大河 徳川慶喜 第46回 「小御所会議」▽あらすじメモ(超ネタバレ)

チャンネル銀河 2020/11/17(火)AM8:00~

大政奉還と将軍職の辞退 しばらく従来どおり幕府に政を幕府に委任

慶応3年(1867)10月

二条城
徳川慶喜(本木雅弘)老中 板倉伊賀守勝静 以外を下がらせた。
慶喜は 立ったまま「大政は奉還した。将軍職を京で辞退した。このまま引き潮のごとく我らは、引くべき。そうすれば薩長は何ひとつ 手出しは出来ない。新たな国に生まれ変わるのだ。余の役目はそこにある。」
そして、「ここで幕府が消えれば、人々に国づくりの新たな喜びが生まれる。普代や旗本に、朝敵になるので いかなる事があっても仕掛けないよう」命じた。

慶喜が、席に着き、京都所司代 松平越中守定敬が ただいま参内し、将軍職の辞表を差し上げましたが、朝廷では 諸大名を招集し 衆議した上で ご沙汰があるとのこと、それまでは 従来どおり 幕府に 政を幕府に委任し、将軍職もそのままに とのことでありました。
慶喜は、「余は大政を返上した。そのようなものが 国の政 預かることできるか?もう一度参内し、何もかも返上し、辞表を受けとるように申して参れ。」「はい」
越中守が、「その前に、なぜ大政を奉還あそばされたのか それがしにはよう 判りません。我らは無傷です。この都には 1万数千の兵がおりまする。なぜ 幕府にたてつくものを討伐しないのですか? 都を掃除し 薩長両藩を徹底的に叩けば、必ずや幕府の道が開けます。なにとぞ我らに兵を挙げるようお目維持ください。」「ならぬ。」
「なぜでございますか?薩長に下された 密勅なるものには 摂政 二条の署名がないとのことです。幕府はニセの勅状に動じるもではありません。」
「越中守 余の命令に従わぬと言うのか? 」

江戸に大政奉還伝わり 大騒ぎに

江戸城
大政奉還の話は2日後には江戸に伝わった。
幕府そのものが無くなると言うことで大騒ぎになった。
大目付 滝川播磨守は 「京に兵を使わし、薩長はじめ反対派に戦端を開かしめ、都を掃討すべし。その上で大命に抗する諸藩の巣窟を覆し、もって公方様には江戸にお戻りいただき 西国との戦いに備えられるべし」と叫んだ。

一橋家
徳川茂栄(石丸謙二郎)美賀(石田ひかり)徳心院直子(鶴田真由)に大政を奉還したことを報告する。
二人は、公方様に何事も無いか、戦になるか案じる。

松平春嶽が協力要請 西周に作らせた「議題草案」見せる

京都 二条城
前 福井藩主 松平春嶽(林隆三)が力を貸すよう慶喜に願った。
春嶽は「議会政治を始めなくてはならない。その際 元首を選ぶなら上様に白羽の矢が立ちます。」

慶喜は「徳川宗家の当主以外の何物でも無い、見せたいものがあると 西周に作らせた「議題草案」を出した。
春嶽は「これほどのものが作られているとは」 と感嘆した。
慶喜は「元首の部分は、西は幕臣なので 初代は将軍となっているので はずして考えるよう」と言う。

春嶽は「これほど 明確な新政府の 仕組みを見るのは、はじめてだが 朝廷の扱い。
我らが考えているのは、お上の元に諸大名が集まり、議会を作るということで 合意した。」
慶喜は「お上を政に巻き込みたくない。政はきれい事で済まない。己の都合で勝手に勅命を発するものが現れるだろう。」
春嶽は「お上が中心でなければ、朝廷との合意が得られないと思う。」
慶喜が「もしこの「議題草案」が必要なら差し上げましょう。まだ草案だが」と言った。

岩倉具視 復帰 極秘に王政復古めざす

京都 岩倉家
薩長寄りのお公家さん働きで 罪を許され 岩倉具視(寺脇康文)が都に戻った。
岩倉は天皇による政治が行われていた昔に戻す「王政復古」を目指した。

岩倉は、薩摩藩士 大久保一蔵(池田成志) に「王政復古のための兵は整っていますか」と聞いた。
西郷吉之助(渡辺徹)は「戦を焦るのは禁物にござる手は打ってある。そのうち必ずエサに食いつきます。一橋の見えぬ所にエサをまきました。」

議奏 正親町三条実愛(森田順平)は「朝廷の方は、幕府が大政奉還したこともあって、幕府寄りの 二条摂政、中川宮は元気が無く、大号令を発するなら 1日も早いほうがよいと存じます。」
土佐藩士 後藤象二郎は「我が藩としては、何よりも大政奉還を望んでいたので、その後は諸大名が衆議し、新たなる国是を形成する道筋を考えています。」

岩倉は「王政復古には、反対ということですか。」
後藤は「イヤ 反対ではない。もし王政復古の大号令を発するならば、将軍家をはじめ、尾張、越前などにもあらかじめ相談して、皆の合意の上行うべきと存じます。」

大久保は「後藤殿 それは 幕府を生き返させます。これは極秘のうちに行う必要がある。」
後藤は 「少なくとも 尾張、越前 両藩には 事前に 相談しなければいけない。」

大久保は「それでは 幕府に漏れ 一橋がいかなる手を打ってくるか判らない 。前日の夕方に知らせるのが良いと思う。さすれば、漏れても 一橋は手を打てません。」
「土佐藩の信用が失われます」と反発したが、岩倉は 「そのような軟弱さで この国が生まれ変われるとお思いですかと一喝した。

二条城
慶喜に 夜分に 春嶽の使いで 福井藩士 中根雪江が訪ねてきて、「本日土佐藩の容堂公より知らせがあり、明後日 12月9日 宮中にて王政復古の大号令が発せられるようになったようです。これは 岩倉ら極秘裏に事を進めているようです。」

慶喜は「春嶽殿に、余は 大政を奉還、将軍職の辞表も出している。 王政復古は当然のこと、お知らせ下され かたじけないと。」

老中の板倉に慶喜は「12月9日 岩倉、薩摩中心になり、極秘裏に王政復古の大号令が発せられるようだ。 でも騒ぐ出ない。奉還したのは、この国が騒乱にならぬため。
板倉は「大政奉還後 諸侯が集まり 新たな国是を決め 新政府の議会を開く約束でした。 裏切りには裏切りでもって報いなければなりません。」「相手はそれを待っている。」

板倉は「薩長や長州の兵が、大阪まで上ってきているます。江戸では、薩摩に雇われた浪人が天誅のご用と称して、乱暴狼藉を働き始めたそうです。」
慶喜が「我らが何ひとつ手だししなければ、あの者達は何も出来ない。薩長が強引に事を進めれば、やがて朝廷を抱えて孤立する。動く出ないぞ。王政復古のことは、他言無用ぞ特に会津 桑名には言うな。聞けばあの者達 爆発する。」

薩摩 岩倉を中心に小御所会議が開かれ 慶喜の辞官納地が決定

慶応3(1867)年12月9日
京都 岩倉家
その日、勅使が訪れ、蟄居が許され、
官位が戻されたので 至急 岩倉具視が参内した。

御所
その頃 御所では、薩摩が中心になり 全部の門を閉めた。幕府寄りの兵は追い払われた。

小御所
■『王政復古の大号令』が発せられた。
天皇を中心とする新しい政府を作ることを宣言する。

睦仁親王を前に、大政奉還と将軍辞職を認め、その上 幕府・将軍は廃止、京都守護職 京都所司代の廃止。ついでに 摂政 関白 議奏 国事御用掛も廃止。

新に 総裁 議定 参与の『三職』をおく

総裁には 有栖川宮熾仁親王
議定(ぎじょう)[政務を議論する]には 春嶽、容堂、 正親町三条実愛
参与[事務を分担] 岩倉具視、大久保一蔵、西郷吉之助 がなった。
長州藩主親子も無罪になった。

小御所会議 (睦仁親王臨席の 新政府発足後の最初の会議)が開かれた。
山内容堂は「このようなやり方は、陰険でござる。王政復古のはじめにあたり、 武力を持って労するとは 誠に遺憾にして騒乱を招く。此度将軍家は祖先より受け継ぐ名誉をなげうち、大政を奉還したのは、新たなる国家作るために 大いなる誠意を示すものは 感ずるに余りあるものである。かつ一橋公の英明は天下に聞こえ、その方の意見を求めるは国家100年の計を考える上も至極当然である。にもかかわらず 武力を持って排除されるは 暴挙である。ご幼帝を擁し奉り権威を盗すまんとしているのであるまいか。」

苦々しく聞いていた、岩倉が「御前ぞ、ご幼帝を擁し奉り とは何事 暴言は許されませんぞ。」と怒鳴り返した。
春嶽は「王政のはじめに まず刑罰を論じ、徳を後にするは 少々 この場所にふさわしくない。徳川家数100年の功績は本日の罪を償って余りあるものと存じる。」
板倉は「さようか、一橋に反省の心あれば、官位を退き領地軍隊を返上し王政復古を翼賛すべき、そのようなものを なぜ招く必要があるか 」

後藤象二郎が「王政復古の序は公明正大を第一義としなくてはならない。一橋公は諸侯会議に 1大名として加わることになっていた。その約束の上に立っての大政奉還です。今や一橋公に忠義はあっても罪無く そのような方から領地を奪うこと出来ません。」
大久保は「領地を奪うなどと 岩倉殿は言っていない。返上せよと言っている。」
後藤は「一橋殿に領地を返上させるは理不尽である。」

大久保は「幕府は我が国最大の400万石 王政復古推進のためにも返上すべき」
後藤は「徳川家と同じく 全国の諸大名が それぞれの領地の幾分かずつ返上し 新政府の資金にすべきかと。王政復古を支えるは 全国の諸大名です。」

夜半会議は中断、大久保は「愚にもつかぬ事をいつまでも なんのための王政復古! 幕府をこの世から消すためには 徳川家をつぶすしかない。土佐が一橋の肩を持つ」と嘆くと、西郷が「短刀1本あれば」と言い、大久保は驚くが、「一橋が蘇れば我らの命も危うい、そのくらいの気概を持って会議に臨み、岩倉にも伝えよ」と言う。

会議が再開され、岩倉が王政復古に異を唱えるものは一矢報いなければならない。徳川慶喜の内大臣の官位返上領地も返上させる事となった。

岩倉具視 復帰 極秘に王政復古めざす

二条城
慶喜に幕臣が押しかけ 詰問していた。
京都守護職 松平肥後守容保(畠中洋)、京都所司代 松平越中守定敬 兄弟揃ってきた。
「京の都警護のため 薩摩を討伐します」と言うが、慶喜は「余の命がなければ動いていけない。動けば不正義になる」と諭す。「未だ京を守る役目」と容保達は言うが、慶喜は「お役目を解く」と制止する。

そこに 前 福井藩主 松平春嶽(林隆三)、前 土佐藩主 山内容堂(塩屋俊)が勅使としてやって来た。
慶喜は 衣冠で受けとりたいが 下の者が騒ぐので夜半まで待って欲しいお願いする。

春嶽と容堂は岩倉は神懸かっていた。御前で刀を抜きかねなかった 小御所会議を振り返った。

慶喜も春嶽達も衣冠に着替え、 春嶽達は 徳川慶喜の内大臣の官位返上。新政府の歳費として 領地を半分差し出す事になったことを伝えた。

慶喜は 官位を辞すことに異存が無いが、石高400万石と言われてるが実は半分の200万石しかない。半分と言われると これからの幕臣の生活が困る。老中達と相談するので改めて返事します。

そこに、板倉がお聞きしたいことがあると、切り出した。
上様は大政を返上され 官位も辞された。今やすべての政は新政府に移ったものと存じます。
容堂は「諸外国のこと 重大なること以外は 今しばらく 上様に従来通り 御委任のことと存じる」
板倉は「イギリスなど諸外国から 色々言ってきてます。すべては諸外国のことで 上様に手出しできない。いずれ各国公使が都に赴き 御所へ参内しますのでよろしく取り計らって下さい。」
春嶽は「それは困る。異人が 大勢来ては混乱する そちらでお願いしたい。」

板倉は「いかなる資格で会えば良いのか?」
春嶽は「従来通り、日本の元首として会ってもらうしか 仕方ない。」
板倉は「上様に対し非礼では無いか」
慶喜は「静まれ。」「各国公使に私がお相手する。いかなる船出でも我が国に良きものにならなくてはならない。」

▽まとめ&感想

大政奉還と将軍職の辞退 しばらく従来どおり幕府に政を幕府に委任した。
江戸に大政奉還伝わり 大騒ぎになり、松平春嶽が協力要請 西周に作らせた「議題草案」見せる。
岩倉具視 復帰 極秘に王政復古めざし、薩摩 岩倉を中心に小御所会議が開かれ 慶喜の辞官納地が決定

※この放送は、字幕が出ません。私が理解できない言葉があり、間違っていたらゴメンナサイ。

今まで、慶喜中心に話が進んでいたのが、攻められる側になりました。
岩倉具視の迫力、大久保、西郷のブラックさには驚きました。