尊氏は直冬征伐を決意、師直達と九州に向かった。
師直の刺客から逃れるため 直義は京を脱出 そのまま賀名生の南朝に降伏 を申し入れ、南北両朝 正しい 1つの朝廷にしたいという直義に南朝は 天下平定の綸旨を与えた。
京に戻る尊氏軍を直義は坂本と男山から挟み撃ちにすることにした。
義詮は上皇を京に置き去りしたまま合流、尊氏軍四条河原で敗退 書写山に逃げる。
尊氏軍 直義軍に打出浜で敗退、尊氏と直義との間に「師直・師泰引き渡す」和議を結ぶ。
京に向かう途中 「師直・師泰」上杉の家臣に復讐のため殺された。
直義 坂本と男山から挟み撃ち狙う
備前 福岡 尊氏の陣
観応元年(1350)12月、九州へ遠征中の足利尊氏(真田広之)のもとに、弟・ 直義(高嶋政伸)が南朝と結んで 綸旨を掲げ 吉野方の武士を結集し 都に攻め上る勢いとの報せが入った。
尊氏は ただちに京へ戻る指示を出す。
高師直(柄本明)は「やはり、直義どのを放って置かれるべきではなかったようですな」
尊氏は「急ぎ 支度をいたせ!」と立ち去る。
摂津天王寺の直義の本陣
新に 細川顕氏(森次晃嗣)が加わった。
ただちに軍議が開かれ、直義は 若殿だけの京を抑え、取り返したことを 内外に明らかにすれば、将軍は都に 急ぎ引き返すはず と言う。
石塔頼房は その時 尊氏・師直の軍を迎え撃つと提言。
直義派の有力者・ 桃井直常(高橋悦史)の軍も北陸から 程なく坂本達する見込みなので、直義たちも 男山八幡に陣を敷くことにした。
直義は「我らには 賀名生の帝の綸旨がある。何者にも勝る旗印だ。ゆめゆめ 臆するではないぞ!」
「オオッ!」
京三条 義詮亭
京の守りを任された義詮(片岡孝太郎)の屋敷は、合戦の準備で忙しかった。
しかし義詮は、庭に野良犬を集めてエサを与えて喜んでいた。
登子(沢口靖子)が眉をひそめ、直義が今にも攻めてくるのに と叱るが、義詮のもとに集まって いる兵は一日ごとに 減る一方で今や2000騎 にも満たなかった。
やけになって「いっそ こちらから攻めてみたいわ」と言い出す義詮を、登子はむかし尊氏がいない 鎌倉を母と二人で守ったではないかと 「都を守りきってこそ将軍のお子ぞ」と励ます。
しかし義詮は子犬が寄ってくると「まだエサがほしいか?よし、何か みつくろってやろう」と立ち去ってしまった。
登子はため息をつく。(かわいい ワンちゃんの顔)
男山八幡の直義の陣
桃井直常の軍が京の入り口の坂本に到着、その灯す火が男山の直義の陣からも見えた。
直義の陣が明かりで合図を送ると、直常はかがり火をどんどんたかせ、大軍が押し寄せていることを京の義詮に見せ付けてやれ、と命じる。
京三条 義詮亭
坂本には2万、男山には3万の大軍が集まっていると聞き、仁木頼章・義長 らは いったん京を捨てて、山崎に布陣している尊氏軍と合流すべきと義詮に進言する。
「絶対に退かぬぞ」と言い張る義詮だったが、今川範国らが 寝返ったことを聞いて 京から退去することにした。
観応2年1月15日 早朝、義詮らは京を脱出し、桃井直常軍は なんなく 京を抑えた。
義詮 上皇京に置き撤退 尊氏軍四条河原で敗退 書写山に
山崎 日向明神 尊氏の軍
義詮は日向明神に布陣していた尊氏の軍へ合流した。
尊氏は「無益な戦をせずに 都を退きしはなかなかの策じゃ」と誉めた。
師直が「ところで上皇と帝は安全なところにお移りいただいた?」との問いに 義詮が 「上皇…?それは…」口ごもった。
尊氏は「都の守りを任せたは朝廷の守りを任せたることぞ。そを果たさぬとは何たる愚か者じゃ!直義が上皇に通じてみよ、我らは逆賊の汚名をこうむることになるぞ!」 と叱る。
師直も仁木らを怒鳴りつけ、ただちに尊氏とともに軍議に入った。
尊氏たちは京へ攻め入り 四条河原で桃井直常の軍と戦った。
形勢は振るわず、有力武将が寝返り 上皇にも会えず 直常軍の勢いに押されて撤退、さらに丹波へと敗走した。
丹波に義詮を残した尊氏は播磨に向かい書写山に陣を構えた。
賀名生では阿野廉子(原田美枝子)が「ここのえの たまのうたても ゆめなれや 苔のしたにし 君をおもえば」と 後醍醐天皇をしのび 歌を詠んでいた。
そこへ北畠親房(近藤正臣)が姿を見せ、 「始まりましたぞ。将軍尊氏と直義、兄弟 弓矢をとっての大合戦じゃ。直義が将軍を都から追い払ってしまった」と 嬉しげに言う。
廉子は 我がお上の授けし綸旨のおかげだろう と誇った。
「我らも都に戻れまするな?」という廉子に、まだしばらく様子を見ないと 親房。
尊氏が書写山に逃げ込んだと聞き、先帝との書写山での思い出に浸る。
廉子が尊氏と比べて直義について 気鬱 良く知らないから 性が合うやら合わぬやら わからぬとぼやく。
親房は 直義が勝てばかえって混乱が増し、自分たちが都に戻れるので待とう と言うのだった。
男山八幡の直義の陣
2年前 師直との争いに負け 暗殺された上杉重能の子 上杉能憲が関東からやって来て、畠山国清と 師直を討ち 恨みを晴らそうとして 気勢をあげていた。
直義の軍には 日々続々と 師直を見限った武士たちが集まってきて応対に困ると桃井直常は笑う。
直義は 「味方は多いほど良い」と言い、直常と 斯波高経に京の警固を任せ、細川顕氏を播磨攻めの大将に命じた。
直義「みなの者、頼みに思うぞ!」
「ははーっ」
書写山の尊氏の陣
石見から 高師泰の軍が戻っていた。
尊氏と高兄弟らは 酒宴を開いて気勢をあげる。
「その方らは兄弟そろわぬと力が出ぬようじゃのう」と尊氏がからかうと、師直は 「は…」と小さな声で答え、皆 大いに笑う。
師泰はただちに軍議、とせかすが、尊氏は「まずは腹ごしらえじゃ」と酒宴を続けた。
尊氏軍 直義軍に打出浜で負ける
摂津 打出浜
2月17日 攻め上る尊氏軍を 直義軍は 打出浜で待ち受けた。
尊氏と師直らは2万の軍勢を、師直 師泰を追手、尊氏 赤松が搦め手を引いて 畠山を挟み撃ちにする作戦をたて、戦いに突入する。
戦いは熾烈をきわめるが、しだいに直義軍の優勢が明らかになってくる。
その戦況を本陣で満足そうに見る直義。焦りの色を見せる尊氏。
高兄弟も奮戦するが、師泰が腕に、師直も足に矢を受けてしまう。
数の上では有利だったはずの尊氏軍は 士気にまさる直義軍の前にあっさり敗れてしまった。2万はいた軍勢が1000足らずにまでなっていた。
尊氏の陣
夜。本陣に戻った尊氏は師直に「師直…この戦、負けたな。負けは負け 潔く散るも また 武士じゃ。わしと一緒にあの世にいくか?」と聞く。
師直は傷ついた足を引きずって寄り「いけませぬ、師直の首を差し出せば良いと御舎弟どのは言うてきておるのです。この首、おとりくださりませ!」 と訴える。
そして「幕府を作ってから15年、執事の師直の力が無ければ 今日のわしは無かった。師直が諸国の武家の不満を飲み込んでくれた」と尊氏は語る。
多くのもがさった。残っているのは、師直の一族と赤松の一族のみ、戦場で血で血を洗う 戦いをしている相手は昔馴染みの身内ばかり と嘆く。
「まことの敵は、味方の中にあったのじゃ!こんな世を、誰が望んだ?わしが目指した美しい世は、美しい世とは いったい、何だったのじゃ!」 尊氏は大の字になった。
尊氏と直義との間に「師直・師泰引き渡す」和議を結ぶ
雷鳴がなり 雨が激しい音を立てて降り始めた。家来が戸を閉め 静まり返る。
尊氏が「師直 わしを敵に回し あわよくばと思っておったのう」言い出し 慌てる師直。
「それもこれも ここで果てれば意味がなくなるのう」と尊氏が言っているとき 一色右馬介(大地康雄)が姿を現した。
直義からの和議の条件を伝えに来たのである。
条件は 師直・師泰の身柄を直義が引き取る ことだったが、引き渡せば 上杉達が黙っていまいと 尊氏は拒絶する。
「直義が政務に戻り 義詮の補佐とする。師直が執事を退く」これだけが和議の条件であると主張。右馬介はそれを直義に伝えるために、姿を消した。
「師直 しばらく運を天に任せてみるか。この世が我らを必要とするなら、また生かされもしよう」尊氏はそう師直につぶやく。
すると 師直が肩を震わせ「大殿!お許しくださりませ!この師直、不遜にも大殿に成り代わろうとしたこと、確かにござりました。…」 涙ながら話し「大殿を我が主人と仰ぎまいりし我が生涯、まことに幸せでござりました!」と短刀を抜いた。
「どうぞこの首、存分にお使いくだされ!」師直は 自ら首に刀を当てる。
「愚かよのう。…共にしばし生きてみぬか。命を捨つる気ならばそれもできよう」 尊氏の言葉に、師直は刀を落とし 嗚咽しながら ひれ伏す。
京に向かう途中 「師直・師泰」上杉の家臣に殺される
2月26日朝。尊氏と直義との間に和議が成立し、尊氏は直義軍に伴われて京へ向かった。
武庫川付近
師直・師泰兄弟は出家することになり、師直らは僧の姿になって尊氏の後に続いていた。
師直・師泰はいつの間にか 尊氏と離れてしまい 馬を急がせる。
途中、出迎えと称する武士が 次々と加わって来て割り込み、尊氏と師直の間は大きく引き離されてしまった。
武庫川付近に差しかかったとき、突然「待て!」と師直の目の前に二本の薙刀が突きつけられ、師直は馬からひきずりおろされた。
上杉能憲の家臣たちで 師直が笠で顔を隠すと、「そこな遁世者、その笠をとれ!」と笠に刀を振り下ろした。
行列の先を進んでいた尊氏は、ふと胸騒ぎを感じ 馬の向きを変え、行列の後ろへと駆けてゆく。
「師直じゃ…!狙うていた通りじゃ」と師直の顔を見て喜ぶ。
「師直は上杉一族の仇敵」と襲いかかる。
「大殿との約束じゃ!こんなところで死ぬわけにはまいらん!」 と師直は 逃げようとしたところを背中にひと太刀浴び、さらに背中から突かれた。
上杉たちは逃げるように引き上げてゆき、師直は「大殿」とうめきながら這いずっていく。
雷が光り、激しい雨が降ってきた。現場に駆けつけた尊氏は師直の姿を探す。
そばを流れる川に頭を突っ込んで仰向けに倒れている 師直だった。師直から流れる血が 川面を赤く染めている。尊氏が馬上から天を仰ぐと、稲光が光った。
2月27日夜。尊氏は直義に先駆けて 京に戻った。和議の条件に反して 師直兄弟は闇討ちされ 、尊氏は翼をもがれた鳥のように みじめな帰京であった。
直義との 新たな戦いが 待っていた。
▽まとめ&感想
京に戻る尊氏軍を 結集した直義軍は坂本と男山から挟み撃ちにすることにした。
義詮は上皇を京に置き去りしたまま合流、尊氏軍四条河原で敗退 書写山に逃げる。
尊氏軍 直義軍に打出浜で負け、尊氏と直義との間に「師直・師泰引き渡す」和議を結ぶ。
京に向かう途中 「師直・師泰」上杉の家臣に復讐のため殺された。
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尊氏は、弟 昔なじみの家臣 と戦って敗れてしまいました。
なぜ こんな事に なるんでしょうか?
高師直 の柄本明さん 多彩な顔 もう見られないんですね、寂しくなります。
義詮さん 上皇達のこと 頭にないなんて 何という ぼんくらで このあと不安になります。
でも一番 気になったのは、直義軍の坂本、男山 かがり火で確認できる 地形 近さであったことでした。