太平記 27話「公家か武家か」▽あらすじメモ▽

建武の新政は公家一統をめざし 北畠の奥州派遣も公家と武家の軋轢

建武の新政は公家一統をめざすものだった。公家一統(くげいっとう)とは、幕府を否定し、天皇が公家を率いて 自ら政治を行うことを意味していた。しかし実際の政治の内部は、太政官を中心とする貴族政治の復活を考える公家と新しい幕府の出現を武家とが、形づくっていた。そのため一致した政治体制の確立は困難だった。
倒幕に加わった武将達が最も期待した土地問題の処理も順調にいかなかった。恩賞は公家に厚く、武家に薄かった。そのため新政に不満を抱く武家も現れ、公家と武家はしだいに対立を深めていった。
また地方では、荘園領主が新政府の権威を背景に、鎌倉時代より年貢を増やすことが多くなり、農民の不満もつのっていった。

元弘3年秋 奥州に火の手を上げた、北条軍残党の反乱は京の都に 大きな波紋を投げかけることになった。事を重く見た朝廷が、北畠顕家(後藤久美子)・親房(近藤正臣)父子が奥州へと送る事を決めた。
この決定は武家にとって 衝撃的な人事だった。奥州の軍事を武家から公家に手渡すものであったからである。

足利高氏邸 足利直義(高嶋政伸)兄の足利尊氏(真田広之)に「北畠殿は奥州に帝の皇子 義良親王を頂いて いかれるという。我らが再び 鎌倉に幕府を開き東国を支配するのを恐れ、奥州に公家による幕府を開こうとしているのではないか」と言う。
「そんなことを帝が許すとは思えぬ。武家の束ねは この足利尊氏に命じると仰せられた」と言う尊氏。
直義は「兄上は帝にたぶらかされておるんじゃ」と語気を強める。
尊氏は「武家よ公家よと意地を張っておる時ではない!」と一喝、荒れ果てた都を復興するために武家の力を結集し まず この都を立て直す。

尊氏の呼びかけで都の復興を武家の手で進めるための会合が六波羅で開かれた。
その顔ぶれは、大塔宮派の新田義貞(根津甚八)義助(石原良純)兄弟楠木正成(武田鉄矢)、三位局派の名和長年(小松方正)佐々木道誉(陣内孝則)、など入り乱れ、さらには北条の一門で新政府に帰順した二階堂道蘊大仏高直など呉越同舟状態であった。

会合は北畠の奥州派遣公家支配をめぐり険悪になってきた。
その時、正成は「待て待て」、砂金の袋を数個を見せて、出入りする堺の商人が、都の市場に綿と油の店を出したいと申して、便宜を図ってくれれば儲けに応じて、砂金をよこすという。そういう輩から金を取って、家を建てるのはどうか と提案する。

長年が都の市場での、代々出入りを許された 油座や綿座の商人がおり騒動になる と反対するが、道誉は長年がそのうまみをすっていることを暴露し、またしても座は紛糾する。

この様子をみて道蘊らが「お前らは 公家の命を承け北条を滅ぼした。公家の下人ぞ。」とあざ笑うよう。
脇屋義助が「北条の残党」となじると、道蘊らは「御辺らはその残党を使わねば法も作れず政もすすまぬ」とやり返し、激怒した義助らと大喧嘩に。
尊氏や正成が押さえようとするが収まらず、義貞は黙って立ち去る。

 皆帰り、散らばった中、がっくりする尊氏と、高師直(柄本明)だけが残される。
尊氏は「六波羅を倒し、鎌倉を倒したときは、みなこうではなかった。変わったのう」とつぶやく。
師直は「やはり公家は公家、武家は武家 で暮らした方が良いのです。都では、公家は武家を下人としてしか扱いません。武家が皆 下卑してしまう」
かつて 源頼朝公が、京を離れ 鎌倉に武家だけの国を開かれたのはわけがある。奥州の武士達も北畠殿の指図を嫌って北条の片割れにつくかもしれない 。せっかく北条を倒したのに息を吹き返すかもしれない。」
尊氏は「帝はなぜ北畠殿を奥州へ?いくさは武士にお任せになればよいものを」と言う。
師直は「帝は雲の上のお方。武家の心は分かりませぬ」と言う。
尊氏は、千寿王と登子を思い浮かべながら、直義か師直を鎌倉に派遣する相談のため、直義の館へ行く事に告げた。

不知哉丸の事 祖母 直義に発覚

直義の館へ向かう途中、尊氏は物乞いをする子供達や焼け跡に寝そべる人を見ていく。
そんな尊氏を物陰からましらの石(柳葉敏郎)が眺めていた。その石を具足師の柳斎(大地康雄)に扮した一色右馬介が声を掛ける。
右馬介は三河から姿を消した藤夜叉(宮沢りえ)・不知哉丸の行方を探していた。
石は昨夜から不知哉丸が帰らず、探しているのだと告げる。

その不知哉丸は直義の館にいた。前日遊びに来て、急に熱を出し、そのまま一夜を明かしていた。
足利直義(高嶋政伸)清子(藤村志保)が看病し、不知哉丸の母親に知らせようにも、河原の市が休みで、名を聞き漏らし、困っていた。
藤夜叉は、不知哉丸が直義の屋敷に行ったらしいと聞き出し、石と右馬介と直義の館へ向かっていた。

直義の館に尊氏が着き、直義が迎える。
その間に不知哉丸が目を覚まし、清子は母親の名を尋ねる。「藤夜叉」との答えに「ウナギ売りにしては 似合わぬ名前じゃのう」と言うと、「まことは猿楽舞じゃ」と答える不知哉丸。
さらに聞くと 前に伊賀におり その後三河の一色村と告げ、清子は不知哉丸を見つめる。

部屋を飛び出す不知哉丸を追う清子。
そこへ尊氏がきて、「侍大将になるという、名は何ともうす?」と聞くと元気に「不知哉丸」。
清子が、母は藤夜叉と申す元 猿楽舞だそうじゃ と教えた。

そこへ女が子どもを捜して、来ていると聞き、不知哉丸が走り出すが倒れてしまう。尊氏が抱き上げ、布団に寝かせ、「足利の大将が命じる。病の折は動くでない」と言いつける。

清子は直義に「あの子は尊氏殿の子じゃ。亡き大殿が… あの子は我が孫ぞ!不知哉丸はそなたの甥じゃ!」と告げる。

尊氏 藤夜叉と再会  美しい都 ・ 戦いのない良き世を作ってと去る

藤夜叉は屋敷の庭で、夜になっても待たされていた。
右馬介尊氏に目が行き届かず申し訳ないと謝った。

藤夜叉尊氏は、面会する。
石は「何が左兵衛督じゃ、何が武家の棟梁じゃ!」と罵り、日野俊基の書き付けを取り出し、「ここに行ってみたら、帝の綸旨がないからダメだと抜かす。帝は、どこぞの公家にこの畑を呉れてやったあとだという。私は何のために戦を!」

そこへ不知哉丸が出てきて、藤夜叉が抱きしめた。
藤夜叉尊氏に「我が子不知哉丸は名もなき魚売りの子。名もなく生き、名もなく消えていく者。。…… の申しましたこと、お気になされますな。わ たくしは御殿が お治めになれば、この都は美しい都になると思うております。戦のない良き世をお作りになると、思うております。」
藤夜叉は一礼し、不知哉丸を背負ったと、暗い道を帰っていった。

尊氏が残していった 日野俊基の書き付けを拾って右馬介に誰ぞに調べさせるよう命じ、誠ならば別の領地を与えらえるように指示する。

尊氏直義に藤夜叉母子のことは右馬介に任せてあるといい、そして 替わりに軍を率いて鎌倉に下ってくれないか。戦が関東に飛び火せぬよう、鎌倉で目を光らせて欲しいと頼む。

それは奥州の北畠家への明らかなあてつけになると忠告するが、武家が、公家の向こうを張って、東国を守るのだ。帝が許されようか?
尊氏は東国が乱れれば、再び都も火の粉を浴びる。備えは、万全がよい。帝に申し上げ、お許しを得る。東国が静まれば、次は都だ。

この秋10月北畠親子が義良親王を奉じ奥州へ旅立った。

その翌日、尊氏に拝謁すべく参内した。目的は鎌倉および関東の治安を武家の手に委ねるよう帝に願うことであった。それは公家支配の帝の新政に真っ向から、立ち向かうことを意味していた。

▽まとめ&感想

建武の新政は公家一統をめざしていた。
北畠の奥州派遣は公家と武家の軋轢を生んだ。
不知哉丸の事 祖母・ 直義が気付いた。
尊氏 藤夜叉と久しぶりに顔を合わせ、 美しい都 ・ 戦いのない良き世を作ってと別れた。
鎌倉および関東の治安を武家の手に委ねるよう帝に願った。

不知哉丸のこと皆にバレてしまいました。
北畠の奥州派遣が、武家と公家の対決で 大問題になるとは? 私はさっぱり気付いていませんでした。歴史は教わる事ばかりです。

せっかく、北条を倒したのに、公家に押さえられてしまい、なかなか思うように進んではいませんでした。これからどう展開するのでしょうか?