あしたも晴れ!人生レシピ「 ライフチェンジ!自分の可能性を信じて 」▽こんな話 新たに夢を持とう

Eテレ 2022.1.7
「カメラを止めるな」出演の竹原芳子さんは50代まで事務職☆
50代で会社員から仏像彫刻師になった井山庄司さん 自分のためが 皆のためにと考えるように☆
若い頃学校に行けなかった女性70歳から学校生活楽しむ 夢は編み物を教えること

【ゲスト】 竹原芳子、同志社女子大学教授 日下菜穂子【司会】賀来千香子、小澤康喬【語り】堀内賢雄

「カメラを止めるな」 竹原芳子さんは50代まで事務職についていた

竹原芳子さん 61歳。
2017年の大ヒット映画「カメラを止めるな!」で敏腕プロデューサー役を演じ 一躍有名に。
深田恭子さん主演の「ルパンの娘」では個性的な祖母の役も演じています。

実は 俳優デビューは 55歳の時。生まれ故郷の大阪の街を歩くと声をかけられることも。
竹原さんは短大を卒業後 証券会社に入社。その後 裁判所での事務などしてきました。
証券外務員資格と教員免許をもっており 習い事は水彩画 フラワーアレンジメント 生け花など数え切れないほどやっていました。
50歳の頃。昔 見た大河ドラマ織田信長の渡哲也さんが火の中で「人間50年」と 舞っている姿を思い出し 自分の残された時間には限りがあると意識したのだといいます。
「織田信長やったら私 死んでる」と 「自分のやりたいことを やりたい。悔いを残したくない」と思い浮かんだのが 芸能の道。
子どもの頃から演じたり 人を笑わせたりすることに 憧れを抱いていました。

そこで、働いていた裁判所を辞め 吉本興業に入り 芸人を目指すことに。
ネタ作りやダンスレッスンなどさまざまな経験をする中でひかれていったのが「演じること」。
間 寛平さんが率いる劇団のが旗揚 げ公演で「蛾」の役をつかみ 一歩を踏み出しました。
しかし俳優の道は厳しくオーディションで落とされることもありましたが 諦めませんでした。
「覚悟を決めて進んだ。お金に換えられない喜び 気持ちを求め続けていた」

竹原さんが ついに射止めたのが「カメラを止めるな!」での出演。57歳の時でした。
この映画は 監督が無名の俳優を オーディションで選抜して作るというもので 竹原さんは 役をつかんだのです。
今ではCMにも出演。テレビ番組のリポーターを務めるなど仕事の幅も広がっています。

俳優になる前からの竹原さんの友人。
「全然びっくりではないです。なるようになったなって感じで いつ来るかなと思っていて」
「日帰りで東京とか行ってお芝居の勉強されたり 見えないところでも ちゃんとやってたから うれしい」

この日 訪れたのは会社員時代から通い続けている美容室。
「コンプレックスだらけで まずこのおでこが広いのと。目は ちっちゃい。 細い。 鼻は低い。声も甲高いから。」
「カメ止め」で 上田監督が「竹原さんそのままでいいから」って言ってくださったので このままでいいんやなと思って。
表現することの喜びに変わっていきました。
俳優の道を歩み始めた竹原さんふだん 一つ歯のげたで 体幹 鍛えるために 縄跳び したりして どんな役が来てもいいよう励んでいます。

「生きてきた中でいろいろ経験したことは 今に生かされてると思います。例えば営業をやっていたこととかも 今自分で連絡させて頂いたりしてるので 何か 人との出会いも、その時 いいとか 自分にとっては悪いことって思っていたことも すべてが自分の今のためにあったんだと思える。

スタジオに竹原さんをお招きしました。
その時 いいと思うことにチャレンジしたり やりたいと思うことをやっていくことで 何か一個ずつ積み重ねていくのも 面白いなと思います。
積み重ねを失敗と思ったら ネタと思えばいいのかもしれないですね。

ちょっとしたことを喜べるように空 見て きれいだとかね、何か そういうことも思えるようになってきました。そう思うと 何か生きてるだけで幸せやみたいな。

50代で会社員から仏像彫刻師になった井山庄司さん 自分のためが 皆のために

都内に暮らす井山庄司さん 79歳です。毎日5時間近く熱心に仏像彫刻を行っています。
「彫っていて 小さい仏像でもできると 手を合わせて 私の前にお姿を現わしてくれた。 新しい命の誕生みたいに」
リビングには 自分で彫った仏像が150体近く。1体 彫るのに1年半から2年かかるというものも。代表作が こちらの百済観音の像。「ここの髪飾り 一木からの彫り出しです」

この仏像彫刻を始めたのは50代からでした。それまでは通信販売会社の営業職で働くサラリーマンで精神的にも プレッシャーを感じる日々を送っていました。
会社の倒産という憂き目にも遭い、200人に解雇を言い渡したこともありました。
51歳の頃 過労で入院して これからの生き方を見つめ直しました。
妻に 「どこかカルチャーセンターのカタログを取ってきてくれないか」と頼み 通うようになったのが仏像彫刻の講座でした。
日曜大工が得意だったので 気軽に始めてみたところ みるみる とりこになっていきました。
仏像を彫っている間は仏像に集中して 営業のことを忘れられる時間になりました。

57歳で会社を辞め 個展を開くなど本格的に活動。
その実力を見込まれ仏教の国 ブータンの王室から 建国の父の像を彫ってほしいと依頼を受けるまでに。15年にわたり 仏像彫刻の講師も務めてきました。

50代からのライフチェンジ 妻の美弓さんは「前は健康面で心配だった。打ち込めるモノがあって 生きがいができて 本当に幸せ」と話した。

人との縁も広がり 岩手県陸前高田市 本稱寺の住職 佐々木隆道さん東日本大震災で壊滅的な被害を受け 両親 妻 寺も本尊も失いました
その年の春 現地を訪れた井山さんは 佐々木さんが がれきの中から仏像を探していることを知り、 阿弥陀如来像 3体を贈ることにしたのです。
住職は「拝見させていただいて 素晴らしいお顔だったので是非いただきたいと 話が進見ました」

しかし その仏像を納める本堂も全壊し プレハブになっていたので 井山さんは 彫刻で得た収入を再建のために寄付しました。
2020年 念願の本堂が完成しましたが 井山さんは コロナ禍でまだ見に行けていません。

オンラインで本堂に安置された仏像と再会し「地域の方々の心の安らぎに少しでもお役に立っているということであれば こんなうれしいことはない」と]語っています。

今 井山さんが熱心に取り組んでいるのは ほほえみ地蔵個展で販売し 貧困や紛争などに巻き込まれた子どもたちに収益を寄付するため 制作しています。

会社員から仏像彫刻師になった井山さんは書道でも絵でもとか 「でも」って思う 気持ちを大切になさると やっていると いろんな経験ができ これが自分の自信につながって 今に至っている。

ここで専門家 同志社女子大学教授 日下菜穂子さんです。
はじめは自分が楽しいからっていう自分のために やってらしたことが だんだん みんなの喜びのためにって移行していったんですね。
心理学では「内発的動機付け」と言われて まずは自分が好きで やっていて楽しいということで 自分で選んでやると意欲が持続して これが将来 続く成長の原動力になるんですね。

私は高齢者の方々と「いきがい創造教室」というのをやらせて頂いています。
ワークショップ形式で対話を通して 一人一人に違う価値観とか生きる意味を見いだしてそれを追求していこう ポジティブ心理学というようなアプローチをとっています。

ワークショップ 経験した方は 生きがいというのは意外と身近なところにあったと おっしゃいます。
ある方は 四国八十八か所のお遍路参りをされてたが 膝を悪くされ行けなくなって 悲しんでおられた。亡くなったご主人を弔うことや 家族のために祈ることをしたかったので 自分の足で行ける範囲のお寺に行って お祈りをされることに気付かれた。

若い頃学校に行けなかった女性 70歳から学校生活楽しむ 夢は編み物を教えること

大阪にある 夜間の定時制 寝屋川高等学校に通う 女性 村田十詩美さん 81歳。
ほとんどが 10代の若いクラスメートに交じって2年前から勉強しています。
学ぶ時間は何だか楽しそうです。
村田さんは 子どもが独立してから一人暮らしをしています。

幼い頃 両親が離婚。家計は厳しかったため 母親の内職を手伝っていた村田さんは酒店で奉公するために中学での勉強も諦めざるをえませんでした。
「酒屋の前が中学校で 友達がよくのぞきに来て おまえ こんなとこで何してるんね といわれた。友達に見られるのが一番いやでした」

結婚後は4人の子どもを育てました。夫が病弱だったため 営業の仕事をしながら 夜は手芸店とかけもちで必死に働き 家の借金もあり スナックを開いて 働きづめの暮らしでした。
子どもが自立した40代で夫と別居。これから何をしていきたいのか一人で考えたといいます。
漢字を習いたいという 気持ちはありました。前から漢字があんまり読めないんでね。新聞も読めるやろなと思った」

その思いを実現させたのは暮らしに見通しがついた 70歳の頃
夜間中学へ電話をかけ入学したいと思いを伝え 60年ぶりの学校生活。クラスには意外にも自分と同年代の人たちが多くいました。
勉強や行事を楽しみ9年かけて卒業しました。当時 学んだ教材も大切な思い出として残しています。

この日 村田さんが向かったのは9年間 学んだ夜間中学 守口市立さつき学園
出迎えてくれたのは9年間お世話になった 教員の中田さん
今でも2〜3か月に一度は会いに行っています。
「本当に勉強しながら変わっていきはった。最初 本当に おとなしくて じっと ただ座ってはるだけやったんですけど 何か ちょっとずつ発言したりとか生徒会に入ってくれたりとか。 忘れられない言葉として メモしてる言葉があって ずっと自分の中に暗いモノを抱えて生きてきたけど 1つ分ったら 明るい光がちょっと見えるそれがうれしい。また明るい光が入ってくる。それが自分のなかの芯となって行く という言葉を「光の柱」と言った。そんな風に表現する人なんだと心に残っています。」

今も中学に通う 元クラスメートが村田さんが来ると聞いて会いに来てくれました。
「若くなったね」
「まわり みんな18歳だもん。エキスすってねん。あそこらへんの」
学校に通ったからこそ生まれた 新たなつながりは 村田さんにとってかけがえのないものです。

村田さんが大切にしている 電子辞書です。6年前に亡くなった母が 夜間中学入学のお祝いに買ってくれたものです。
「新聞を読んでいても わからない字が多くなる。そしたらお母さんに聞く お母さん大体教えてくれていたけど 自分も忙しいから 「もう いい加減にしろ」といって
母親の思いが込められたこの電子辞書(手書きで漢字調べられます)が村田さんの学ぶ意欲を支えています。

学校で学ぶことが今では生きがいになっています。今では音読も お手のもの。学校でさまざまなことを学んでいく中で 新たに夢を持つようになりました。
「よその学校の子 小学生と交流したり 中学生と交流したり 話し合いをしたりしたことがあって 小学生から「皆さんの夢は何ですか」と聞かれて ドキッとしました。まだ夢もっていいんやとね」

村田さんの夢 それは自分が得意な編み物を人に教えること
「編み機は教えたいなと思ってたんですよ。それする機会がなかったからね。最初は この部屋で片付けて 手編みする人を募集しようかな」

高年齢というだけでどうしても 自分の能力全体が だめになったように思ってしまって 夢を諦めたりとか 何か理想を実現する 意欲を低下させてしまったりすることが あります。

そんな時に できるか できないかよりも やっぱり どうやったらできるのかということを考える
Howを考えるということが より大切になってくると思います。

一歩を踏み出すには 自分がちょっとやってみたいなとか思う時に それに関係するような人とか場所に なぜ したいのかという理由も一緒に話すといいと思います。

私たちは そういうお話を聞くと ちょっと仲間になっていくんですね。そういうふうに共感して仲間を作って一緒に未来を作っていくということが 驚きと人生の喜びみたいなものなんだろうなというふうに思いますね。

若い時には自分のできないことを見て 埋めるようなことをしていくんですけど 年を取ってくると今できていることとか 今ある喜びに気付けるということが すごく心を満たすと思います。
感謝するということなんですけど 感謝は 今あることに対するポジティブな まなざしなんですね。

それを未来に向けると 夢に変わります。未来の明るい展望なので 状況に合わせて柔軟に価値観を見直しながら 変化に対応して やり方を見つけていくということが 人生後半を豊かにするライフチェンジのカギなんじゃないかな と思います。

▽まとめ&感想

竹原芳子さんは顔は見かけても 名前を存じ上げなかった方でした。
仏像彫刻師になった井山庄司さん すごい才能が隠れていたんですね。
若い頃学校に行けなかった女性が 学校生活楽しめ 本当によかったです。私の年代のお友達より 生き生きしているなと思いました。定年になって、年金生活になって のんびり暮らすことしか考えられなくなっていました。なんか夢 探してみたいと思います。