直義追放を仕掛けた尊氏だったが 高師直兄弟に5万の兵で取り囲まれた。
直義 道誉に言われ身をひく決意をする。高師直は尊氏に謝罪するが乗っ取り気づかれ冷や汗。
義詮 京に呼び戻され跡継ぎになる。 直義は後見になれず隠居
直冬 行方知らずで 大きな火種になると心配。直冬 尊氏に会うが拒否され逃げ出す。
貞和5(1349)年8月
京の大路を5万の大軍が駆け抜けた。目指すは高倉第の足利尊氏の屋敷。
軍を率いるのは 高師直兄弟であった。大軍は 速やかに尊氏の屋敷を包囲。
目的は尊氏の 弟 直義を幕府から失脚させることにあった。直義の政治が、桃井直常 細川顕氏 といった側近をあまりに重用しすぎたため 不満を持つ人が続出したため、尊氏が師直と計画して 直義追放を仕掛けた。
だが 直義は 尊氏の必死の説得に 頑強に抵抗し あくまで 師直と戦うと先見した。
事態は益々逼迫した様相を見せてきた。尊氏決断の時が 刻一刻と迫ってきたのである
直義 道誉の言葉で 身をひく決意
土御門東洞院 足利尊氏 邸
「こたびの戦は我らの意地ぞ。命を惜しまず、名を惜しめ!」直義(高嶋政伸) は兵を率いて尊氏邸から出撃しようとしていた。
尊氏(真田広之)は立ち上り 「直義の軍を止めよ!外に出すな!戦をさせてはならぬ!」 と命じた。
脇門で直義たちは兵たちに門を開けさせ、太刀を手に取る。
開いた門の向こうから、佐々木道誉(陣内孝則) が「佐々木判官、申したき儀あり、しばしお控えめされよ!」と馬に乗り駆け込んできた。
「ほざくな!寝返り者めが!」と 桃井直常(高橋悦史)が弓を引いて矢を放った。
道誉は太刀を抜いて矢を弾き、「待てというのがわからんのか!」 と直義に歩み寄った。
直常が太刀を道誉ののど元に突きつけたが、直義は「まて」と抑えた。
道誉と直義たちは尊氏のところへ戻り、人払いを求めた。
尊氏は直義と道誉だけで 部屋に入ると、道誉は 館を包囲している高師直が館に火を放つかもしれない、と切り出す。
直義が「はっきり申されい」とせかすと、道誉は 師直が 直義と共に尊氏も殺すつもりかもしれない、そのため 火を放つかもしれないと 口にした。
道誉は「事と次第によっては足利兄弟を討つ。師直どのの 頭の片隅にチラチラし始めている。下手をすれば足利家は滅びまするぞ」と 言う。
さらに 道誉は そうなれば師直では天下は治められぬ、諸国は乱れに乱れる。
師直に やれるのではないかと 錯覚が起きてもおかしくない。師直についていくのも一興だがそうもいくまい、と道誉は「ここは何としても切り抜けていただかねばのう」と尊氏と直義に迫った。
尊氏はここで飲まねば,、これまでの苦労が水の泡になると直義を諭し 「やはりそなたは身を引け。それが嫌なら、わしはそなたをこの場で斬って捨てる。」
直義はガクッと座り込み、自分が 義詮の後見人となること、上杉と畠山の命を保証することを条件に身を引くことを認めた。
道誉はすぐに 師直に伝えに行った。
直義の「降伏」により、直義派の武士たちも投降、師直の完全勝利の形で終わったのである。
高師直 尊氏に 乗っ取り気づかれ 冷や汗
数日後、幕府内を高笑いしながら師直・師泰ら一同が歩いていた。
反対側の廊下を直義が暗い顔で歩いていて 師直と視線を合わせるが、直義は黙って立ち去り、師直は満足げにそれを見送った。
師直たちは将軍 尊氏に平伏し、幕府を正すためとはいえ将軍の館を大軍で包囲した罪をわびた。
尊氏はそれを幕政への熱意から出た行動とねぎらい 皆を下がらせ、師直だけ残した。
二人きりになると師直は「いやー、殿。よろしゅうござりましたな」と二人で仕組んだ芝居の成功 を喜ぶ。
尊氏も師直をねぎらい、これから執事としてよく勤めてくれるよう話す。
師直が「昨夜はどうなることかと気を揉みましたぞ」と言うと、尊氏も「わしも気を揉んだ」と言う。
尊氏は師直だから そう気にはしなかったが と前置きして「五万の軍をおのれの軍といたし この機に乗じて館を攻めれば、わしも直義もたやすう討てる。幕府を乗っ取り 天下を狙えるやも知れぬ」
師直「なーるほど。それは気づかぬことでございました」
尊氏「今ごろ気づくようでは師直は天下は狙えぬのう」
師直「こういうことは前もって言っていただかねば。殿ものんきでございますな」
尊氏「師直ものんきよのう」
師直「師直は、のんきでござりまする」
二人は顔を見合わせて大笑いする。
部屋を退出した師直は、どっと噴き出した冷や汗をぬぐい 立ち去っていった。
道誉が その様子を隠れてうかがっていた。
尊氏が 道誉に近づいて「師直に謀反の心があったとは思えぬ」と言う。
道誉は「まぁ人には魔が差すということがござるゆえ」と答えた。
道誉は、武士というものは みな己の力を示したいと内心思っているもの、将軍という天下一の力を持つ者を みなそういう目で見つめているのだ と語る。
尊氏は「長年の友でもか」
道誉「このようなことに友も家臣もござりますまい」と笑い、今後はこのような 危ない真似はするなと忠告した。
尊氏「寂しいものじゃのう。天下一というものは。だがわしは御辺を信じておる。師直を信じておる。信じねば将軍などやっておれぬ。のがさぬぞ」と道誉の肩をつかんだ。
道誉も「フッ、かなわぬな」といい 立っていった。
義詮 京に呼び戻され跡継ぎに 直義後見になれず
二ヵ月後の十月半ば、尊氏に呼び戻され、義詮(片岡孝太郎)が一色右馬介(大地康雄) と共に鎌倉から上洛してきた。足利宗家の期待を一身に浴びての入京である。
尊氏の館で義詮は尊氏や 登子(沢口靖子)に挨拶し、尊氏は長年の関東暮らしをねぎらった。
夜 尊氏と登子と義詮は、久々の家族水入らずの夕食を囲む。
登子はなにかと 義詮の世話を焼く。
尊氏は夕食を食べながら 幕府の政治を行う心得をクドクドと説き、義詮は退屈してあくびをしてしまう。
直義に会うよう奨めると 義詮は嫌な顔をして、失政をして政治を追われた直義に会うのは意味がないのではという。
尊氏は直義は朝廷や寺社関係に深いつながりがあり 詳しいから会っておけ と言い渡す。
直冬 行方知らず 大きな火種にと心配
そこへ備後の仁木氏から早馬で急報が届いた。
一読した尊氏は別室に右馬介を呼びつける。
長門探題を解任して都へ呼び戻した 直冬(筒井道隆)が 鞆の浦 から海伝いに逃亡して行方知れずとなったとの知らせであった。
右馬介は西国の大名が直冬をかついで幕府を転覆するとの噂もあると告げる。
右馬介「直冬殿を このまま放っておけば 大きな火種になり 先々 若君のまつりごとの支障となるやも しれない」
尊氏「直冬は我が 子!この舵取り、難しいのう」と天を仰ぎ、右馬介に直冬の行方を探るよう命じた。
立ち去ろうとする右馬介を 尊氏は呼び止め「長々と義詮が 世話になった」と礼を言った。
尊氏「何をしても あれを将軍に育て上げねばならぬ。それまでに無益な戦を終え 幕府を盤石のもに せねばならぬ。頼むぞ」
足利義詮(旧 直義亭)
数日後 義詮を直義が訪ねてきた。直義は失脚後、義詮に三条坊門の館を明け渡し、足利一門の細川顕氏の館に身を寄せていた。
直義はこの1年の朝廷 寺社との取り決めをまとめた一覧を義詮に引き渡し、義詮は型どおりに礼を述べる。
義詮の後見になるはずの直義だったが、義詮の周辺はすでに師直の勢力で固められており、直義の入り込む隙間は全く無かった。
直義が館を出ようとすると、突然右馬介が姿を現し、表門の直義暗殺の刺客が潜んでいることを直義に教えて裏口へ廻った。
用意した牛車に直義と共に乗り 込んだ右馬介は、師直が足利一門の斯波どの 桃井どのが 直義を担いで挙兵するのではないかと警戒していることを教える。
それを聞いた直義は「そのような企ては無い。あって もわしは乗らん」と言う。
右馬介は師直が直冬のことも警戒していることを告げ、直冬殿が幕府転覆の企てをもって 御殿と密かに会われているとの 噂がある。将軍はそのことを案じています。直冬の行方を教えてくれるよう言う。
しかし直義はこれには答えようとしない。
右馬介は「北条を倒せば良い世になると思っていたが、世はいっこうに治まらぬ。あろうことか足利が割れては これまで我らは何のために戦ってきたのか 足利を一つにせねばなりません」と嘆き、尊氏もあくまで平和を望んでいると 直義に訴える。
直義は「直冬は淀におる。将軍に会いたがっている」とようやく打ち明けた。
直冬 尊氏に会うが拒否され逃亡
二日後、京の南のちいさな寺で尊氏は右馬介の手引きで直冬と 密かに会っていた。
「なぜ都へ戻らぬ。なぜ逃げる」との尊氏の問いに、直冬は戻っては師直に討たれる、まだ死 にたくはないからと答える。
尊氏が「直義は過ちを犯した。だがそなたに罪は無い」と言うと、「ではまた探題に戻していただけますか」と聞く直冬。
尊氏「それは 難しかろう。直義が行ったことはすべて廃される。そなたは直義の子」
直冬は 自分が直義の子ではなく 尊氏の実の子だと知らぬ者はない。尊氏がそれを口にすれば 誰も探題に戻すこ とに文句は言うまいと尊氏に言った。
直冬「それがしは、一人の武士として、義詮どのに負けぬものという自負がございます!鎌倉で闘鶏にうつつをぬかしていた義詮どのが政を行い、この直冬が長門探題もお任せいただけぬ、それはあまりでございます!」 と声を上げて訴える。
さらに「直冬を抹殺なさいますか。お認めくださいますか」
尊氏「そなたは、わしの子じゃ」うつむく直冬。
尊氏は、わしは大きな過ちを犯した。やはりそなたを武士にするのではなかった。
直冬が寺の僧か 名も無き民であれば 自分の子だと大声で言えもしよう。
しかし幕府のためには義詮を後継者に育て、足利家を義詮のもとに 一つに束ねたいのだ。
今そなたを認め 探題に置けば そなたは必ず義詮の敵となる。
己が望むと望まざると そなたの もとには人が集まる。それは避けねばならぬ。
「許せ。そなたはわしの子として 認めるわけには行かぬ。どこまでも直義の子じゃ」と尊氏は言い、直義と共に、穏やかに暮らしてく れと頼む。
直冬「将軍の身勝手な申されようじゃ!」と立ち上がって叫ぶ。
尊氏「身勝手じゃ!それゆえ許せと申しておる!」 頭を下げた。
直冬は泣きそうな顔で「直冬は西国で独立独歩、思うように生きまする。己の力を試してみたいのだ。勝手に生きます!」 と叫ぶ。
「それはならん!」と言う尊氏に、「御免。」と一礼して飛び出していった。
尊氏は慌てて右馬介たちに直冬を追わせるが、直冬は飛ぶように 逃げ出していった。裸足で道を駆けていった直冬は涙を流しながら 都を立ち去っていった。
この夜 直冬は都から姿を消した。翌年、直冬は九州で謀叛の兵をあげることになる。
尊氏の苦悩に満ちた 新たな戦いが始まろうとしていた
▽まとめ&感想
直義追放を仕掛けた尊氏だったが 高師直兄弟に5万の兵で取り囲まれた。
直義 道誉に言われ身をひく決意をする。高師直は尊氏に謝罪するが乗っ取り気づかれ冷や汗。
義詮 京に呼び戻され跡継ぎになる。 直義は後見になれず隠居。
直冬 行方知らずで 大きな火種になると心配。直冬 尊氏に会うが拒否され逃げ出す。
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尊氏が 直義を退かせ、足利を1つにするため 直冬 を拒否。
つらいですね。直冬 これからの行く末どうなるんでしょうか。
喜連川 はじめて耳にしました。
足利家 末裔はいなかったんでしょうか?
テレビ番組で 見かけませんね。