大河 徳川慶喜 第29回 「将軍名代」▽あらすじメモ▽長州は破約攘夷 公家達が 攘夷の期限迫る

チャンネル銀河 2020/10/23(金)AM8:00~
文久3年(1863)慶喜は孝明天皇に拝謁し 攘夷と公武合体を求められます。 叔母の鷹司家に挨拶。
長州は破約攘夷を唱え 開国して朝廷を利用し政を幕府から奪うつもりだった。
京都守護職 容保に 攘夷を唱える者 捕まえよと命じる。
公家達が 攘夷の期限を約束せよと夜中に迫り、慶喜 期限を約束。慶喜は将軍名代として 政 一任 の勅状をもらった

慶喜 孝明天皇に拝謁 攘夷と公武合体を求められ

水戸藩 江戸小石川上屋敷
水戸藩主 徳川慶篤(内野聖陽)は幕府より、斉昭 あての勅状 水戸藩に置いていい、回覧していいと知らせてきた。
慶篤は、虚しい、幕府も朝廷も同じ、 時移れば 時が経てば そのたびに 都合よく 心変わりする。このため 多くのものが命を落とした。父もその一人と思う。

京都 小御所
文久3年(1863)
中納言慶喜(本木雅弘)がはじめて、孝明天皇(花柳錦之輔)に拝謁。
有栖川の顔と言われ、そなたの力で攘夷(外国勢力の排斥)を行い、公武一和を実らすべしと賜った。


慶喜の宿舎東本願寺
慶喜は、中根長十郎(信太昌之)に贈答品の手配を依頼。
水戸藩士 武田耕雲斎水戸藩士 梶清次衛門 に父に仕え、藤田東湖にも近かった 薩摩 長州の 攘夷派にも詳しいだろう。
特に 長州は 朝廷を牛耳り、その上 己を中心に この国を操ろうとしている。手段を選ばない。
今日 攘夷を唱えても 明日には、開国を唱えるもの達だ。朝廷はだまされている。
余が その方達を選んだのは 真の尊皇攘夷派と見込んでのこと。
もはや条約を破棄して、攘夷決行など不可能だ。 誰がやっても 戦 無くしては 出来ない。
諸外国と 戦になれば 勝っても多くのものが死に、日本国中 焦土となる事は目に見えている
確かにお上は、異人が大嫌いだが、我が国が焦土になる事は避けたいと思う。
よって、お上に 「開国やむなし 攘夷は不可能 」と正直に言上する事が真の尊皇攘夷と思う。

攘夷決行の勅命があったら、と問われ、改めて 死をとして 言上する。最後は腹を切るしかあるまい。

京都守護職 松平肥後守容保((畠中洋)が 公方様がいつ上洛するかたずねた。
まだ決まっていないというと、お急ぎくださるようお指示お願いしますと言った。
長州の攘夷論が勢いを増し、朝廷では、国事御用係を作り、公家達は攘夷期限を求めている。

そのために、長州に後押しされた、鷹司輔熙(北見敏之)が関白になる噂がしきりです。
公方様の上洛が遅くなれば、何が起こるか判りません。
長州の呼びかけに、西国の大名が続々上洛しています。
長州が朝廷と、西国の諸大名を押さえ、攘夷決行の勅命を賜れば、公方様が上洛されても後の祭りになります。
京都 町奉行 永井尚志は、朝廷や、諸大名ばかりでなく 都は日が落ちたら 外を歩けないほど物騒です。

慶喜 叔母の鷹司家に挨拶・長州が破約攘夷を唱え 、開国、 朝廷 利用し政を幕府から奪う計画

少しの間に 長州が 破約攘夷 (条約破棄 攘夷決行) に変えてしまった。
公家達は、日本全国を考えてはいない。自分たちに利するものになびいている。
私たちは、将軍の露払いで上洛した。出来るこは何でもやる。
公方様が入れないようでは困る。手わけして、何とかして 長州の勢いを止めるんだ。

鷹司家
鷹司政通(宝田明)公の奥方が、斉昭の姉・清子(有馬稲子)なので挨拶に伺った。
斉昭公のご子息が 将軍後見職となって、目の前においでになるとは めでたい。
そなたが 七郎麿 、今日に来て 水戸徳川家の人に会うのは初めて。
都に叔母上がいて 心強い。
都は、この有様 あなたはたいそうな役を引き受けになった。
弟は 草葉の陰で喜んでいるんだろう。

世の中が変わってきた。公家の下の者が、傍若無人に振る舞い、数を頼み朝廷を乱し始めている。
わしは、隠居のみだが、気が気では無い。

鷹司輔熙(すけひろ)が戻り、もはや公武一和の道筋より、破約攘夷の道筋が 朝廷会議の体制です。
この間まで 公武一和 そのための和宮様で まとまっていたのでは?
幕府は、和宮様との約束 何一つ守っていない。お上は事を荒立てたく無いと主ているが、深く疑っている。
それがしが賜り、出来ることからやります。
ところで薩摩と縁戚関係のある近衛が関白職を外れ 長州と親しいあなたが関白職につくのは本当か?
イヤ、マダ
輔熙殿は、長州の 破約攘夷が正しいとお思いか?
早急に条約を破棄し、攘夷を決行するなど不可能と思いませんか?
攘夷を決行すると、諸外国と戦になる。お上にその覚悟が おありですか?
そのような思し召しと存じます。
それならば、幕府としては、反対する理由はない。全国一丸となり 諸外国と戦います。
その結果 国土は奪われ、この国から日本人が一人残らず消えても良い。
我が国には、大和魂があり、最後には、神風も吹きます。
長州は密貿易も行い 諸外国の事情にも通じているはず、その長州が諸外国と本当に戦をすると思いますか?攘夷決行は表の言葉です。
井伊大老の結んだ条約は、勅許を得ない違勅条約にて、まずこれを破棄する。その上で、お上に開国を納得いただき、改めて、諸大名が国是を決め、その上で諸外国と新に条約を結ぶ
長州の真の狙いは、開国です。その開国を幕府では無く 自分たちで行おうとしている。
そのためには、幕府から 政の権限を奪わなければならない。
そのための手段として、朝廷を利用しようとしている

長州に確かめましょう。
しかし、長州は、「後見職は長州と朝廷との仲を裂こうとしている。まさしく罠だ」

朝廷が力を貸すほど、攘夷は遠のき、開国が進むことになる。

慶喜 京都守護職 容保に 攘夷を唱える者 捕まえよ

それから しばらくの間、都はますます荒れた。

慶喜に 大目付 岡部駿河守長常が門前に 香川なる首と 私への 文が置いてあった。
このところ、公武一和につくされたお方が 次々と追われている。

慶喜は 京都守護職 松平肥後守容保 に 夜盗のようなものが全国から集まり、攘夷を理由に多くのものを殺害している。ゆゆしきこと 早急に 都を 掃除せよと命じた。
お言葉を返すことになりますが、攘夷を叫ぶもの達は、多くは藩の命により上京している。そのもの達を召し捕れば、各藩とことを構えることになります。
仕方あるまい。あの者達は、勝手に公家の屋敷に押しかけ、騒ぎ立て、脅し 人を殺している。

されど、この騒々しさのひとつに言論の道が塞がれている。あの者達は下級の侍か 郷士の者、大いなる不満は下の者の意見が 上に通じないこと、あの者達の声を聞いてやることが第1歩ではないでしょうか?
わしは反対だ。皆 身勝手なことを言っている。下の者の意見を聞くのか?

容保はそれがしの責任でやってみます。
ただし、都の警備はますます厳重にな。

公家達が 攘夷の期限を約束せよと夜中に迫り、慶喜 期限を約束

御所 小御所
攘夷の期限を約束させろ と騒ぎ立てる。
関白 鷹司輔熙が このように大声を上げるのはお上に 非礼だ。
侍従 姉小路近知議奏 三条実美、幕府は何もしない。攘夷の期限を約束させろ。

政治総裁職 松平守春嶽(林隆三)前土佐藩主 山内容堂も上洛し、慶喜、容保と 相談

春嶽は 今 京に集まっている、西国の諸大名は、朝廷の呼びかけによって 上洛した者。武家諸法度で禁じられているにもかかわらず、幕府はその罪を問えん。これで政を預かる幕府といえようか?
今や朝廷には、国事御用掛など作られ、諸大名に発せられている。
朝廷が勝手な命令を出すのを辞めるか、将軍家がお上に大政奉還するか、2つにひとつを朝廷に選んでいただこう。政事総裁職の辞表を出すと言い出す。

慶喜の 寝所に 水戸藩士 武田耕雲斎 が訪ねてきた。
8人ばかりの公家が来て、居座っておる。 攘夷の期限についてと推察します。
春嶽殿など集めよ。集まるまで待ってもらおう。

子の刻
松平守春嶽 山内容堂、慶喜、容保が揃った。

三条実美が我々は、日のある内に、お上の御前で会議を開き、勅命で参上した。攘夷の期限を確定してください。
慶喜は、将軍家の上洛を待ち返事したい。
即答!

別室で、おかしい お上が夜中に勅使を遣わすだろうか?

山内容堂が三条実美と縁戚があるので、話を聞いてくる。
真にお上の言葉か? お願い申す。
今夜の内に 攘夷の期限をいただかなければ、我らの身が危うい。
他との約束 長州の久坂 桂か?
朝廷は勅使の件は承知しており、攘夷の期限を求めることは知らないだろう。

慶喜は、今約束しなければ長州がいきり立つだろう。
将軍家の上洛の前にいきり立たれては困る。
攘夷期限を決めましょう。

慶喜は公家達に、攘夷期限は 将軍家上洛の後、江戸に戻られた日から20日後といたす。

将軍 家茂が上洛 慶喜は 将軍名代として 政 一任 の勅状を得る

二条城
三月に入って将軍 家茂が上洛。 将軍上洛は天皇に呼びつけられて 230年ぶりで、世の中がひっくり返るようだった。

老中 板倉が、将軍 家茂がお若いので、将軍職をとられると恐れ、慶喜に 将軍名代として 政 一任 の勅状を引き出して欲しいと頼む。

御所 小御所
慶喜は孝明天皇に 将軍名代として 咫尺奏上(しせきそうじょう =近づいて申し上げる)を頼んだ。
幕府の執政を謝し、公武一和のため和宮降嫁の御礼を述べ、攘夷の勅状をいただいて、井伊大老の不正が有り 将軍家の号令行きとどかぬ事が多いが 一任お願いします。

孝明天皇が、政については、従来の通り 関東に委任いたす。攘夷については いっそう精出すように。
驚く 公家達。

長州藩士 桂小五郎 今頃 御所は 大荒れに荒れ 徳川慶喜も目を廻しているだろう。
久坂玄瑞 政の委任が取れなければ、幕府は総崩れになるでしょう。
桂小五郎 まず祝いの酒だ。よき芸妓を見つけた。
芸妓 がさくらでございます挨拶。

▽まとめ&感想

文久3年(1863)慶喜は孝明天皇に拝謁し 攘夷と公武合体を求められます。 叔母の鷹司家に挨拶。
長州は破約攘夷を唱え 開国して朝廷を利用し政を幕府から奪うつもり。
京都守護職 容保に 攘夷を唱える者 捕まえよと命じる。
公家達が 攘夷の期限を約束せよと夜中に迫り、慶喜 期限を約束。慶喜は将軍名代として 政 一任 の勅状をもらった。

※この放送は、字幕が出ません。私が理解できない言葉があり、間違っていたらゴメンナサイ。

考えが少しずつ変わり、頭がこんがらかってきます。
幕府側でない、大河があったのですが、見る方向が違うと 違ってきます。