貞氏 倒れ、足利高氏 家督を継ぎ 鎌倉御家人最大の大名に
簾の向こうで腹を切ろうとしている足利家時。少年貞氏に執事の高師氏が「お父上は北条のためにかかる最期…しっかとごろうじませ!」
「夢か」と目を開く貞氏(緒形拳)。疲れが出ていると、清子(藤村志保)。
そこへ直義(ただよし:高嶋政伸)や高師重(こうもろしげ:辻萬長)が柳営(将軍のいる所)でただならぬことが起きていると伝えに来る。
様子を見てくると言う直義を、貞氏は「待て…」と止めたが、その途端、倒れてしまう。
そのころ、登子(沢口靖子)とともに華雲殿を出た高氏(真田広之)に、石(柳葉敏郎)が襲いかかっていた。
「三河の足利党 に親を殺された、足利は親の仇」と言う石に、「何かの間違いではないか」と言う高氏。
石はさらに登子に「わしの妹を一夜の慰みものにし おった」と言い放つ。曲者!と言う声に、石は退散。
高氏と登子は、足利邸へ歩いていく。高氏は「今の男の申したことは本当じゃ」「決して遊び心ではなく本当に好きだった」のだと。
しかし登子は、水面に映る月を見て、「昨日の月がどうだったか存じません。また知りたいとも思いません。今日の月、明日の月がこのように美しければそれでよいのでございます。」
そこへ直義たちがやって来て、父の異常を知った高氏が急いで帰宅。
貞氏は医師の診察を受けていた。 「忙しかったから疲れが出たのでしょう。」
しかし、執事の高師重が高氏だけを呼んで、「息の道にただならぬ病が…もはや…」
意識を取り戻した貞氏が高氏を呼んだ。貞氏は「火が見たい」と言いだし、座って庭に灯された篝火を眺める。
「近ご ろ、我が父の夢をよく見る…」父・家時の話をはじめる。元服前、家時が死ぬ前に「置文(おきぶみ)」をしたためていたことを高氏に明かす。
足利家は源氏の嫡流。北条に悪政あらば、これを討ち、天下を取って民の苦しみを和らげるのが、務めなり。故に武家の棟梁と申す。
しかるに不肖、家時、悲しいかな、徳無く才乏しく、北条の責めを受け、わずかに家名を守るため、死に行くのみ。
この無念が分かるか、無念なら、わしに代わって天下をとれ。
その方に出来ぬなら、その子にとらせよ。と貞氏に言い残していた。
「四十年、これとの戦いであった…。なぜ源氏の嫡流に生まれてきたのか…」と貞氏はつぶやき、
「高氏、あとを頼む。父のように迷うな。神仏の許しがあれば天下をとれ。それが道と思ったら弓をとれ!」と高氏に言いつける。それは貞氏の事実上の遺言だった。
貞氏は師重を呼び、「今日から高氏が足利のあるじだ」と告げる。
そして師重が預かっている家時の置文を高氏に見せるように命じる。
高師重は高氏に、当主の代替わりに伴い執事も代替わりと、息子の高師直(こう の もろなお:柄本明)が執事になると告げる。そして家時の置文の入った箱が師直から高氏に引き渡される。しかし高氏は「今は読まずにおこう。いずれ…」
部屋を出ると「誰も何も教えてくれん!次男はつまらぬものよ」と ぼやく直義。
今日の騒動を教え「北条は先が見えた。万が一我らが北条と戦わなければならぬ時、登子が哀れぞ。姉と思って心にかけてくれ」と高氏は弟に言い残して立ち去る。
貞氏はそのまま長い病の床につき、数日後、足利家全体に高氏が新しい当主となったことが正式に伝えられた。高氏は上総と三河の守護職を務め、17カ国34の領地を持つ鎌倉御家人最大の大名になった。
長崎円喜に押さえられた鎌倉幕府は、執権職は北条高時が退き、金沢貞顕を経て赤橋守時に
幕府は北条高時(片岡鶴太郎)の処遇をめぐり大揺れに揺れていた。長崎円喜(フランキー堺)暗殺未遂の後処理で揉めていた。
北条高時の執権辞任を要求し、金沢貞顕(児玉清)を執権職につけるつもりだった。
貞顕は円喜に言われ、高時とその母・覚海尼(かっかいに:沢たまき)がいる東慶寺に足を運ぶ。覚海尼は「闇討ちを仕掛けるも下、討ち漏らすは下の下じゃ」と高時の部下を 叱りつけるが、高時は「叱りたもうな。高時が父上ほどの名執権でないゆえ」と母に言う。
金沢貞顕は執権職についたが、覚海尼の剣幕に恐れを為してわずか一ヶ月で辞任。高氏の義兄である赤橋守時(勝野洋)が執権につくことになった。彼が鎌倉幕府最後の執権となる。
悪党と呼ばれる人が各地に、後醍醐天皇が比叡山を押さえ、幕府を倒す調伏の祈祷、そして幕府にバレた
「悪党」とはもともと周縁領主に対抗する、地頭や非御家人の新興の武士たちのことを指すそうで、現在の悪い人とは異なります。
奥州の乱は続き、北条氏に圧迫された下級貴族、一攫千金を求める僧侶。農民が乱に合流し、略奪と戦を繰り返した。悪党と言われるこれらの群れは、各地に多くいた。
伊賀国では服部小六(森川正太)という悪党がおり、石もその中にいた。追っ手から逃れた石は、藤夜叉(宮沢りえ)の家に飛び込む。
具足師の柳斎(一色右馬介の変装:大地康雄)が、研ぎものなどをしながら、密かに藤夜叉を見守っていたのだった。藤夜叉は、泣く赤ん坊を抱いて出てくる。この子こそ、後の足利直冬。父・尊氏と天下を分けて戦う宿命の子である。
柳斎は藤夜叉の様子をうかがい、服部小六を日野俊基(榎木孝明)が山伏姿で訪ねてくるのを目撃する。俊基は小六に楠木正成は北条と戦しないと語るが、後醍醐天皇自身は心を決め、北の守り、比叡山を押さえ、天皇の子・大塔宮護良親王(おおとうのみや もりよししんのう:堤大二郎)が比叡山で、武芸の訓練に励みつつ、幕府を倒す調伏の祈祷をも行っていた。
都の中でも、帝の側近 醍醐寺座主が文観が幕府調伏の祈祷を行っていた。ところが、天皇の側近・吉田定房が計画を幕府に密告してしまうのである。
長崎高資らは軍を都へ送り、計画に加わる公家・僧の首を斬り、天皇を島流しにせよと息巻く。
帝に触れ奉る儀は、恐れまがしいと存ずる。二階堂道蘊や赤橋守時が慎重論を唱える。
そもそも、帝のお許しのないまま皇太子を、持明院派の量仁親王(かずひと)としたこと。大覚寺派の帝は、これで我が子に帝位を譲りたもう道を絶たれた。
執権を外して物事を決めていると守時が怒るが、円喜は「では執権どの、御辺も我が館へ参られれば良い」とうそぶく。
京へ軍を送ることが円喜らに押し切られた。恐るべき異変の第一歩となった。
高氏は暗然たる思いになるのだった。
▽まとめ&感想
貞氏 倒れ、足利高氏 家督を継ぎ 鎌倉御家人最大の大名になった。
長崎円喜に押さえられた鎌倉幕府は、執権職は北条高時が退き、金沢貞顕を経て赤橋守時に。
悪党と呼ばれる人が各地に誕生、後醍醐天皇が比叡山を押さえ、幕府を倒す調伏の祈祷、そして幕府にバレた。
言葉遣いが最近のとは、違いますね。私の中では、緒形拳さんも出ていた、映画「蝉時雨」の台詞と重なります。緒形拳さん渋くて素敵です。
時代劇の口調、手紙の文調、時代劇らしくていいですね。
鎌倉幕府、亡くなるとき、めちゃくちゃで、今のコロナ禍の日本と重なります。
長崎円喜の横暴には、驚くばかりです。
北条高時の母・覚海尼、すごい迫力でした。