大河 徳川慶喜 第34回 「御所突入」▽あらすじメモ▽

チャンネル銀河 2020/10/30(金)AM8:00~

平岡 水戸藩士に暗殺され、天狗党 幕府が征伐に乗り出す

京都
連れ立って歩いていた平岡円四郎(新井康弘)は幕府の攘夷は、横浜港閉鎖だけで 後は成り行き任せと話していた。そこに、水戸藩の 林、江幡が名乗り 幕閣の手先となり 一橋公の攘夷も意見を封鎖し、勝手なことを世間に言いふらしている。一橋公の名誉のため 成敗いたすと、切りつけた。

京都 慶喜の 宿館 小浜藩邸
すぐに 中納言慶喜(本木雅弘) に平岡が死んだことが伝えられた。相手は 水戸藩士。
原市之進(山口祐一郎)が来て、水戸藩の筑波山に挙兵した藤田小四郎(田辺誠一)らに繋がる攘夷激派の者で、平岡殿が幕閣と手を結んでいるというのが、襲った理由です。
慶喜は「なぜ 余を襲わん。 」
ただ 幕府は攘夷のため、横浜港閉鎖を主張したが、いつの間にか 横浜港閉鎖交渉だけにしてしまった と言うのが 水戸藩激派の怒りです。幕府は開国しなくては ならないことを知っている。幕府ばかりでなく攘夷を唱える 長州も 真の攘夷など知ってはいない。天下を取り 自分の手で開国したいだけだ。残念ながら 尊皇攘夷を信じているのは 水戸の激派だけだ。時勢に逆らい、世間を敵に回して戦うしかないのだ。哀れな者どもだ。

平岡の亡骸が運び込まれ、慶喜と対面。「許せ」と一言。

水戸
貞芳院(若尾文子)が小石川に文を出し、永原帯刀(佐藤慶)に、「どうなっているのか判らない 慶篤は攘夷の筑波勢に味方するのか、幕閣の意向に従うのか」
永原は、「それどころではありません。幕府は筑波勢討伐のため 川越以下11藩に出兵を命じ、昨日それぞれの藩が兵を出したとのこと」
貞芳院「慶篤は筑波勢討伐を呑んだということか?」 永原「はい」
貞芳院「誰か筑波勢を説得する者がいないのか? 藩内の争いならまだしも 幕府の兵を相手に戦うとなれば、水戸藩 そのものの命運が危うくなります。なんとしなくてはなりません。」
永原「武田耕雲斎 あたりに説得させるしかありません。」
貞芳院「耕雲斎は攘夷派であの者達に取り込まれてしまうではないか。のんきだな。」

永原が「さればこれから 筑波山に走り 説得して参る。ダメなら 切腹します。」
貞芳院が「田丸、藤田に手紙を書きます。その手紙を持って 筑波山に行き 返事をもらってきなさい」

水戸天狗党の陣所
永原は、田丸稲之衛門、 藤田小四郎(田辺誠一)に貞芳院の手紙を届けた。
我らは 斉昭様の遺志を継いで立ち上がった。
「貞芳院様が心配されているのは あなたたちの命運と水戸藩の行く末です。貞芳院様のご意向は 亡き斉昭様のご意向です。」
立ち上がったので後には引けないという 小四郎。
永原に勝ち目がないと言われ、 勝ち負けで立っていない 国の行く末を思い立ち上がった返れと怒鳴った。

水戸に戻った たみ(水野真紀)村田新三郎(藤木直人)とみよ(一色紗英)のところに現れた。
新三郎は、たみを家にいれた。たみは 何度も新三郎を叩き、みよも たたき、心配してくれた 中根殿も 平岡殿もお殿様の身代わりとなって、この世にはいないと告げ、恥をしりなさい。
殿様のために働くのだ、新三郎を帰せば子は返すと言ったが、新三郎は返らない と言うのだった。

長州は藩主達の赦免嘆願を口実に京に 慶喜は長州征伐の勅状をもらう

京都 慶喜の 宿館 小浜藩邸

老中 稲葉美濃守正邦が、慶喜に 次々と長州から兵が上ってきている。いかがなされるつもりと問い、
禁裏御守衛総督なので、入京を許さず 帰藩するよう言っている。
春まで 所司代をさせていただき 池田屋事件で捕らえた者の話では 長州の狙いは倒幕
追放された三条達 公家と藩主の赦免嘆願だが、都で戦うのは明白です。説得より、討伐の方がいい。
「幕府の意向は判っているが、赦免嘆願する者をいきなり討伐は出来ない。許せ と言う声も多い。」
慶喜は、「お上はあくまで攘夷、異人がお嫌いなのだ。異人を我が国に近づけたくないので 長州が勅命で 外国船に大砲を撃ったのだ。」
美濃守は「上は急激な 攘夷を望んでおられない」
慶喜は「それは 幕府にその力がないこと ご存じだからだ 長州の件は微妙なのだ 討伐は誰が見てもやむなし と言うまで待たなければならない」
「せめてくるのを待つのでございますか」と問われ、慶喜は「それもあると答えた

京都所司代 松平越中守定敬が来て、「長州の兵は 伏見、嵯峨天龍寺,山崎の3箇所に集まっている。
先頭に立つ 家老 福原が 老中に面会し、藩主及び7名の赦免嘆願を行いたく 都に入る許可を求めている。」
慶喜は「入京を許さず 帰藩するよう伝えたはず。これは お上の意向でもあると伝えるのだ。」
「長州の兵は、大砲を備え、武器を持ち 戦うことのみ考えている。噂によれば 本隊がこの後上京する気配があります。話しあう前に討伐の手を打たれた方が良いかと存じます。」
「各藩の 配置は終わっているのか」 「はい」
そなたの 兄上の具合はどうか?」「兄の具合は、相変わらずですが、 お上の近くに移った。」
慶喜「それはいい 兄は京都守護職 弟のそなたは所司代 頼りにしてるぞ」
伏見に もう一度参り お上の意向を伝えるのだ。帰藩するのが一番 と加えた。

慶喜に、水戸藩士 梅沢孫太郎(中原丈雄)・原市之進が「筑波山の天狗党に、幕府は各藩に出兵を命じたようでございます。」
兄上はいかなる手を打っているとたずねた。
殿は、幕府寄りの市川三左衛門 天狗寄りの武田耕雲斎に挟まれ 幕閣の意向も入り 身動き取れないようになっている。
聞くところによると 筑波の天狗党に各地の浪人どもが集まり、その数1000近くになっているとのことです。もはや幕府も見過ごすこと出来ない。水戸は内乱になります。

京都 小御所
議奏 正親町三条実愛は「なぜ 討伐か。 長州は藩主の嘆願している 。 三条実美卿はじめ 7人の方々のお許しを願っているのに 何ひとつ聞かずに討伐とは? お上の意向と思えない」
中川宮朝彦親王は、「長州のもの達、兵を率いて、都に迫り 攻め入ろうとしている。」
大もめになり、「なぜ京都守護職の陣所を御所内に作るとは、いかなる考え」と聞くと
関白 二条斉敬は「それは肥後守の具合が悪く、時が時だけに 格別の処置をした。」
国事御用係 中山忠能は、「具合が悪いのはウソかもしれない。たとえ会津が尊王でもしょせんは武家で、将軍家の親藩で いざとなれば一番の敵になりかもしれない。」
有栖川宮熾仁親王「我らの一番大事なことは 叡慮をないがしろにしないこと 私と 中川宮は 直に お上に聞いた。」

禁裏御守衛総督の慶喜に 久光の替わりに薩摩藩を預かる 西郷吉之助(渡辺徹)がきた。
慶喜が「薩摩藩は兵を出していない 格別な理由があるのか」とたずね、「昨日まで、留守居役しかいなく、今朝 兵300が到着したので 御下命に従えます。」
「薩摩は長州をどう見てる」と問うと、「攻め入ってくる」

長州 御所に 発砲 禁門の変が勃発 禁裏御守衛総督の慶喜 幕府軍指揮

二条城
京都所司代 松平越中守定敬 が各藩の配置を発表。

元治元年(1864)7月18日 禁門の変(蛤御門の変)が勃発
御所
大慌ての長州寄りの公卿たちが集まり、まず京都守護職を追い出すための勅状をもらおうと話していた。
慶喜達は 長州の本隊が到着する前に、動くと決意。
そこに 中川宮から 長州寄りの公家が不穏な動きがあり、早急に参内するよう伝えてきた。
慶喜は、馬を用意させ御所に駆け込み、 開門させ 中に入り 誰も入れないよう 閉門させた

孝明天皇(花柳錦之輔)に長州討伐の勅状をもらった

鎧が届き、奥方 美賀の実家の今井出川家で着替えた。
長州軍は 3方面より一斉に御所を目指し、進軍(毛利家の「一文字三星」がひるがえる)。その勢いは凄まじく、御所まで攻め寄せ、中立売御門蛤御門へ突き進みます。
慶喜が陣頭に立ち 応戦します。蛤御門に鉄砲組集めます。
中立売御門は福岡藩兵が守っていましたが、長州軍が破って蛤御門方向に進みます。

慶喜は、御所に入ると、小御所に公卿たちが集まって、和睦せよと言いますが、 御所に発砲した長州を許せないと断ります。
お上を探すと、中川宮が常御殿の奥にいると案内します。そこには、会津藩士が警護していた。
さらに進むと、孝明天皇(花柳錦之輔)の側に病を押して、京都守護職 松平肥後守容保(畠中洋)がいた。
慶喜は、恐れながら 中川宮か 京都守護職か 私以外 信用しないようお願いした。

蛤御門は会津藩兵が守り、長州軍と激突しました。砲撃によって会津藩兵を追い詰めますが、薩摩藩兵の助けで形勢逆転します。
鷹司邸に長州軍が入り 鉄砲を撃ちかけてきます。慶喜は火をかけてあぶり出せと命じますが、慶喜は砲弾に倒れます。

▽まとめ&感想

平岡が水戸藩士に暗殺され、水戸では激派の天狗党を幕府が征伐に乗り出すことになった。
長州は八月十八日の政変の赦免嘆願を口実に京に上る。
慶喜は長州の本意を察し、天皇に長州征伐の勅状をもらった。
長州は御所に発砲 禁門の変が勃発し、禁裏御守衛総督の慶喜が指揮した会津藩、薩摩藩を中心とした幕府軍と激突。

※この放送は、字幕が出ません。私が理解できない言葉があり、間違っていたらゴメンナサイ。

禁門の変(蛤御門の変)ずいぶんハードでした。すごい斬り合いで、大砲も飛んできます。公卿たちのおびえ方 笑ってしまいました。
今井出川家で鎧を着た慶喜、また鏡を見ていました。腿を上げない鎧を着た走り方 ああなるんでしょうか?変な所に 目が行ってしまいます。