大河 徳川慶喜 第31回 「孝明天皇の立場」▽あらすじメモ▽新撰組京警護 長州英仏から攻撃

チャンネル銀河 2020/10/27(火)AM8:00~
慶喜は後見職 慶篤は将軍目代の辞表を出し、老中 小笠原は 京の将軍 家茂を江戸へ帰すために英国の軍艦で兵を大阪に送る事を考える。
姉小路近知が暗殺され、容保は新選組の近藤勇 土方歳三 沖田総司を呼び 都の警護にあたらせた。
英国の軍艦が大阪に着き、交渉の結果将軍がなんとか大阪に出向いて 船に乗った。
長州藩は英仏の艦隊に報復攻撃受け、三条実美 偽りの攘夷新政の勅状を発し 孝明天皇怒り 長州を追放。

慶喜は後見職・慶篤は将軍目代の辞表を出した

江戸城
中納言慶喜(本木雅弘) は江戸に戻り 攘夷期限を5月10日にしたこと各藩に伝えよ。
公方様がお上に奏上したこと 即刻実行せよ。
外国奉行 川路左衛門尉聖謨 攘夷実行は無理。叡慮(えいりょ)でも、諸外国に 戦端(せんたん)を開けません。
将軍目代 徳川慶篤(内野聖陽) は 都で公方様攘夷期限を約束されたのを見ている。

賠償金がなぜ 支払われたのか 何の連絡も受けていない。
老中 小笠原図書頭長行が 私が 独断で支払った。

外国奉行 菊地隆吉 が 横浜の領民に賠償金が支払われ、戦の心配がなくなった。 商取引も従来の通り行うよう 布告があった。 この布告はどこから出ているのですか?
慶喜は「判らん」 とにかく 公方様も 主席老中も知らぬ間に 支払いしなければ ならなかった。
その責任は、この慶喜にある。後見職を辞任し、お沙汰を待つ所存。

慶篤も せっしゃも勅命により 将軍目代の役目 賜ったが 力及ばす 今回の不始末にあたり、このままでは叡慮のかせつ 行き届かぬので、将軍目代の辞表を朝廷に差し上げる所存でござる。

目付 杉浦正一郎 が来て 5月10日 長州藩が下関で米国商船を砲撃したと 報告した。

一橋家
美賀(石田ひかり)徳心院直子(鶴田真由)が慶喜が戻られたのに 奥に戻っていないかたずねた。
松島(岸田今日子) に 表に なぜ 戻られないか聞いてくるよう頼んだ。

慶喜に慶篤は御礼を言い 長州藩が攘夷に踏み切った。 公方様を助けなくてはならない。

老中 小笠原は 京の将軍 家茂を江戸へ帰すため 英国の軍艦で兵を大阪に送る

小笠原が 実は賠償金を支払ったとき 英国公使が喜び 攘夷派が日本政府を困らせているなら、いつでも手を貸すと申している。
英国の船なら、数日で 大阪に兵を送れる。 公方様の兵 3000 会津など数百 それに我が方の兵1500を加えれば 公方様を都からお連れするばかりでなく 都の大掃除ができる。都に行かせてください。
慶喜は、事を荒立てずに行う方法がある。

京都 小御所
侍従 姉小路近知議奏 三条実美 が 慶喜さんは 後見職の辞表 、慶篤さんは 将軍目代の辞表を出された。
勅命で賜ったのに 攘夷の約束を果たせないので辞めたいとは 無責任。しかも賠償金を支払ったとは、将軍家は ご存じか?

老中 板倉周防守勝静、京都守護職 松平肥後守容保 は 我らも 寝耳に水。なぜこうなったのか 早急に調べます。
幕府が そのように 弱腰では 諸外国から守れまい。
板倉「 諸外国は 我が国に 戦を仕掛けていない。お上に約束したのは、拒絶攘夷。港を閉め 新に 諸外国と話し合う期限を5月10日とした。長州のように外国に攻撃を仕掛けるのではございません。」
三条「すべて 政は委ねてはいない。長州藩の気概で実行しない。」

板倉「まず公方様を江戸に戻り 、大命を発してもらう必要がある。」
三条「 将軍が江戸に戻るのは 攘夷の約束を破り 異人達のいうがままになる事。諸大名に戦端を開けと申してもいいのだ。」
関白 鷹司輔熙(北見敏之) はなだめた。
姉小路「ただ戦に及ぶなら 我が国の 具備を充実させ 海軍を大にしなければ」
三条「それでは 幕府と同じ、私は 海軍よりも 大和魂を示せと申している 。大政を奉還しなさい」

姉小路近知が暗殺され 容保は新選組の近藤勇 土方歳三 沖田総司を呼ぶ

その帰り道 姉小路近知が 暗殺された。

京都守護職の 宿館 黒谷 金戒光明寺
松平肥後守容保(畠中洋)は新選組 近藤勇(勝野洋)、土方歳三(橋爪淳)、沖田総司(小澤征悦)を呼び、昨夜姉小路近知が殺害され、都は敵味方も判らない。今朝方、学習院の門に貼られた紙に、三条実美の命を狙うと書いてあった。浪人達を断固 取り締まるものとする。新撰組は 会津藩の扱いだ。いかなるものにも遠慮はいらない。
土方が、薩摩が長州に仕掛ける気配あるとの事です。
容保は、都はますます荒れる。将軍 一人だけ 都に残っている。 お守りするのは我ら。

京都 常御所
孝明天皇(花柳錦之輔)鷹司政通(宝田明)を呼び「 姉小路が命を奪われた。 三条実美も命を狙われてると聞いている なぜか とたずねた。
正通「判らない、ただ国事御用掛を作ってから 政に関わり始めてから変わった。下の者の強い要求で 参政寄人 と言う役職を作ってから、諸国の浪人が 上京してから、 公武一和 攘夷に別れて争うようになったようです。朝廷にまつわるものは 政には不向き これから先 おそましきこと起こるでしょう。」
帝は、「異人の襲来がなければ 浪立たなかった。 噂では関白さえ 預かり知らぬ勅状が出回っているとか なんとかせねばならん。」

英国の軍艦が大阪に着き 将軍がなんとか大阪に出向いて船に乗った

長州藩は、攘夷決行で 下関海峡を 通る外国船に 次々に 大砲を放った。朝廷を始め 攘夷派は喜んだ。
そんな時、英国の軍艦に2000人からの幕臣を乗せ 老中格の小笠原が大阪に着いた。

二条城
老中 板倉周防守容保が、小笠原が兵を率いて枚方あたりまで来ている。公方様を連れ出し、大阪に出れば 英国の軍艦で数日の内に 江戸に戻れる。今公方様が都を出れば 長州が勢いに乗り 倒幕の勅命を出されるかもしれない。
賠償金を支払ったことが イギリス公使を喜ばせた。しかも長州が砲撃を開始した。この際 外国の力で薩摩も潰せるかもしれない。まずは公方様を 江戸に お戻しするべき。
江戸より 一橋殿の書状が届いた。
板倉周防守は関白 に呼ばれ、御所に出かけた。

一橋家
平岡円四郎(新井康弘)を慶喜が呼び戻し、挨拶を受けた。
今は 将軍職のを辞職し、返事待ちだが、我が国をよい形にするには 時が必要だ。

京都 小御所
三条実美が板倉周防守に、姉小路さんを殺害したのは あなたの配下の者でしょう。いつの間にやら大阪まで兵を運び、入京させるおつもりですか。分が悪ければ 兵を持って制する気ですか。
老中 板倉「それは誤解です。兵を引きているのは 小笠原図書頭で、都が乱れてはいけないということで 馳せ参じた。」
鷹司輔熙「兵を 都に入れてはなりません。勅命を持って 小笠原の兵を討伐することになる。」
板倉「お待ちください。小笠原は あくまでも 御所をお守りするために来た。 人をやり入京しないよう命じます。」
しばらくして、戻ってきた板倉「説得したのですが、小笠原は公方様の軍勢を動かした以上、公方様より直に お命じいただきたい と申します。軍勢を都に入れ 公方様に お目通り願って」
鷹司輔熙「軍勢を都に入れては ならん」
三条「主席老中のあなたが 老中格の 小笠原に 命じること出来ないのか?」
板倉 「我らは公方様につかえる身。小笠原が公方様から 直にお言葉を賜りたい というのはごく当たり前のこと。」
鷹司輔熙「では、将軍家が出向けば良いではないか」
板倉 「ではお言葉に従い 将軍家が出向くようにします。」

14代将軍 家茂英国の軍艦に乗り込んだ。
それからしばらくして、攘夷決行を約束した上で江戸に戻りました。

長州藩は英仏の艦隊に報復攻撃受ける

攘夷決行に踏み切った 長州藩は アメリカやフランスの艦隊に 報復攻撃された。
薩摩も 賠償金を払わず 薩英戦争になり、 決行頑張ったけれど 攘夷は無理と思い知らされた。

一橋家
慶喜は、美賀や直子に 水戸の 小石川の屋敷に移るよう勧めた。
長州も 薩摩も 諸外国に敗れ 町を焼かれた。江戸も危ない いつでも移れるよう準備して。
江戸城は狙われ、 大砲が届く、万が一上陸したときは、ここが戦場になる。
松島も残ると言い、 直子は皆で残ればいいのではないか と言った。
松島が、「生きるも一緒 死ぬるも一緒 さくらの花の咲くごとく さくらの花の散るごとく 」

慶喜は 京の さくらを思い浮かべた。

三条実美 偽りの攘夷新政の勅状を発し 孝明天皇怒り 長州は朝廷の敵に


長州藩士 桂小五郎 、久坂玄瑞 、久留米水天宮 神官 真木和泉が、芸妓のさくらの舞を見て 酒を交わしていた。
久坂「攘夷決行の勅状が出ている、攘夷倒幕に切り替えればよい。三条殿なら 朝廷を押し切れる。」
真木「お上のご意向は攘夷、それを無視し都合が悪くなれば 辞表を出す。このままでは 一橋慶喜らの思うつぼだ。」
桂は「心配はご無用、朝廷は 我らが掌中にある。 攘夷倒幕と言わずとも お上が自ら攘夷に、立ち上がられ、攘夷新政の勅状を下されば、これが倒幕となる。 お上の元に我らが従い 攘夷決行するということだ。」

一橋家
慶喜と平岡の元に、中根がお城からの連絡を伝えた。それは 新政攘夷の勅状が発せられたとの事です。

京都 常御殿
孝明天皇 が「誰がこのようなものを 勅状と偽り発したのか。関白は何をしている。三条の仕業か」 と問うと中川宮朝彦親王は、「関白さんは もはや 三条中納言の勢いに抗しきれません。この勅状は三条中納言中心に作られたものです。」

孝明天皇 「許せぬもの達だ、攘夷新政の裏に 倒幕が隠されているとは。幕府を討つとは 和宮をも討つことと言うことだ。嘆き悲しむ 和宮を 無理矢理 関東へ降嫁させ その同じ手で 討てと申すか。神をも恐れぬもの達だ。幕府は 今日これまで 行く度々なく約束を反故にし  いつわりの言葉繰り返してきた。されど 政委任しているのだ。 攘夷が進まぬは 大いに不満なれど 我が国の形は、幕府と朝廷で成り立っているのだ。その幕府を討って、この国の形を いかようにしようと思っているのだ。長州は良き藩なれど 幕府に代わることできん。関白を始め三条実美達は、いつわりの勅状まで作って、いかなる事をしようとしているのか。我が臣下が、自らの手で 国乱すものに 加担するとは、これも皆 我が不徳のいたすところとあらば 臣下を恨む前に 自らを恨まねばならぬ。情けない。」

中川宮朝彦親王「もったいないお言葉にございます。」
孝明天皇 「国乱すものを追い払い、三条達を罰した上で、公武一和を実現するのだ。」
中川宮朝彦親王「はい、京都守護職、薩摩藩と打ち合わせており、早急に手を打ちます。」
孝明天皇 「中門を閉め、怪しげなるもの一人残らずこの都より追い払うのだ。」

さっきまで大いばりで朝廷を動かしていた、長州藩が 一夜にして 朝廷の敵になった。
でも 公方様に 分が良くなったわけでもない。 一段と分が悪くなった。
慶喜様も ますます むずかしくなった。これから 大紛争が控えている。
さくら舞っている。

▽まとめ&感想

慶喜は後見職 慶篤は将軍目代の辞表を出し、老中 小笠原は 京の将軍 家茂を江戸へ帰すために英国の軍艦で兵を大阪に送る事を考える。
姉小路近知が暗殺され、容保は新選組の近藤勇 土方歳三 沖田総司を呼び 都の警護にあたらせた。
英国の軍艦が大阪に着き、交渉の結果将軍がなんとか大阪に出向いて 船に乗った。
長州藩は英仏の艦隊に報復攻撃受け、三条実美 偽りの攘夷新政の勅状を発し 孝明天皇怒り 長州を追放。

※この放送は、字幕が出ません。私が理解できない言葉があり、間違っていたらゴメンナサイ。

歴史を順に追っていくと、面白いです。
今回は、賠償金を支払ったとき 英国公使が喜び 攘夷派が日本政府を困らせているなら、いつでも手を貸す。英国の軍艦で大阪に兵を送り、将軍を連れ帰ったことに驚きました。