大河 太平記 46話「兄弟の絆」★▽ あらすじメモ

師泰兄弟は独断で直冬討伐を決め義詮や尊氏報告。
義詮を育てたいため師直出仕止めらる。二条の君は先の関白の妹で南朝の密偵だった。
直義は幽閉され、直冬は九州の少弐頼尚の婿になり蜂起。
尊氏は直冬征伐を決意。
逃された直義は賀名生の南朝に和議の申し入れ綸旨をもらい旗揚げした。

前回は
鎌倉から尊氏の嫡子 義詮が上京してきた。直義に代わって幕府の政務を司るためである。
尊氏 師直の政略によって 直義は幕府の最高主導者の地位を追われ 野に下った。
ここに幕府は 尊氏 直義兄弟の二頭体制から、尊氏 義詮という 嫡流に 1本化された。
直冬はその処分を不服とし 尊氏と直談判に及んだが交渉は決裂した。
直冬の実の父尊氏への恨みと 異母兄弟義詮への憎しみは募っていった。
それから 半年余り経ち 直義 直冬は 今また 密かに 巻き返しを図ろうとしていた。

師泰 直冬討伐を義詮 尊氏に事後承諾させる

九州へ落ちていた足利直冬(筒井道隆)は直義派の大名たちの支援を受けてしだいに勢力を盛り返した。中国地方でもこれに呼応する者が続出した。

幕府
観応元年(1350)6月 高師直(柄本明)高師泰(塩見三省)兄弟が 二人だけで 師泰が石見を抑え、九州まで足を伸ばし 直冬を 直接叩いてくることにして、幕府の政治を預かっている義詮(片岡孝太郎)に 事後承諾だけ取りに来た。
義詮は不満を感じながらもそれを受け入れた。
「義詮の沙汰にしては目の付け所がよいわ」と師直から 聞いた尊氏は 感心する。
師直は 師泰自ら買ってでたと明かし、西国の事情をいささか知らないと言う。

そして直義派の 越中の桃井直常(高橋悦史)、四国の細川顕氏 河内の畠山国清が 油断ならぬ動きを見せていることに触れて、これが 直義(高嶋政伸)と連絡をとったものとしか考えられないと言う。
尊氏は「直義は出家遁世いたせし身、そのような企てはない」
 師直は「そは思わぬ仰せ。将軍は御舎弟の出家を真に受けておられますのか?」と言って直義が陰で糸を引いていることは間違いないと訴え 「いまのうちにその芽を摘むことが肝要でございましょう。御舎弟を討たれるべきと」尊氏に迫る。

「師直!何を申したか、そなた分かっておるのか?」と思わず声をあげる尊氏。
「はい」と答える師直。
尊氏「直義はわしの弟ぞ」
 師直は「兄弟であれ親子であれ、天下を争うのにそれが何ほどのくさびとなりましょうや?共に相争うは 武者の業でござる。今討たねば のちのちの禍になるでしょうぞ」
尊氏は「さようなことは断じてさせぬ」と断言した。

そこへ佐々木道誉(陣内孝則)が来て登子(沢口靖子) から「義詮を頼む」としつこく言われて 困っていると笑いながら尊氏に言う。
退出しようとする師直に、尊氏は「義詮のもとへの出仕を控えてくれ」と命じた。
首をかしげる師直に、尊氏は義詮を後継者として育てるためにも 一人でやらせてみたい と付け加えた。

師直 出仕止められ 二条の君は先の関白の妹で南朝の密偵

高師直の館
夜、自らの館で師直は思いつめた顔で酒をあおっていた。
これを見て二条の君(森口瑶子)が笑う 。
師直は「何ゆえこのわしが将軍よりとがめだてを受けねばならぬ? 西国鎮圧のためには自分の力が必要だということは将軍も分かっているはず」とぼやく。
二条の君は、昨年の 将軍邸包囲したことを「思えば、まこと得がたき折でございました。あの時、将軍と三条殿を討ち果たしておけば 天下をとられておれば…」とささやく。
「愚かなことを申すな」とにらむ師直。
二条の君は 「いいえ、殿ならばなせるものと、わらわは密かに心をときめかせておりました」
そして、尊氏はしょせん師直を累代の執事の家柄以上に見ようとしない、強くなればなるほど疎まれるだけ、今こそ その力を見せる時、けしかける。
「二条、そなた…」と師直。
二条の君は 「殿は天下を取れるお方と思えばこそ、わらわは こうして殿に従うたのでございます。ご自分のお力を信じられませ」と しなだれがかる。

大和国・賀名生(あのう)御所
北畠親房(近藤正臣)は手紙を読んでほくそ笑んでいた。
そこへ 阿野廉子(原田美枝子)がきて「また先帝の命日が近づいて参りました。また今年も賀名生で迎えるかと思うと…」と心細げに言う。
親房は「この賀名生におるのも 今しばらくのことでござる」
「最も信頼している耳目」として師直に仕える 二条の君(先の関白の妹君)が、足利兄弟の対立だけでなく師直も尊氏に背かんとしている事を 知らせてきたと明かした。
 「我らの策が、功を奏して参りましたな。遠からず足利の命運は尽きましょうぞ」と親房はニンマリと笑う。

直義 幽閉され 直冬は九州の少弐頼尚の婿になり蜂起

直義の幽閉地
直義は前年の暮れ 一切の政務から追放され、軟禁状態にあった。
出家して「恵源」と号していた。
そこへ尊氏、直義が帰依する禅僧・夢窓国師 が訪ねて来る。
直義は「頭を丸めると世の中が違うて見えるかと思いましたが、さほど変わらぬものでござりましたな」 
夢窓は「悟りの妨げになるものじゃが」と言いながら、密かに直冬から預かっていた手紙を直義に渡した。
直義が開いて読むと、直冬が太宰府の  少弐頼尚の婿となること、大友氏時殿や阿蘇惟時殿が 直冬のもとへ馳せ参じているとあった。
国司は「幕府の今のありさまに 我慢ならぬものが、それだけ多いということでだろう」

九州 大宰府 少弐頼尚の館
直冬と頼尚の娘との婚礼の宴が開かれていた。
「力のある者が天下を治める。そが武士の習いであろう」という直冬に、頼尚や大友 阿蘇らは酒をすすめ、直冬を将軍のまことの子と誉めそやす。

直冬は九州での時歩を固め ついに蜂起した。
その報せは、すぐさま 尊氏のもとに 伝えられた。

尊氏 直冬征伐に

幕府
師泰の軍が石見で苦しい戦を強いられていると聞き、義詮は師直を呼び「西国を任せておけといったのは誰だ」と当たり散らす。
九州の事態の深刻さを知った尊氏は、師直に直冬討伐の出陣を命じ た。
師直は承るが、「少弐達がなびくは 申すまでもなく 佐殿が将軍の公達のゆえにございます」である直冬に軽々しく立ち向かうのは無理と述べ「旗印をいただきたい」と左馬頭殿(義詮)を大将に頂きたいと尊氏に示した。
「面白い。師直、参ろうぞ」と乗り気の義詮だった。
しかし、尊氏はこれをとめ「直冬が 足利の正しき跡継ぎでないと天下に示さなくてはいけない。自らが出陣する」と言い出した。
不満げな顔の義詮に京の留守を任せ、 明後日に出陣と師直に言い渡す。

高師直の館
その夜、師直はまとわりつく蚊を叩きながら「楽しそうじゃのう。そなた、わしが戦に行くのが嬉しいか?」二条の君に声をかけていた。
 二条の君「将軍を狙うにはまたとない良い折でございましょう?」
尊氏が死ねば都は大騒ぎ、残るは出家された直義だけ。 「いっそ出発前に」と言って二条の君は考え込んでいる師直の頬をパチンと叩き 笑いながら手のひらの蚊を見せる。

足利尊氏の館
尊氏自らの出陣には登子も、佐々木道誉も反対していた。
「いま都を離れるは危険」と道誉が諌める。
「直冬の乱は人任せにできぬ。火は小さなうちに消すが肝要ぞ」と尊氏。
登子「殿の身に何かあれば、義詮の身が」
尊氏「心配無用、義詮は我が跡継ぎとして 天下に明らかにした嫡子ぞ。その器量を信じねば 将軍家の御台所は務まらないぞ。義詮は一人でない、何よりも ここに佐々木殿がおられる。留守の間佐々木殿を頼りにいたせばよい」

しかし道誉は 領地の近江に美濃の乱が及んで、と京にとどまることを渋った。
尊氏は登子に「こたびの出陣は義詮のためでもあるのじゃ」。この出陣で義詮こそ足利の後継者であることを天下に示 し、直冬と親子の縁を絶ち切るためだと尊氏は言った。

直義の幽閉地
その夜、眠りについていた直義は、何者かの気配で目を覚まし、短刀を手に立ち上がると、黒装束の 一色右馬介(大地康雄) が姿を現した。
右馬介は 師直が直義に刺客を放ったことを明かし、直義を安全なところへ逃がすと言った。 
「そなたと共に行くのが今より危険でないと何ゆえ言える?」と 直義
右馬介は三十数年 足利家に仕えてきた自分を信じてほしいと言うが、直義は右馬介が忠実なのはあくまで兄 尊氏であろうと言って信用しない。
右馬介は「大殿が 心ならずも別の道を行くようになったが、やがてまた 道が出会うこともあろう。それまでは直義の命を守れ」と命じていることを明かした。
大殿は 明後日 師直殿と九州に 直冬殿征伐に御出陣されます。
師直殿は 出陣前に御舎弟殿を亡き者にせんとしています。

それを聞いた直義は 「そちを信じるぞ」と言って右馬介のあとについて寺を抜け出し、大和 興福寺に 馬で向かった。

直義が都から姿を消した。それは南北朝動乱のうねりを加速するものだった。

足利尊氏の館
直義が消えたことを 師直は 朝食をとっている尊氏に知らせるが、「そは困ったことのよのう」 と尊氏はのんきに言う。
師直は出陣を中止して直義の行方を徹底的に捜すべきという。
尊氏は「その必要はない。直義がわしの命を狙うなどあろうはずがない。直義は我が弟、わしには背けぬ」 
すると師直は笑いながら「大殿には、弟の気持ちがわからぬものと見えまするな」 そう言って師直は幼少時から兄 師泰のを身近に仰いだ弟 、兄を敬うと同時に、兄を打ち倒したく思うも弟」と師直は言い切る。しかし尊氏は「わしは直義を信じる。直義を探すは無用にいたせ」という。

間もなく、尊氏は師直を連れて九州の直冬を討伐するため 出発した。
11月初めには備前国・福岡に到着、陣を敷いた。
夕陽の中、尊氏は目前に迫った我が子 直冬との決戦に己の因果を呪わずにいられなかった。

井戸で 尊氏が自ら水を汲んでいると、師直がやってきて じっと見つめていた。
師直が来たことに気づかず、顔を洗い続ける尊氏。
’師直は尊氏に駆け寄り 首に短刀を当て 喉を掻き切った。尊氏は目を見開き 土の上に横たわった。’
「師直、いかがいたした?」尊氏に言われ、師直は幻想から現実に引き戻された。

直義 賀名生の南朝に和議の申し入れ 綸旨をもらい旗揚げ

大和国・賀名生御所
それから1ヶ月後 賀名生の朝廷を揺るがす大事件が起こった。
「亜相(あしょう)どの!!亜相どのはいずこじゃ!」 と文観(麿赤児)親房を探し求める。
親房と談笑していた廉子は 女官に文観を呼ばせた。
文観は 「足利直義からの、和議の申し入れじゃ!」と書状を親房に渡す。
即座に 親房も書状を開いて驚く。
さっそく後村上天皇の御前で南朝の首脳による会議が開かれた。
「かほどに直義が追い詰められておったとはのう」と親房は笑う。
文観たちは直義が何を企んでいるのか見定める必要があるというが、廉子は「これを利用せぬ手は無い」と主張。
親房は「直義の申し入れ通り、まずは両朝の合体を果たしたる上で、我が君が御位におつきになれば おのずから あまの下は定まりましょう」
意見を求められた後村上帝は 「朕は先帝の御意志を果たさんがため、都に戻りたい一心じゃ。良きにはからえ」と言って退出した。

12月13日、南朝は直義と和睦した。
直義は、天下を平定せよという 南朝の帝の綸旨を得た。
尊氏・師直と戦う大義名分を手に入れたのである。

河内国・石川城
直義のもとに吉野からの綸旨が届けられ、集まった諸将の前で読み上げられた。
「すみやかに高師直、師泰を討ち、将軍の目を覚まさせねばならん」と言う直義。
 畠山国清が「綸旨に応じて河内 紀伊 大和から多くの武士が 馳せ参じてくるでしょう」
越智伊賀守は 和田・楠木とも親しいので呼びかけたと語る。
九州では、直冬殿が少弐殿 大友殿と手を結び 諸国の仲間に呼びかけている。
何も臆することはないぞ と気勢を上げる。

直義は 「わしは今まで、いかなる時も将軍を立てて参った。多少のことには目をつむっても将軍の、兄上の無理に従って参った。将軍たる兄上に対し弟として分を越さぬよう身を正してまいったつもりじゃが、結局のところ、弟の気持ちを分かってくれなかったようじゃ」
直義は「兄に過ちを悟っていただき 正しい政を取り戻す。皆頼んだぞ!」と宣言。
「おおっ」

尊氏「直義が吉野方と!?」
急使が「三条入道殿は 賀名生の帝の綸旨を掲げ、大和 河内 和泉 紀伊 の宮方の武士を率いて 京に攻め上る勢いにございまする!」伝えた。
尊氏には、夕陽の中 兵を率いて進撃をして来る 直義の姿が見えた。

▽まとめ&感想

師泰兄弟は独断で直冬討伐を決め義詮や尊氏報告。
義詮を育てたいため師直出仕止めらる。二条の君は先の関白の妹で南朝の密偵だった。
直義は幽閉され、直冬は九州の少弐頼尚の婿になり蜂起。
尊氏は直冬征伐を決意。
逃された直義は賀名生の南朝に和議の申し入れ綸旨をもらい旗揚げした。
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尊氏が直冬 を討伐することに。
庶子とはいえ、自分の子を討ってしまうんですね。
ここで直義は南朝と手を結んでしまいました。

誰を応援したら良いか わからなくなってきました。