太平記 25話「足利尊氏」▽あらすじメモ▽尊氏誕生

直義が大塔宮の息のかかった強盗を処刑

京の警備をしていた足利直義(高嶋政伸)が、大塔宮の息のかかった強盗を、六条河原で 独断で処刑した。直義は独断で実行し、首をさらし立て札に「大塔宮殿 法印の手の者」と書いた。
このことで、足利一族と大塔宮派の対立が深まった。
足利高氏(真田広之)は「あそこまでやるとは思わなかった、いかにも奴の潔癖さよ」
師直も「京童には、安心して暮らせると概ね好評だが、宮方の逆恨みを警戒しなければならない。」

処刑を聞いた殿の法印は激怒し、部下達を杖で殴る。
護良親王(堤大二郎)も怒り「高氏をいささか甘く見てた。我らへの宣戦布告!躊躇は無用!」
法印は高氏暗殺の計画を進めており、近々にと告げた。

佐々木道誉(陣内孝則)が高氏の屋敷を訪ねてきた。二人は酒を酌み交わし、道誉は自分が北畠親房の使いとして来たことを話す。
近々後醍醐帝が親房邸へ行幸することになっており、その際に護良親王と御辺を招く、護良親王の顔を立ててやって欲しい、親房は護良親王の従兄弟で舅だからかわいいのだ。
これには帝も承知している。高氏を武士の棟梁として恐れているのだと加えた。

上洛する新田義貞が挨拶に訪れ、鎌倉を若御料に任せることに

鎌倉では上洛する新田義貞(根津甚八)が弟の脇屋義助(石原良純)と、登子(沢口靖子)千寿王のもとを挨拶に訪れた。
登子は、「一族 皆さんで?」と尋ねると「はい」
「北の方様は」
「あれは都にはむきません。国元の世良田で取り仕切るのが似合う」
「鎌倉もさみしくなります。せっかく新田様と力を合わせて参りましたのに」
「狭い土地にいては、紛糾沙汰が増すばかり。あとは、若御料ががよしなにおさめられよ」
「承知つかまりました。我が殿も、新田様の上洛をお待ちでしょう」
義助が「大塔宮より直々の催促があってな」と口にする。

義貞が去った後、細川和氏らは「我が殿は御運が強い。願うてもない結果に」
「我から、根も土も捨て、上洛されるとは、先の見えぬお方よ」。
しかし「大塔宮の催促」というのが気にかかった。

後醍醐天皇の下 集まり、高氏 護良親王の仲を取り持つも 高氏が狙われる

都では後醍醐天皇(片岡孝夫)北畠親房(近藤正臣)邸を訪れていた。高氏道誉護良親王も集まっていた。雅楽の調べの中、帝が笛を吹き、顕家(後藤久美子)が舞を舞った。
舞が終わると後醍醐は顕家に声をかけ、「笠置挙兵の前の春には、まだ花の宴を楽しむゆとりがあった」とつぶやき、肩に掛けていた薄衣を顕家に投げ、「被(かず)け取らせる」(褒美として与える)

その後、宴は無礼講となった。 後醍醐高氏を呼び、近くに座らせる。
後醍醐から「諸国の武士を集めてなんとする」と尋ねる。
高氏は「諸国の武士が上洛するのは恩賞を求めてのこ と。
「北条の残党の帰参を許しておるそうだが」
万事ご新政のため。無益な血を流し民を戦いの渦に巻き込むは、帝の御本意ではないのでは」と答えた。
後醍醐は「会うてみれば憎みあう ほどのことはあるまい」と護良親王に声をかける。
護良は「はて、まろには東夷の腹の内は読めませぬ。お上は御心が広すぎるようにござりまする」
「護良!」後醍醐が声を荒らげ、「朕はそなたの父ぞ」、二人に酒をとらせた。
「朕が新しき政を寿ぐのことほぐのじゃ」と盃を干させるのだった。

宴が終わり、高氏は屋敷を出て、酔って松明を振り回していると、矢が飛んできて松明に命中。
黒装束の武者が刀を抜いて迫ってきた。「足利高氏と知ってのことか!」と声を上げると、「全ては帝の御新政のため!」と斬りかかってき た。
馬に乗った楠木正成(武田鉄矢)が駆けつけてきて二人を引き離した。覆面をしていたのは弟の正季だった。正成は「馬鹿ッ」と正季を殴りつけ、正季らは去っていった。

正成は高氏の前に膝を付き、今の刺客が弟であることを打ち明けて謝った。
高氏は「今夜のことはお忘れくだされ」と言う。

正成は「武士とはやっかいなものにござりますな。思わぬ事で都に出て参ったが、どうもなじめん。河内に帰りたい」とぼやくように言う。「お聞き捨てくだされ」と立ち去った。

義貞上洛 護良親王、後醍醐天皇に挨拶 高氏と旧交を温める

義貞が上洛して、護良親王に会う。待ちこがれていた護良から、酒を勧められる。
殿の法印四条隆資らから、高氏が六波羅攻めの功だけでなく、鎌倉攻めの功も独り占めしようとしていると聞かさた。
「この義貞の鎌倉攻めの功はすでに帝の奏聞に達しているはず」
「帝とはいえ、心は動くもの。身近にあると無しでは、違ってこよう」
さらに護良が「高氏の名など、耳にするだにおぞましいわ」と憎しみを見せ、義貞は戸惑う。

義貞は護良親王に導かれて、里内裏の後醍醐天皇に拝謁しへ、従四位の下に叙せられた。
それを物陰から阿野廉子(原田美枝子)が「あれが義貞か?使えようか?いかほどの力があるものか?」と見ている。その横で勾当内侍(宮崎萬純)が「鎌倉を攻め落としたという恐ろしげなお方には見えませぬが?」と義貞をじっと見つめていた。

すぐ、義貞は六波羅奉行所の高氏を訪ねたが、おらず長い間待たされていた。
ようやく高氏が戻り、義貞に頭を下げ「十五年の思いがようやくかない申した。ひとえに新田殿のおかげじゃ!」と 礼を述べた。
高氏は続けて、「新田殿と北条と戦う約束をしてから半年足らず北条一門に苦しんだことを忘れ、みな新政に浮かれている。我らの戦いは恩賞のためであった のか?新しい良い世を作るために勝ち目のない戦を始めたのではなかったか?」と熱く語る。
義貞「それがしの、仮病から始まった」
高氏「新田殿の顔を見て懐かしさの余り、近ごろは腹ふくるることばかりにて、お許しくだされ」
「久方ぶりにお会いして高氏殿の胸の内にはいまだ熱い血がたぎりおると分かり、この義貞、ほっといたした。もしや都の水で冷やされたかと」
「琵琶湖の水につけられても冷えるものではござらぬ」と笑い合う。

高氏は酒肴を用意して義貞に鎌倉攻めの武勇談をせがみ、義貞は「稲村ヶ崎」の戦いを語り始めた。
会ってみれば、わだかまりは解けていくようであった。

高氏 後醍醐天皇より諱の一字をもらい「尊氏」に改名

元弘3年8月5日、高氏は従三位に叙せられ公卿の仲間入りをし、武蔵の国司に任じられた。
北畠顕家は陸奥の国司となり、新田義貞も越後の国司となった。
後醍醐天皇が「そちの名、高氏は北条に名付けられたそうじゃのう。いかにも見え悪しき名じゃ」と言い出す。
「されば、朕の諱 尊治(たかはる)の一字をとらせようぞ。これからは「尊氏」と書いて「たかうじ」と読ませよ」。尊氏 29才の時であった。
「尊氏」と大きく書かれた紙が尊氏に渡される。「頼りに思うぞ」との帝の言葉に、尊氏は「ははーっ」と平伏する。

尊氏が屋敷に戻ると、家臣達が祝いの言葉を述べて出迎え、尊氏は祝いの酒を用意をさせる。
そこへ師直が一色右馬介(大地康雄)が戻ったことを告げる。
しかし右馬介は、諸国をめぐっていた山伏姿のまま、「暇(いとま)をいただきたく」と尊氏に申し出る。28年の間一族の仇と憎んできた北条があえなき最期を遂げたのを見て、出家して父母兄弟の霊を弔いたいと思った。
これを聞いた尊氏は「見損のうたぞ! これまでの働きは己のためだけであったのか」
「これからも帝を助けるための戦いが続く、なさねばならぬ事は限りなくある」
「わしはそなたと新しい世を生きたいのじゃ。出家も暇乞いも許さぬ」と申し渡す。

祝宴の準備が出来, 待ちわびていると告げられ、「今宵は尊氏の生まれ変わりの夜ぞ。共に祝うてくれ!」と右馬介に言い、尊氏は宴席へと向かう。尊氏の拳が強く握り締められていた。

▽まとめ&感想

直義が大塔宮の息のかかった強盗を処刑。
上洛する新田義貞が挨拶に訪れ、鎌倉を若御料に任せることに。
後醍醐天皇の下 集まり、高氏 護良親王の仲を取り持つも 高氏が狙われる
義貞上洛 護良親王、後醍醐天皇に挨拶 高氏と旧交を温める。
高氏 後醍醐天皇より諱の一字をもらい尊氏に改名。

鎌倉を新田義貞あっさり捨てたことに驚きました。
勾当内侍と、話が進むんでしょうね。

護良一派 今回も 迫力を感じるほど恐ろしいです。
高氏が尊氏になりました。
下の名前に「氏」が就いているとどうも変です。