あしたも晴れ!人生レシピ「 病と向きあう その先へ 」▽堀ちえみ こんな話

Eテレ 10月23日(金)午後 8時00分~ 午後8時45分
【【ゲスト】堀ちえみ【講師】【精神腫瘍科医師】清水研
【司会】賀来千香子,小澤康喬【語り】堀内賢雄

歌手の堀ちえみさんは、昨年、進行した舌がんと診断され、舌を6割切除するという大手術を受けた。言葉をうまく発せない、ものが食べられない、さまざまな痛み苦しみを体験、絶望感に襲われたことも。そこで立ち上がる原動力となったものとは?進行性の難病、ALSを患う医師にもインタビュー。どのように生きる希望を見出したのか。重い病になったとき、人はどのような心の変化をたどるのか。向き合うためのヒントを学ぶ。

出典:NHK HP

去年 舌がんで舌の6割を切除した 歌手の堀ちえみ

病というのは 多くの方が、体験しますけれども その時 どう向き合うのか考えていきます。
病が重ければ重いほど、その病名を受け入れることが、本当に大変なんじゃないかと思います。

ゲストの堀ちえみさんです。
堀さんは がんの手術を経て、復帰されました。
前向きに頑張っていこうと冷静に受け止めて、そう思える時もあれば また 再発するんではないかっていう不安と、あと今後 自分が どう社会で 生きていくんだろうっていう 居場所のなさを感じたりとか、
本当に紆余曲折しながら、今 あります。

2018年6月 病の兆候は、側の舌の裏に 白いできものが できていたのです。
口内炎だと 医師に診断されていた堀さん。
しかし その痛みは ひどくなっていく一方でした。

半年が過ぎた頃 耐え難い痛みに、襲われるようになり、堀さんは夜中 パソコンで 自分の症状を
調べます。

口内炎 治らない」で検索すると 舌がんの人の写真がたくさん出てきて、その写真は 私の症状と同じで、その上 写真には亡くなったことが書いてあり、衝撃を受け 眠れなかった。

大学病院で診察を受けると、舌の腫瘍は「悪性」と告げられます。
進行した 舌がんだったのです。
堀さんは 実は これまでに、さまざまな病と闘ってきました。
突発性重症急性膵炎、突発性大腿骨頭壊死症、関節生リューマチ、神経障害性疼痛
そのつど耐えてきたうえに この告知、もう手術を受けようとは、思えなかったといいます。

これ以上、ぶつけられない悲しみ、これ以上痛いことを 経験したくないので、自分の人生 これ以上
何かをして、延命しなくともいいかな。

手術を拒否しようとしていた堀さんを、思いとどまらせたのは次女の言葉でした。
生きて欲しい」と言われ、自分の命は 自分のものだけではないと、気付かされた堀さん。
家族のために手術を受けようと、決意します。 手術は11時間にも及ぶ大手術でした。
がん細胞が広がっていた、舌の6割近くを切除。
太ももの皮膚や皮下組織を切除し 舌に移植。
縮むことを想定し、通常よりも大きな舌が作られました。

鏡を見て、自分の腫れ上がった顔と、舌が 大きな肉の塊がパンと入った状態、口が閉じないので、開いたまま舌がポンと出ていた。命を助けてもらえたけど、なんで生きてしまった。生きなかった方がよかったと思ってしまった。

そんな沈んだ気持ちを変えてくれたのは、主治医の ある言葉でした。
見ている方に勇気を与えるお仕事だから、復帰を目指し頑張ってください。
我々には「勇気を与えたり、励みになったりは出来ないですから」

こうして少しずつ前を向けるようになった、堀さん。
食べ物を飲み込む嚥下訓練や、発声練習も懸命に取り組みます。

しかし退院の望みが出てきた堀さんに、さらに悲劇が襲います。
食道がんが見つかったのです。
この食道がんの手術も 家族に支えられながら乗り越えました。

本当に つらい時は無理に前向きにならず、心に 感情に蓋をしない

がん患者の心のケアが専門の医師 清水 研さんです。

がん告知のような 大きなショックを受けた時の反応です。
その直後は大きな落ち込みを経験します。
その後 2週間ほどかけて日常に戻っていくケースもあれば 適応障害や うつ病を発症する場合も
あります。
そういう耐え難いことがあったことのあとは、きちんと落ち込んだ方がいい とが言われてるんですね。
怒りや悲しみというような ネガティブな 感情が すごく大切な役割を果たすんです。
心の傷を癒やしてくれるという力が、あります。
なので本当に つらいなと思う時は無理に前向きにされようとせずに、心に 感情に蓋をしないということは、すごく大切なんじゃないかなと思います。

食道がんの方の告知を受けた時の、ショックの方が とても大きくて
主人に「また がんだね」って 私が言ったら、ラッキーだよ 舌がんがなければ 食道ガン見つかってなかった
「前向きにって言われてももう耐えられない」ってワーンって泣いたんですね。
「がんに なったことがないから あなたは 私の気持ちが 分からないんでしょ」と言ってしまったら はっきり「分かんないよ」と。「でも君は がん患者の家族の気持ちが 分からないでしょ」って言われた時に
理解できてなかった部分っていうのが、お互いの立場で吐き出すことによって、たまっていたものが スッとこう何か 体から流れ出したような 気持ちになって理解できるようになった。

ALSのDr 太田 無料医療相談・生きていること そのものが人の役に立てる

千葉県に暮らす太田守武さん 49歳です。
9年前、筋萎縮性側索硬化症 ALS、体を動かす機能が 徐々に失われる難病です。
呼吸が苦しくなったた 2年前に気管を切開 人工呼吸器を装着しています。
コミュニケーションは唯一動かせる 眼球を使って行います。
例えば 「と」という言葉を表現する時は、黒目を左上側に寄せ 「た行」を選びます。
次に母音を選びます。
一度 中央に黒目を戻してから、反時計回りに動かして 最後に「お」の位置に戻します。
これで やっと「と」というひと言が生まれます。
実は これ 太田さんが3か月かけ考え出したもの。
妻の友香利さんは その言葉をつなぎ合わせ 意思の疎通をしているのです。

太田さんは訪問診療を行う医師でした。
人の役に立ちたいという思いを持ち 充実した毎日を送っていたといいます。
異変を感じたのは9年前。東日本大震災のボランティアに行った時、右足に違和感を感じ その後 左足にも徐々に力が入らなくなってきました。

まさかと思い 病院に行くと、告げられた病名は「ALS」


初めは 誤診だと 受け入れませんでした。でも手の動きも落ち、聴診器がもてなくなり、ALSだと確信して、家に閉じこもりました。尊厳が失われていくことは 受けがたいことでした。

人のためになることばかりを考えて、生きてきたのに、その自分が人の世話になるというつらい現実。
当時 息子は2歳。看護師の妻・友香利さんも ショックで泣き崩れました。

徐々に動かなくなっていく体。
絶望感に拍車をかけたのは 自力で排せつできなくなったことでした。

なかなか 受け止めらず、生と死の綱引きをしていた。妻や息子に迷惑をかけたくなかった。まだ手が動きましたから 電動車椅子で、走る車に飛び込もうと思いました。

妻の友香利さんは その思いには、気付かなかったといいます。
そんな太田さんが希望を取り戻す、きっかけとなったのは、医療スタッフに半ば強引にある講演会に連れ出されたことでした。
同じALSの女性が人前で病のことを伝えていたのです。
その後 太田さんも周りから 講演会に出てみないかと声をかけられます。

太田先生は医者でALSですから 先生にしかいえないことがある と言われ 多くの人が 涙を流してくれて励ましてくれたことで生きるのも悪くないと思いました。

できなくなったことに、目を向けるのではなく まだ失われていないものがある
そう思えるようになってから 少しずつ 生きる意欲を取り戻し始めたのです。

患者の立場に立ったからこそ、できることがあると 3年前には 訪問介護事業のNPOを設立
患者が自宅で暮らせるようにサポートしたいと考えたのです。

Dr 太田のよろず相談室。無料医療相談を開催。
重い病に苦しむ人からの悩みにも こたえています。
無料医療相談では 患者さんにわがままになってください と言います。
みんな我慢しているので、制度も整い自由なんだと伝え、生きる希望を持てるよう手助けしています。

しかし病と共に生きる中で 心が揺れ動くこともあります。
2年前 気管切開をする時は 迷いが生じたという太田さん。
この病気では人工呼吸器をつけないという 選択をする患者も多いのが実情です。

それまでは生きたいから つけると話をしていたが、急にもう手術はしない 呼吸器はつけない そっとしておいてくれ と言われ た。

太田さんは葛藤を抱えながらも、人工呼吸器をつけ、生きることを選択しました。
そして今 生きていて本当によかったと、思えることがあります。

それは8歳になる 陸斗くんの成長を見守ること。
息子には市を考えているとき 顔も合わせなかった。でも仲間達が キャチボールをしてくれる。送球している動画を見て、息子の成長を感じられるし、息子が野球したいと言ってくれるとうれしい 、妻とそういう話しをしているときが一番幸せ。

太田さんは福祉の分野以外にも、そう願う太田さん。
眼球しか動かせなくなった今の状況の中で その思いを伺いました。

生きていること そのものが人の役に立てるんです。
事業所の ヘルパーにも「太田さんはこんなに頑張っているのに、自分は何を やっているんだろうと思う」と言われた。生きようとする姿は、すべての人に 勇気と希望を与えます。私はもう笑うことは出来ません。でも みんながいうんですよ「太田さんが笑っている。」みんなの心に私の笑顔があります。お互いに支え合っているからこそ、笑顔の花が咲くんですよ。


病気を受け入れることは、そう簡単ではないかもしれません。自分との戦いです。ブライドもあるし、尊厳を保ちたいのは 当たり前ですから、人に介護されても 自分が役に立てると言う気持ちをしっかり持てば、前を向けます。

生きているだけで役に立ってるんだ というね 言葉に たどりつかれるまでに どれだけの葛藤があったのかということは 本当に想像が及ばないですね。

迷惑をかけたくない:困った時は お互いさま 遠慮なく今は頼って

家族に迷惑をかけてはいけない それが 特に病気になった時は、自分自身を苦しめてしまうことに、つながると思うんですね。
何かができるから 自分はいいんだ という条件付きではなくて、自己肯定感って言いますが、どんな自分であっても自分は自分でいいんだとか あるがままの自分を肯定できることが大切と思います。

これは ちょっと私の希望なんですけど、是非 申し訳ないと思わないで下さいと。
今 介護を受けてる方が 肩身が狭かったら、私が介護を受ける時に やっぱり肩身を狭くしなきゃ
いけないじゃないですか。
だから私たちのためにも堂々としていて下さい
っていうふうに是非 言いたいです。

困った時は お互いさまで いいじゃないですかと。 遠慮なく 今は頼って下さいよと。
安心して 人に頼って大丈夫だよっていう そういう雰囲気が できていくと、簡単ではないかもしれないですけど、もっと世の中が温かくなるんじゃないかなと思います。

堀さん どう ご覧になりましたか?
本当に気持ちが よく分かる部分がたくさんあって、最初は やっぱり こういうしゃべり方だと
何かをお店に入って 注文する時にも 伝わらなかったら申し訳ないとか、後ろでレジとかで並んでる方がいたら 順番待ってる人がいるのに モタモタしてしまうと、迷惑かけてるなって思った時に、自分の存在を否定してしまう。

世の中の迷惑な人間なんだと思うとやりきれなくなってしまう。
自分自身が、迷惑をかけている存在だということに、目を向けると 悲しくなる。


障害を持ってしまうと、何か恥ずかしいっていう気持ちとか、人に見られたくないっていう気持ちとか
何か そういう思いがあるうちは まだまだ未熟なんだなと思って。 堂々と生きれるようになったときに、はじめて前を向けるようになったときがチャンスだと私は思います。

堀さんですけれども 今は リハビリに 一生懸命 取り組む日々だということです。

生きる支え:キャンサーギフト 生きているだけで幸せ

堀さんは今 ボイストレーニングと歌の練習に励んでいます。
「もう一度 歌いたい」それを今の目標にしたのです。

前の自分と比較するから 悲しくなって行くし 昔に執着 自分の心にが執着することもない。
昔の私は昔」って、捨てて 先を見ていく 自分を否定したり、悲観したり、自分を認めないじゃなくて、まずは自分を愛して、認めてこんな自分でも、やはり自分を肯定して、認めてあげないといけない。

そして堀さんの支えとなっているものが ブログです。 hori-day

もう、1回うたが聞きたい、負けるな そういう言葉を一杯いただいて ガンサバイバーの方々がくださった言葉の中に キャンサーギフト と言う言葉があって、「がんがくれた ギフト プレゼントと言うものが、乗り越えた先には、必ず見つかるはずです。」だから、頑張って 乗り越えてください って。

堀さんは、小さな命にも敏感になったといいます。
入院中 枯れてしまい ごみの日に 捨てようと思っていた オリーブの木。
水をあげ続けていると、再び緑の葉をつけ始めたのです。
終わったように思えた命が また輝きだす。まるで自分のことのように思えたと いいます。

退院したときに 人生観が変わっていた。生きているだけで幸せというか、耳から聞こえる風の音 鳥の声  雨の音 前と全然違って すべてがすばらしいと感じられる 感性と体に変わっていたということが 、キャンサーギフト だったんだ。
毎日 一日一日を大切にしながら、過ごせるようになったというのはちょと得した

ご自分自身では どんな変化を一番 強く感じてらっしゃるんですか?

もう 朝 起きた時に、まず空を見るんですけど 今までは「あ~ 雨だ。 嫌だな」とか「あ~ もう暑いな 今日は」とか、いつも何か 文句じゃないですけど マイナスな方からスタートしていたのが、ぱっと開けて「あ~今日も生きてるから暑いんだ」とか 「あ~ 雨か」って 「じゃあ雨の日は 雨の日の過ごし方を考えよう」とか すごく 一日一日 特に一日の始まり スタートから もったいなくない生き方 とても丁寧に大事に生きていこうっていうふうに変われたことが一番の変化。
起きた時から 「あっ 生きてた。 ありがとう」って。

清水さん 堀さんのお話の中で「キャンサーギフト」という言葉が出てきました。

本当に いろんなことが、気付けたと おっしゃる方は 本当に すばらしいと思いますし 一方でキャンサーギフトというふうに 言われたくないとか 成長っていうふうに言われるのは 違和感があるというお話もたくさん聞きます。
まあ 前向きに絶対なれなくてもいいと思いますし、その方の その気持ちで病気と向き合って いかれればいいと思いますし、簡単じゃないかもしれないですけど 周りの方も その方の在り方と 向き合っていく 一緒にやっていくっていうことが大切なんじゃないかな というふうに思います。

堀さんは2022年に デビュー40周年を、迎えるんですけれども それに向かって、やっぱり歌を歌って 皆さんに、お聞かせできればいいなと、聞いて頂ければいいなと。
健康に気をつけながら一歩一歩 着実に、家族を大事にして生きていきたいなと、思います。

▽まとめ&感想

去年 舌がんで舌の6割を切除した 歌手の堀ちえみさん。
本当に つらい時は無理に前向きにならず、心に 感情に蓋をしない。
ALSのDr 太田 無料医療相談・生きていること そのものが人の役に立てる。
迷惑をかけたくない:困った時は お互いさま 遠慮なく今は頼って。
生きる支え:キャンサーギフト 生きているだけで幸せ。

病気になったとき 老いたとき、家族に迷惑をかけてはいけないと私も考えると思います。

申し訳ないと思わないで下さい。今 介護を受けてる方が 肩身が狭かったら、私が介護を受ける時に やっぱり肩身を狭くしなきゃいけないじゃないですか。
困った時は お互いさま。 遠慮なく 今は頼って下さい。

そうですよね。これからは 胸に刻んでいきたいです。