あしたも晴れ!人生レシピ「認知症“その人”らしく生きる」▽こんな話

Eテレ 2021.6.18
世田谷の男性 周囲のサポートで 自由に暮らしたいと 一人暮らしを続けています。
城戸真亜子さん 義母の介護の絵日記 きちんとした手仕事を褒め、感謝
自治体の認知症に対する新たな取り組み
上田の特別養護老人ホーム 「私の姿と気持ちシート」で認知症の人の声を聴き きめ細かく対応
地域のセミナー で痴呆症になっても 自分らしく生きる
認知症への備え 物忘れの不安を軽減を目指すメモリートレーニング


【ゲスト】城戸真亜子,【講師】精神科医・東京都立松沢病院名誉院長 齋藤正彦
【司会】賀来千香子,小澤康喬【語り】堀内賢雄

認知症とどう向き合っていくか

認知症があってもなくても より自然な社会になればいい
コロナ渦の中オンラインで行われているこの会合、 悩みや不安を打ち明けているのは認知症の人たちです。

一般社団法人が主催する オンライン平塚カフェ には 認知症当事者 家族 医師 介護関係者など多い時には 80人が参加します。
以前は対面で集まっていましたが 今は このオンラインでの語らいが こもりがちな 認知症の人たちの支えになっています。

認知症当事者は「安心して話をできる気を使うっていうところがない 時空間になっている」
「結構言いたいことを言わせてもらえる場所になっている」

認知症と診断された後も、自分らしく生きていく。
超高齢者社会で人事でない 認知症とどう向き合っていくのか伝えます。

ゲストの 城戸真亜子さんです。
城戸さんは認知症になった夫の母を13年間介護した後 4年前に看取っています
この体験を絵日記として「記憶をつなぐラブレター 母と私の介護絵日記」を出版していらっしゃいます。

(城戸さん)認知症の人がそれまで 当たり前にできたことが出来なくなってしまうので 周りがびっくりしちゃうんですが、その人らしさが 失われるわけではないんですよね。
うちの母なんかもずっと頼りになる人であり続けたし、本当に 思いやりの気持ちも 感謝の気持ちも決して失われないんです。このことは伝えたいと思います。

もう一人 精神科医・東京都立松沢病院名誉院長 齋藤正彦さんです。
記憶力 判断力の低下は、その人らしさとは 対照的なイメージを抱きがちなんですが、記憶障害 特に新しいこと覚える 今言われたことを覚えていないというような症状は一般的に出てくる症状なんです。
これは人によっては 本当に厳しい症状なんですけど、そのことは その人がその人らしさを奪ってしまうわけではない 。一人の人としてこれまで 個性の続きを生きているわけで、物忘れがあってもちゃんと生活ができる方もいらっしゃるし、一人で生活できなくても家族のサポートがあれば家庭の中で生活できる方もがいらっしゃる。

世田谷の男性 周囲のサポートで 自由に暮らしたいと 一人暮らし継続

東京世田谷の 6年前に認知症と診断された 81歳の男性 長谷部康司さん、周囲のサポートを受けながら自らの希望である一人暮らしも続けていらっしゃいます。

老人として自立したいと思っていて、生活は 自分のことは自分でやるを 自分のモットー、自分の生きる柱にしている。
毎朝ホームヘルパーが見守りにやってきます。
「薬を飲んだかどうかは 忘れることがあるため ヘルパーにチェックお願いしています」

サポートの中心となっているのは次女の工藤幸子さんで、長谷部さんを近所に呼び寄せ 週2回は様子を見に来てます。
父は痴呆になっても、老人になっても自立して一人で生きる。
裏を返せば干渉されたくない、縛られたくない。自由に暮らしたい。
ここは手助けしましょう これは父にやってちょうだいねという形で 父親の意見を尊重する形でプランを立てたと言います。

食事は、火は使わないようにして 自分では作っていません。
幸子さんからヘルパーへ伝言、ヘルパーさんに 食事を作ってもらう時だけ ガスのロックを外してもらうようお願いしています 。
ヘルパーから長谷部さんへの伝言、洗濯物が入ったままなので干してください。
洗濯は長谷部さん本人が行っていますが、この日は 洗濯機を回したものを 干すのを忘れていました。

ヘルパーに頼らず 自分で できることはしたいというのが 長谷部さんののぞみです。
担当するケアマネージャー鈴井 章子さん 
「長谷部さんは今の自分でいいんだ、ここから成長しようとおっしゃった。本人の自己肯定が一番であった」

64歳まで仕事に打ち込んできた長谷部さん、大手小売企業の子会社社長も務めたこともあります。
「社長までやれたということは 今生きていく糧になっています。その仕事をやってきた という責任と自信とありましたから 老人になって自立したいという気持ちは強かったです」

今も服装はビジネスさながらの こういった格好が好きなんです。周りのサポートを受けながら一人暮らしを続ける長谷部さん、しかし6年前に認知症と診断された時は今の生活は想像も出来ませんでした。

娘さんは 本人が認知症だということを認めなくて 大変でした。
認知症になってしまっていることを認識するのが嫌だった。認知症だと言われるとイライラするんです。
父親に一度訴えられそうになり 警察に言われそうにもなりました。
私が実印とかお金とか盗んだと 弁護士さんに訴えて…。

父親が現状を受け入れ親子関係が保てるように、幸子さんはノートに生活を記録してもらうことにしました。父親が会社員時代 手帳にびっしりと予定を書き込んでいたことから 思いついたアイデアでした。

その日のことをノートに書いてもらい 前日 前々日のことを見直すと、自分が覚えていないことを 本人が自分の字で納得できるということが大きかったと思います。

そこから少しずつ自分は忘れるんだなということ本人が認識するようになって 、次第に長谷部さんは幸子さんを信じてサポートを受けるようになっていきました
お金をなくしたことがあるんですよ 何度か?
俺はお金を持っていてはダメなんだと 自分で言い聞かせて、年金を娘に管理してもらって週2回ぐらい来てくれるので財布を見てお金を足してもらって、お金の心配がなくなって 精神的に楽になった。

最近感謝の言葉が聴かれるようになりました
一人暮らしを満喫する 長谷部さん。好きなカラオケを心ゆくまで楽しんでいます。
手帳には持ち歌と点数の記録され、体の調子の一つの目安にしている。100点なんか出たら嬉しいですよ 

(城戸)いいですよね、なんか人生楽しんでいらっしゃる。
(賀来)自分のだったら考えたら 火の元が心配で 一人暮らしはちょっととか 本人の想い・尊厳よりも自中心に考えそうです。
(齋藤院長)印象的だったのは老人として自立したいんだとおっしゃっていたことで、娘さんが近所にいらして きちんと適切なケアされて しかもお父さんに自立心があった。
ほんの少しのケアで 自分のプライドを守った生活ができるようになったので、能力が低下せず そのまま暮らしてらっしゃると思います。
認知症と診断されて ここまでできる方は少ないと思います。
生活ノート 娘さんは上手にやっておられるが、あれも 扱い方が違えば 喧嘩の元というか…

城戸真亜子さん 義母の介護の絵日記 きちんとした手仕事を褒める

(小澤) 城戸さんはお母さんを介護されてる時に絵日記をつけていらっしゃって、それを見せていらっしゃった。
(城戸)それがその日記で 、 1日分はそんなに多くないんですけど その日 あったこととか、後は褒めること いっぱい書いて、座るところに置いとくと、絵を見て あらこれは私かなと見てくれて、褒めてあったり 尊敬してると書いてあるから なんか ちょっと しゃんとして、ニコニコしてお菓子あるから食べていかないと声をかけてくれたり 母の安心の支えの1つになった と後から考えると思います。

(小澤)書かれた「記憶をつなぐラブレター」拝見したんですけど母の手仕事というエピソードがあって
お母さんに洗濯物をたたんでもらう役割をしてもらうことにした。
するとアイロンをかけたようにきちんとたたまれるということで長年培われた その人らしさというのは失われないものなんだかなと感じました。

(城戸)認知症になってウチに一緒にいる母は、迷惑なんじゃないかしらと遠慮しがちになる。 ちょっとしたことを 母に手仕事を与えると、それが私の役目というように張り切ってくれました。

(齋藤院長)絵日記の意味、城戸さん自身が 客観視できる。お礼を言い忘れても書いとけば 照れくさくなくいえる。絵日記は コミュニケーションの道具だったし、自分自身の気持ちをまとめることが出来た。

(城戸)老いの姿を見せてくれてるということが この人の大きな役割、恥ずかしいだろうな排泄の事だってありますし 一人の人生だということを言葉ではなく姿で表し、 自分にも心構えができました。

認知症に対する新たな取り組み

世田谷区でも認知症に対する新たな取り組みが始まっています。
去年10月施行された 「世田谷区認知症と共に生きる希望条例
世田谷区保坂展人区長本人の誇りとかプライドを最大限に尊重し、そのことを理解した 次の世代若者子供がいる地域にしたいと思います」

条例を作るにあたって 認知症当事者の意見も参考にしました。一人暮らしを楽しむ長谷部さんもその一人です。
取り組みの一つが「私の希望ファイル」
認知症なる前から自分の思いや 希望 意思を繰り返し書いておき それを実践するというものです。
区長「新しい認知症との付き合い方になるんではないかと思ってます」

世田谷区以外でも 認知症への取り組みが 全国に広がっています。
主立ったもの、京都府では 行政が事務局となり 小売り 運輸 金融など 連携して認知症の人と共に生きる社会をめざす。
和歌山県 御坊市 認知症の人に になってもらう役割を条例に盛り込んでいます。
愛知県大府市神戸市のように見守りサービスの整理や認知症の人が外出時に事故起こし賠償責任を負う場合に備えて 自治体が費用を負担して保険医加入していく取り組みもあります。

(齋藤院長) 一番大事なのは、認知症・認知症と言わないこと
九十歳になれば半分が認知症になってしまい、どちらが正常だかわからない。
加齢変化と見るほうが自然です。
認知症60代50代で認知症の方もいる。7・80でも本当に進行して いろんなことがわからなくなる 病的なものもある。そういうものに対しては医学的なアセスメントが必要だし、進行が早いですから 専門医療というのは なければならない。

上田の特別養護老人ホーム 「私の姿と気持ちシート」で認知症の人の声を聴き

長野県上田市の特別養護老人ホームローマンうえだ(2019年撮影)
入居者は90人ほど その多くは認知症のため 意思表示がうまくできない人も少なくありません。
それでも この施設では本人の声を聞くことを 大切にしています。
最後の時をどこで過ごしたい(施設・病院・自宅)か聞いた時の様子を施設が記録していました。

(前施設長 櫻井さん) 解からない人と決めつけても 無理なんだからと家族に伺うとか 周りのみんなで決めてしまうのではなく、ご本人に聞くという事を外してはいけないと思っています。

鍵を握るのが「私の姿と気持ちシート」
本人の発言やスタッフが気づいたことを記録したものです。
例えば「早く早くこっちに来て」という本人の言葉は、こう解釈しました。「自分でも分からないが不安がある」
「おりこうさんにしている」を「以前いた施設で拘束された体験から出ているのではないか」と解釈して、
そこで隣に座ってゆっくり話を聞くケアにして 次第に穏やかに暮らすようになりました。

シートを生かしてその人らしさを取り戻した人がいます。
(2015年撮影 施設による記録です)
何かしようとするとバカヤローと叫ぶこの男性、シートを活用したカンファレンスで注目したのはかつて小学校の先生をしていたこと
「先生と言ったら ニコニコする。やさしい口調になったんですよ」
そこで かつて勤めていた小学校を訪れ 話を聞くことにしました。
「先生は豊殿小学校務めていたことあるの」と話しかけると 穏やかな顔に。

施設長 六川さん
「認知症になって ご自分の事が どうしていいか わからなかったり という不安のある中で、利用者さんの大切な思い出や エピソードを話の中に取り入れたり することで この人は私のことをわかってくれていると 安心する。安心感を与える」

地域のセミナー で痴呆症になっても 自分らしく

施設が中心となって開いた 「安心の地域づくりセミナー」、地域の人が高齢者福祉や認知症について学ぶ。
「たとえ認知症になっても 自分らしく生きられる。怖いものではない」と 心構えを伝えました。

(2013年撮影)
地域セミナーを受講した 春原治子さん
認知症への関心が高かったといいます。
「セミナーを受講したことを活かして活動しないと学んだことにならない」といっていた春原さん、しかし数年後 春原さんにもその時がやってきました。
2018年74歳で認知症と診断されたのです。
春原さんに付き添い 病院を訪れた 桜井さんです。
施設で本人の意思を聞き取り セミナー活動にも熱心に取り組んできた人物です。

(桜井さん)認知症と診断されたとき、春原さんは「よし受け止めた」とおっしゃった。
「認知症になったら公表しようと決めていたので これまでと変わりなくやるからお願いね」と言われました。
それ以来春原さんは、当事者ならではの思いや セミナーで学んだことを 講演などで語ってきました。
そして今 春原さんは息子夫婦のサポートを受けて一人暮らしをしています。
春原さんの 今年の目標を 令和3年1月1日に書いたもの 「認知症であっても私は私 今できることを楽しみ 元気に生きる 私は私」
その前の年に 出来たことが だんだんできなくなって きているので、人と比べない 人ができたことを 自分ができないことが たくさんありますけど、その人は その人で 私は今できることを頑張って楽しんでやろうという気持ちです。

春原さんは地元の仲間の人と ともに認知症の人が暮らしやすい 地域づくりを進めています。
「みんなが 理解していただける 地域づくりをしていることで 本当に安心して生活できてるし、自分が困ってると言える間柄、私自身も私でいられる」

仲間の一人は「認知症の予備知識とか供えは勉強できるけど、こういう環境がないと。認知症の症状を進めさせないのは自分の努力もあるけど 地域と渦家庭の支えが必要」

地域の人達の理解が今を生きる 大きな支えになっています。

(賀来)「私は私」って スゴイ力強い言葉で さっきの施設の 「本人に聴く」って言う言葉。
(城戸)学校の先生だったのに やっぱり何もできないと 見られるのが嫌だったんで 傷ついていたんじゃないかと思いますね。

(齋藤院長)カヤローも含めて、あの人の言葉なので、カヤローをなんとかかわすじゃなくて 聞くと動揺するが、カヤローも含めて聞くということなので 丸イスを置いといて 看護婦さんが話を聞くときは それを持って行って患者さんの前に座れと。
そうしたら みんなよくやってくれた。そうすると こちらが いいことを言ってもらおうと思わなくても
、あの人がどなっていること あの人が泣いていること の意味が なんとなく分かってくる。
めんどくさいから逃げることしないで 嫌な言葉にも頑張って受け止めると コミュニケーションの始まりだと思います。

(城戸)私はどうなっていくか 怖いという気持ちがあったんですけど、一緒に暮らして本人が不安にならないように 先回り先回りしてケアしていくと 本当に普通に過ごせる時期が長いんですよ。
みんなが認知症のことを もっと知ってくれれば 子供さんとかも含めて、そうすれば一人歩きしていても ちょっと声かければ 誰かが迎えに来る みたいな そういう社会になると思うし、とにかく みんな年をとるんですから 自分はならないと思わずに。その時 気持ちよく過ごせる社会を作っていければいいですね。

認知症への備え 物忘れの不安を軽減を目指すメモリートレーニング

続いては認知症への備え
認知症の手前の状態としてMCI 軽度認知障害があります。
この段階で対策をすれば進行を 遅らせることができるとも言われます。

(齋藤院長)元々は認知症になる前に 危ない人を見つけ出してその人に薬を飲ませれば 認知症にならないのではないか というニーズから生まれた概念なんです。
一般的には生活がちゃんとできているが 認知機能の どっかの部分に欠陥がある。

例えば記憶障害は ひどいけれども そのことを自覚して 自分で暮らせる。
だから認知症とは言えない人を MCIと今はいっています。

青い丸が正常な人の人口と能力で 60~90代 だんだん小さく下がってくる。
認知症の人の赤い丸を見てみると 60代は正常と認知症は分かれているが70代80代90代となるにつれてその両方が重なってきます。
MCIはその間にある概念です。そこから能力が下がって認知症という病気になってしまう方もいらっしゃる 一方で、ある時点で検査の時点では悪かったけど2.3年経ってみたら正常のお年寄りの能力が下がってきたから正常の中に飲み込まれてしてしまうという方もいらっしゃる。ただ生活するのに なかなか皆さん問題を抱えていらっしゃったり それから何より不安なんです。
不安に対してリハビリテーションすることが必要です。

東京世田谷の東京都立松沢病院で MCI の人を対象に3年前から続く試み 週に一回1時間のメモリートレーニングです。
まずは司会の指示で行う後出しじゃんけん
参加しているのは70代から80代の MCI の人達です。
簡単な 計算。
言葉の反対の動きをするエクササイズ。

メモリートレーニングを指導してきたのは 心理学が専門の松田修さん(上智大学教授)
認知機能の維持だけでなく 参加者の不安を軽減する 集団精神療法も加味しているといいます
「物忘れに対して不安とか ご自分は大丈夫なんだろうかと言う すごく そこら辺に対して皆さんセンシティブでいらっしゃるので 物忘れそのものよりも 物忘れに伴う不安を軽減することを意図しています。

このエクササイズの狙いは相手のことを 思いめぐらすとともに 人とのつながりを深めてもらうことです。
「関口さんといえば?」「始まる前にギリギリに来る人」
「主人が寝ているものですからギリギリまでついています」

「鴨田さんはどうでしょうか?」「鴨田さんといえば奥さんに優しいんじゃないかな」
「ちょっと反応していいですか、奥様は強いからね 僕はじっとしているのですよ」
「楽しいです皆さんの顔を見るのが」
「コロナで年寄りは出るなと言いますが、だけど一週間に1回の会議だけに元気を出して出てきます」
「皆さんと一緒に、集まっていろんな話をするということは、効果があるなしに 関わらず楽しいですね」

(賀来)いい場 素敵な場という 感じがして本当に楽しいってことが尊いと 感じられました。

(齋藤院長)健康に幸福に暮らしてもらうということが一番の薬。不安になるからいろんな問題が起こってくる。その不安を先回りして、支えていけば 今の生活を維持するということに 役に立っていると思います。

(城戸) 自分がその年になって そういうふうになってきても、なんか大丈夫そうというふうに 何か希望が持てるように思いましたね。だってね 私たちを育ててくれて こういう平和な世界を作ってくれた。それなのに ちょっと何かできないだけで 何か低く見られたりとか、こんな老後なんて ちょっと悲しすぎますよね。そのためにも研究が進んで こういう意識が変わってきて 一緒に幸せを皆が求められるというそういう社会になっていくことを 応援したいと思うし、できることがあったら やっていきたいと思います 。

▽まとめ&感想

世田谷の男性 周囲のサポートで 自由に暮らしたいと 一人暮らしを続けています。
城戸真亜子さん 義母の介護の絵日記 きちんとした手仕事を褒め、感謝
自治体の認知症に対する新たな取り組み
上田の特別養護老人ホーム 「私の姿と気持ちシート」で認知症の人の声を聴き きめ細かく対応
地域のセミナー で痴呆症になっても 自分らしく生きる
認知症への備え 物忘れの不安を軽減を目指すメモリートレーニング

私は 実父母 養父母 みんな亡くなってしまいました。
その時は 仕事があったりで 今思えば もっと何か出来たんだろうと思います。
今は 私自身が 認知症に向かい合う 歳になってしまいました。皆で集まれば 物忘れの話の競争をしているみたいです。 私は どうも閉め忘れが多く 危険だなと思っています。
こういった 話 聞けてありがたいです。