あしたも晴れ!人生レシピ わたしの使命を生きる▽医師の中村哲さん 三段崖 藤薮さん

Eテレ 11月27日(金)午後 8時00分~ 午後8時45分
【講師】ジャーナリスト】江川紹子【司会】賀来千香子,小澤康喬【語り】堀内賢雄

アフガニスタンで長年人道支援を行ってきた医師の中村哲さん。銃撃され亡くなってから一年。中村さんの思いはどう引き継がれようとしているのか、NGO「ペシャワール会」の現状と娘の秋子さんの思いを伝える。和歌山、白浜の断崖で自殺を考えている人々を保護し、社会復帰に向け支援している牧師がいる。その活動を紹介。使命を生きる人々と、その思いに迫る。

出典:NHK HP

砂漠を緑に変えた医師 中村哲亡くなって1年に

2019年12月、勤務先のアフガニスタンで人道支援を行っていたされた医師、中村哲さん(享年73歳)が何者かに銃殺され、お別れの会に多くの人が集まった。

医師でありながら、土木を学び干ばつに襲われたアフガニスタンの枯れた大地に用水路を築き、65万人の人々の暮らしを変えたのです。

中村さんの活動母体となったNGO「ペシャワール会」が福岡にあります。
ペシャワール会」は1984年~ 中村さんの活動を支え、資金調達や広報を行ってきました。
この日は、年に4回の会報の発行日です。ボランティアのスタッフが2万通の発送作業を行っていた。
部屋には 中村さんお写真、その廻りには 亡くなったときに一緒だった 運転手、護衛の人達の写真も飾られています。好きだった 甘い物が備えられています。スタッフは「いつもいらしゃる 気持ちで 話しかけています。」

現地と連絡を取りながら 中心となって 現地と連絡を取っているのは、こちらのメンバー。今は 安全上の問題で、現地に入れませんが、会費や寄附などで集まった年間4億円の予算を管理、灌漑や農業などのプロジェクトを行っています。
中村さん 亡き後およそ100人の現地スタッフが、今も水路を延長するなど 事業を継続しています。

このメンバーのリーダーが藤田千代子さんです。看護師として30年以上 中村医師と共に 現地で医療活動を行ってきました。その中で、人々を救おうとする 思いの強さを感じていました。
命をかけてやらなあかん時もあるもんね。といってました。亡くなったこと まだ実感として受け入れられない。今 日本にいないけど、現地で働らいているんじゃないか。」
中村さんが書かれた著書を手に取り、ここに「絶望的なときは 事業は進めることだ。」と書いてあります。

水不足のせいで 下痢や皮膚病が蔓延し それで命を落とす子が後を絶たなかった。当時歴史的な大干ばつに襲われていた。それで 水路の建設に踏み切った。
「医者を100人連れてくるより、1本の水路を作った方がいい。構想から8年 最初の水路が完成。夢が現実となり、これまでに35億円かけ、全長40キロの水路建設。これにより、緑の大地が復活 およそ65万人の生活が豊かになった。

中村先生は、常に大きな困難を抱えており、数え切れないくらい だまされたり、裏切られて がっかりされます。しかし元に戻り、その人の真心をつかんでいった。
きれいな水で 体を洗い 皮膚病が治った子供達、豊に実った小麦を収穫し その束をうれしそうに見せてくれた 村人達の姿 それがすごくうれしかった。そういうのが中村先生の原動力、褒美だった。

中村先生の遺志を継ぐ若者・長女 父が残してくれた縁を大切に

さらに藤田さんは、中村先生の志を多くの若者に 知ってもらおうと 九州大学 椎木講堂で9月に開かれたオンライン講演会に 参加しました。
この日藤田さんが伝えたのは、治療を受けられれない貧しい僻地の貧しい人のために 馬に乗り15時間もかけ診療に向かった姿、2001年アメリカによる 空爆が始まったとき食糧を必死で現地に運ぶよう指示を出していた姿でした。「中村先生は、ギリギリまで頑張ってくれ、といいつつ 国境をトラックが越えアフガン内に入ったら、奪われてもいい。その食糧は どこかの アフガン人の家族に届く。」

藤田さんが 現地で医療活動に携わるようになったのは 30歳の頃聞いた 中村さんの後援会がきっかけでした。今日来た若者が後援会を通じて 過酷な状況で生きている人達に関心を持ってくれればと 感じています。
中村さんは、70歳を過ぎた 3年ほど前から 若いスタッフの育成にも力を入れてきました。この先 20年は事業を続ける必要があると考え支援に興味のある若者に事業に加わってもらったのです。

中村先生の医師を受け継ぎ 最近行動を起こした人がいます。中村さんの長女 秋子さん(40歳)です。父の死後 「ペシャワール会」の活動に加わるようになりました。医療事務の仕事をしながら、休みの日に活動の手伝いをしています。
「父が生きてる頃から、会の活動には興味があった。父は後援会とかも 恥ずかしいから 家族は来ないで という人だった。出来ることは 限られますけど 私も何か力になりたいと思い 顔を出すようになった。」
子供の頃 家族でペシャワールに暮らしていた秋子さん。家では朗らかな父が真剣に患者と向き合う姿を目の当たりにしていました。その真剣さの裏には、自分の息子を10歳でなくしたことも 影響したのかと思います。
「12こ離れた弟で、涙なんか見せる人でなかったので、家族も私も1回も見たことなくて、口にはしなかったけど 悲しかったんだろうなと思います。向こうでも たくさん 水が悪くて 子供達がなくなるのを 目の当たりにしたでしょうから、そこに自分の息子が重なるんじゃないですけど 。 」

人の命を救うことに 生涯を捧げた父の姿 秋子さんはその活動を知ることで、今改めてその意義や 父の偉大さに気付かされた といいます。
「たくさんお方が 父の活動に賛同してもらって 支援してもらって 父がいないと 出会うはずのない人達じゃないですか? それは父が残してくれた縁。父はいなくなったけれど 寂しさも緩和される。人を動かすようなことをしてきたのは すごいと思い 、父の思いが広がっていく世の中になっていくのが一番平和な世界かなと思います。」
中村先生 絶対お嬢様が入られお喜びになってますよね。

江川紹子さん 自分の中から湧いてくる気持ちが大切

江川紹子さんは、「中村先生の活動は今改めてみて、本当に偉大な方だったと思います。目の前の現実を見つめることで、これはほっとけないというような気持ちが 内側から湧いてきたという感じが すごく伝わってきました。」

中村さんは「カカ・ムラド」( 情熱的なおじさん)と呼ばれ、亡くなってから顔の描かれた 慰霊の塔がたてられました。また 中村さんが主人公になった絵本をアフガニスタンのNPOが作り、学校に配っているそうです。

看護師さんが言われた、中村さんからすれば、「現地の人の喜びが ご褒美」、人を助けるってことも、やはり 助けられた人の反応で、助けた人は 自分の存在とか やったことに対して 良かったと思えるし、何か お互い相互作業で力が大きくなっていくこと と思います。

江川さんは 週刊誌の連載で「人を助ける仕事」 をテーマに取材しています。
オームも 人を助けるといっていたがどうして あんなことになったのか。自分たちが神だと思った人に言われたことをそのままやった。
自分の中から、内発的に 中から湧き上がってくる 自分はこれをやりたいとか やらなくてはいけないとか、逃げるわけにいかないとか、自分の中から 湧いてくる 気持ちが、あってこその 人を助ける仕事なんだ と思った。
人を助ける仕事」は あらゆる仕事が そうなりうると思う。例えば コロナの時代に スーパーの店員さん、ゴミ収集の人、いなかったら困る エッセンシャルワーカー といわれる人達がいます。
自分の今 いるところで、そういう人達を助けるとか、そういうことは出来るだろうし。それを 端の人が見たら この人は使命を果たしてる と思ってもらえる。

和歌山 白浜海岸 三段崖に「いのちの電話」で保護する藤薮庸一さん

和歌山を代表する観光地 白浜海岸 その近くにある断崖絶壁の 三段崖(さんだんべき)は観光名所である一方、自殺することが多いことで知られ、年間10人ほどが、命を落としているといわれます。その近くの公衆電話ボックスに「いのちの電話」の看板が立っています。そこに「重大な決断をする前に、一度是非ご相談下さい。」と書いてあります。
夕暮れ時に現れた男性、その電話ボックスに置いてある 10円玉が1枚しか残っていないのを確認し、何枚か入れました。
聞いてみると、「ここに悩んでいる人が来て、連絡取ろうとしたとき、困っておる人は 小銭もないし、電話も止まる方 多いです。 月に3~4件連絡があります」

白浜レスキューネットワーク 理事長 藤薮庸一(48歳)さんで、キリスト教会の牧師でもあります。
教会の礼拝で人間の命の持つ尊さや 可能性を伝えています。
「たった今からでもやり直せます。取り返せない過去はあっても大丈夫です。」

藤薮さんが向かったのは、教会近くのアパート、 共同生活をしている所です。
三段崖周辺で保護した人などを教会に受け入れ、アパートで共同生活を送ってもらっています。
帰る場所のない人に、寝る場所と、食事を提供し この先のことを 共に考えます。
一人ぼっち、もう誰も頼れる人がいない、自分のキャパを超えてしまって、とにかく苦しい、誰にも助けを求められない という状況が共通点としてあります。
まずは、心を開いてもらい、悩みや思い出を聞き それに応じ役所に相談したり、弁護士をつけたり、抱えてる問題をともに解決します。

一人一人の様子を見て気になるときには 二人で話し会うこともあります。
こちらの山下さんはそううつ症の症状が思わしくないので、 一度入院して、治療に専念してはどうかと話し合う機会を設けました。入院を拒む男性になぜそうしたくないのか、とことん聞き出し 信頼関係の中で、その不安を受け止めるにです。1週間様子を見ることにしました。
まず受け止めないと 話してくれない。

人を助けるのは、どういうことか きっかけになった出来事があります。
小学生の時 海外難民のため 1円玉募金を始めた時、自分なりに貯めたと思っても たいした額になりません。その 時、自分のお小遣い全額 募金する気がないのかと 母に言われた。いわれてみればその通り、自分の懐の痛まない、10円、20円で、人助けをした気になっている。その経験から、人を助けることの出来る人間になりたいという目標が出来た。
26歳で牧師の道を選んだ。三段崖での、保護は 先代の牧師が始めた取り組みを引き継いだ。4/1に始め4/2に電話がかかってきた。48歳の男性で、見るなり 若すぎて、お前なんかに話す事ない、俺の何が判るんだと言われ、黙るしかなかった。
以来22年、電話が来ればいつでも出かけます。今まで保護した人は、1000人近くになります。

この活動をする中で ささやかなことが きっかけで 人が助かることも忘れないことです。

60代男性 3日間飲むや喰わずで、三段崖に座っていたとき、近くを通りがかった女子大生が一人戻ってきて「おっちゃん バカなことしたらあかん、死んだらあかんで」といって、自分の財布から2000円出して、握らせてくれた。それで、思いとどまり、あの電話boxから、電話してきた。
あの女の子に 御礼が言いたいと言うのが第一声だった。一緒に探した。あの人10年頑張るんです。うちで9ヶ月暮らし、ホテルのナイトフロントに就職でき、7年間仕事して、脳梗塞で倒れ3年間 療養生活でしたけれども、それまで出来た人間関係があって 幸せな生活をした。僕と話したのは、本当に生きて来て良かった。

つらい思い出もあります。あるとき保護した男性が命を絶ってしまった。
奥さんに 、またこういうことが起きるよ。その時また悩むの? と言われ 覚悟が決まった。

まちなかキッチン・子供達を温かい目で見守ることが最大の自殺予防

藤薮さん今は 保護した人の自立支援に力を入れています。その1つが「まちなかキッチン」というお弁当の製造販売です。
決められた仕事をしっかり行い、ひとつひとつ積み上げてもらうことで、その人の自信につながればと考えています。
電話で注文を受けとる、沢田さん。7年前からここで働いております。一家が離散し、住むところも 生きる気力もなく 途方に暮れていて、藤薮さんの所にたどり着いた。
元々人嫌いで、自分はどうなってもいい と考えていた。
沢田さんは 藤薮さんと出会ったことで、自分が大きく変わるのを感じたといいます。

最近 新たに「子供達への支援」始まりました。
放課後 協会のスタッフ達が勉強を教えたり、一緒にあそんだり 仲間のような関係を築いています。
通信制のクラスも開設、不登校などの高校生がここで生活をしながら、授業を受けられる仕組みを作った。

子供達を 温かい目で見守ることが 自殺予防という意味でも大切になってくるといいます。
「自殺防止の水際で防ぐ活動ってばんそうこう貼りなんだな 、話を聞いていると多くの人が幼少期から義務教育が終わるまでの経験に偏りがある。本当に信頼できる大人に出会えていなかったり、そう思える大人との出会いは大事で、その大人は厳しいけれども いつも守ってくれるという経験が大事です。そういうのを含めた教育プログラムが出来たらと思う。」

こうした藤薮さんの活動は、多くのボランテイアにも支えられています。助けを求めてくる電話には3人のスタッフが対応しています。
胸の内を吐き出してもらい、一人ではないと感じてもらう事が大切なのです。

藤薮さんは、模索しながらも人の命を生かすことに、自分の人生を捧げたいと考えています。

江川さんは、話を聞いて 楽しいこと・うれしいことを見つけるのは本当に大事なと思った。

藤薮さんに自殺を防止するためにできること 伺った。
様子が気になる人、人間関係がこじれてしまって 仲がギクシャクしてしまった人がいたら 是非連絡を取ってみる。そこから 人は孤独になっていくものですから。

江川さんは、彼のようなすごい人が 全てを救えるわけでなくて、いろんなきっかけが いろんな所にあるんだと思う。今回取り上げた方は 本当に貴い活動をされていますが、そこまで行かなくとも 外から見ると使命に見えるものがあると思います。その偉大な人達も、一人では活動できないわけで、そこにいろんな支える人がいるし、それから 支えられる人も、結果的に支えているのかも知れません。
やはり いろんな人達のつながりの中で地道に活動していくことの大事さをまた教えられた気がします。

賀来さんは、とてもすごいお話を伺えたんですけども、ちょっとした自分の些細な行動が、逆に言うと、本当に人を傷つけるけれども、何かのお役に立てたり、何かの笑顔が生まれたりすると思うと 皆さんきっと使命をになっていらしゃるんじゃないかと感じさせていただきました。

▽まとめ&感想

砂漠を緑に変えた医師 中村哲亡くなって1年になります。先生の遺志を継ぐ若者・長女 父が残してくれた縁を大切に。
和歌山白浜海岸三段崖 藤薮庸一さんは いのちの電話で保護し、共同アパートに住ませ まちなかキッチン、子供達を温かい目で見守ることが最大の自殺予防に
————————————————————————————-
偉大な人達の「使命」には頭が下がることばかりです。
私達もいろんな、人達のつながりの中で地道に活動していくことが大事だとなんとなく理解しました。
自殺が 幼少期から義務教育が終わるまでの経験 と関係があるようなので、考えて 孫達と向き合わなければいけないと思いました。