所Japan 11/16(日) フジテレビ
先週まで、チャンネル銀河で 「大河 徳川慶喜」の 再放送を 見ていて 直前まで孝明天皇が 慶喜の御味方として出ていた。
BS の「大河 太平記」の再放送にもはまっており、ここにもよく 石清水八幡宮が出てきていた。
(書籍かもしれません) 源氏の聖地として 出ていました。
磯田先生が 石清水八幡宮にお願いした 孝明天皇の願文 閲覧
人呼んで 歴史探偵。そんな磯田先生がコロナ禍の今、知ってほしい非公開の歴史遺産があるという。
今回も 持ち主、石清水八幡宮にお願いの手紙、「孝明天皇の願文など 閲覧させて頂けますよう お願い申し上げます」と書いて出していた。
ペリー来航から始まった激動の幕末は、坂本龍馬、西郷隆盛、土方歳三など歴史のスーパースターが
活躍した時代。孝明天皇はそんな彼らの上 で重要な役割を果たした キーパーソン。
外国に門戸を開くことに 恐れを抱くのは、単にエイリアン(見知らぬ人)が来るという気持ちだけでなく はっきりした理由がある。
孝明天皇は 何を願っていたのか?それがわかれば 教科書には載っていない、今に通じる 幕末の真実が わかるという。
目指すは京都、石清水八幡宮。
扉の向こうに閉ざされた、本当の日本を探る。 非公開を見に行こう。
京都市から南へおよそ16km離れた八幡市。
(フリーアナウンサー 鷲見玲奈)先生どこかな?ああ~ いらっしゃいました。よろしくお願いします。
ケーブルカーに乗って、今回 読み解く 非公開の歴史遺産があるのは 標高143m 男山の山頂に鎮座する、石清水八幡宮。
平安時代、都を仏の力で守る 比叡山(鬼門北東)と対になる位置(裏鬼門 南西)で 信仰を集めた 石清水八幡宮。絶大な由緒を誇る神社。
何が祭られているのかというと。
応神天皇、比咩大神(ひめおおかみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)で
八幡三神は武の神様として信仰されている。
武の神様 どんな人が参拝
歴代の天下人 特に将軍
信長・秀吉・家康も訪れた境内に到着
(鷲見アナ) ここで 御朱印見てもいいですか?
ここの御朱印 刺繍が入っています。
神前に供える 御花神饌(おはなしんせん)をモチーフに花や動物を刺繍
橘と鷹、紅葉と鹿 とかあります。(3種が3ヶ月の期間限定)
「八」がハトのペア(双鳩)になっている珍しい御朱印です。
石清水八幡宮さんの御朱印。刺繍の御朱印がありまして、とても素敵でした。季節毎に三種あるようです。 pic.twitter.com/wQIxuH4AOU
— 桐山漏斗 (@Yukio_K_04) November 16, 2020
ハトは八幡宮の神様のお使いなので、鳩みくじが売られています。
そして、この神社のあちこちに、 口のどちらかが開いている ハトのペア(双鳩)が飾られています。
金剛力士像で、阿形と吽形があって、やっぱり阿!みたいなのと 吽!みたいなの
あるじゃないですか。やっぱり 阿吽なんだ ハトも。
社殿は、本殿や門など 締めて 10棟の建物が国宝に指定され 通常は非公開。
しかも、1000年にわたる貴重な古文書を 莫大な量 所蔵する 歴史遺産の宝庫。
まずは 送った嘆願書を確認。 石清水八幡宮 権禰宜 田中博志さん
思いが伝わり 今回 特別に取材OKに。
国宝 石清水八幡宮の中に
ここからは、全て ふだんは非公開。
この先に磯田先生が、コロナ禍の今こそ世に伝えたい、孝明天皇の願文が。
その前に、なぜ この神社に 願い事をしたのかがわかる 超貴重な非公開の歴史遺産の数々をご紹介。
1.一発必中 伝説の武器(古代)
神功皇后は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2子・14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后で、15代応神天皇(おうじんてんのう)の母とされる人物。
神と交感する能力を持つ巫女的な女性であったとされます。
戦の途中で応神天皇を身ごもった神功皇后を残して仲哀天皇が戦死したにもかかわらず、神功皇后は身重のまま様々な敵と勇敢に戦って勝利するという伝説。そして、無事に出産も果たしてシングルマザーのまま政治も行いつつ、立派な天皇(応神天皇)を育てた。
尚 、応神天皇は 大きいお墓の仁徳天皇のお父さん
今日見られるんですか?
13年ぶりに 公開しています。
神功皇后之御矢(じんぐうこうごうのおんや):日本で一番のパワーのある破魔矢
いろいろ神社ありますけど、お正月の縁起物 破魔矢の大元。
日本書紀に登場する 神功皇后が異国の地で、戦をする際に持っていたとされる、一発秘中の御神矢といわれ、この神社の祭神が 武の神様であることの証し。
突然 磯田先生が、(展示されている 絵 を見て)
あっ!イソラ。 僕一応 祖先だと思っている このイソラが。
先生が言いだしたイソラとは、神功皇后が 海を渡る時に協力をした 安曇磯良という海の神様。
磯良の子孫が 九州一帯にいて磯田姓を始めたと言われている。
磯良の子孫を自認してるんで、磯田先生が 古美術店で見つけた 神功皇后と安曇磯良を描いた 日本画『磯良献上図』(土佐光貞 作) をお土産として 持参しました。研究に使ってください。
こうした 神功皇后の必勝伝説が、その後 台頭する武士にも信仰され 石清水八幡宮は 最強の戦勝祈願の神社に。
2.天下人達の 信仰の証(室町~戦国)
■足利尊氏 1338年 室町幕府を開いた武将
実は その2年前 後醍醐天皇方に敗れ、九州に落ち延びるという屈辱を味わっている。
そこから再起を図るべく、武の神様 石清水八幡宮に 戦勝祈願をしたかったのですが、当時 都の周囲は敵が制圧。普通に依頼書を送り 見つかってしまえば 自分の計画が筒抜けになるため、届け方を工夫。
その依頼書が 今も残っているんです。
足利尊氏の花押。今風に言えばサイン。文書自体は 葉書ほどの 実に小さなサイズ。
というのも ある場所に隠して、九州から京都に運ばせた事から、元結(もとゆい)の御教書(みぎょうしょ)と呼ばれています。
元結(髪の根を結い束ねるのに用いる紐のこと。)にこよりのように結んでいった。
尊氏が そうまでして、石清水八幡宮を頼ったのには、こんな訳が。
兜のてっぺんって穴が開いている。ところが穴が開きながら、矢が飛ぶ中で前進するんだから、防護だけを考えたら、刺さることだってある。これが 八幡座と言って、武士の頭は、穴が開いていないと、天にまします八幡様とテレパシーができない。
八幡神に愛された人の矢は、的に見事にあたる。
それで、八幡神に愛されてる人は(的の矢が向かってきても)刺さらない。それが武運。
(天から神様がこの八幡座に降りてきてこの兜を被った人を護ってくれる。)
石清水八幡宮に愛されるかどうかが、武士にとっては 一大事。
それは 日本史を動かした、尊氏以後の 名だたる武将たちも同じ。
戦国の覇者 織田信長は 金箔でコーティングした雨樋を奉納。
そのあとを継いだ天下人たちも この神社を手厚く保護したのです。
(秀吉・家康 は社殿の再建・造営に尽力)
3.孝明天王の願文(幕末)
一番の武の神様に 幕末の孝明天皇は、わざわざ足を運び ある重大な事を願ったといいます。
見せていただいたのは、文久3年の孝明天皇の行幸の際に収めていた箱の裏書きだと思います。
そこには、天皇が行幸でいらした時にお納めになった、奉幣(ほうへい:幣帛(ぬさ)と呼ばれるお供え物を捧げること)です。
この石清水八幡宮を直接示す遺産って余り見ることがない。
孝明天皇が 石清水八幡宮に奉納した お供え物の箱の蓋。
金銀御幣奉納箱蓋
行幸=天皇が外出することで、当時は まずない珍しい事。直接祈願に行くことは異例の事態。
その行幸図もありました。
そうまでして 孝明天皇が、何を願ったのかは、蓋に はっきり記されていました。
その文字に、かたくなに開国を拒んだ、孝明天皇の真意が にじんでいた!
そこには「攘夷」という文字が。
江戸のラストエンペラー、孝明天皇が、武の神様に願った非公開の歴史遺産を「所JAPAN」がテレビ初公開!
(所さん)すごい番組になってきたね。
そこには「攘夷」という文字が。
コロナ禍の今こそ伝えたい、孝明天皇の真意を、磯田道史が熱中解説!
「攘夷」とは、鎖国をしてたのに 外国人が 日本の国を開いて 中へ入れてくれって来たんですけど、外国人なんて入れたくない、追い払えって こういう意味なんです。
幕末 最後まで かたくなに開国を拒んでいたのが孝明天皇。
これまで、その理由については ただ外国人が 嫌いだったから という事で済まされてきました。
ところが、磯田先生は そこにある信念があったと言います。
そうそう そうなんです。
外国から入ってきたら困るもの、疫病です。
ものすごい疫病が 外国から入ってきた。
例えば ペリーが来航した年も長崎辺りで やっぱり疫病が はやり始めてコレラなどが流行。
交流が始まった途端にものすごい疫病の嵐になった。
外から来たものから、日本を防衛する、防衛庁にあたるものが、当時は石清水八幡宮なんです。
お公家さんや天皇の考えでは。
石清水八幡宮に、パレードまでして、お祈りしてくれた、孝明天王に対して、支持率うなぎ登り。
それで、将軍の世が終わり、天皇の世が来た。
石清水八幡宮には 孝明天皇の9代前の天皇も 疫病退散を祈願しています。
こちらが その証拠の古文書。 証拠文書がやっぱりある。
新大納言局霊元天皇女房侍女裏藤口上書。
磯田先生は、これを見て 興奮しすぎて ぶっ倒れそうになりました。
口上書に「世の中には いまだ 流行り患いがやまない」と書いてあり、
「みんなが、疫病にかかりませんように」と天皇が石清水八幡宮に送ったものなんです。
代々やっていたわけですから、江戸時代における天皇の役割は、みんなを疫病から守るという役割もあることが判る。
コロナに遭って、その時代の人の気持ちになってみると 天皇の制度だとか、そういう所の 一歩奥深い所へ触れていけたような気がします。
(所さん)他にもまだまだ 古文書がたくさん あるわけでしょ。 (あります)先生のところに古文書持ってきてよ。
イヤ それはダメです。
▽まとめ&感想
磯田先生が 石清水八幡宮に 孝明天皇の願文 閲覧をお願い。
「大河 太平記」「大河 徳川慶喜」に関連している。
石清水八幡宮の祭神は応神天皇、比咩大神、神功皇后で武の神様として信仰されている。
御朱印 「八」が双鳩、刺繍だった。
孝明天皇が 石清水八幡宮に奉納した お供え物の箱の蓋に「攘夷」という文字。
かたくなに拒否したのは「疫病」
このところ 「大河 徳川慶喜」をずっと見ていて、確かに 攘夷が疫病を入れないことなら 、ずっとかたくなに攘夷にこだわったか 判ります。 コロリ病でバタバタ亡くなっていました。
石清水八幡宮に、行幸してお祈りしてくれた、孝明天王に対して、支持率うなぎ登り。
それで、将軍の世が終わり、天皇の世が来た。➡納得です。面白かった。