あしたも晴れ!人生レシピ “共に”生きる 支えあってつながって▽こんな話

Eテレ 2021.5.21
DV被害や貧困で 困っている女性たちの相談に乗り 自立を支援するNPO法人 くにたち夢ファーム JIKKAの人たち。イランで孤児となったサヘルさん、かつての自分のような人への取り組み 遠慮せずぶつかってくれることが嬉しいといいます。埼玉いのちの電話 切実な相談が増加、電話を聴いている内にかけ手が自分の力で上向きになってきます。

【ゲスト】サヘル・ローズ【司会】賀来千香子,小澤康喬【語り】堀内賢雄

DV被害や貧困で 困っている女性たちの相談に乗り 自立を支援するNPO法人 くにたち夢ファーム JIKKA

今回は困難な状況にある人と どうつながり 支えあうことができるのか考えていきます。

今回のゲスト サヘル・ローズさんです。
サヘルさんは芸能活動のかたわら ボランティアで 日本の児童養護施設で生活をしている子どもたちのケアだったり 退所したあとの就職を探すお手伝いしています。

こちらは6年前に オープンした 都内にあるコミュニティーカフェ (くにたち夢ファーム JIKKA)です。
立ち上げたのは遠藤良子さん 71歳で、DV被害や貧困などで 困っている女性たちの相談に乗り 自立を支援するNPO法人を運営しています。

この先 どうなるかなんてことよりも ともかく お子さんを連れて 逃げてくるのが第一の 一番最初のやることです。とりあえずは あなたの命が先だからね。あなたと お子さんの命が一番大事だから。

コロナ禍で 相談件数は多い時で1か月 120件近くと急増。外出自粛などの影響も 大きく関係して いるのではと 遠藤さんは考えています。
隠せていたことが、隠しきれなくなってくる。コロナで 家庭の中 密室の中で 起きていたことが 耐えがたくなって 煮詰まっていってぽ~んと出てくるっていう感じ。

行き場のない人たちを迎えられるよう 宿泊できる部屋も確保。
行政からの助成金や寄付金などで支援を続けています。

周りの人に言うと「何で逃げないの?」って 言われるけど、逃げてもいくところのないという人は多い。

遠藤さんは カフェスペースを設け 相談者に限らず さまざまな人が 気軽に集まることが できる場所を作っています。
お昼どきには ごはんも無料で出しているんです。スタッフも共に テーブルを囲みます。
人が生きていくためには 食べることが一番大事。自分が食べるものをおすそ分けみたいな感じでね。
ちょっと余計に作って 誰でも来た人で 食べたい人には食べて頂くということを やってるだけなんですけどね。

この場所に救われたという方がいます。 かおり(仮名)さんです。
10年以上にわたり夫に暴力を受けていました。
行政の窓口に相談したところ 遠藤さんを 紹介され 子どもと一緒に逃げてきました。

何も持たずに来ました。子供も一緒だったので どうやって食べさせていけばいいの?
どうやって生きていけばいいの? 子供にご飯を食べさせられないのは親は悲しい。ご飯を出していただけることが本当に助かっています。周りの人は 家を出ろというが、出られなくなっている理由をわかってもらえないんです。
アリジゴクのような中に入っていて 抜け出すことが出来ない私たちを 心から理解し 母のように愛を持ってして 受け入れてくれて私達にとって 本当のすくいだと思います。


NPOの宿泊施設で暮らす さちこ(仮名)さん。
数十年にわたる夫の暴力に 精神的に追い込まれうつ病にもなったといいます。

夜中に 突然水をかけられたこともあります。スリッパでスゴイ殴られて、あるときは頭が本当におかしくなったんじゃないかと 思うくらい殴られた。とっても そんな中から出られるとは思っていなかったから 今は本当に幸せです。こんな幸せな時間を自分のことで 使えるとは思っていなかった

遠藤さんが こうした支援をするのには 理由があります。
自分自身も夫から暴力を受け 逃げる場所を探した経験があるのです。
私が 何かの時にね ちょっと用があって遅く帰ったんですよね。
そしたら「どこで何やってたんだ!」って始まって
「ちょっと用があって …」
「うるさいんだ。 俺のいる時間に帰ってこなくて…」って言ったら。
「そんなこと言ったって」って口答えしたら
「この野郎!」って 出刃包丁もって 夫に追いかけられた。
こわ~ 殺されると思って。 警察へ行きました。裸足で 子供を負ぶって。「助けてください 」と言ったら「夫婦げんかでしょう」と言われた。

そんな時 友人から住み込みで働ける 仕事を紹介され 子どもと共に家を出ました。
その後 離婚が成立。さまざまな仕事をしながら子どもを育て上げました。
50代の頃 自治体が行っているDV被害者への相談の仕事を紹介され かつて自分が困っていた問題に対し支援をしたいと考えるようになったのです。

今は およそ20名のスタッフと共に 活動しています。
支援をする中で遠藤さんは一時的に保護するだけでは十分ではないと感じるようになっていきました。
孤立の問題です。

せっかくアパートを借りて暮らしはじめるけれど 夫のいる家に戻る人がいるんです。
あるいは戻ってこないとしても 行った先で 「もう遠藤さん 死にたいよ。1人で寂しい つらい」って
電話かかってきたりする。


孤立を防ぎ 人との新たな関係を 作ってもらえるよう 地域の人たちとも交流を深めることにしました。

この日は新聞紙で花のブローチを作ります。
講師を務めるのは近所に暮らす藤原田鶴子さん(92)。
こういうふうに三角の頭が来るように切っといて……

この日は かおりさんとさちこさんも参加。楽しい ひとときを過ごしました。
遠藤さんは 暴力におびえてきた女性が 安心感の中で心を開いていくことが 自立への第一歩になると感じています。
知らない人と つきあうのは大変だし それに どこまでしゃべっていいんだろうなとか 居場所が分かったら困るとかっていろいろあるから どうしても 口ごもっちゃうね
ここの中は 何 言っても大丈夫。まずは安心して しゃべれるところで しゃべったり 人とつながったりして 大丈夫だって。 私は人とつきあえる。
少しずつ外に出ていく。そういう ワンクッションが要るんですよね。


さらに自立の助けになればと去年 新たに始めたことがあります。
手芸が得意な人たちが集まりマスクやアクセサリー 小物などを制作。
出来上がった作品を インターネットで販売するというものです。
売り上げの9割は作った人に1割をNPOの活動資金にしています。

困っている女性たちをなんとか救いたいと奮闘する遠藤さん。
当事者の女性たちにとって大きな存在になっています。

何かの時は遠藤さんに電話をかけて話ができるということが一番の安心。物とかお金とか前に比べれば少ないが 何もいらないという 今生きていられることが感謝

まだ子供も私も傷つき いつになれば本当に癒されるのだろうという不安は あるけれど 自分を取り戻せるんじゃないか、いつか自分も応援する立場になりたいと思えるのではないかと この場所にいて気づかされます

こんな人生 もう嫌だって自分が 自分らしく生きていきたいと 思って 飛び出すわけだから 新しい人生のきっかけになった DVの被害をたんなる被害で終わらせずに 次の人生のステップとして 晴れ晴れとした気持ちで生きて欲しい。 確実に成長して確実に変わっていくの。それを見るのはありがたい。元気をもらいますね。

遠藤さん お優しいですね。すばらしい取り組みだなと思いました。

自分を取り戻したい」という言葉が すごい突き刺さったんですよね。
やはりDVの被害に遭ってしまうと 自分を否定される。
自分は だめなのかもしれない 自分は存在しちゃいけないのかもしれないって。
自分自身をどこかで見失ってしまっている方々にとっては 自分は ここにいていいんだ
仲間がいる。助けてくれて理解してくれる人がいる。
SOSは出すべきなんだっていうのは とても大切な いろんなメッセージが隠されているな
というふうに見て感じました。


特にですね 今 女性の置かれている状況が懸念されています。
去年は女性の自殺が増えました。コロナ禍の影響も指摘されています。
こうした女性が追い込まれる背景に何があるのか 地域福祉が専門の日本福祉大学教授の川島ゆり子さんに聞きました。

まず 外出自粛で在宅率が上昇していると。遠藤さんも おっしゃって いらっしゃったんですけれども
DVを受けている場合ですね 深刻化してしまう可能性がある。


2番目 経済的困窮と将来への不安です。飲食業や観光業で働いている割合が女性の場合は高くて非正規雇用も多いんですね。

そして 人間関係のつながりの希薄化ということで コロナ禍で 人と会いづらい状況に なったことで 孤立とか 助けが必要な状況かどうかを 周囲も把握しにくくなっている状況がある。


遠藤さんのように 同じ経験をした方が 受け入れて支援してくれること どんなふうに思われますか?

信頼できますね。 同時に きっと遠藤さん自身も こうやって皆さんと 会話をすることによって ご自身の受けてきた傷とか痛みを 癒やすってことも 片方が一方通行ではないというのが 痛みを持ってる者同士だからこそ気付けたりとか 相手の痛みが分かる。
こうされてほしかったってことが 分かるからこそ見えてくる。

イランで孤児となったサヘルさん、かつての自分のような人への取り組み ぶつかって 迷惑かけていいよ

1985年 イランで生まれたサヘルさん。
イラン・イラク戦争の困難のさなか 4歳で孤児となり 施設で育ちました
7歳の時 当時 大学生だったフローラ・ジャスミンさんに養女として引き取られました。
8歳の時 2人は来日。学校では深刻な いじめに遭いつらい体験もしてきました。
そんな中で ランドセルをくれる先生や 食べ物を分けてくれる人に 助けられてきたといいます。
暮らしは貧しかったものの じゅうたんを織る仕事などをしながら 助け合って生きてきました。
高校生から芸能活動を始めテレビや舞台など活躍の場を広げる一方 気になるのは かつての自分のような存在
母親から言われたのは たくさんの人に助けられてきたのだから今度はあなたが助ける側の人になってほしい という言葉。
今では海外の難民キャンプを訪ね 孤児として育った自分の体験を語り 子どもたちと触れ合う活動をしています。

最初 旅をした時に インドから始めたんですけど、物乞いをしてくる子どもたち もしくは貧しい人たちにお金を渡してたんですね。
それを母が見て 叱ったんです。お金は解決を何もしない。
魚を渡すのではなくて 釣りのしかたや 畑の耕し方を教え 生きていくためのレールづくりの手伝いはしなさい。
難民キャンプだったりとか バングラデシュとかでは 学校をずっと運営することをサポートさせてもらっています。

児童養護施設では、 一番は会いに行ってあげてますね。
彼ら自身も 私も そうですけど かわいそうという目で 見られてほしいわけでもなくて、ちゃんと意識を持って生きてるからこそ ここに存在してるってことを認めてもらいたい
そういう気持ちで今 私は その子たちと一緒に映画を作っていています。
施設出身の子どもたちを集めて退所した子たちなんですけど その子たちが一番 キラキラしている。
一番光る彼らを撮りたくて その映画を作ってるのが今一番の 自分の日本の活動です。


サヘルさんの この活動を後押ししてるものは 母の教えです。
私が こう 手 差し出した。私の手を握って引っ張ってくれた やはり養母のフローラの存在ってとっても大きくて。
彼女と出会って 人の瞳に 自分が映ってるって すっごく生きた気持ちになれるんですよね。
今度 私が多くの子どもたちの まだ お母さんにはなれないですけど でも兄弟 また姉妹のような存在に
なってあげたいなって思っていて。

養母が私の施設に来てくれた時に 養母は ニコッと笑って抱きしめてくれた時に3年ぶりで 誰かに抱きしめてもらって 誰かの肌の感触を感じて なんて あったかいんだろうって 思えたんです。本当に そのあともずっと会いに来てくれて。

私も残念ながら いまだに取れない多くの傷 トラウマはあります。
簡単に言うと こびりついた笑顔です。
いつの間にか 仮面みたいに 苦しい時に「笑顔」という仮面をつけて その後ろでは すっごい泣いてる自分がいて 泣いていいんですって 出会った人たちに伝えたいなと思ってます。

子どもたちが そこに存在してくれてるだけで うれしい。
…と同時に「苦しい」って言ってくれた時。自分に感情をむき出しにしてくれた時。
ぶつかってくれて衝突した時、あっ うれしいって 私 思ったんです。
なぜなら衝突するってことは すごく大事な感情で ぶつかり合うからこそ より深くなれるんですよ。
遠慮って 結局すれ違うんです。すれ違って お互い見れてないんですよ。

人間関係の希薄さって 関わることの煩わしさとか、これを言ったら嫌がるんじゃないかとか、どんどん引いて引いて どんどん希薄になっていくというのが 今の社会であるような気がします。

たぶん本当は迷惑かけていいんです
人って 迷惑かけ合って 生きていくのが 本当はいいんですよね。

埼玉いのちの電話 切実な相談が増加 電話を聴いている内にかけ手が自分の力で上向きに

実際に会うことはないものの電話によって つながりが生まれていくというサポートです。
苦しみや悩みを抱えている人の心の声に 耳を傾ける「いのちの電話」。
埼玉の こちらの事務所では 24時間体制で 一日 十数名のスタッフが 交代で対応にあたっています。
その件数は 70件近くに及びます。

埼玉いのちの電話事務局長 内藤武さん 
新型コロナ以降 切実な内容の電話が 増えているといいます。
仕事がないとかね クビきられたとかね。非正規雇用の方が多かったり。
自殺傾向率(死にたい・消えてなくなりたい・何もかも嫌になったといった 深刻な内容を含む割合)
それは確実に上がってます。 しかも女性が。


電話の声に耳を傾けているのは ボランティアの電話相談員
研修を積み対応を学んだうえで行っています。
そのうちの一人 みどりさん(仮称)も 26年間 相談員を務めています。
一人一人の気持ちに寄り添い続けてきました。

「いのちの電話」に かけてくる人って やっぱり いろんな意味で孤独だったり さみしかったり。
「予備軍」の人が やっぱり まだ電話かける力がある方ですので ちょっとでも 一緒に共にいるっていう感じを お互い こうね 分かち合えると ちょっと少し 元気とまでは言わないけど 思いとどまってくれる 糧になれるかな

いのちの電話」が始まったのは 1971年
前年には大阪万博が開かれるなど 日本が高度経済成長の豊かさを 享受していた時代でした。
この取り組みを提案したのは ドイツ人宣教師 ルツヘットカンプさん
生活のために売春を余儀なくされる 女性の支援をする中で 人には話せない胸のうちを聞く場所が
必要だと考えたのです。
それから50年 事務局は 全国50か所に広がり ボランティアの相談員 およそ6, 000名が活動を支えています。
相談員のボランティアは年々 高齢化し 減っている現状があります。
しかし それでも毎年 新たに応募があり 今年 「埼玉いのちの電話」の募集で 集まったのは 64名でした。

基本的に悩み問題を解決決断はあくまでも電話のかけての方 その方本人にお任せする。こちらはその話を聞かせて頂き寄り添っていくということ

相談員になることは 簡単ではありません。研修を1年以上 受ける必要があります。
精神医学 自殺問題などといった 必要な基礎知識を学ぶ講義や 電話をかけてくる人などを 自分たちで
演じる「ロールプレイング」も行い人の話を共感を持って聴くことの 大切さなどを学びます。

「死にたい」なんていう電話なんか かかってくると、その気持ちをやっぱり十分 受け止めてほしいということになると やっぱり ある程度の訓練が必要だと思います。
「死にたい」といって かかってくると もう だまっちゃって 固まっちゃう人も 中には いるので。


みどりさんも研修で学んだことを 実践しています。
相手に質問をしたり励ましたりせず 否定しないで ただ その人が感じている気持ちと共に
いること。 それを心がけていると 相手が会話の中で 変化していくことがあるといいます。

話を聞いていて私もその人の気持ちと一緒に落ちているなと思って しばらく一緒に佇んでいると不思議にかけている人は 自分の力で上を向こうという言葉が出てくる それに気づいたとき 私は聴くという行為の持つ力 かなりのものがある。それに気付いた時は ちょっと うれしかったです。

みどりさんが相談員に応募したのは 40代の頃。
体調を崩し 仕事を辞めたあと 相談員募集の記事を見たことが きっかけでした。
人間って どういうことなんだろうとか 自分って何者だろうとか含めて 人に興味があって 自分にも興味があって関心がありました。これは自分には合わないと思ったら さっさと やめるつもりでいました。

相談員というボランティア やってみると さまざまな気付きがあったといいます。
人が ありのままの気持ちを伝えてくれる その思いを受け止めているうちに、悩みを抱えながら生きる人間同士 深いところで つながり合っていると 感じるようになったのです。

すべて持ちつ持たれつで だから、 もっと言えば 支え 支えられて ということと同じだと思うんですけど、かけてくれる人からのやり取りの中で 元気がもらえるっていうか。
そこって 五分と五分との 関係なんだろうなって基本。
一方的に こちらが消耗するだけじゃなくて やっぱり向こうから かけ手からもらえるものが たくさんある。もう一期一会だから その人とね 出会う機会はないのかも しれないんですけど 今日は どんな人と
巡り合えるんだろうって思う。


子どもが自立した今 ボランティアは生きがいにもなっている という みどりさん。
この活動をする中で 自分自身も変わっていったことがあるといいます。

自分お気持ちを結構出すようになった。
小さい時から あんまり自分の感情を出さない人だったので。
それがね 少しずつでも 出せるようになってくると あっ こんなに楽なんだっていうか 周りの人に そのつど そのつど結構 伝えられるようになりました。


はい 「埼玉いのちの電話」です。
今も受話器を取り続ける みどりさん。
誰ともつながっていないと思っている人に 伝えたいメッセージがあります。
いのちの電話」の電話の前にいるよって。私が出るかどうかは分からないけれど つながらない つながらないって みんなに言われるけどでも ここは 24時間つながっていてここにいるからって。

「いのちの電話」事務局によりますと、相談員の高齢化 そして人手不足 あと相談件数の増加によって 電話が つながりにくいという課題があるそうです。
相談窓口 電話やSNSで相談できる 窓口というのは 他にもありまして、そちらは厚生労働省のホームページで紹介されています。
厚生労働省」 スペース 「支援情報」でも検索できます。(こちら)

サヘルさんは中学3年生の時 本当に学校にも居場所がない。
学校から家までは なんとか泣いて泣いて 泣くんだけれども 家に帰って 親が帰ってくると親の前でも
スイッチを入れて「お母さんが安心するサヘルちゃん」という別人格を自分の中で 作り上げている時期がありました。
誰にも相談ができない 苦しいって もう死にたいって思って 早退をして 命を絶とうとした時に 母がいて 初めて苦しいの 死にたいの 私って。
生きてることが しんどいってことを吐き出した時 止めるかなと思ったら 母親は「いいよ」って。
「サヘル死んでもいい。でも お母さん連れてって」って。
その時の言葉が まず あっ いいんだ。止めないんだ。 いい。かつ 一緒に来てくれる。
なんて すごい覚悟なんだろう。私の話を全部 聴いてくれて いいよって。お母さんも一緒にいくよって。
1人にしないよって言われた瞬間に 私 今まで誰とも つながってなかった。
孤独だったって 感じた自分が 彼女のおなかの中から 出てきたわけでもないのにもかかわらず こんなにも愛してくれてて 見てくれてたんだって 初めて人つながれてることが 私 生きようって。生きてていいんだ 自分は。1人の人でも愛してくれてる人がいるんだったら存在してる価値あるって。

苦しい状況にいる方が やっぱり つながるためには声を発して頂きたいと思いますけれども そのこと自体がすごく難しい可能性もある。

今おっしゃったように 苦しい時って その方々は 私もそうですけど SOSを出さなかった
もし逆に気付いたら大丈夫? どうした?と声をかけることが 今の社会に必要なことで
すぐには相手が「そうなの 苦しい」って言わないかもしれない。
でも「大丈夫?」って 一声をかけ続けることが 「いのちの電話」ではないんですけれども、また遠藤さんのように こうやって時間をかけて 関係を声をかけ合うことで その人が吐き出せる場所に変われる
だから きっと今は私たちが気付いた時に「どうした?」って 声をかけることは できるじゃないですか。

関心を持つことを遠慮しないってことですね。
そうですね。

今回は 「つながって支えあって
やっぱ つながるって生きるってことなんだなって 本当に純粋に それですね。
つながり合えるってことは お互い生かし合えている。
人と人って漢字が まさに本当にそうで 寄りかかってるんですよね。
片方が寄りかかってるんじゃなくて 双方に寄りかかるから 人って生きていけるもので。
だから私たちは たぶん現代社会に 寄りかかり合っていいんです

本当に お互いさまというか 持ちつ持たれつというか、あと いつ何が起こるか分からなくて 今回のコロナウイルスだって こんなことが起こるとは 世の中 誰も思ってなかったわけです。
さっき おっしゃった 気になっていたら もう一歩 踏み出してみるとか やっぱり人と関わっていかなきゃ
生きていけないですからね。何か それを大切にしたいと思わせて頂いた回でした。

▽まとめ&感想

DV被害や貧困で 困っている女性たちの相談に乗り 自立を支援するNPO法人 くにたち夢ファーム JIKKAの人たち。イランで孤児となったサヘルさん、かつての自分のような人への取り組み 遠慮せずぶつかってくれることが嬉しいといいます。埼玉いのちの電話 切実な相談が増加、電話を聴いている内にかけ手が自分の力で上向きになってきます。

私なんか 何も出来ないのですが、このような話聞けて良かったです。
関心を持つことを遠慮しない といわれますが 大変だろうと気づいても、踏み込んではいけないとブレーキをかけてしまいます。これではいけないんですね。