麒麟がくる 第6回 三好長慶襲撃計画 ▽ 十兵衛と藤孝 生涯の友に

NHK 総合 2月23日放送

将軍・足利義輝(向井 理)も列席する連歌会で、時の権力者・細川晴元(国広富之)による松永久秀(吉田鋼太郎)と三好長慶(山路和弘)の暗殺計画があることを光秀(長谷川博己)は知る。京の町の安寧が崩れることを恐れ、光秀は館に潜入し三淵(谷原章介)と藤孝(眞島秀和)らと協力して、松永らを救うことに。そこで傷を負った光秀は、東庵(堺 正章)の診療所へ運び込まれ、駒(門脇 麦)とひさしぶりの再会を果たす。

出典:NHK HP

春元と長慶の争いに巻き込まれる光秀

今日の話は本能寺の変(1582年 天正10年6月2日)の34年前 天文17年(1548年)

十兵衛は、 伊平次(玉置玲央)に鉄砲の分解してもらい、真っ直ぐのびた鉄砲の筒を「美しい」と言うと、「これを見てそんなことを言ったのは、十兵衛さまと松永さまだけですよ。」
伊平治が、ふと「松永さまと三好さまは、大丈夫でしょうか・・」とつぶやいた。
聞くと、三好長慶(山路和弘)松永久秀(吉田鋼太郎) を襲撃するという話を、遊女屋で聞いてしまったという。

十兵衛は伊平次の案内で三淵藤英(谷原章介)の元へ向かう。
三淵の屋敷では、 お忍びの 足利義輝(向井 理)の前で、能を舞っていた。

三淵藤英を呼ぶと、「今日歌会で三好長慶さまを、襲撃する計画があると聞きました。
三好さまのところにいきましたが、家来は誰もいませんでした。」と伝えた。

三淵藤英は「細川晴元さまと三好殿の内輪のもめごとだから」と言って聞き流そうとするが、弟の細川藤孝(真島秀和)は、 「 春元が、三好と松永を討って、好き勝手をする。義輝の御前で鼻をかむ、晴元は嫌いだ。」と言って、言い合いになる。

十兵衛は「私が幼き頃、父から教わったのは、将軍は武家の頭領であられるということです。
武士をひとつにまとめ、世を平らかにする。今世は平らかではありません。
将軍が争うなと命じないと世は平らかにはなりません。

と、熱く語ると、ひとり飛び出して行った。

ふすま越しに将軍・足利義輝(向井理)は聞いていて、十兵衛に加勢するように命じる。

その頃、歌会の会場に、刺客がなだれ込んできた。松永久秀(吉田鋼太郎)も応戦。十兵衛たちも着き、加勢した。


(ピンクのモミジでしょうか?派手な地面に驚きました。…流血の替わりでしたか?)
そして、なんとか三吉長慶と松永久秀を逃がすことができた。

十兵衛は肩に傷を負って、望月東庵のところに治療に向かう途中家の前で倒れてしまった。
気が付くと、駒がいて、十兵衛は布団に寝かされていた。2日間眠っていたらしい。

熱が高くて危なかったが、もう大丈夫だと望月東庵は言った。

10日後、細川藤孝が十兵衛を見舞いに、松永久秀からの「水あめ」を持って東庵のうちを訪ねた。
「明智殿は不思議なお方だ。この都では、松永殿と言えば、みなが恐れているお方です。その松永殿と親しくしている。」
「田舎者をおもしろがっているだけです」
「私もおもしろがっています。明智殿のようなお方が京にいたらと。美濃へ帰らず、しばらく京にいませんか?」
「そうはいきません。美濃も京と同じです。5年先、10年先に美濃がひとつになれたら、またお目にかかります」と十兵衛は言った。

そこへ東庵が来て「たいへんだ。戦です!!」
斉藤利政(本木雅弘)織田信秀(高橋克典)と戦をして大柿城を取り返しようだ。
大柿城のある一帯は、穀倉地帯で交通の要所であり、利政の悲願であった。

十兵衛は美濃へ帰るが、傷が心配で駒も付いてきている。
夜は、古寺でたき火を囲み、おにぎりを食べる。駒は菰を十兵衛に持ってきた。
しばらく経って、寒そうな駒に「こちらに来てここに入れ」と言う。
(ちょっと、ドキッとしましたが、 駒は幼いんでしょう。)
「傷を受けて気を失ったとき、夢の中で駒の歌が聞こえてきた。誰にその歌を習ったのだ?」
「東庵先生に引き取られる前に、伊呂波太夫の旅一座の方から教わりました。5,6歳の頃。」

紀行:京都府京都市 花の御所跡石敷きの遺構(足利将軍家は室町という地に邸宅を置いた。)
   兵庫県西宮市 越水城跡( 三好長慶の居城 )

感想

春元と長慶の争いに巻き込まれる光秀。
足利義輝に、将軍は武家の頭領であられる。将軍が争うなと命じないと、世は平らかにはなりません。と、三淵様にまくし立てていたのを聞かれてしまいました。十兵衛と藤孝の剣で、なんとか三吉長慶と松永久秀を逃がすことができた。


明智十兵衛の青年時代、この頃のことは、私は全然知らないので、楽しみに見させていただいています。室町幕府(京都に地名があったんですか?)の末期なんて、あやふや過ぎて、勉強させていただきます。
知らないうちに、将軍・足利義輝に物申せました。こんなこと偶然に出来て、驚きです。
真田丸でも、旅の一座出てきました。 この時代から、もう有ったんですね。
明智光秀の衣装、いろいろ考えられていました。これからどう変わるのか楽しみです。