あしたも晴れ!人生レシピ「自分らしい最期を支えたい 医師 内藤いづみ」▽こんな話☆死亡診断書は人生の卒業証書

Eテレ 2021.12.17
迷惑をかけず逝きたい98歳☆夫婦で最後まで家で過ごしたい 内藤先生は その人らしくを追求☆
在宅でみとりまで行うきっかけ☆生き抜くため介護保険・ケアマネ 命の仲間を作る☆
「家で過ごしたい」 在宅医療の意味☆
残された時間を日常の暮らしの中で過ごすことが かけがえのない思い出を作る☆
残された遺族のケア 死亡診断書は人生の卒業証書☆
【講師】ふじ内科クリニック院長 内藤いづみ 【司会】賀来千香子,小澤康喬【語り】堀内賢雄

迷惑をかけず逝きたい98歳の河口さん

内藤いづみさんは在宅で いわゆるホスピスケアをされています。
具体的には がんになって 痛みや苦しみを緩和して自分が望む場所 おうちであることが多いんですけど 苦しみを緩和してもらえれば居れるよということを ずっとしてきました。

山梨県甲府市にある内藤さんのクリニック。26年前に開業して以来多くの患者と向き合ってきました。内藤さんの人柄に引かれて通う患者も多いそうです。
「先生には申し訳ないですけどもう お友達みたいな感じで とても優しくて頼りになる先生ですので 亡くなるまで 先生にお世話になろうかなと思ってるんです。」

外来は午前中だけ。午後は毎日 訪問診療に 看護師 林さんと2人で一日 2〜3軒ほどの家を回ります。

こちらは1年半前から通っている患者の家です。まもなく 99歳になる河口久枝さん
「今日は朝に体操行ったんですか?」
「ええ それは絶対。 してこないとね 歩けなくなっちゃうもの」
4年前に心筋梗塞で手術をしました。時々 息苦しさを感じることもあり 内藤さんの訪問診療を受けています。
「99だからねちょっと年とったよね」
同居している娘の春美さんからも体調について報告を受けます。

内藤さんは患者の体調を把握し今後 起こりうることを予測。どんな不安を抱えているのかにも耳を傾けます。
久枝さんは残された人生 自分の意思を貫こうと ある決心をしています。娘や婿に迷惑をかけたくない。だから眠るように 「あら 来たらね 息してなかった」というふうになりたいなと思ってます。

夫婦で最後まで家で過ごしたい 内藤先生は その人らしくを追求

訪ねたのは遠藤さんのお宅
眠剤も飲まないで昼夜よく寝る 97歳の好子さん。4年前に脳梗塞を起こし 今は ほとんど寝たきりの状態です。95歳夫の誉一さんが身の回りのことをサポート。
近くに住む 娘の和子さんも 何かあれば駆けつけるようにしています。
「夜はお小水で起きちゃうの?」
「大体7時ごろ寝ましてね。朝ね 8時半ごろまで5回ぐらいね。手をたたくから起きてね立ち会ってやるだけ。」
誉一さんも内藤さんの訪問診療を受けています。25年前から大腸や肝臓 肺などにがんを患い 4度の手術を受けてきました。
夫婦2人とも 今後は病院に入院して積極的な治療を行うよりも 自宅で過ごす選択をしました。
夫婦は3人の娘を育て上げる中でよく けんかもしたそうですが、今は自宅で過ごす2人の時間を大切にしたいと考えています。
「俺のそばにいたいんだろう。だから デイサービス行って帰ってきても 俺の顔見て 声聞くと安心する。できるだけ長生きさせてやりたい」
夫婦2人とも 今後は病院に入院して積極的な治療を行うよりも、内藤さんは 何が本人たちにとって大切なことなのかを 見極めたうえで処方を行います。
「病院にいる時には これはやっちゃいけない これはだめとか。これはこうしなきゃいけないとか、特別食事制限もしてないし この程度の血糖値だったらいいよって、検査データ全部が正常値に入ることがすべてではない。年をとったら その人なりにどうやって生きるかって 先生はいつも考えてくれてるのでありがたいと思ってます。」

内藤さんが 在宅でみとりまで行う医師を目指すきっかけ

20代の頃 自分よりも若い末期がんの女性が 告知もされず回復の見込みもない状況で 病院で治療を受け続けていました。
内藤さんは思わず「今 何がしたい?」と尋ねたら「家に帰りたい」
でも私の周りには そういうことしている先生の見本は いなかった。
半分 主治医とか教授をだますような感じで おうちに帰った。経過を見ながら途中で いろんな症状を緩和するってこともしながら 大学病院に戻らなかったんです。
たぶん3か月ぐらい 家に居れて お母さんの腕の中で息を引き取るという大団円を迎えたんですね。

その後 ホスピスケア発祥の地イギリスに渡った内藤さん。命の質を問う医療をしていこうと決意しました。

80代の女性をみとった時 どうやって生き抜く?介護保険・ケアマネ 命の仲間を作る

「よく頑張ったね。娘さんと おとうさんにみてもらって よかったね。」
最期の時が近づくと内藤さんは看護師たちと連携して 24時間態勢で その時に備えます。
1年余りの闘病を経て静かな最期を迎えました。
死亡の確認をさせて頂きました。本当に いい方でしたね。 言葉 少なくてでも すごく真心のある方で。私たちも いなくなったっていうのはとても寂しく思います。
しかし その場は悲しみに暮れるだけではないといいます。
残るものがすごく多く 生きてきて その人が関わった人たちに たくさんの贈り物を残して肉体は消えていきますけど。だからどうやって生き抜くかってことも最終章すごく大事。

先ほど ちょっと患者さんもおっしゃってたけども「友達みたい」と。でも私たちはプロなので 時々 鋭い目で経過を見たりとか もちろんしてますけども、みんなが リラックスして心を開いて 自分の人生を歩めるようにっていう 何か ちょっと変わったサポートなんですけど。

在宅というのは私たちが「ごめんください」って行くわけで 病院の場合は「お願いします」って。立場が全然違う。だから おうちというのは その人の世界です。そうするとやっぱり関係性も違ってくるし 自分の人生を振り返ったりとか これから何をしようっていう決意が出しやすいかなって思います。

祖母が家で亡くなる その最後を過ごす様子を見ていて ごく自然なものとして分かっていた。
ただ 昭和30年代ですから 医療が非常に早く進化しました。それで病気をたくさん治すようになって病院も増えて お医者さんや看護師さんも増えて そして自宅で静かな最終章を過ごすことがどんどん減っていった
昔は おじいちゃんおばあちゃん一緒で孫もいたっていうのが だんだん核家族になってね。

内閣府の調査によりますと どこで人生の最期を迎えたいですか?という質問に対して半数以上の人が自宅と答えているんですね。
実際にどこで最期を迎えているかというと 年々 自宅で亡くなる方は減り 今は1割ほどで 7割の方が病院で亡くなっている。
病気になって病院で診てもらうっていうことが 当たり前になってしまって それでおうちで病気にどうやって対応したらいいのか できないというふうに思い込んじゃったっていうか。

在宅でのみとりは 今は介護保険があり福祉関係とかいろんな方が支えてくれるシステムもある。
前よりは 訪問とか 在宅ケア して下さる人が増えてます。10年前よりは地域 地域に。
訪問看護師さんたちもすごく優秀な人が出てるし ケアマネージャーという人たちも 本当に苦労しながら磨き上げてるし。身内だけに頼ってたら やっぱりすごく道が狭くなっちゃうんですよ。
私は「命の仲間を作って下さい」って言ってるんです。命の仲間、命の友人。だからそれはもう地縁関係じゃなくていいんです。それで自分が困った時は助けてもらうし相手が困った時は助けるっていう関係を作っておけば 絶対 独りぼっちじゃないんです。

「家で過ごしたい」 在宅医療の意味

内藤さんの もう一つのライフワークは講演活動。コロナ禍以前にはよく全国各地に出かけていました。
絶対 独りぼっちじゃないんですよ私たち。過去に出会った患者や家族のエピソードも交え 在宅医療の意味を伝えています。
内藤さんが忘れられないという 大腸がんが肝臓にも転移し末期と診断された60代の健二さん
治る見込みがないなら病院にいるよりは 定年後に楽しみにしていた ふるさとで農作業をする暮らしがしたいと 家に帰る選択をしました。
「今年俺は大根抜けますか?」って聞いたんですよ。一番最初の質問 彼からの。ちょっと難しそうだった。「う〜ん ギリギリ大丈夫かな。抜けるといいですね」って話をして。
病状は進み 時には吐血して緊急の処置が必要なことも。しかし健二さんは「家で過ごしたい」と言い続けました。本当に全身管だらけで輸血して。末期のいつ死んでもいいって人の顔なのね。

「このままここにいる?」って聞いたら 「帰る。ここにいたくない」とかって言ってね。
がんによる痛みはありましたが緩和する治療を内藤さんに受けながら かわいがっていた犬や猫と過ごすうちに体調も落ち着いてきました。健二さんは無事に 育てた大根を抜いておいしい ふろふき大根を食べることができました。
そして がんが判明してから半年後 穏やかに自宅で最期を迎えることができたのです。

残された時間を日常の暮らしの中で過ごすことが かけがえのない思い出を作る

40代で胃がんを患った浩子さん。見つかった時には既に手の施しようがなく余命3か月と宣告されました。治らない。 大きい病院で治療するって方法もあるし いろいろあるといったら、娘たちが「内藤いづみ先生って人に頼んだら家で過ごせて 家で死ねる」って。そのけなげな2人がね 私の診療所にね駆け込んできたの。そして何度も頼むんですよ「私の親を診てくれ」って。
実は以前 その2人は学校で行われた内藤さんの講演を聞いたことがあり その話を思い出し 内藤さんのところにやって来たのです。
2人の思いを受け止めた内藤さんは浩子さんの訪問診療を引き受けました。まだ若い浩子さんは 病院よりも自宅を選びたい強い思いがありました。やっぱりずっと見ていたいですよね成長期の娘を
病院に行っちゃったら やっぱり自分の暮らしと引き離されちゃいますもん。限られた時間しか会えないし。浩子さんは毎日 娘たちのお弁当を作り続けました
しかし がんの影響で次第ににんじんも切れないほど力が入らなくなっていきました。
それでも浩子さんは おにぎりを作って娘たちに持たせたのです。そのおむすびが握られなくなるっていう腕力が 末期がんの人の腕力なんだって娘も分かるわけですよ。 何かこれ食べちゃうともうお母さんいなくなるような気もするし食べちゃうともったいない。それで見ながらごはん食べないで終わっちゃった日もあって。で 帰りの電車で泣きながら食べて帰ったとかね。浩子さんは1年以上 家族との時間を過ごすことができました
そして娘たちが大学に進学するのをしっかりと見届けて この世を去りました。
普通のことがやっぱりすばらしい。いろんな積み重ねが。
だから今度 コロナ禍で普通にあんなすばらしいことだったんだな。そんな ささやかなことが幸せだったよねって。
みんなで一杯 ビール飲むってことも幸せだったよねとか。遠くに旅行できるってことも幸せだったよね みたいなことを もう1回かみしめてもらいたい。そうすると 今ある命が輝きが増すんじゃないかな。

(賀来)患者さんたちはね 何か ちょっと お聞きするのも…ですが、どういう思いで最後を過ごされることが多いんですか?
皆さんたぶん死の恐怖とかすごいんじゃないかというふうに 思うじゃないですか怖いとか。ところが何か淡々とね明るいんですよ。ご本人も家族も。
だから 一日一日が暮らしの輝きで満たしていけば その人のがんの痛みとか 私たちが医療のプロとして必ず なんとかするって後ろに控えていて。
本当にすばらしい命の物語がたくさんあります。
その死っていうものに集中しないっていうか 今日 生きたなっていうところで 皆さん 明るく暮らせると思います。で 一番怖いのは 実は死の恐怖じゃなくて孤独なんです。
もう自分の病気のことを誰も説明してくれないとか。自分は放っておかれるとか。だから 孤独に対する処方箋がホスピスケアの中に入れば大丈夫っていう感じはします。
恐怖を喜びに変えていくってことは非常に難しいんだけど 「怖いね」って 「命 短いね」ってとこを見るんじゃなくて 「わあ 今日は孫さんに会えたの幸せだったね」っていうところに 光を当てるのか。その光の当て方ですごく皆さんが変わると思います。

やっぱり肉体的にはね年とってくると限界かなって思う時もありますね。
ある時ですね一晩に危篤が続いちゃったことがあるんです。常に携帯は枕元にあって。で場合によるとそのまま行けるような格好で寝たりすることもあるんですけどね。

もう疲れてるから タクシーを呼んで乗ったら田舎なので みんな 顔見知りなんですよ。「内藤先生 今日も大変だね」って言われて「うん ちょっと疲れた」って言ったら 「でも先生のがんの患者さんを俺は先生の診療所まで何度もね 駅から連れてったよ。その人が内藤先生に出会えてよかったって言ってたよ」って言ったんですよ。それ聞いて もう天に召された人からタクシーの運転手さん通して 何か 応援 受けた気がした。

残された遺族のケア 死亡診断書は人生の卒業証書

残された遺族のケアも大切に考えています。
内藤さんは訪問診療に行く時 いつもカバンに「死亡診断書」を忍ばせています。
患者が亡くなったあと遺族の状況に応じて 時に こんな思いで手渡すのだといいます。
私としては「卒業証書」としてその大団円をきちんと区切りをつけて差し上げられれば一番いいかなって。
アメリカの精神科医キューブラー・ロス死を人生からの卒業だと捉えた考え方に引かれたからです。

頑張りましたね 最期までね。80代の女性をみとった内藤さん。
そのあと 献身的に看病をしてきた その娘に書き上げた死亡診断書を渡します。
「これは あなたのお母さんの卒業証書だから 一番よくみていたあなたがお母さんの代理で受け取ってください」
そうすると何か ちょっと変わるじゃないですか 悲しみとか絶望が。一生懸命 生きて私たちに愛をいっぱいくれて 最後 大変だったけど 介護は。
でも それも私たちにいろんなことを教えてくれて 命のすばらしさも教えてくれて おばあちゃん 旅立ったんだ。亡くなったあとって ほぼ 残された人の問題になるじゃないですか、そこを道筋をつけるというか 希望の光をともすというのはとても大事なことだと思います。

そんな内藤さんにとって今も交流を続ける思い出深い家族がいます。
湯浅さんご一家、景子さんと 息子の康平さんです。4年前 母の喜美江さんを77歳で亡くしました。
脳腫瘍で 気付いた時には手の施しようがない状況でしたが 本人が延命のための治療を希望しませんでした。最期まで娘と孫と一緒に暮らしたい。その思いをくんで家で みとることになったのです。
康平さんは その時 小学4年生。大好きなおばあちゃんと最後の1か月を過ごし旅立つ瞬間にも立ち会うことができました。
「最期まで娘と孫と一緒に暮らしたい。でも私たちにはね口きいてくれなかったんだけど 康平くんには返事した」
喜美江さんが自宅で息を引き取った時には大勢の子どもや孫たちが集まりました。
その中で内藤さんは 一番幼い康平くんに卒業証書を手渡したのです。
何か走り抜けてマラソンみたいな感じで 走り抜けた中で最後ゴールで頑張ったねっていう記録みたいな感じのイメージに変換できたからよかったなと。
また景子さんは 内藤さんが 命の終わりを受け止めてもらうためにとった行動に 強い印象を受けたといいます。
若い子どもたちが囲って母を。泣いてるところで「今からおばあちゃんが亡くなったかどうかを確認しますね」みたいな感じで 順番に脈をとったり聴診器 当てたりっていうのを1人ずつ していってくれて。
すごい生きた学習だなと思って 感動して。そういう順番を経て 最後に卒業死亡診断書
子どもたちも感情的な悲しみから 実際 人が亡くなった時にはどうなるかということを知って。じゃあ もう おばあちゃんは亡くなったんだっていう覚悟も そこで また できて。
その数時間で 泣いて悲しむところから 笑顔で集合写真というところまで行けるというのは すごく びっくりしたというか。
在宅での みとりの経験は当時高校3年生だった景子さんのめい 野村瑠羽さんにも大きな影響を与えたといいます。
「病院とは違って 医者や看護婦がどのようにおばあちゃんと接していたのか 間近で見られた。みんなで体を拭いてあげたり 在宅ならではのできることがあった。大好きなおばあちゃんの世話ができたことがうれしかった」
その後 看護師の道へと進みました。「患者さんが一番幸せと思うようにサポートしたい。おばあちゃんにできなかったことも してあげたい」

内藤さんは 私「うつろい」って言葉がすごく大好きなので、命のうつろいに積極的に参加してもらいたい。
それが在宅での みとりは究極なことだと思うので。命のうつろいに 私たちは他人ながら関わらせてもらってるから 関係が濃い人たちはやっぱり チャンスがあったら 積極的に そのそばに行ってほしい。

内藤さん ちょっと話それますけど 私の母が96歳で3年前に亡くなったんです。
でみとったんです。しばらく気丈に ふるまっていて そしていたらお風呂から出て 脱衣場の湯気で曇った鏡に自分の顔映したら そこに母がいるんです。つまりそっくりになってきたわけで その人と共に生きるってそういうことかなって。

さっきのおばあちゃまは財布にね 「延命治療お断り」って書いてあったじゃないですか。そこまでいかなくても何か日記に残しておくとか 「万が一の時に見てね」みたいなコーナーがあるとか。
そういうことをして頂くと すごく自分自身の区切りっていうのかな 成長の一歩になるかもしれないですね。

人生最期の時間を望まれる方 いろんなことを不安がらずに 視点を広げて見て頂ければ そして大事なものが見えてくれば 皆さんの一日一日の生き方がすごく深くなると思いますので 全てが何か思いどおりになるとかじゃなくて やっぱり命って思いがけないことの連続なので一歩ずつ そして毎日の終わりに「今日はこんないいことあったな」 っていいことのほうに光を当てて頂きたいと思います。

▽まとめ&感想

なるべく迷惑をかけず逝きたいと思うようになってきました。そのため 健康でいつまでも動ければと 人生レシピ参考にさせてもらっています。成果の方は??ですが…