石・不知哉丸 花夜叉一座に加わり 鎌倉に
駿河国 由比
由比に花夜叉一座がおり、篝火を焚いて、現在の能のように 面をつけた男女が舞を舞っていた。
楠木正成の妹 花夜叉(樋口可南子)が ましらの石(柳葉敏郎)と不知哉丸に気付き「不知哉丸!」と面をとった。「文は読んだ。藤夜叉はかわいそうなことを…。不知哉丸 よう来たのう」と不知哉丸を抱きしめた。
石は、代官になり、田畑にしがみついて暮らしたことで 藤夜叉を亡くしたので、旅芸人の一座にまた加えて欲しいと花夜叉に頼む。
花夜叉は、この一座は わぬしと藤夜叉の里のようなもの、かつての仲間は みな独立して去っており、一座に石を知る者は一人もなく、芸風も変わったが、一から出直し 不知哉丸をここで育てればよいと言う。
そして一緒に舞っていた男を「服部元成(深水三章)殿。新しい猿楽舞の名手ぞ」と紹介する。
馬群が走り抜ける音が 聞こえてきた。
足利軍が北条の残党を追って信濃に攻め込んだと知らせてきた。花夜叉は一座がこれから鎌倉へ向かうので 鎌倉のことを気にかける。
足利家・新田家がそれぞれ信濃を攻め 尊氏は恩賞について悩む
鎌倉を奪い返した足利軍は北条残党を追って信濃に攻めたが、越後の新田一族 堀口氏も信濃へ攻め込み、足利家・新田家が争う形になった。
鎌倉 足利亭
家臣達が、「信濃に援軍を送り、新田を追い払え」と言うが、足利尊氏(真田広之)は両軍の衝突が信じられず、あったとしても新田義貞(根津甚八)の指示ではない と考え、都に確認するよう命じた。
今はまず 相模・武蔵・甲斐・上総の安寧を図り 民の心静めるべきと言った。
しかし吉良貞義(山内明)が、我 足利軍は東国の武家すべてを巻き込む 勢いを有している。一挙に関東全域を掌握し、東国全体を下す力を示してください と言う。
直義(高嶋政伸)も「佐々木殿・小山殿・宇都宮殿・佐竹殿 戦いの恩賞を与えるためにも信濃は手放せない」
尊氏は「信濃を手放すとは言うておらん。新田殿と戦いたくないだけじゃ」
直義は「今回の戦に協力しない 新田の上野の領地を とりあげて恩賞にせよ」とまで言う。
尊氏は「そちは 護良親王を害し奉ったばかりでなく、新田殿とも争い、都の者すべてを敵にまわすつもりか?」と責める。
直義は「そうでもいたさねば 都好きの兄上が本気で武家のために お立ちにならぬと思うたのです」と答えた。
「おろかな!」「おろかは兄上じゃ!」と怒鳴り合う兄弟。
高師直(柄本明)が「今の事態はそもそも直義が鎌倉を逃げ出したことが原因、口を慎み下さい」
三河から登子(沢口靖子)と千寿王が平塚まで戻っていると、一色右馬介(大地康雄)が一足先に尊氏に報告する。尊氏が不知哉丸の事を聞くと、花夜叉一座に見張りをつけていると告げた。
尊氏は「みなわしのまいた種じゃ。」と右馬介に、都を出なければ藤夜叉が死ぬこともなかった。護良親王も鎌倉に…。わしが北条を倒したばかりに…。わしが引き受けるしかない と自らを責め続けた。
新田義貞は 京で尊氏を信用
都では藁に刀の試し斬りをしている新田義貞に、弟 脇屋義助(石原良純)が「堀口を信濃に行かせたことがそれほど ご不満か!、今度のことで足利を牽制できると公家達も喜んでいる」と言う。
義貞は「わしは万が一、帝の命で足利殿と戦うことになっても、正々堂々と戦う。正面からじゃ!信濃辺りに忍び込んで盗人のような真似はせん!」と一喝する。
「そんなことを言うとるから 足利にしてやられるのじゃ」と義助は言い返し、公家に足利 憎しの気運が盛り上がっている 今こそ新田の力を伸ばすべきだ。そういたさねば、いつまでたっても兄上は足利の上に立てませぬぞ」と言い放つ。
「わしがいつ足利の下に立った。」と怒る義貞
「しょせん新田は朝廷が足利を牽制するために引き立てた者よ、猿回しの猿に過ぎぬ!」と言われているという義助を義貞はにらんだ。
登子 不知哉丸の存在を知り、引き取ること拒否
鎌倉では戦勝を祝う宴が内々に開かれ、花夜叉一座の舞を見ながら、尊氏は舞を見るのは2年ぶりと母や妻子と楽しく過ごしていたが、直義は席を立ってしまう。
直義が屋敷を出ようとすると、門で不知哉丸が「おじちゃん!」と声をかけてきた。
驚いた直義が聞くと、一座と一緒に来たが宿で 退屈で 来たという。母も死んだといい 屋敷の一室に連れて行く。
侍女が菓子や料理を運んでいるのを 清子(藤村志保)が見咎め 聞くと直義のところへ運ぶと答えた。
そこに 尊氏が直義を呼びに部屋に入ると、不知哉丸がいるのを見て尊氏と清子は驚く。
不知丸は尊氏にもらった地蔵の守りを見せた。
そこへいきなり千寿王が駆け込んで来て、不知哉丸と黙って見つめ合う。
千寿王を追って登子(沢口靖子)も部屋に入ってきたので、尊氏、直義、清子は押し黙ってしまう。
登子が「そのお子は…?」と言うと、直義は不知哉丸を連れて出ていき、清子も「用があった」と出ていってしまう。
尊氏は千寿王も連れて行かせ、登子と二人きりになると「そこにいた子はわしの子じゃ」と打ち明ける。尊氏は登子に母の藤夜叉が亡くなり、不知哉丸は引き取りたいと思うと 告げた。
だが登子は「今日まで知らぬのは登子だけでござりましたのか」と恨めしそうに言う。
「すまぬ」と謝る尊氏に、登子は10年前 藤夜叉のことを打ち明けようとした時「今日の月、明日みる月が美しければそれでよい」と遮ったことを思い出し「その子は ご容赦くださりませ!」と逃げるように出ていってしまう。
舞を終えた 一座が帰ろうとすると、直義に連れられ不知哉丸が出て来た。花夜叉は驚きながらも、不知哉丸を宿へ連れ帰っていった。
師直が尊氏の所へ来て、いま評判の一座を呼びました。そして 足利方の村上氏が、信濃の新田軍と戦って勝利したことを伝え、信濃守護職を恩賞として与えねばなりませんな、と言った。
足利と新田の戦いは信濃から上野へも飛び火した。足利勢の目的は、関東諸国の制圧にあった。
北条方ばかりでなく、公家の支配する領地にも容赦なく攻め込んだ。
陸奥の北畠親房・顕家 を足利の命をうけている佐竹が攻撃
陸奥の国府に反乱軍が押し寄せ、北畠親房(近藤正臣)、顕家(後藤久美子)父子、結城宗広らが応戦していた。刺さっていた矢を抜き、敵が佐竹貞義の手の者であり、佐竹は足利の命をうけていると公言してるが、誠か?と顕家と話していた。
外で戦っていた宗広がようやく城内に戻ってきて「東国の武士がみな足利方に鞍替えしておる!」と北畠父子に叫び、親房は朝廷に「足利の真意を確かめよ」と使いを出すよう命じた。
この敵が、足利の命で動いていれば、足利は朝敵ぞ。討たねばならぬ。
京 に護良親王・征夷大将軍のような振る舞いが知れ 呼び出される
京 内裏
親房の訴えは京に届き、朝廷では 坊門清忠(藤木孝)や名和長年(小松方正)が、聞けば 足利の名において戦に従ったもの達に恩賞の沙汰が行われていると に怒りをぶちまけていた。
征夷大将軍でもないのに、関東や 奥州の土地を分け与え、守護や地頭を勝手に決めておる。
そればかりでなく、四条隆資が、護良親王の世話をしていた女性が鎌倉から逃げてきて、足利の手によりあえなき最期を遂げた。親王の首が落ちるのを見たという話を伝える。それを聞いて 公家達は「あな 恐れがまし!」と口々にに叫び、「足利討つべし!」と奏上しましょう。後醍醐天皇より足利を討ての綸旨を仰ぐべし。
後醍醐天皇は、「護良は、やはり… 。この手でとらえ、この手で足利に渡したのじゃ。あのときこの手で殺してしもうたのじゃ」と後醍醐は自らを責める。公家達は「足利討伐の詔勅を!」と声を揃えるが、後醍醐は楠木正成(武田鉄矢)に意見を求める。
正成は一連の動きが本当に尊氏の命によるものなのか、彼の手の及ばぬところで行われたのか 分からぬ。諸国が乱れ 民が疲弊している今は 戦は避けるべきで、まず足利殿を都に呼び返して直々に話を聞くべき、戦はそれからでも遅くない、と進言する。「げにも、今 戦は避けねばならん」と後醍醐は言い、ただちに尊氏を呼びもどせ と向けて勅使を送った。
これが帝と尊氏をつなぐ最後の使者となるのである。
▽まとめ&感想
石・不知哉丸 花夜叉一座に加わり 鎌倉に行くことに。
足利家・新田家がそれぞれ信濃を攻め 尊氏尊氏は恩賞について悩む。 新田義貞は 京で尊氏を信用。
登子 不知哉丸の存在を知り、引き取ること拒否。
陸奥の北畠親房・顕家 を足利の命をうけている佐竹が攻撃。
京 に護良親王・征夷大将軍のような振る舞いが知れ 呼び出される。
登子は不知哉丸を認めませんでした。直義も尊氏と意見がずれてきました。
続きが楽しみです。