太平記 24話「新政」▽あらすじメモ▽

後醍醐天皇 公家一統の政治を目指し 足利高氏は都の再建にあたる

都に帰った後醍醐天皇は、天皇が直接支配する公家一統の政治を始めた。しかし新しい体制は大きな火種を2つ抱えていた。
1つは大塔宮護良親王足利高氏の対立である。護良親王は武士勢力頂点に立つ高氏を、次なる北条とみて警戒を強めていた。
一方後醍醐天皇の后、阿野廉子は自分の生んだ皇子を皇太子にしようともくろみ、皇位継承をめぐって、護良親王と対立していた。
護良親王には、北畠親房、赤松円心らがつき、新田義貞も取り込もうとしていた。
また、阿野廉子には、隠岐脱出に功のあった千種忠顕、名和長年、そして佐々木道誉がついた。
この新たな権力闘争の渦に、高氏もまた巻き込まれていくのである。

鎌倉幕府が滅亡して、一月が過ぎていた。高氏は後醍醐帝の新政のもと、鎮守府将軍として、混乱した都の再建と治安にあたっていた。
京・六波羅奉行所では、足利高氏(真田広之)は弓を引いていた。
「お珍しい」と声をかける高師直(柄本明)に、高氏は「毎日文書とにらめっこでは体がなまる」と答える。師直が御台様の登子(沢口靖子)を都に呼んではと、高氏の汗を拭いて世話をし勧めるが、その気はなかった。
師直「征夷大将軍として本日上洛する、護良親王(堤大二郎)を出迎えるか?」
高氏「わしの顔を見て宮将軍の馬が驚かれてもいかん」
「市中の警備を厳しくするよう直義に申してある。家中の者も軽はずみは慎むようにいたせ」

鎌倉では高氏の子・千寿王の人気が日増しに高まり、乗った輿を見て「足利の若御料が来た!」と騒ぎ立てた。戦後の鎌倉では足利方、新田方の間に、微妙な軋轢が生まれ、連日のように小競り合いが起きていた。
この日もまた双方の武士のケンカが起こり、通りかかった細川和氏と登子。足利の家中のものは厳罰に処するぞと、静める。
登子は「我らと新田殿はともに手を携えていかねばならぬ同志ではありませんか。…… 足利の名折れぞ」

新田義貞は鎌倉 家臣は千寿王の人気に気をもむ

新田義貞(根津甚八)がいる勝長寿院では、先ほどの仕返しをしようと家臣達が騒いでいた。義貞は船田入道に騒ぎを静めるように命じ、「おろかな…!」とつぶやく。
弟の脇屋義助(石原良純)がやってきて、足利家のやつばらは何につけ、若御料 若御料と申し立て、こちらの気持ちを逆なでする、「足利殿はなにゆえ嫡子・千寿王どのを参陣させたのでござりましょうな」と言い出す。「鎌倉攻めの功を掠めとらんとして…」と言う義助を、「浅ましき事を考えるでない!」と叱りつけた。
義貞は足利殿に鎌倉は任せると言われた。今日あるは新田のおかげと申された。足利殿を信じている。
しかし義助は、足利方に居を移す者が増えている。細川和氏という後見がなかなかの食わせ者であり、油断できないと、兄に言うのだった。
義貞は自分の鎌倉攻めの功もすでに帝の奏聞に達しており、心配することはないと義助に諭す。

京の後醍醐天皇と大塔宮護良親王・藤夜叉と不知哉丸

京・里内裏では後醍醐天皇が自ら綸旨を発し、独裁的に新政を推し進めた。
千種忠顕が北条の膨大な所領地について報告していた。多くは、交通交易の要所で、御家人どもの恨みも深かったでしょう。
そこへ護良親王が参内してくる。
「都の風には親しんだか」との問いに
「親しむ風は、もはや都にはございませぬ。目に映るは右も左も 田舎武士…」と答える護良。「東夷(あずまえびす)は嫌いにござります」
後醍醐は「護良の力も、高氏の力も共に大切と思っている。朕が都を離れし間 そこが果たした功 誠に大なり。決して忘れてはいないぞ。」と言ってなだめた。

二条河原では魚を売る藤夜叉(宮沢りえ)に、ましらの石(柳葉敏郎)が、また和泉へ一緒に行こうと誘っていた。しかし藤夜叉はいっこうに聞かず、不知哉丸を遊んでくれるよう頼む。
団子を食べているうちに、駆け比べを始める。石は武士達との乱闘に巻き込まれてしまい、不知哉丸はどこにも見あたらない。
乱闘で捕らえられた強盗一味は奉行所に連行され、直義(高嶋政伸)が詮議を行った。
どうやら護良親王の関係者であるらしいと分かり、とりあえず六条の獄に入れるよう命じる。

奉行所からの帰り道、直義は足をくじいてしゃがんでいる不知哉丸を見つけ、館に連れ帰り、治療をし、ごはんを食べさせた。不知哉丸は、足利の「二つ引き両」の紋を見つけ、「あの印、知っとるぞ。大将の印じゃ」。直義が足利の紋を説明して、大将の弟であると教えた。不知哉丸は「われは大将になる!」と大声で宣言。直義は大笑いし、頭を撫でてやる。

二条河原では藤夜叉が、戻らない不知哉丸と石を心配していた。そこへ直義に連れられ、不知哉丸が帰ってくる。「足利の弟の大将だぞ、こいつ」
直義は「女手一つで苦労も多かろうが、しっかりわっぱを育てられよ」と藤夜叉に言い、「腹が減ったらまた来い。たっぷり食わせてやるぞ」と不知哉丸の頭をなで、去っていった。

直義が捕らえた土蔵破りは宮将軍の身内の者であった。殿の法印が来て、処分は宮将軍がするので引き渡されよと。
高氏は迷いを見せていたが、直義は「市中の警備は直義に任すと仰せられた」

直義は立ち去り際に「先ほど市中で、面白いわっぱを拾いましたぞ」と不知哉丸の話を高氏にする。「これが元気なわっぱでございましてな。まるで我が幼き時を思い出すが如し。足利の「二つ引き両」をしていた。」と楽しげに話す。
高氏は「そなたの口からわっぱの話を聞くとは思わなんだの。こりゃそろそろ嫁をめとらねばならぬかのう」
直義が慌てて、都のわっぱにまで足利の人気が聞こえているとを言おうとしただけ、と言う。
「何をそうムキになっておる」と高氏。

二条河原に、が帰ってきて、不知哉丸が先に戻ったことを知り、「探したんだぞ」と詰め寄る。
藤夜叉は「一緒に和泉へ行こう」と言い出し、足利直義が訪ねてきたことを話し、「ここにいること、足利の殿様に会いそう」と石に言う。石はいぶかしげに思うも、一緒に和泉へ行くことにする。

護良一派 高氏暗殺の動き

六波羅の足利が殿の法印の配下の者達を引き渡そうとせず、護良一派は酒を飲みながら怒っていた。
護良北畠親房(近藤正臣)が「東夷には頭が二つある 二つの頭を巧みに操れ」と言っていた。
義貞をすみやかに上洛させて、我らの陣営に加え、高氏と対抗させようとの考えを示す。
赤松同心(渡辺哲)は「鎌倉を制する者が武士を制する」と言って義貞がそう簡単に鎌倉を離れようか?
四条隆資は「上洛せねば恩賞にありつけぬと言えばばよい」

法印が護良に近づき「義貞の上洛を待つばかりでは気が治まらぬ。それまでに高氏の命を…」とささやいているところへ、楠木正季(赤井英和)が現れる。
法印は「正季どの、良き所へ参られた。例の話じゃが…」
正季「心得ております。日時はいつ」
高氏暗殺と知った護良は性急なと言うが、法印は正季 二人の企みとして貫く所存。
「正成は存じおるのか」
正季は「兄は兄。それがしと思いは別 。帝の新しき世に足利は必ず害となりましょう。害は一刻も早く除くが肝心」

新田義貞の正室登場 大塔宮の誘いに応じ上洛

鎌倉では義貞の正室 保子(あめくみちこ)が上野から夫を訪ねてきて、義貞に祝いを述べ、持参してきた新しい直垂を夫に着せながら、「思えば 頼朝公のご勘気をこうむって以来140年 新田は 源氏の嫡流なれど 無位無冠。足利殿に遅れを取って参りました。…… わらわも 鼻が高うございます。」
「恩賞もさぞやと、皆待ち焦がれています。」
「恩賞はこれからじゃ」
「将軍ともなれば さぞ大層うなもので」
「待て待て、わしは将軍でないぞ」
「では、もしや足利殿が」
「大塔宮護良親王じゃ …… そもそも将軍は都におわす 帝が沙汰なされるものじゃ」
「では執権でござりまするな」「帝は何をしているのでございましょ、殿を放って置いて」など次々とまくしたてる。
義貞は着せられた大きめの直垂に、「ん!」とかいのない返事をする。
宮将軍から上洛するよう書状があったと打ち明ける。
正室は「北条を滅ぼしたるは新田義貞とハッキリ申されませ。足利殿に後れをとってはなりませぬぞ!」と夫を激励するのだった。

鎌倉で北条氏滅亡を見届けた、一色右馬介(大地康雄)は山伏姿で京に現れた。

師直高氏に細川和氏から新田義貞が上洛の準備を始めた知らせがあったことを伝えた。
大塔宮の強い誘いに応じられ、護良親王派に加わるとややこしくなる、などと高氏に言う。
高氏は「離れていると思いはまっすぐに伝わらぬもの。良い折りじゃ、新田殿と会う日を楽しみに待つとしよう」と言うのだった。

▽まとめ&感想

後醍醐天皇 公家一統の政治を目指し 足利高氏は都の再建にあたる。
新田義貞は鎌倉、千寿王の人気に気をもむ新田一族。
京の後醍醐天皇に大塔宮護良親王 参内する。
藤夜叉 不知哉丸は足利直義に会い京をはなれることに。
とらえられた強盗の引き渡しを要求する護良一派、新田義貞も取り込もうとする

鎌倉の、新田義貞。正室の扱い。違いますね。
護良一派 かなり恐ろしいです。
高氏を第2の北条と言い、新田義貞も取り込もうとする。どんどんドロドロしそうです。