あしたも晴れ!人生レシピ★幸せのルーティン 第3弾▽こんな話

Eテレ 2023.2.17
定年後 駄菓子屋を開き 地域の子どもや親との交流が生まれ 幸せを感じる男性。
どんな時に幸せを感じるか 大学生に聞いたところ 他人との関わりや社会的なことも欲していた。
地方に移住して 自然の豊かさを感じ 気の置けない仲間もでき幸せを感じているご夫婦

【ゲスト】はるな愛 【講師】東京都市大学准教授 坂倉杏介
【司会】賀来千香子,小澤康喬【語り】堀内賢雄

定年後 駄菓子屋を開き 地域の子どもや親との交流が生まれ 幸せ

退職後に新たな幸せを見つけた方たちをご紹介していきます。
ゲスト はるな愛さんです。
都内 目黒区の閑静な住宅街の一角にある小さなお店『なかよし・うおよし』。いつも子どもたちで にぎわう駄菓子屋です。
店主の北澤尚文さんは、店内には手作りのおにぎりも置いてあり、食べられるスペースも設け「親子連れでも楽しめる場所になれば」と考えています。
このお店をオープンさせたのは1年半前 68歳の時でした。新潟県佐渡島出身で 親戚や近所とのつながりが深い地域で育った北澤さんは 子どもの頃は駄菓子屋にもよく通ったそうです。高校卒業後に上京し 公務員として働き 結婚し目黒に居を構えました。2人の息子を育てながら 地域の活動やPTAにも積極的に参加してきました。
ふるさと佐渡を心の中に持っている。息子たちにもふるさとを持ってもらいたい」と思っていました。この地に移り住んで およそ40年。町の様子も変わり 小さな商店が減ってきて「退職したら地域の活性化のために駄菓子屋をやってみたい。子供たちが集まってきて、地域で活動してる人も集まってくる。地域の寄り合いみたいな居場所になればいい。」という夢が生まれ 周りの人にそんな話をするようになりました。
定年後に福祉の仕事を始めていたが 知り合いの鮮魚店が店を閉めることになり「ここで駄菓子屋をやってみないか」と声をかけられたのです。もう68だからと ためらいもあったが、こういうチャンスはめったにないと決断。公務員だった北澤さんにとって初めての「商売」で まず飛び込んだのは行政の起業支援窓口でした。駄菓子の売り上げだけでは経済的に厳しいため ちょっとした料理を出すお店にできないかと考え 料理教室にも通い準備をしてきました。
駄菓子屋のオープンに向けて一番の力になってくれたのは息子たちでした。この日 孫を連れてやって来たのは近所に住む長男の諒さん。ゼネコンで設計の仕事をしていて 駄菓子屋で経営がうまくいくか心配したものの 店の設計や内装などを手がけ父の夢に協力しました。
北澤さんは毎朝8時半にはお店にやって来ます。お米は出身地の佐渡のコシヒカリ。佐渡の海洋深層水を取り寄せた水で ご飯を炊きます。それが終わると店内の拭き掃除をします。
開店2時間前には お店を手伝ってくれるスタッフがやって来ます。 地域の活動で知り合った仲間たちで 活動に協力したいと 調理のほか 接客やレジなどでサポートしてくれます。今日は2人で35個のおにぎりを作りました。アイデアを出し合ったバラエティーに富んだ手作りおにぎりは 手頃な値段に加え 自家製のゆずみそを使うなど おいしさは抜群で人気商品となっています。
こうして 11時半の開店を迎えます。お店は いつも にぎわいます。小さな女の子を連れた親子 お気に入りは 枝豆のおにぎりだそうです。子どもだけでなく親子で楽しめる場所になっています。
お店の営業は夕方6時まで。閉店後 北澤さんは お菓子の当たりくじも一枚一枚 一応計算します。家賃や スタッフの人件費を考えると決して もうからない駄菓子屋経営。
「子供たちがわーっときてくれる。何回もきてくれる父母たちから 元気?ってこの店があってよかったと言われるとズキンとくる」と それにも勝るやりがいを感じるといいます。
この日 海外から一時帰国していた次男の潤さんが やって来ました。インドネシアでアーティストとして活躍する潤さんは お店を改装した時に壁に絵を描いてくれました。
息子たちのふるさとのためにと始めた地域での取り組みでしたが、実は僕が第2のふるさとが欲しかった。一歩踏み出し 駄菓子屋を作って それが今の幸せにつながっていると思っています。

(賀来)輝いてらっしゃいますよね。
東京都市大学准教授地域コミュニティーとウェルビーイング(幸福な状態)の研究をされています坂倉杏介さんです。
自分だけが楽しい・満足するじゃなくて 来てくれるお客さんがうれしそう。利他的な行為というのは 人の幸福度を上げるといわれてます。経営ってことで言うと駄菓子屋さんって そんなに もうからないと思うので、やってよかったとか いろんな人にありがとうって言われたり いっぱい幸せのやり取りは ものすごい たくさんあるんじゃないかと思います。
国連が年に1回 ワールドハピネスレポートというのを出していて 昨年だと146か国中54位。でもあんまり気にせずにというか 一人一人の皆さんが どういうところに幸せを感じるのかを考えて いくほうがいいんじゃないかなと思います。

どんな時に幸せを感じるか

事前に はるなさんに 賀来さんにもどんな時に幸せを感じるかということを挙げて頂きました。
(賀来)ベッドに入り眠るとき、家族と楽しく食事、仕事が認められる
(坂倉)一緒にごはん食べるというのは 本当に いろんな喜び・幸せが複雑に絡み合ってる行為だと思います。仕事での幸せ。何か 自分が役に立つとか 求められてるものを達成できるとか 自分の目標に向かって頑張るとか、そういうのって 人間の結構 根源的な喜びにつながる。
(はるなおいしい食事・スタッフと遊んだり食事・夕陽を見る
(坂倉)なかなか欧米のウェルビーイング研究で「自然を見て幸せになりました」出てこないですよね。だけど 通勤する間 ちょっと道端に ちっちゃい花が咲いてるのを見つけて「咲いててくれて ありがとう」ってちょっと感じる幸せもある。
この3つの 自分の幸せを挙げるというのは、我々がワークショップでやっていることで 大学生1300人に「何に幸せを感じるか?」を聞いたところ
1.自分個人のこと … 73%
2.他人との関わりや社会的なこと … 24%
3.人間や社会を超えた世界との関わり …3%

おいしい物を食べて うれしいとか、ぐっすり眠りたいとか、お金 稼ぎたいとか 結構多いんですけれど、人間って面白いものでそれだけじゃなくて やっぱり他の人との関係とか社会貢献とか平和とか環境とか 実は人間の幸せを形成してるものというのは 単に自分がよくなるというだけじゃないと いうのが よく分かりました。欧米より 日本の方は どっちかというと自分だけが突出してやるというより みんなで力を合わせて成功しましょう ゴールにたどりつきましょうという 日本人らしいウェルビーイングだなと思いました。

地方に移住して 自然の豊かさを感じ 気の置けない仲間もでき幸せ

地方への移住をきっかけに 新たな幸せのルーティンを見つけた方です。
人口およそ7万の岡山県総社市は山と川に囲まれた自然豊かな町です。市内にある野菜の直売所には 地元で採れた花や野菜がたくさん並んでいます。鮮度抜群の野菜が手頃な値段で手に入るここでの買い物が楽しいルーティンの一つだという荒川知子さんは5年前に神奈川県川崎市から移住してきました。
荒川さんの住まいは 閑静な住宅地にある2階建ての建物です。築年数は40年ほどで賃貸で暮らしています。子どもはおらず夫婦2人暮らし。夫のさんは以前は営業の仕事をしていました。移住してからは パートタイムで送迎ドライバーをして 時間ができ 趣味の漬物に はまっています。
東京生まれの知子さん。都会で暮らしてきましたが 昔から自然の中で暮らしたいという憧れがありました。転機となったのは介護していた親が亡くなったこと。夫も既に定年退職していたため夫婦で移住先を探し始め 都内で開かれていた「移住フェア」で たまたま総社市のブースに目を引かれ以来 何度も現地に足を運びました。自然が豊かなことに加え歴史的な名所もあり 気候も温暖。さらに倉敷や岡山などの大きな街にもアクセスがよく 求めていた条件にピッタリ合ったのです。
移住を決意して1年後 総社市での暮らしを始めました。知子さんは以前 大学寮で賄い作りを仕事にしていたほどの料理の腕前。この日は先ほど買った新鮮なしいたけをフライにしました。移住後は自宅で料理をすることが増え夫婦で食卓を囲む時間も多くなりました。明さんのぬか漬けもサラダ感覚でいい感じです。
知子さんは「料理を作っているときが一番幸せ」といいます。
明さんは「日々の些細なことが一番の幸せだったり もっと満足していい価値あるものと思えるようになった」といいます。
荒川さんの移住生活を豊かにしてくれる大事な仲間もできました。築150年の古民家に気の合う仲間たちが集まる 「みんなの和がや」というコミュニティースペースです。年齢も職業も違う人たちが集まり畑仕事や さまざまなイベントを行っています。
この日は近所の農家の人が講師となって 収穫した大豆の選別作業。ある時にはメンバーの1人が講師となり 体操教室を開きます。それぞれが得意なことを生かして面白いことをしようと「和がや」を始めたのが 建物の所有者である前田美紀さんです。
きっかけは 2018年の西日本豪雨災害。岡山県では倉敷市の真備町を中心に 死者66人 住宅全半壊8000棟以上という甚大な被害となりました。前田さんは全国各地から集まるボランティアのサポートをしていましたが その人たちの宿泊先が足りないことに問題を感じ 空き家になっていた古い農家を譲り受け、災害の時には臨時で宿泊できるように改装し ふだんは地域の人たちが集える場所にしました。
築150年で傷むところが出ても 壊れた照明設備があれば メンバーの誰かが修理を買って出てくれます。前田さんは ふだんは美容師をしていて「和がや」を手伝ってくれる人たちの髪をボランティアで カットしています。それぞれが できることをしながら助け合う。それが「和がや」でみんなが楽しく活動する秘けつなのです。
荒川さんは「和がや」の設立当初からメンバーに加わりました。得意の料理をふるまう役目を担っています。今日は1年間 お世話になった農家の方々へ感謝の気持ちを込めて 料理をふるまいます。これは3日ぐらい前に大根だけ火を通してあります。さらに地元の無農薬野菜を使った鍋も用意します。野菜が足りなくなると近所の農家の人たちが おすそ分けしてくれます。漬物が得意な明さんも 自慢の白菜の漬物をみんなに食べてもらいます。
気の置けない仲間もできた荒川さん。夫婦以外にも交流できる人間関係があることが 移住ライフを豊かなものにしてくれます。
もう一つの楽しみなルーティンがあり 高台にある見晴らしのよい場所にきました。この町に移住して5年。身近に自然の豊かさを感じられることが 何よりの喜びだと感じています。ご来光もきれいで いるだけで幸せで 総社に骨を埋めてもいいと思うようになりました。

(坂倉)明さんの「日々の何気ないこと…」という言葉が すごく すてきだなと思いました。
つながりを作ろうとするというよりは、自分の持ってるものをちょっと周りの人に出してあげる。あるいは 「こういうの好きなんだけど」って言うだけでもよくて 何かアクションをするということが 結果 他の人との つながりのきっかけになっていくと思うんですよね。
自分では当たり前と思ってるものが、できない人とか 欲しい人とか 知りたい人にとってみたら ものすごい宝かもしれなくて こういうことをお互いに やり合うと 日々の暮らしは どんどん豊かに ふくよかになってくんじゃないかと思います。
(小澤)最初にご紹介した北澤さんも 先ほどの荒川さんご夫妻も 退職後のいわば第2の人生ですけれども、それまでと人間関係とか 時間の使い方でも変化しますよね。そういうタイミングだから 戸惑いを感じる方もいらっしゃると思うんですが。
(坂倉)外から求められることに応えていくというのが当たり前になっているのが 普通の人だと思うんですね。ところが退職後というのは そういう外から求められるものがなくなりますから じゃあ本当に残る私らしさって何だろう?とか 私が好きなものって何だろう?みたいなものをもう1回 考え直す。ちっちゃい時こんなこと好きだったなとか いつか こんなこと やってみたいなとかそういったものをもう1回 大事にして それと自分が今できることを それから地域の周りの人が求めてることをうまく くっつけていけると すごく豊かになってくんじゃないかと思います。

▽まとめ&感想

定年後 駄菓子屋を開き 地域の子どもや親との交流が生まれ 幸せを感じる男性。
どんな時に幸せを感じるか 大学生に聞いたところ 他人との関わりや社会的なことも欲していた。
地方に移住して 自然の豊かさを感じ 気の置けない仲間もでき幸せを感じているご夫婦。