太平記 16話 「隠岐配流」▽あらすじメモ・

後醍醐帝が道誉に送られ、壱岐へ

後醍醐帝(片岡孝夫)は幕府軍により隠岐へと流された。寵愛の二人の女性、阿野廉子(原田美枝子)小宰相(佐藤恵利)も同行した。隠岐への道中を指揮するのは佐々木道誉(陣内孝則)判官であった。変装した一色右馬介(大地康雄)が追いかけ、足利高氏(真田広之)に逐一送っていた。
 美作・伯耆国に入って、20日も輿に揺られ、後醍醐帝がお疲れでせき込む。廉子が道誉を呼んで、灸をさせてほしいと頼む。道誉は先の宿に、良きも草を集めるよう命じる。「都から離れているので、およその計らいなら、なんなりと、この判官の一存にて。」と廉子に告げる。
 米子、安木を経て、出雲の美保関に到着。ここで道誉の役目は終え、佐々木一族の隠岐の判官が、船で、後醍醐帝を壱岐へ移送することになっていた。
別れ際に、後醍醐帝は「長い旅路であったが…そちの心遣い、忘れぬ」と声をかける。輿に乗り込みながら「なんで汝は公家に生まれず、鎌倉武士なぞに生まれた。……生まれ直して朕のそばに来ぬか?また会おう。」。道誉は「ははーっ」と平伏する。これを右馬介が見ていた。

高氏は足利庄で父貞氏の葬儀・新田義貞 岩松経家と会談

 右馬介からの佐々木判官殿の傾斜は尋常でないとの報告をを読みながら、高氏直義は見定めを語っていた。直義は「力を結集して北条殿を討つ」と断言する。

 執権・赤橋守時(勝野洋)が訪ねて来たので、高氏は母の清子や妻の登子などと迎える。守時は、さきに貞氏の葬儀を鎌倉で行うことを禁じ、足利庄で近親の者だけを集めて行う事になったことをわびに来た。
清子も「我らの願いは、どこまでも北条殿と穏やかに手を携えて暮らすこと。」と言って守時を安心させる。
 その夜、寝付けぬ高氏に、登子(沢口靖子)が「今日は安堵いたしました」と語り出す。登子は、親が早くなくなり、兄とは何でもしゃべる。守時が「高氏が短慮を起こすようなことがあれば、執権として物申さねばならぬ」と言っていたことを打ち明ける。
「いっそ兄上も北条を捨てて…、殿と兄上が敵味方になるようなことは起こりませぬな。故ものう、怖いのでござります。」と高氏にすがりつく。

 ややあって、足利庄の鑁阿寺(ばんなじ)で貞氏の葬儀が営まれた。分家した、斯波・吉良・今川ら各地の足利一族、金沢貞顕(児玉清)らが参列。近くの源氏の一門として岩松経家(赤塚真人)、そして新田義貞(根津甚八)も参列する。
金沢貞顕は旧友として貞氏の思い出話を語り、彼の碁の打ち方が、実に我慢強いものだったと言って、高氏にも慎重な行動を求める。

 葬儀が済むと、岩松経家と義貞が内密な話があると高氏を呼び出した。三人は渡良瀬川のほとりで語り合う。経家と義貞は、大番役を命じられたので京に行かねばならず、その前に話があった。
先帝を害する噂があり、その前に助けよう。岩松経家の弟が、四国で海賊のような活動をしており、後醍醐帝を隠岐から阿波に連れ出し、帝を担いで兵を集め京へ撃って出るのだと。
 高氏は義貞と、子供の時に、この川で言い争いになった時の話をする。
北条は我らの所領を奪った者、足利はその北条と同じ汁を吸っている犬じゃ、我らはともに源氏、ゆめゆめ、北条の犬に成り下がるでないぞ」という義貞の言葉と、毎日張り合ってきたと高氏は打ち明ける。
義貞は、「今や新田は畑を切り売りせねば、大番役の係りも払えん。……。足利殿が立たれる折りあらば、この新田も加えて下され」
高氏は「新田殿が立たれるなら、足利も従いまする。我らは共に源氏、新田殿を見殺しにはせぬ」と応じる。そして岩松の先帝救い出すの計画については「よきように」とだけ言って、馬で駆け去った。

楠正成 河内に戻り、赤坂城奪い返す

 数ヶ月後、和歌山で戦の火の手が、また上がった。吉野の山に潜んでいた、護良親王が熊野から伊勢にかけ、兵を挙げていた。幕府は宮方の残党による、局所戦に過ぎないとたかをくくってた。
 そして11月。落城した赤坂城は鎌倉方により修築され、食糧などが運び込まれていた。そこへ楠木正季(赤井英和)に率いる一隊が密かに近づく。食糧を城に運び込んでいた人夫達は、楠木党の者たちで、突然積み荷から武器を取りだし、幕府の兵に襲いかかり、城中を大混乱に陥れる。正成は火を増やせ、闇に菊水の旗を浮かびあがせろと命じた。楠軍の奇襲は成功し、幕府軍はあっさり敗退した。
河内に楠正成(武田鉄矢)が戻ってきたのである。

鎌倉では道誉に先帝暗殺を暗に命じ、楠正成と先帝に気をもむ

河内の異変は直ちに鎌倉に伝えられた。道誉が呼びに応じ、案内されると、高時長崎高資(フランキー堺)円喜(西岡徳馬)をなじっていた。覚海尼(かっかいに:沢たまき)も北条家が土地を奪いすぎ、守護・地頭を独り占めし、不満が諸国にある故、謀叛が止まぬのではと、ある僧に聞いたと詰め寄る。
円喜は、もっと広い土地を持っている公家や先帝が、楠木のような悪党をそそのかしている。その先帝に媚びへつらう輩が、我らの近くにおりますると言った。道誉が覚海尼と高時に挨拶すると、「後でのう」と共に、立ち去ってしまう。
 高資が道誉の肩に手を置き、後醍醐帝を隠岐へ送る時、酒を振る舞ったり、灸をしたりしたことを、「物見遊山の旅ではないわ!」となじる。
円喜が、隠岐判官が、道誉の身内の佐々木一門であり、「先帝は判官殿の庭におられるも同然」と言い出す。「河内の悪党どもが騒ぎ立てるのも、隠岐の先帝いるゆえ…先帝さえおわさねば、」暗に、後醍醐帝の殺害を命じていた。

楠正成の乱は、足利家にも波紋を投げかけていた。
楠軍はほぼ河内を制した。六波羅軍も近づけんそうだ。また出兵かと言う直義に対し、高師直は河内の土豪が暴れているだけで出兵を命じることはない、と言う。
しかし「隠岐にいる先帝が動かれ、楠木がかつげば、ただの土豪ではなくなります。……その時が思案のしどころかと」。
 そこへ道誉からの書状が高氏に届く。その中には「お耳に入れたき一大事これあり。急ぎ館へお出で賜りたく候。」と書かれていた。

▽まとめ&感想

道誉は、後醍醐帝を壱岐へ護送、帝にそばに来ぬか?また会おうと言われる。
高氏は足利庄で父貞氏の葬儀。新田義貞 岩松経家と会談 我らは共に源氏。
鎌倉では道誉に先帝暗殺を暗に命じ、楠正成が後醍醐帝を担ぎ出すことに気をもむ。

今回は、多くの人が出てきて、覚えきれません。
メモを作っておかないと、すぐ忘れてしまいます。
新田義貞が根津甚八に替わった回ですね。
高氏の乗馬シーン、良かったです。