新説!所JAPAN 信長暗殺ミステリー犯人は忍者?|見ました

フジテレビ 1月6日(月) 22:30~23:24 放送
出演者 【MC】 所ジョージ【アシスタント】 谷元星奈
【ゲスト】 磯田道史 井森美幸 岡崎紗絵 田中直樹 パックン【ロケリポーター】 庄司智春

新説!所JAPAN【信長暗殺ミステリー犯人は忍者?磯田解説&芭蕉忍者説に迫る】

天正伊賀の乱で伊賀忍者一族を抹殺した信長

“本能寺の変”で命を落とす1年前…1581年に織田信長は忍びの国と呼ばれる小国・伊賀の壊滅作戦を実行。
天正伊賀の乱”で伊賀忍者約5千人に対し、約4万人という超大群を送り込んで、伊賀忍者一族を抹殺した信長。
一体なぜ、天下統一目前に、小国・伊賀の壊滅にこだわったのか?
そこには、信長をも恐れさせた、忍者たちの驚くべき実態が!
忍者と言えば、黒装束を身にまとい、奇想天外な術を使い、超人的な身体能力の戦闘集団。しかし、そのイメージは、江戸時代の歌舞伎によって、作られたものとされ、実際の忍者像は未だ謎に包まれている。

出典:新説!所JAPAN HP

三重県伊賀市で伊賀忍者の素性を大調査

磯田先生の、曾祖父さんの兄貴の家の頭首が、忍者にやられたかもしれない。300年前、蚊帳の中で、不審死。
三重県伊賀市へ、普段は、黒装束ではなく、普通の格好で溶け込む。
盛り上がった土の山、土の壁自体が忍者の館。昔は廻りの凹んでいるところは、堀だった。
土塁の中に忍びの頭領とされる、阿波一族の屋敷。中は、普通。上から見るとよくわかります。
高い壁は、外からの視線を阻む。鉄壁の守り。
いざ戦闘状態になるとこの館は放棄して、山の上に立てこもる。(詰めの城)。
伊賀市内に土塁で囲まれた館や城、670以上現存。

1579年 第一次 天正伊賀の乱 織田信雄(信長の息子)が攻めたときも鉄壁の防御で返り討ちに
1581年 第二次 天正伊賀の乱の引き金に
服部川の流域が、家康に仕えた服部半蔵、伊賀服部の本拠地で、今はオオサンショウウオがいる。
伊賀国は、 自治集団が、伊賀を分割統治していた。
伊賀の人たちの軍事同盟書どの大名にも支配されない。他国の軍隊を引き入れた者は袋だたきにする。17才から50才まで出陣する。若い僧侶は参陣すること。
戦いになると、ワンチームに。中立国スイスみたい。

実際の忍術

三重大学 山田雄司教授…忍者研究会のエキスパート
伊賀流忍者博物館へ 非公開の忍術書を拝見
奪口(だっこう)…… 方言を全部使い分けて、他国の者と思わせずに、地元民に紛れ情報収集する術
忍妻之事……本当は、ラブレターを懐に忍ばせておき、見つかったときに妻に会いに来たフリをする術(浮気されていると言いづらい)
猫と犬の鳴きマネがうまく出来た。
しゃっくり止め……柿のへたを粉にして飲む(漢方の知識を海外の専門書より学び応用していた)

織田信長 暗殺未遂事件

1581年 信長が、忍者を大量薬殺した 天正伊賀の乱 1ヶ月もた立たずに事件が起きた。
治めると言うことは、その国1番の神社にお参りして、俺が国主と宣言すること。
伊賀国の一宮は敢国(あえ)神社で、忍者が信長を殺すために待ち受けた。「伊乱記」
(Extra..伊勢三郎義盛(源義経の家来で、忍術使い)の百首みくじを引いた。)
「伊乱記」 より
忍びのうまい11人に数えられる、音羽の城戸。謀術火術の妙を得 信長の暗殺を図った。
大鉄砲、3人で撃ち7,8人倒れた。塵砲(馬の尻皮製の筒で軽く丈夫。散弾銃)
信長が生き延びたのは、周りの人に守られ、信長も忍者だった?
明智光秀に情報を流されて、信長が生存が難しい状況が生まれたかも?捜査中

忍者の実態がわかる古文書

伊賀忍者研究会代表 池田裕さん
藤堂藩家臣一覧が載っている分限帳の、伊賀者に貝野さんがある。
江戸時代に伊賀を治めた 藤堂高虎 情報部隊の元締め
藤堂藩 は伊賀の忍者達を藩士に採用、忍びの仕事をさせた。

忍者の末裔の貝野さん宅で、忍者の活動がわかるお宝、陣傘、袴(世襲の武士=伊賀者の表の生活)
参勤交代中の、寝ずの番(SPの仕事)
忍者の諜報活動が伺える古文書をテレビ初公開!
伊賀忍流儀伝来由緒乍恐書置申上口上之覚( 貝野家の功績が記された由緒書)は 2つだけで論文が書ける古文書。
江戸時代の㊙ スパイ記録を発掘
他所の大名にも忍者が多いと言うことを聞いている。井伊彦根藩の伊賀忍者の名前の一覧が有った。カウンターインテリジェンスといいます。
30藩以上の忍者の名前の一覧。
磯田先生が、この間行った尾張藩、の忍者 木村奥之助などすべて一致。バレている。
信憑性の高さを証明している。
藤堂藩 の伊賀者が他藩に雇われている、二重スパイが増えていた。
藤堂藩は流出するとを恐れ、 他藩での活動することは禁止、実態を把握するため。
尾張藩や紀州編など幕府を守る側のリストも有り、江戸時代、情報戦が活発だった。
貝野家は、忍者のイメージがよろしくなかったので、表に出していなかった。
新事実、 異国船漂流(ペリー来航60年前)の情報徴収していた。
忍者の給与 20石6人扶持 大体800万円

松尾芭蕉は忍者だった

奥の細道 全行程 約2400km 約150日に及ぶ旅の記録と俳句をまとめたもの
深川⇒日光⇒松島⇒平泉⇒立石寺⇒新潟⇒金沢⇒大垣
一緒に旅した「河合曾良(そら)」と一緒に緊張関係のあった仙台藩を探りに行かせた、説がある。
曾良 は六代将軍家宣の命により巡検使随員であった。
伊賀三大上忍の一つ、百地家の子孫 辻弥重治団 に伝わる古文書。
忍者の婚姻関係がわかる。百地家から、藤堂家の家来に養子に行った。後に芭蕉と改名と出てくる。真偽は不明。

まとめ&感想

天正伊賀の乱で伊賀忍者一族を抹殺した信長▽土塁の中に忍びの頭領屋敷 ▽ 実際の忍術は
織田信長 暗殺未遂は塵砲(馬の尻皮製筒で軽く丈夫。散弾銃)で行われた ▽ 藤堂藩は伊賀の忍者達を藩士に採用、忍びの仕事をさせた ▽ 他藩や外国人も探らせた松尾芭蕉は忍者か?

とても、面白かったです。忍者、ドラマに出てくるまんまですね。
奥の細道、あちこち探っていた旅でした。
twitterで大野くんの「忍びの国」みたい。とありました。