あしたも晴れ!人生レシピ★魅惑のコレクションライフ▽こんな話

Eテレ 2024.4.26
好き!だから たくさん集め コレクターになってしまった人たち。アンティークボタンと運命的な出会いをした女性や、昭和レトログッズを集めるうちに、伝え残す使命感まで抱くようになったソバ屋の男性。ミュージアムグッズを集めるうちに、博物館についての研究を始めた女性も。水石が大好きなとよた真帆さん、おもちゃコレクター北原照久さんの話。

【ゲスト】とよた真帆、北原照久
【司会】賀来千香子、芳賀 健太郎【語り】堀内賢雄

アンティークボタンを集め アクセサリーに

(賀来)私のコレクションは ガラスの中に ちょっとお魚が入ってて 藻があったり気泡があったり、光が当たると 何か揺らめきがあるような感じがして癒やされてるんです。
ゲストのとよた真帆さんが集めているのは水石(すいせき)というものです。
(とよた)石なんですけれども 800年ぐらい歴史がある盆栽と並ぶ日本の文化なんです。河原で拾った石を何かに見立てて台を作って めでるという世界です。床の間とかに掛け軸・盆栽・水石を置いて。買ったり もらったり 時には自分で拾いに行くことも。展覧会にも出品するほど石の世界に はまっています。

東京都に住む小坂直子さん。20年以上 集めているのは時代を感じさせるアンティークボタンといわれるもの。金属・ガラス・陶器・木で作られたものなど素材や形も さまざまです。お気に入りは イギリスで活動していたチェコの陶芸家 ルーシー・リーが 第2次世界大戦中 器作りが できなかった時に作っていたというガラス製のボタンです。コレクションしているおばあちゃまを何年もかけ口説いて手に入れたそうです。
小坂さんは もともとアンティークが好きで、学生の頃からのみの市などを巡っていました。ボタンとの出会いは 30歳の頃 ロンドンを訪れた時 不思議な出来事が起こります。
(小坂)ある日、イギリスでアンティークのものを探していた時に、アンティークの缶を買ったんですよ。その缶の中にボタンが入っていました。それから2日後 ロンドンを歩いている時に、見知らぬ人から「これ、あげる」と言われて、手を出してボタンをもらった。それが 2日前に買った缶の中に入っていたボタンと、一緒だったんですよ。運命のように感じてしまった。
次の日からアンティークボタンについて調べると それは100年以上前のもので靴やブーツ用に貝で作られたボタン。その後 専門書を取り寄せ 海外のコレクターとも情報交換をしながらボタンの収集と研究を始めました。デザインから時代が読み取れることにも興味を持ちました。
18世紀のヨーロッパの貴族の衣装には 富の象徴として 美術品のようなボタンが使われていました。白ちょう貝を繊細に彫り 輝きを出し 鉄に光の反射を生み出すダイヤモンドカットを施し 芸術的な技法で仕上げてあります。
魅力あるボタンと出会い その数は増え続けていきました。コレクションを始めてから9年後 ボタンの魅力を多くの人に伝えたいと始めたのが ボタンの専門店 CO-(コー)です。店内には およそ数千種類のボタンがあります。
長年のつきあいになる河鍋さんがやってきました。ボタンに付け取り外しもできるよう制作したピンを使い ブローチに出来ます。ボタンは指輪にもなり 季節や洋服に合わせて楽しんでほしいと提案しています。仲間も出来て わいわい楽しんでいます。
ボタンのバイヤーでもある小坂さんは キリスト教の聖地として知られるパレスチナ自治区ベツレヘムでお土産として作られてきたボタンが気になっていました。古くから受け継がれた職人の技術が結集したもので、一目見て その美しさに胸打たれました。3年前に 作り手がほとんどいなくなったと聞き現地 ベツレヘムを訪れ、職人と出会いました。 イスラエルとの対立により経済状況は悪化し物資も手に入りづらくなり 苦労していました。そこで日本で売って支えることにしたのです。
ボタンと出会って 人とのつながりが増え人生が豊かになったといいます。

(とよた)趣味が高じて 人との縁とか出会いとかそれも ひっくるめて楽しい。
スタジオに アンティークボタン お持ちしました。帽子に3つ正面にボタンが付いているものと、ブレスレットです。アクセサリーとしても魅力的なボタン。とても好評で 使い方は まだまだ広がりそうですね。

おもちゃコレクター 北原照久さん

コレクター歴50年以上のおもちゃコレクター 北原照久さんは 今 博物館が3軒とギャラリーが2軒やってます。
日本はおもちゃの生産国で、日本で作って海外に輸出されていたんです。僕が子どもの時ね 遊んだのがブリキのおもちゃなんで。大人になってから 作りのよさだとか雰囲気だとかデザインだとかに引かれて集め始めたんですよね。」
コレクションは 他にも。昭和時代のポスターのコレクションから 鉛筆削りといった日用品まで自分の琴線に触れたものを集めています。
きっかけは 実家が父の代からスポーツ店でスキー専門店なので オーストリアのインスブルックという 冬季オリンピック2回やった場所にスキー留学に行ったんです。それでホームステイしていたんだけど とにかく古いものばっかり、100年ぐらい前のお鍋なんだけど暖炉のところに飾ってあって それで スープを作ってくれたりいろんな料理を作ってくれるんですよ。何か 好きなものに囲まれて生活するっていいなって感じて。二十歳で帰ってきた時 時計が粗大ごみで捨ててあった。「ヨーロッパだったら絶対 これ捨てないよな」なんつって。昔は結構落ちてるのを持ってこれたんで、動かなかったんだけど油さした動きだした。何か自分で命を吹き込んだような気持ちになって 「やったね」みたいな。

(とよた)私は子どもの頃から石の水晶の原石が好きだったんですよ。探石って 水石になりうる石を探す。でもね なかなか これだけの石があっても 1個 出会えるか 出会えないかとか。持って帰りたいと思う ピンとくるのは恋に似ている。

(北原)次から次へと集めたくなるのは「そこにモノがあるから」、本当にモノがあるから集められるわけであって そのモノに また出会える喜びときめきがあるじゃないですか。その繰り返しですね。

昭和レトログッズを飾る ソバ屋

石川県白山市そば屋を営む山田 訓(さとる)さん、祖父母の家を改装した 店内で味わえるのが、懐かしの昭和の空気。昭和レトロのグッズは山田さん自身が集めたもの。奥には展示スペースも。かつて流行したキャラクター人形。東京タワーなど観光地の土産物にペナントも。
山田さんが こうしたグッズを集め始めたのは 1990年代初め。当時 大型店の進出が相次ぎ昔ながらの商店街が衰退。小さな商店や金物屋など 街から昭和の空気が失われ始めた頃でした。
最初のきっかけになったのは マッチ。地域によって デザインが違うことや その独創性にも引きつけられ 懐かしさも感じ あちこちで買い集めるようになりました。
昭和のモノたちって モノ自体に暮らしの記憶や思い出が詰まっている。その時に もしかしたら 誰かが保護していかなければ なくなってしまうと気がついた。当時 銀行員だった山田さん休日になると車に寝袋を積み 全国の骨董 市や個人商店を訪ね歩くようになりました。 文房具店で数十円で売っていた小型のナイフ、鉛筆を削ったり 野山で枝を切ったりするのに使っていた。これを作る鍛冶職人がほとんど いなくなっていると知り 集めることの意義も感じたといいます。
コレクションを始めて 30年その数は数千点にもなりました。一番の自慢が 昭和20年~40年に作られた時計。時計からは ものづくりに携わっていた人たちの独創的なアイデアと情熱が感じられるそう。自ら時計の修理を行う技術を 時計店に教えてもらったり インターネットや書籍で調べたりして習得。修理のため 今はないねじなどの部品も集め それもコレクションに。動き出したときの喜びは格別といいます。
それまで グッズを家にしまっていた山田さんですが18年前 そば屋を開業したことをきっかけに 店内で展示をすることを思いつきました。すると お客さんにも大好評。
時代は変わっても 自分たちの暮らしと共にあったものを大切に思う気持ちを忘れたくないと感じています。

(北原)山田さんも僕も集めているもの 消耗品が多いんですよ。使ったら もう処分していっちゃうようなものって多いじゃないですか。それを逆に修理して直したりだとか。逆に おもちゃって捨てられちゃう代名詞みたいな。誰かが保存していかないと残らない。修理までするのは 好きこそものの上手なれ ですよ。だから この歯車が次にどこ行ってんだろうとか たどっていくんですよ。それが分かると何かもっともっと興味深くなってきたり それでそれが動きだしたりするとねもう絶好調ですね。

(とよた)水石は、まず探石、次に養石。ちょっと古い石にしていかないと趣が出ないので 太陽に当てる・お水かける・雨ざらしにするとか、きれいに磨いて手脂でめでる。そうすると自然なてかりが出てくる。何年かするとちょっと味わい深い石になる。

ミュージアムグッズ を集め 書籍出版 博物館経営の勉強始める

大澤夏美さんは 休日は美術館や博物館などのミュージアム巡りをするのが趣味。作品から どんなグッズが作られているかを予想すること。
都内中央区にあるアーティゾン美術館に展示されてあった ヴァシリー・カンディンスキー 《自らが輝く》 という抽象画を見て「Tシャツやバッグ ファッショングッズと予想しました。もっと身近に 手軽にアートを取り入れたいという 願望に応えてくれる ミュージアムグッズです。

暮らしているのは北海道 札幌。自宅には たくさんのグッズがあるということで見せて頂くことに。
マグカップは青森県にある小牧野遺跡のもので、ストーンサークルがシリコン製の蓋になってます。どんなふうに出土品が発掘されたのか側面に描かれてる。
伊丹市昆虫館で販売されていたバックは、さなぎから羽化した蝶のように 広げると レースっぽい何か軽い素材で透け感がかなりあります。
東京国立博物館 にあったマスキングテープは 絵師の尾形光琳が描いた着物の柄の秋の草花をモチーフにしたもの。刀剣のマスキングテープ も。
大学で博物館学を学んでいた大澤さん、ミュージアムグッズは研究の一環として集めていましたが就職したのはIT企業。10年近くかけて集めたグッズは2000点ほどに。部屋に全て出しておけないため種類ごとに分類し 大切に保管しています。
ミュージアムグッズ好きが高じて これまで3冊の本を出版。グッズの魅力や楽しみ方を紹介しています。大澤さんが グッズの面白さに引き込まれるのは 地域性や学芸員の思いに触れられるからだといいます。例えば 古代オリエント博物館(東京)で買った手ぬぐい。よく見ると ヒトコブラクダフタコブラクダ 地域によって ちゃんと考証してるというところがさすがだなと思って。
福岡市美術館福かぶり猫。福をかぶるという縁起物で 画家 藤田嗣治の絵に描かれた猫をモチーフに 博多人形の職人が制作した美術作品と伝統工芸がコラボレーションしたもの。
グッズを集める中で去年 大澤さんは大学院で博物館経営の研究を再開したのです。

(賀来)博物館経営の勉強までしちゃうことに広がるっていうのが…。
(北原)最初は美術館 博物館 行って ミュージアムグッズだとかを買ってくるわけですよね。でも それが集まってくると 誰が作ったんだろう? どういう意図で作ったんだろう?って調べていくと また面白い。 また集める。だから集める 調べる 集める 調べるが学問になっていくんですよ。

サンフランシスコ ロス ニューヨーク フロリダ それから中国のシンセン 香港でコレクション展を海外でやってる。そうすると そこで またいろんな方と出会ったり。もう憧れて憧れたビートルズですよね。ポール・マッカートニーおもちゃのコレクターで 日本に来た時に食事を2回も招待してくれてた。

(芳賀)羨ましいなって本当に思ったんですけど北原さん これ何から始めたらいいとか?
(北原)どんな大コレクターも最初は一つから始まりますから。あと よく言うんだけど100 苦しみがあるわけですよ。手に入れるためには対価として どうしてもお金が要るわけじゃないですか。あと保管場所も要るわけですよ。だから 100苦しみがあるんだけど 101 喜びがあるんです。
だから喜びが紙一重で勝ってるから続けられるんじゃないかなって。
僕の場合 博物館とかギャラリーとか やってますから そこで見た人たちが「これ すっごい懐かしい」とか、おもちゃを作った方たち職人の方たちが「まさか自分が作ったものが こうやって置いてあるとは思わなかった。子どもに出会ったような気がする」だとかね。

(とよた)水石の趣味の方って 私よりも年齢が上の方も多いんですけど 石を通して会話すると ふだん きっとお話をあんまりしないかなという年齢の方とかも すごく仲よくなって。仲間意識というか そういうのも出会いも すごく広がりますし。石に興味を持つと 地層・地球の成り立ち、歴史へと広がっていく。そういった意味も どんどん勉強していくとか 広がりはあります。
(賀来)皆様の情熱で いろんなことを学べて やっぱりコレクションのウキウキは大事だなと思って。

▽まとめ&感想

私も 情熱を注げるコレクションが羨ましいです。石を磨いていた話を聞いて 私が小学生のころ ひいじいちゃんが 石を磨いていたのを思い出しました。あの石 普通の石に紛れてしまったでしょうぬ。