倉は受けても良いと思うが、一存では 決められないので しばらく待って欲しいので、薩長を押さえて欲しい。
慶喜は、「建白書」に天下の大政を認定するのは朝廷にある が 気になった。
板倉に「議題草案」を見せ、朝廷は政に関わらせず、山城1国を差し上げるのは妙案。永井も絶賛した。上様が元首になられるのですね と言うと、慶喜は 先を見越して作成したと言う。
板倉は 「建白書を受け入れ、大政奉還するのですね」
およし(清水美砂)が花札を一人でしていたので 松島が止めた。
そこへ 慶喜が戻り、およしを抱きしめ、 一人になり、一晩中 考え抜いた。
朝になり、寅之介に 雨戸を開けさせて、大政を返上するぞ。ただ戦にならぬよう手を打たねばならない。
公卿 岩倉具視(寺脇康文)を 公卿 中御門経之を 長州藩 品川弥二郎、 薩摩藩 大久保一蔵が訪ねた。
岩倉が「薩長 安芸の3藩が倒幕の盟約を結ばれたと聞き、心強くしている。」
大久保が「 朝廷の 討伐の勅命を賜りたい。そうすれば思うように動ける。」
岩倉は「望むのは 単なる大政奉還でなく お上を中心とする 王政の回復です。」
「ええじゃ無いか」
それより、薩長寄りの公家達が 摂政 二条斉敬に迫った。
「ええじゃ無いか」
討伐の勅勅が薩長系の3藩に下る噂を聞き 幕府が大政奉還を表明
二条城
慶喜に、老中 板倉が 「一大事でござる 中川宮の知らせでの、討伐の勅勅が薩長系の3藩に下る 噂がある」と伝えた。
慶喜は「密勅? 摂政の二条殿が発せられた?」と聞くと 「二条様はご存じないとの事」
慶喜は、考えていた。「戦になります。早急に兵を集めます。」
「待て、大政を奉還するのだ。大政を奉還すれば 薩長は 戦う名目を失う。兵を挙げられないのだ。都にいる 10万石以上の大名を集めよ。大政奉還を志望するのだ。朝廷にも表明する。」「はい」
京都伏見 薩摩藩邸
家老 小松帯刀と大久保一蔵 が「討伐の勅勅が出た」戻ってきた。
しかし西郷は「今し方、幕府が大政奉還を表明した。」と告げた。そして「一橋の指図に違いない。幕府は政を返上するのだ。我らは攻めるための大義名分を失った。」
京都 小御所
朝廷は驚き、一橋は無責任の極みとののしった。
京都 二条城
慶喜は、「戦はやらん、死ぬための戦 考えるな」と 板倉と永井に命じた。
▽まとめ&感想
薩長と戦えばイギリスが出てくる事を知り、坂本竜馬の「船中八策」を見て猶予できない 。
西周の議題草案が完成した。「ええじゃ無いか」が流行。土佐藩が「建白書」を提出。
討伐の勅勅が薩長系の3藩に下る噂を聞き 幕府が大政奉還を表明、薩摩は戦う大義名分失う。
※この放送は、字幕が出ません。私が理解できない言葉があり、間違っていたらゴメンナサイ。
いよいよ、話が複雑になってきました。
大政奉還のいきさつはじめて知りました。 なかなか 理解しきれません。
争いを起こしたくないと ずいぶん あっさり 決心しました。