あしたも晴れ!人生レシピ「コロナがきっかけ 見つけた!新たな楽しみ 」▽こんな話

Eテレ 12月11日(金)午後 8時00分~ 午後8時45分
【ゲスト】羽田美智子【司会】賀来千香子,小澤康喬【語り】堀内賢雄

コロナ禍で新たな楽しみを見つけた人を紹介!外出自粛中、外に出られないストレスからスイーツ作りを始めた40代男性。今では店を出してといわれるほどの腕前に。手芸教室の店主、69歳にしてミシンカフェを実現させようと夢に向かって突き進む!神奈川から三重の古民家に移住した夫婦、そこで出会う人から野菜や炭作りを学ぶ新鮮な日々。その価値観の変化とは? 。

出典:NHK HP

おうち時間が増えスイーツ作り 食べてもらい喜んでもらう事が楽しみに

都内に住む 木村創さん(49歳) 介護福祉の仕事をしています。
帰宅途中に立ち寄ったのは スーパー。おうち時間が増えたことで生まれたのが 新たな趣味 スイーツ作りです。

5月に始めてから次々に新しいケーキ作りに挑戦。なんと作った数は 既に100個以上。
チョコレートケーキにロールケーキ 種類も さまざまです。
スイーツを作り始めたのは、外出自粛のストレスからでした。
木村さんは友人と わいわい集まったり、自然の中で過ごすことが大好きでした。
そこで思いついたのが スイーツ作り。
実は毎日一つは食べるほど、甘いお菓子が大好きだったのです。
しかし 最初に挑戦した蒸しパンは、見事に失敗。膨らまず べちゃっとした食感に。
それが悔しくて、挑戦したい気持ちに火がつきました。
作るほどに上達していくケーキ作り。
夢中になっているのが チーズケーキ。失敗しないコツも分かってきました。

チーズの量がすごく多いので、丁寧に溶かしていくのと、あとはこす。そこを丁寧にやるかどうか。
オーブンで焼く際には よく観察しながら水分を追加します。
ほったらかしにして そのまま水が、蒸発しちゃって焦げたことがあったり。
工夫を凝らせば、それだけの結果が返ってくる。ケーキ作りに そんな魅力を感じています。

新しいスイーツを作る度に どこか違う国に行くような ワクワク感があって
失敗したら 失敗したで また新たなテーマで作ってみたい。
自分の中で すごく満たされていて、無心になれる。

これまでの経験で気付いたことは、事細かくノートにメモ。
アーモンドパウダーやラム酒を入れるなど アレンジも加えるようになり 独自のレシピも考案中。

妻と2人暮らしの木村さん、食べきれないケーキは友人に食べてもらうのも楽しみの一つ。
この秋 大好評だったのが モンブラン。
知り合いの畑の近くで、くり拾いから始め 皮をむいて およそ5時間かけて マロンクリームを作りました。友人たちにも大絶賛されたそうです。

喜んでもらうことが、木村さんの大きな励みに。
その最初のきっかけは、友人に チーズケーキを 差し入れした時のことでした。
友達んちに持ってった時に チーズケーキを、メチャクチャおいしそうに食べ 皿までなめてくれた。

完成したら すぐに味をチェック。
多少 チーズケーキの見た目が悪くても、食べてみると おいしかったりします。

このケーキ この日は、以前から仲良くしている 近所の友人家族に食べてもらうのです。
10年以上 つきあいのある お子さんがお二人の福田さん一家です。

新作とか あるたびに ここに持ってきて、みんなに食べてもらって ちょっとでも おいしいって 言ってくれると やっぱ うれしいんで。

おうち時間に見つけた新たな趣味は、暮らしをどう変えたのでしょうか。

自粛期間中に 自分と向き合う時間がすごく増えて、日々の生活を大事にして生きていきたいな。
スイーツ作りが 自分の中に生まれたことで、生きることが豊かになってきたなと 思って、自分の引き出しが また一つ増えた。

違う国に行くような感じって、すごい すてきな表現だと思って。
新しい経験は もう そのまま旅なんだ というね そんな気がしましたよね。

自粛ですよといって 閉じこもって、いらっしゃったかもしれないですけど、今だからこそ できること やってみたら 意外とハマってしまって 自分の新しい 魅力とか楽しみを発見するという
生き方って すてきですよね。

木村さんのスイーツを、召し上がった方からは、おうちカフェを開いてほしいという声も たくさん寄せられてるということで、木村さん 将来は そんなことにも 挑戦したいなと思ってらっしゃると。

それこそ言い古された言葉かもしれませんけど
ピンチをチャンスに変えた 典型的なとっても いい例ですよね。

羽田さんは、私 機械が本当だめで ウェブとか オンラインとか なかなか近づこうとしなかったんですけど、あの時は もう致し方なく、教えてもらいながら 人とつながって オンラインで何か 自分でも発信しようと思って ラジオ体操を発信したりとかですね。
あと 自分の知ってるかぎりの、簡単なお料理のやり方を配信したら 5分で作れるから やってみましたとか みんなとシェアしながら 楽しくできたな というふうなことは すごい自分の発見でした。

69歳の 手芸店主 夢の「ミシンカフェ」 開業

茨城県ひたちなか市で、手芸用品の店を営む 長谷部美紀子さん 69歳です。
子どもの頃から手芸が大好き。念願かなって この店を開いたのは12年前。
天然石などのビーズアクセサリーの材料や 長谷部さんの手作り作品などを扱っています。
カルチャーセンターで講師をしていた 経験を生かし 手芸教室も開いています。
長谷部さんがコロナ禍で見つけた 目標とは、夢だった「ミシンカフェ」を開業することです。

「ミシンカフェ」とは、手芸の好きな人が集まって 自由に ミシンを使うことができる カフェのこと。
憧れを抱いたのは 10年ほど前。
テレビ番組で ミシンを置いている、飲食店を知ったことが きっかけでした。

ミシンって大体 皆さんお持ちなんですね。押し入れとかにあって、縫おうと言うときに出して、作って 片付けなければならない。動作がすごく面倒、ああ そこまでだったら 面倒くさいのでいいかなって よく聞く話でした。
それならば ミシンを使うために、気軽に立ち寄れ 心ゆくまで 手芸に没頭できる場所を作ろう。
和気あいあいと話もできる すてきな空間作りに 夢が膨らみました。
去年7月 その夢が一歩 現実に近づきました。隣のラーメン店が閉店し そのスペースを借りることができたのです。
ちょっときれいにすると大丈夫かなっていう。このカウンターも すごく頑丈なので、ここの上に ミシンを2~3台は置けるかなって思ってました。
それと あと ここのフロアの方には大きな、テーブルを入れて 密にならないように。

ところが その2か月後。思いがけない悲劇に見舞われます。
横断歩道を渡っている時、交通事故に遭ったのです。右の鎖骨を骨折し 完治まで5か月の重傷。
店は休業状態に追い込まれました。今年の2月に ようやく店を再開。
すると今度は コロナ禍。挽回しようというやさきの大打撃でした。

やめようかなと思ったのは事実です。そんな中 元気を取り戻す きっかけとなる 出来事がありました。
手作りマスクの注文が 相次いで入ったのです。 数百枚のマスクを作りながら 長谷部さんは 改めて仕事ができる喜び手芸の楽しさを実感したといいます。

作るのが好きだった。できあがった楽しさとか 物を作るって楽しくて、このままでは終わりたくないと、長谷部さんは親しくしていた、経営コンサルタント 宮田貞夫さんに電話をかけ アドバイスをもらうことに。
「これから どうしようかな 先生」って
言ってた時に、今はコロナだけど アフターコロナってことがあるので、その時にやることを考えたらどうですか、ということをおっしゃった。
「ミシンカフェ」をやりたいと思っていた。どう思います?」って。
「いいんじゃ無い」
本当に パワーが出るような感じのおっしゃり方してたのであら じゃあ できるのかなっていう。
もうすぐ70歳なので、この先どういうことになるか 判りませんので、楽しんで生きていきたいので、今かなやろうって思いました。
しかし問題は資金でした。1年前と比べて 収入は激減。
宮田さんに再び相談したところ、クラウドファンディングというのがあるんだよと おっしゃってくださって。

長谷部さんの場合は アクセサリーや ワークショップの参加券などを 提供します。
長谷部さんは早速 クラウドファンディングのセミナーに参加。
苦手なパソコンを使って猛勉強。周りの人に手伝ってもらい どうにか「ミシンカフェ設立」のための
クラウドファンディングを立ち上げます。
目標金額は思い切って100万円。ラーメン店をリフォームする費用に、ミシンの購入代金 あとは備品や広告費などです。
そして その結果、36人の支援者が いらっしゃいました。それで 24万4, 000円という金額になりました。
ちょっと希望金額には達してなかったですね。でも すごくありがたい。

そんな長谷部さんに、思わぬ連絡が入ります。
ミシンカフェのことを、地元の新聞で知った人から ミシンを寄付したいという連絡があったのです。

菅谷さんが寄付してくれたのは、今では珍しい工業用のアンティークミシン。
予算の足りない長谷部さんにはありがたい申し出でした。
これね きっと革でも縫えると思いますよ。ジーパンなんかもスムーズに縫えましたもん。

新たな寄附が集まり、 11月にオープンさせることができました。

私にとって 事故とコロナとダブルできちゃったもんですから 気持ち的には落ちそうだったんですけども周りの方々のお話で 「あれ いい機会なのかな」という次に進むチャンスをいただいた
やっぱり 70だから沈むことはなく やっていきたいなっていう目標です。

本当に 始めることに、何歳だからって理由はなくて やっぱり やろうと思って行動すると 助けてくれる神様が いるんだな というのを 見せてもらいましたね。

きっと できない理由って、いっぱいあると思うんですよ みんな。
きっと「こうだから できない」「あれも だめだね」「これも」って、できない理由を探すよりも やるために
何ができるのか 最初の一歩を踏み出すってことが すごく 大事なんだなと教えて頂きましたね。

私 人間には二通りあると思うんですよね。
夢を実現させる人。 あとは その夢を応援する人で成り立ってる気がして。
夢を応援する人は夢がないわけじゃなくて、夢を見てる人の夢を応援することで 一緒に その夢をかなえるってことで何か自分の生きがいを見つけるって 感じがするんですね。

羽田美智子さん 羽田甚商店で魚・サクランボなどの販売支援

羽田さん もともと 各地のいいものを紹介販売するサイトを運営されていたんですけれども、このコロナ禍で、漁師の取った魚の販売を支援 協力した。
あと サクランボ農家さんも、ちょっと悲鳴をあげてたんですね。
サクランボ狩りに来る お客様が、今年は いらっしゃらないと。
それで、いろんな地方に回ったんです 全国に。
そしたら「こんなおいしいサクランボがあるの?」といってすごく喜んで頂いたりとか。

コロナ禍における助け合いの大切さのようなものはどんなふうに感じられましたか?
対面で人と出会うという機会こそ減りましたけど、もっと強いつながりがこのコロナ禍では 何か結び付きがあったんではないかなと思うんですね。
あと 私は この芸能の仕事を通じて、発信できますし、その方たちの力を 私は この機会に得てそこと つなぐことができたしってことで。
これからの時代は ますます助け合いが 必要になっていくんじゃないですかね。

三重県 津で田舎暮らしを始めたご夫妻 在来種など自給自足

さあ続いては このコロナ禍である大きな決断をした夫婦です。
この春まで神奈川県茅ヶ崎市で暮らしていた池滝さんご夫婦

三重県津市の山あいにある美杉地区。市の中心地から車で1時間ほど進むと静かな集落に到達します。
2人のコロナ禍での変化とはそう 「田舎暮らし」です。
美杉地区の人口は およそ4, 000人。自然豊かな環境を求めて 移住してくる人も少なくありません。
夫妻が暮らす集落は 60世帯ほど。池滝さんは今年築75年の古民家を手に入れ 神奈川との2拠点ライフを始めようとしていました。

池滝さんは中東地域を専門とするフリーのジャーナリスト。
田舎暮らしに憧れ 将来は三重に腰を据えて暮らしたいと考えていました。

3月にコロナが急に悪化してきて、2拠点でなく本格的に住み続けていこうと考え方が変わった。
田舎に住んでみたら、すごく魅力的で毎日が楽しい。

妻の順子さんは専業主婦。神奈川での暮らしを気に入っていましたが、コロナで行ったり来たりが
難しくなったため三重への完全移住を決めました。

都会での生活が楽しかったので、初めは あんまり乗り気でなかった。
コロナの影響で、半ばちょっと強制的に田舎の方に住むことになって、離れちゃうと いろんな話がわかんなく なっちゃう。

この古民家暮らし、少しずつ慣れてきたそうです。
奥には土間を利用した、ダイニングスペース。タイル張りのキッチンに なんと かまど。
池滝さんの趣味のピアノも。音を気にせず 好きに弾けるのが うれしいそうです。

完全移住が始まって9か月。夫婦の理想は なるべく自給自足の暮らし
奥さんはいつも裸足で畑で作業。私の周りの友達も結構 はだしで畑やってる人が すごく多くて。
何か 大地と つながっている感じがしてすごく気持ちいいです。
200坪ある畑では なんと100種類ほどの野菜を育てています。そのほとんどが在来種
在来種とは その土地で古くから栽培されてきた品種のこと。

池滝さんに在来種の近江黒豆(滋賀)の育て方をアドバイスしている、同じ集落に住む池添さんです。
池添さんは全国を回って種を集め、在来種の野菜を広める活動をしています。

その土地で受け継がれてきた在来種は、大量生産できるよう品種改良された種 主流となった今 貴重なものに。その味は渋みや苦みをしっかりと感じられるのが特徴です。
池添さんからは 畑の土に合う品種や、育て方 そして大切な種取りまで(島オクラ(沖縄))、農家の知恵を教えてもらっています。
「これだけ 在来種でやっている人って なかなか少ないですね。だから よほど興味持ってくれて 僕的にはすごくありがたいなと思いますね。何か ワクワクするじゃないですか。」

順子さんも 移住してからは近所の人に、教えてもらうことばかりだそうです。
小豆の種 枝ごと つるしておく必要はなく、さやだけをムシロに並べておけば、よく乾燥して種が採れるそう。
美代ちゃん すぐお隣さんなんですけど、かなりのお姉さんですけど(お母さんやんな)

2人の移住を「ようこんな田舎に 住みたいと思うわ。この辺は70~80代、 若い人にきてもらったら、本当に助かる。」と語っています。

間もなく2人で過ごす、初めての冬が訪れます。
池滝さんに新しい仕事が決まりました。
富田さんは 茶の湯で使われる 菊炭専門の炭焼き職人。
菊炭は切り口が美しい菊の模様になっているのが特徴です。
池滝さんは この炭作りを一緒に行うことになりました。
富田さんは、池滝さんがチェンソーが使えるようになったので、山で木を切れるなと判断して 声を掛けました。
炭窯に入るよう 約1m に小さく切ってもらう仕事です。

池滝さんは この土地の人が持っている、技術も学んでいきたいと考えています。
自給自足の暮らしに欠かせない薪や水。
コロナ禍や災害の時を考えるとエネルギーを自給していることは 大きな安心に つながるといいます。
地震があっても 災害があっても 、水に関しては 本当に山からいただいている形で、24時間365日流れているのは本当に幸せなこと

あ~ 気持ちいい。食事は ほとんどが自家製の野菜か頂きもの。
お米は かまどで炊きます。家の裏で育てた しいたけは食べる直前に収穫。
取れたて 炊きたて できたての食事の準備にはとても手間が かかりますが そのおかげで 何とも豊かな食卓に。この日のメインは 揚げながら頂く野菜の天ぷら。

神奈川で暮らしていた時よりも 食費は1/3に減ったそうです。
生計を立てるためにネット上で記事を書いたり、中東料理を作ってサイトで紹介したりしています。

人間が 当たり前に自分たちが食べるものを作っていたと言うこと、意外に生活ってシンプルなんだな。都会では、とかく 複雑に考えがちだと思う。天気見て、野菜育てて、季節で採れる物を なければないで我慢して、採れる物を 楽しみに生きている 食生活含めてシンプルですね。

私の中で一番大きいのは、夫が私の話を聞いてくれるようになった
夫婦の間で会話が ちゃんとできなかったわけじゃないんだけど 昔は仕事が忙しかった。一方通行だったのが、今は受け答えしてくれるし、そういう小さなことなんだけど、居心地の良さとか お金ではかえられないようなこと すごく恩恵いただいているなという 感じがします。

いいな。 羨ましい生活。私 結構 理想ですね。

便利な暮らしに慣れてしまって、不便って一見 思ってしまうんですけど、不便の中には結構 地球の理にかなった循環があって 無駄がなくて 限りなくシンプルで そこに幸せがあるっていう感じがします。

災害とかで水道が止まったりというのを いっぱい私たち 経験してきましたけども ここ 10年で。
エネルギーを自給って すごい強みというか すごいですよね。
何があっても生きていけるっていうとこに 私も やっぱ自分をもっていきたいですね。

(羽田さん)人生を旅と捉えると きっと何事もなく通過しちゃうと 普通の何か とっても穏やかだけど
何てことないドラマの人生になってしまう。
思いがけない出来事が 起きてしまったわけですけども これを乗り越えたあとの私たちって すごく新しい時代を 築き上げるんじゃないですかね。
そういう歴史の通過点に、今いるのかなっていうことを思って、きっと未来は明るいんじゃないかなって 思いますね。

▽まとめ&感想

おうち時間が増えスイーツ作り 食べてもらい喜んでもらう事が楽しみになった男性。
69歳の 手芸店主 夢の「ミシンカフェ」 開業。
羽田美智子さん 羽田甚商店で魚・サクランボなどの販売支援。
三重県 津で田舎暮らしを始めたご夫妻は在来種など自給自足でシンプルな生活を。
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69歳でクラウドファンディングで新たなこと パワフルでうらやましいですね。
田舎暮らし、夢のとは なかなか行きません。
災害があったら、湧き水か、川の水を 庭の落ちていた枝を薪にお湯沸かして、米はある。
トイレは、畑に穴を掘って まあー生きていけるか くらいしか考えていません。