2021.4.3 NHKBS1
大河の主人公、渋沢栄一は 著書『論語と算盤』で道徳と経済の両立を説き、その考えはSDGs(エスディージーズ)のそのものでした。
栄一が高祖父の 渋澤健が案内します。500の企業を設立、600の福祉や教育事業に関わった。ゆかりの深い東京商工会議所や清水建設、東洋紡、東急などでは教えを受け継ぎ持続可能な経済をめざし続ける。
語り:田辺誠一
東京商工会議所 栄一は初代会頭
首都 東京の8万社の企業を束ねる東京商工会議所。
コロナ渦での経営相談が開かれていた。
相談員の胸につけられたバッジ「逆境の時こそ 力を尽くす・E.SHIBUSAWA」シンボルは初代会頭 渋沢栄一です。
現会頭 三村明夫は「東京商工会議所は 渋沢翁の意思を受け継ぎ 総力を尽くして参ります」と挨拶。
日本資本主義の父といわれる 渋沢栄一(1840-1931)。
幾多の挫折を繰り返しながら、未来を切り開いた。
およそ500の民間企業を設立。
農民の子に生まれながら、幼い頃から論語を学び みんなが豊かになる道を考え続けた。
生涯大切にしていた理念は 道徳と経済の両立でした。
やしゃごの渋澤健 栄一はステークホルダー資本主義の思想を持っていた
栄一のやしゃごの 渋澤健は自らも投資会社を運営する金融マンが 東京都 中央区 日本橋兜町の第一国立銀行(現みずほ銀行)の建っていた場所、銀行発祥の地を訪れた。
日本初の民間銀行 第一国立銀行は渋沢栄一が創設。
その偉大な功績から「日本資本主義の父」と呼ばれている。
おじいさんの おじいさんが 栄一で、5代目に当たる健さん。
「栄一が残してくれたのは ことば」という健さん。
健さんの心に響いたのは「一滴 一滴が大河になる」という言葉。
当時の 第一国立銀行 設立の 株主募集布告に記されていた 栄一の言葉で、資本主義の本質 と持続可能な経済のヒントをが隠されていた。
資本主義ではなく合本主義という言葉を使っていた。
価値を作る元があって それを合わせて新たな価値を作ることが合本主義。
「一滴 一滴」が元であり、ステークホルダー(企業活動を行う上で 関わるすべての人)だった。
今 流れになっている ステークホルダー資本主義は「株主の利益 第一」とは違い、企業が従業員や、取引先、顧客、地域社会といったあらゆるステークホルダーの利益に配慮すべきという考え方。
今から150年前 日本で 資本主義を導入した時から 同じような思想を 渋沢栄一は 持っていた。
2024年に新1万円札の顔となる 栄一は どうやってこうした思想を身につけたのだろうか?
栄一は 埼玉 深谷 血洗島に 農民の子として生まれ、徳川慶喜の家臣となり
1867年 慶喜の弟 武昭のフランス ナポレオン3世から招待された パリ万博参加に事務方として参加。
途中 横浜を出航 1ヶ月も船旅を続け エジプトで一旦陸路に入る。スエズ運河を工事していたのは フランスの民間企業だった。
「航西日記」に国家プロジェクトを民間が行っていて驚いたと記されている。
花の都パリで 国力の差を知る。
フランスの銀行家フリュリ・エラールから 資本主義経済の仕組みを学んだ。
国力を高めるには、民間の力を結集し、国を富ませみんなで豊かになる。
大政奉還が有り、明治という激動の時代が始まった。
帰国後、大蔵省入り 金融制度の基盤を作る
しかし 1873年 33歳で官僚を辞し 民間人になり、日本の近代化を進めた。
論語の教え 道徳経済合一説はSGDsにつながる
渋澤健は深谷市の渋沢栄一記念館に
大正15年 実際に渋沢栄一が書き写した論語が ここ 渋沢栄一記念館に残っています。
10歳上の従兄・尾高惇忠から7歳から 論語をはじめ四書・五経 も学んだ。
栄一は晩年講演記録をまとめて『論語と算盤』を出版した。
論語=道徳、算盤=経済 で 道徳と経済の両方を大切にする。道徳経済合一説です。
今のことばで 表現すると サスティナビリティ だと思う。
SDGs(持続可能な開発目標)で、まさに 渋沢栄一がずっと考えていたことだった。
道徳経済合一説といわれる「論語と算盤」は 栄一の思想は、世界から注目されています。
リーマンショック後、自分さえ儲かればいいという 強欲な 金融資本主義に 批判が集まっている。
栄一の「富をなす根源は、何かといえば仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することが出来ない。」
SDGインパクトの委員会の メンバーを務める 渋澤健さんは、この言葉こそ 現代のSDGsにつながるものだという。
清水建設は『論語と算盤』を社是に 公益 ZEB 洋上風力発電
江戸時代 清水屋として開業しました。二代清水喜助が 施工した第一国立銀行を高く評価して、渋沢栄一が 深川福住町の邸宅の建築を依頼しました。
1887年相談役について経営方針に大きな影響を与えた。
清水建設社長 井上一幸は 「当社にとって ベースを作っていただいた 大恩人のような方でありますし、個人的には 思い悩むとき 渋沢さんお教えによりどころを」
『論語と算盤』を社是に掲げ 社員全体の研修を行っています。
渋沢栄一が唱えた 合本主義で、最初に出てくる「公益」という言葉、サステナブルという意味合いでいうと 気候変動とかいろんな意味で 世の中おかしくなってきている変換点だと思います。
こういう中で 地球上にいる誰もが 幸福で 不自由なく暮らせる社会を作っていかなければならない。
「青淵日誌」には
元来 人がこの世に生まれてきた以上は、自分のためのみならず、必ず何か世のためになるべき事を なすの義務があるものと世は信ずる。
今大切な公益は 年々深刻になる地球温暖化を食い止めること。
次世代に誇れる 新しい建築に挑戦。現在進めている 豊洲6丁目プロジェクト
様々な省エネ対応を進め 1次エネルギーの消費の水準を50%以上削減する「ZEB Ready」認証 の達成をめざす。
オフィス中央の吹き抜けも、形状を工夫して なるべく太陽光が入るようにします。
ZEB =ネット・ゼロ・エネルギー・ビルを実現した オフィスが山梨県北杜市にあります。
太陽光パネル発電やバイオマスなどの再生可能エネルギーでまかなえる 杜のオフィスで厨房もALL電化されています。
ここは電線とつながっていない 日本初の オフグリット ビルで 2セットの蓄電池システムが備わっています。
脱炭素社会をめざす再生可能エネルギーとして 洋上風力発電が期待されています。
大型の風車は、SEP船と呼ばれる作業船を使ってみ立てします。
12MW級の大型風車にも対応できる 世界最大級の自航式SEP船(全長142m、全幅50m)の建造に着手しました。完成は2022年秋 完成をめざす。
井上社長は「サスティナビリティというのは我々がこれから 先に向かって、提供していかなければいけない価値だと、エンジンそのものは 民間企業が引っ張っていくべきと思う」と語った。
東洋紡 「順理則裕」の扁額を掲げ 循環型の経済めざす
大阪に渋沢栄一にゆかりの深い企業がある。繊維の大手メーカー 東洋紡は、渋沢栄一が前身の「大阪紡績」の創設に力を尽くた。
1882年 日本でも世界に負けない製品を作ろうと、民間の紡績会社を立ち上げた。イギリスの最新技術を導入 、一躍 繊維産業の中心となった 大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれる発展を遂げた。
取締役会長 楢原誠慈
本社の役員会議室に渋沢栄一自筆の「順理則裕」の扁額があります
ちょうど100年前 渋沢栄一が大阪で揮毫した言葉「順理則裕」は中国の言葉で「道理にしたがって行動すれば、いずれ繁栄につながる」としています。
私は 当時渋沢さんが 「豊かになる」ではなく「豊かにする」という意思を込められた言葉と思っています。
難しい案件がきたときは、「順理則裕」を見ながら 判断するようにしております。
実は対になる言葉「従欲惟危」
「理に順(したが)えば則(すなわ)ち裕(ゆた)かなり、 欲に従えば惟(こ)れ危うし。」
道理に従い 豊かになるには 時代の先を読んで 変わり続ける必要がある。
創業当時の繊維が売上に占める割合は 現在およそ2割だ。テレビや食品包装に使われる 新素材を開発。特にプラスチックの生産には、力を入れてきた。
「もう一度 世の中の役に立つ企業に生まれ変わりたい」。
今 大きな課題となっている 海洋プラスチック問題。この会社では 地球にかかる負荷を減らした 新しいプラスチック素材の開発に挑んでいる。
滋賀県 大津市の研究所では、ペットボトルのリサイクルに向けて研究を重ねている。
通常 ペットボトルをリサイクルすると 次第に透明度が薄れ 黄ばんでしまい それ以上リサイクルできなくなる。新しく開発した樹脂を加えると、透明性が保たれ 何度もリサイクルできるようになる。循環型の経済を作ることに役立つという。
母の慈愛の心を引き継いだ栄一社会福祉事業に取り組む
渋沢栄一は地元 埼玉県にも レンガ工場を作り 地域を活性化させた。
渋澤健は「この地域で作った レンガが東京駅でも使われた。」
特産のネギのゆるキャラ「ふっかちゃん」との楽しいコラボ、ラッピングバスも登場。
今日から渋沢栄一を主人公にした「青天を衝け」がスタート!ぜひご覧くださいね。16日からはドラマ館もオープンするので、遊びに来てください。
— ふっかちゃんイラストレーター・GONSY (@GONSY_DESIGN) February 14, 2021
いろんな場所で見るこのイラスト、9年くらい前に描きましたが、まさかこんなに使っていただけるなんて…光栄です。https://t.co/zw57vpVKfo pic.twitter.com/e8Fg1YZLF2
渋沢栄一は教育や社会福祉事業にも熱心に取り組んだ。
生涯で600もの団体に関わったという。
中でも力を入れたのが 女子教育。「日本女子大学」などの設立に貢献した。
当時としては画期的な女子の高等教育。良妻賢母を育てる事が目的だったが 女性が教養を持つことで 子供の教育レベルが上がり 日本全体の国力が向上すると考えた。
栄一が生まれ育った 生家「中の家」が 深谷市血洗島に あります。
栄一の原点には 深い愛情を注いでくれた 母親ゑいの存在がありました。
そこには 栄一の父の碑と 母の碑が 同じような大きさで 建っています。
母の慈愛の心を引き継いだ栄一は、社会福祉事業にも力を注いだ。
東京養育院(現在の 東京都健康長寿医療センター)
生活困窮者が数多くいた当時の東京。1874年 貧しい人 病気の人 老人や障害のある人 孤児などの保護施設 養育院の運営をはじめた。
なるべく直接の保護を避けて 防貧の方法を講じたいと、社会復帰のための職業訓練 わらじ作りをお子なった。
関東大震災後、「逆境の時こそ力を尽くす」という信念のもと 奔走した。当時83歳、兜町の事務所が全焼して、息子達が埼玉の生家に帰ることを勧めた。だが栄一は断固として断った。
「こういうときこそ、いささかなりも 働いてこそ生きている申し訳が立つようなものだ」
世界中から 資金を集め 被災者支援の先頭に立った。
「みんなで豊かになる 誰ひとり取り残さない」そんな栄一を象徴する出来事だった。
東急東横線 田園調布で理想のまちづくり
東急東横線を走る電車には 「Welcom to SDGs TRAIN!」の文字
沿線の人々に SDGsへの理解を広めて欲しいと 運行されている 「SDGsトレイン」
社内の広告も SDGs、「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」など17のメッセージを伝えている。
東急も渋沢栄一が設立した会社が前身となる。1918年に作った「田園都市株式会社」です。
最近 「田園都市株式会社」の社紋のは入った マンホールが見つかった。「田」の文字が刻まれた100年前のマンホール。
当時の栄一は喜寿を超え 経済界の主な役職から引退、だが 海外から刺激を受けた 理想のまちづくりに情熱を傾けた。
渋沢栄一の構想で作られた 田園調布(東京都大田区) 緑豊かな田園都市だ。住民達は厳しい自主規制によって街並みを守り続けてきた。
シンボルとして愛されてきた 田園調布駅 解体されたが 町人々の声で2000年に復元された。
渋沢栄一が願った 持続可能なまちづくり
東急 社長 髙橋和夫は 「次の100年も継続するような会社にする道筋は残したい」と語った。
厳しい直面にあっても 今力を入れているのが、「RE100」と呼ばれる再生可能エネルギー100%での事業運営でをめざす取り組みだ。
世田谷線については、東北電力の水力や地熱発電所の電気を購入することで 再エネ100%を実現している。
だが 世田谷線の電力が占める割合は1%にも満たない。日本では、再エネの価格が高いため 再エネ100%実現する道は生やさしいことではない。
21世紀の持続可能なまちづくりをどう実現するのか、
髙橋社長は「コストというより 必要な経費と考え、付加価値の高いものを提供できるよう、乗り越えない限り 企業の成長 持続可能性はない …」
そういえばSDGsトレイン初めて見た。 pic.twitter.com/VgfCBc9izF
— けーたま (@Ketama8001) March 31, 2021
それぞれの 取り組み
毎月 オンラインで 開催している勉強会「論語と算盤 経営塾」、健さんは若い世代に伝える取り組みに力を入れている。
清水建設では 旧渋沢邸の移築に取り組んでいる。
東洋紡では あっと驚く素材の開発に力を入れている。これは服の裏に電極フイルムをつけ 心拍数や呼吸のデータを計る事ができる服。
使われていない 青葉台郵便局をリノベーション 住民の拠点となるラウンジとして 活用する。
最後に 渋沢栄一83歳の時の 貴重な肉声(東京赤坂での講演)
「道徳経済合一説」がいつの日か広く世の中に普及し 社会に受け入れられように なることを大いに期待するものであります。
▽まとめ&感想
団体旅行で 今度のお札になるということで 2019年8月に 深谷に行っていました。
まだ 大河が発表なっていなく 「ウチの周りみたい」などと見てきました。
「中の家」のガイドの方が面白い方でした。
今となっては 気合いを入れて見てくれば良かったと残念がっています。