大河 太平記 43話「足利家の内紛」★楠木正行四条畷で死 師直の執事解任 ▽ あらすじメモ

直冬が尊氏訪ね 北畠親房 楠木正行の活躍知り 出陣訴える

母・清子の死から五年が経った貞和3年(1347)秋
足利家の将来を憂いていた、最後の母の言葉も虚しく 尊氏 直義 兄弟は対立を深めていた。
しばらくは平穏に見えた 幕府内の対立も激化、直義を中心とした 桃井・細川・上杉等足利一族に対し 外様や地方の新興武家集団をバックとした 高師直 師泰たちの不満が頂点に達していた。
その幕府の乱れに乗じて 南朝も息を吹き返し始めていた。北畠親房は東国より吉野に戻り 各地の武将に蜂起を促した。それに呼応した 楠木正成の長男 正行も河内で兵をあげた。今や 再び世は動乱の世を迎えようとしている。

土御門東洞院 尊氏の館
尊氏と登子の間には 待望の次男 光王(後の足利基氏)が生まれていた。
足利尊氏光王に庭で蹴鞠を教えていた。それを見て 登子(沢口靖子)が「そなたは幸せじゃのう、兄上と違うていつも父上とご一緒じゃ」と声をかけると、光王は「また兄上の話じゃ。好かん。」という。

そこへ左兵衛佐:直冬(筒井道隆)三条殿:直義(高嶋政伸)が風邪で伏せっているため 名代として訪ねてきた。
尊氏が「して?」と聞くと、直冬は「近頃 吉野方は、北畠親房(近藤正臣)が東国から戻り、吉野は勢いづき動きは目を見張るものあり、こと大将に据えられた楠木正行(中村繁之) は勇猛果敢、我が方の細川顕氏(森次晃嗣)は、力及ばず 連戦連敗のありさまです。」
尊氏は「正行どのか、はや大将をつとめられる歳になったのだのう」 とつぶやく。
直冬は、将軍と亡き楠木正成とは比類なきライバルであったとの事。かの湊川での壮絶な合戦のありさまは 今なお 若き武士の間でも語り伝えられている。
「正行が正成どのの遺児ならば、不肖 直冬もまた将軍を まことの父とせし者でござりまする 正行と戦を交わし、見事討ち取ってまいりたいので 出陣のお許しを得たい 」と言う。
尊氏は「さほどに戦がしたいか?まだ若い。まだ戦に赴くことはあるまい 」
直冬は 「それがしも24、楠木正行ごときに 勝とも劣らぬ力を備えています!」
尊氏は「 功名心にはやるだけでは戦に勝てぬ。一軍を指揮する器量はまだまだじゃな。」
すでに 高師直(柄本明)師泰(塩見三省)兄弟に出陣を申しつけてあり「戦になど参らずともよいではないか。直義殿のそばにいて、補佐してやるが親孝行というものぞ」と言い渡した。

三条 直義の館
戻った直冬は 病床の直義に、尊氏との会見の様子を伝えた。
直冬は「将軍は この直冬の成長を お認めになりたくないのじゃ。まして 御台どのは直冬を憎んでおられる」
桃井直常(高橋悦史)は「師直兄弟は希代の戦上手。楠木正行ごとき若武者では太刀打ちできまい。おそらく 細川殿の仇も 難なく討たれるだろう」
直義は「時を待て、しばしば 師直殿の手並みを見てよう」と直冬らに言う。

佐々木道誉 京に戻る 高師直の台頭を足利一門 憎む

佐女牛 道誉の館
上総に流刑となったはずの佐々木道誉(陣内孝則)はいつの間にか京に戻っていた。
道誉の館では お茶の飲み当てがひらかれ、師直は10種のお茶をすべて当てていた。
師直は正行討伐のために帰宅を急ぐが、道誉は「さては二条の君との別れを交わさんと帰り急いでおるな」とからかう。
師直も「あれほどの女性、ほかにはおりますまい」と、一同 大笑いする。

酒に酔い、歌いながら帰る 師直一行を黒装束の一団が襲ってきた。
斬り合いになり、師直は 逃げ込み 背にした塀が倒れ 泥水に浸りずぶ濡れになる。

一条 師直の館
館に戻った師直は火にあたり くしゃみを続けざまにすると「悪運の強い方じゃ」と二条の君(森口瑤子) が笑う。
師直が死んでくれれば どれだけの人が胸をなで下ろすか、見目良き妻を持つ殿御は戦々恐々で あの塩冶判官の二の舞になりたくないだろう と二条の君が言う。
「そなたはわしのことが憎くはないか?」師直が問うと、二条の君は 「はい、もう憎らしゅうて憎らしゅうて…」と師直に抱きつき「とりわけ憎んでおられるのは上杉、細川 とくに細川顕氏どのは憎んでおられましょうな 。家来筋と思っていた師直の台頭を足利一門の者はみな憎んでいるはず」と笑って言う。

「そのようなこと、誰に吹き込まれた?」師直はにらむみ 二条の君に聞くが、笑ってはぐらかすだけだった。
「誰の恨みでもよい。足利方の分断を図ろうと企むものは どこにでもいる。みな、引き受けようぞ…」と師直は言うと、二条の君を抱き寄せ、押し倒した。

楠木正行が後村上天皇に拝謁 出陣

吉野山 行宮(あんぐう)
南朝は後醍醐帝亡き後 後村上帝が跡を継いでいたが 実質的に朝廷を動かしていたのは 北畠親房であった。
出陣を前にした楠木帯刀正行が参内し、後村上天皇に 拝謁していた。
後村上は長く陸奥にいたので 正成に会ったことがない「いかなる父であった」と正行に尋ねる。
正行が湊川合戦の前 桜井の宿で「命を大事にいたせと命じられ 、大人になったら自分の命をいかようにも使え」と言われたので、今 吉野の帝に忠義を尽くし かく戦いおる次第、と言う。
阿野廉子(原田美枝子)は「よう もうされた。血気にはやって死に急ぐではありませぬぞ」と語りかけた。
後村上は「楠木、頼みに思うぞ」と声をかけ、正行に御酒を賜うよう命じた。

正行が賜わった酒を干し 退出しようとすると、一人残っていた北畠親房が呼び止める。
親房は我が子のことゆえ誉めにくいが、と言いながら、顕家は千里の彼方から駆けつけ、いっときは京を奪い返し、獅子奮迅の働き 神のような戦いぶりであった と語る。
「されど、この吉野へは京の都を奪回するまではと、一度も伺候せず、ついには武運つたなく…。神の子の如くであった。そなた、帝に拝謁し御酒まで賜うた幸せ者よのう」 と言う親房。
親房は正行の肩をグッとつかみ「そなたも正成の子、父に劣らぬ見事ないくさぶり、見せてもらうぞ!」 とにらみつける。
正行は「師直、師泰がこうべをとるか、正行が首をとられるか、二つに一つ、命をかけて戦うて参りまする!」 と答えた。
「うむ!」とうなづき 退出していく正行を、親房は悲しげに見送った。

正行 四条畷で戦死 南朝 賀名生に逃げ延びる

河内 四条畷合戦
高師直率いる足利軍と、楠木正行の軍は河内の国 四条畷で激突した。
善戦であったが、しだいに正行側が追い詰められていった。
吉野を訪ねてわずか8日後、貞和4年(1348)正月5日、楠木正行は戦死。まだ23歳の若さであっ た。
勢いづいた師直は、そのまま吉野へ進撃。吉野の行宮 蔵王堂など ことごとく焼き払った。
燃え上がる炎の中 師直は高笑いする。

後村上帝と南朝方の面々は、ほうほうのていで吉野を後にし さらに山奥の賀名生(あのう)へと逃げ延びていった。

一条 師直の館
都に戻った師直は部下たちと勝利の宴に酔いしれていた。
「賀名生で猿を相手にいかなる天下をしろしめすや。吉野はもう終わりじゃ」と師直は笑い、名を呼べと言われ 「師直殿」と二条の君も酒をつぐ 。
しかし師直は尊氏はわかってくれようが、直義は堅物…とつぶやく。

そこへ、「道に落ちていた」と笑いながら、公家の娘を一人連れ込んできた。大勢がおびえる娘を囲んではやし立て、師直もそれに加わっていく。

三条 直義の館
直冬が弓の稽古をしていた。「的の向こうに師直がいると思えば面白いように当たります」 と直冬は笑い、直義を弓に誘った。
直冬が師直のおごり高ぶりは目に余る。将軍の寵愛をいいことに勝手気ままの振る舞い 将軍は野放しといい、桃井直常、細川顕氏は 吉野方は力を蓄えて 近いうちに反撃があるだろう。ここで 直冬を御大将にたて 師直以上の戦を。
「将軍が出陣を許すまい」と直義が言うと、直常は土岐頼遠の一件いらい上皇は直義を頼りにしており、 持明院統の上皇から吉野方討伐の院宣を得ては、と提言。
直義は久しぶりに弓を引いた。

院宣を受け 大将に直冬を立て 吉野方討伐

しばらく後、直義は尊氏の意向を無視し 光厳上皇から吉野方 討伐の院宣を受け、大将に直冬をたてた。

土御門東洞院 尊氏の館
これを聞いて怒った尊氏は直義を館に呼びつける。
しかし やって来たのは直冬で、尊氏はさらに怒り、追い返すよう命じる。
しかし直冬も 直義の名代だけではなく、吉野討伐軍の大将として将軍に挨拶に来たのだと言って引き下がらない。
尊氏は「わしは認めておらん」 と無視するが、師直は「負けでございますな、大殿。三条どのが上皇を動かすとまで 読めなかった」と言う。

直冬は障子越しに尊氏に向かって「この直冬、幼き時より足利の二つ引両の旗印にあこがれ、二つ引両を掲げて戦場に赴く日をどれほど思い焦がれていたことか、将軍にはお分かりのはずでございます!」

「この直冬、力の限り戦い、必ずやその名をあげてみせまする!武運長久をお祈りくださりませ!」 直冬は一礼して去っていった。

直冬は紀伊国で、南朝軍と戦い めざましい活躍で初陣を飾り、その存在を誇示した。しかしその後の戦況は一進一退、南北朝動乱の戦乱は長引くばかりだった。

尊氏 北畠親房と密会 師直の執事解任

貞和5年(1349)6月尊氏は秘策を巡らし、京の天竜寺である人物と密会していた。
密会の相手はなんと南朝の総帥 北畠親房:亜相 であった。
親房は尊氏が後醍醐の霊を慰めるために建てた天竜寺の見事さを讃えつつ、後醍醐への思いをすかさず 己の権威を高めんがたに用いるとは「さすが足利どのよと申し上げておこう」と皮肉も言う。

尊氏は親房を「共に天下を語り合うべきお方」と呼び、親房も右往左往する公家よりも尊氏の方 が信じられる、 「ただし、敵としてじゃ」と応える。

尊氏は本題に入った。「先帝がさられて、ちょうど10年になります。1つの天下に 2人の帝が並び立つ。かかる 不幸を解消するには、願っても無い 良き折、われらの幕府をお認めくださるなら、吉野の帝に都をお返ししてもよい」 と尊氏は和議を提案する。親房はやや驚き、「京の帝を廃する?御舎弟殿は承知か」と聞く。
尊氏は「将軍はこの尊氏でござる」と言うが、親房はまつりごとは全て直義に任せ 今や尊氏の 思うようにはならないと聞いている、と皮肉っぽく笑う。
そして後村上天皇は多くの辛苦をなめており、京の都に1日も早く戻らんとしている。先帝を慕っており 先帝の遺志 公家一統の世を作らんものと、心に堅く誓っておられる。幕府を認めることが出来るなら、かような長いくさしておらぬ」と親房は首を振った。

「賀名生では先細り…」と尊氏が言う。
親房は 「我らの味方は健在でござるよ。それより足利殿、そこもとの足元に気をつけられたがよかろう」とやり返す。
「では、どうあっても…?」「どうあっても…」二人の会談は終わった。

尊氏と北畠卿の密会は天竜寺の僧の密告で直義の知るところとなった。

土御門東洞院 尊氏の館
激怒した直義は尊氏邸に駆けつけ、尊氏に問いただす。
「ずいぶんと早耳よの」ととぼける尊氏に、直義は将軍と将軍が会って まさか よもやま話をした わけではあるまい、と会談の内容を聞く。
尊氏が和議のことを明かすと、 「なんと!将軍はこの都の朝廷をいったいなんと思っておられます! 元をたどれば 我が足利の天下 持明院の上皇の院宣を賜りしより 始まりのこと。自らを否定するような 愚かなこと」と 直義は激しく尊氏を責める。
「近頃の兄上は狂うておりまするぞ。兄上だけではなく、周りに集うもの皆同じ」と直義は道誉や師直らの朝廷や公家・寺社をないがしろにすることに憤る。
和議について「安心せい、見事に蹴られたわ」と尊氏が言うので直義もひとまず気を静め、「これ以上この件で兄上を責めるのは止しにいたしましょう」と立ち上がった。

「しかし1つだけ 条件がある」と直義は続ける。条件とは高師直を執事の座から外すことであった。
今後、将軍は生臭い政治現場には直接関わることなく、評定所の政治を高所から見ていただくと言い渡した。
そして母・清子の前で誓ったように兄とは争いたくない、ただ 「師直こそ獅子身中の虫、除かねばなりません」と直義は宣言。
 
突然執事職を解任された師直は怒って尊氏のもとへ駆け込んできた。
師直「大殿、それがしがいなければ 大殿は裸も同然! 誰がお守りする!」
「なれば なぜ日頃の行いを慎まぬ!兄弟揃って傍若無人が どれほど直義を利しているのがわからんのか?」
「師直、引かねばならぬときは潔く引け。時機を待つのじゃ」と慰めるように言った。

この一件がもとで 足利家の内紛は逆に一層深刻となり、予想もしなかった事態に発展していくのである。

▽まとめ&感想

母 清子の死から五年が経ち 直冬が尊氏訪ねて北畠親房 楠木正行の活躍を知り 出陣訴える。
佐々木道誉 京に戻る。高師直の台頭を足利一門が憎んでいた。
楠木正成の長男正行が後村上天皇に拝謁し出陣するが8日後 四条畷で戦死。 南朝 賀名生へ。
尊氏 北畠親房と密会。直義が怒り師直の執事解任。
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今回は、楠木正行が出てきて あっという間に消えていきました。
北畠親房は正行に息子 顕家が出来なかった 天皇に拝謁 酒を賜ったこと を複雑な思いで見ていました。
高師直はすごい行いですね。首を切られてしまいました。
直義の方が正論のようで、 主人公は尊氏で どちらに心傾けたら良いか わからなくなります。