Eテレ 2021.3.5 放送「思い出の品とどう向き合いますか」
東日本大震災の陸前高田で思い出のひな人形・遺影が戻った人を紹介
檀ふみさんは 家の建て直しで父檀一雄の蔵書と母の着物を整理、「万葉集」の大伴旅人で40年振りに父と会話出来た
親の遺品整理の夫婦に整理のポイントを専門家がアドバイス
いつも側に置ける日傘にリメークした母の着物
【ゲスト】檀ふみ【司会】賀来千香子 小澤康喬
陸前高田 思い出のひな人形・遺影が戻った人
岩手県陸前高田市の三陸アーカイブ減災センター代表理事の秋山真理さん。
東日本大震災の津波で流された「思い出の品」を守り続けています。
ぎっしりと並ぶのは、ランドセルやカメラ 野球ボールなど。写真も合わせると7万点以上になります。
被災地で ボランティア活動をする中で、被災した人が 写真など大切なものを失っていく現状を知り、保管して 返却する活動を始めました。
思い出の品が手元に戻った人々の喜びの声も綴ってあります。
市内に住む 千葉美加さんです。
手にした写真も 秋山さんの活動を通じて千葉さんの元に返ってきました。
津波で 汚れや傷はありますが大切な写真です。
千葉さんの住んでいた家と 実家も津波の被害を受け 全壊しました。
家族は全員無事でしたが 家財道具など ほとんどのものを失いました。
そんな千葉さんのところに, 去年奇跡的に5段飾りのひな人形が還ってきました。
30年前 4歳の娘のために自分で買い求めた思い出の品です。センターの活動が紹介された時 ひな人形が ちらっと映っていたのです。
我が家のものだと ひらめいた千葉さんは、すぐさま センターへ引き取りに向かいました。
千葉さんは「何もなくなったのに、自分に還るものがあって うれしかった。」と語ります。
うれしさのあまり 知り合いに頼んで キャスターを付け、家に遊びにきた友人たちにも見せています。
千葉さん「次の孫達に受け継いでいくものが見つかったような気がします。唯一の宝物です」
秋山さんは より多くの人が思い出の品を見つけ出せるよう、ショッピングセンターでも返却活動を行っています。
この日 やって来た 高齢のご夫婦。センターで所蔵している一部を 紹介した広報誌を見て センターに父親の遺影があることが分かり 受け取りにきました。
この年は ちょうど父の17回忌。10年ぶりに遺影の父親と対面しました。
震災から10年を機に センターへの市からの委託はなくなり、今後は自分たちで寄付を募らないといけない状況です。このセンターが人それぞれのタイミングで 思い出と向き合う場所になれば と考えています。
檀ふみさん 「万葉集」で40年振りに父と会話
(壇ふみ) やっぱり物って思い出を 何かこう手繰り寄せるよすががあるから、本当に大事なんだなと思いました。
関西大学教授で社会心理学が ご専門の池内裕美さんです。
「思い出の品」人に どんな影響をもたらすものなんでしょうか?
例えば大切な人とか 物とかを失った時というのは、私たちすごいポッカリと 大きな心の穴が生じるわけなんですけども、ひと言で言うと喪失感にさいなまれるわけなんですけれども、そういった大切な物が そばにあることで、あたたかい記憶が よみがえり、また前に一歩進んでいこうというような気持ちに促してくれる。
実はですね こうした物との関係性というのは、私たち 赤ちゃんの頃から あるんですよ。
赤ちゃんというのは乳離れをしないといけない時期、赤ちゃんはすっごい さみしさっていうか、孤独感というか 不安にさいなまれるんですね。
お母さんの代わりを見つけようとするんです。例えば毛布だったりあるいは ぬいぐるみだったりと。
お母さんから ちょっと離れた関係性を築ける段階に進むということで移行対象というすてきな名前が付いてるんです。
(壇ふみ)NHKで「日めくり万葉集」という番組の語りをさせて頂いたことがあって、「万葉集」の1巻を取り出して見ようとしたら その中に父が ほごの原稿用紙をビリッて破って、付箋代わりに挟んでいたものがあった。
私は「万葉集」を初めて勉強していったら、大伴旅人という人が とても好きになって 面白いなと思ってたんですけれども、父が こう 付箋を入れてるところが全部 大伴旅人でした。
父は 二十歳の頃に亡くなりましたので、40年ぶりぐらいに 父と会話をした気がして 「あ〜 これが本が残っていたから 父と出会うことができたんだ」と思いました。
遺品整理 専門家のアドバイス 思い出語り 2度目のお別れ
どう片づければいいのかと悩む方に遺品整理の専門家が アドバイスしました。
埼玉県にある木造2階建ての一軒家。
こちらの家は 笹原 誠さんの両親が暮らしていた家です。妻の香津好さんと片づけに取りかかっています。
誠さんの母親 美奈子さんは10年前に亡くなり、去年 父親の弘之さんも亡くなりました。
兄と誠さん夫婦は 同居していなかったため 家は空き家になりました。
この家は両親の思い出が詰まった家です。売却も視野に入れ 家を整理することにしました。
そこで遺品整理の専門家に アドバイスをもらいながら行うことにしました。
原山美記さんは 遺品整理専門の資格を持ち 家具の回収から、思い出の品の選別まで行っています。
どこから手をつけていいか分からない状態でした
ポイント①引き出しの中身を全てチェック
家中の引き出しを開け一つ一つ 中身を確認していきます。貴重品を確かめます。 鍵 印鑑や小銭などが出てきました。 金縁のメガネも高価な場合があります。
ポイント②一時的な保管箱を設ける
迷い始めた時は一時的な保管箱を設けそこに入れる。
途中 懐かしいものが出てくることがあります。母子手帳さらに、母親の高校時代の卒業証書も。
いったん処分してしまうと、もう元には戻りませんので 後悔しないように 一時的な保管箱に入れ、もう一度 考え直したほうがいいとアドバイスしております
ポイント③ 写真類はデータ化
たくさん出てくる写真も対応に困るものの一つ。
カビが発生したり 変色したりしてくるので データ化にして小さくしたり、アルバムの中の写真の写真を撮ります。
ポイント④捨てるもの 最後は家族が確認
捨てていいのでは ないかと思うものも 最後は家族に確認してもらうようにしています
家族が納得して処分することが大切だそうです。
ポイント⑤リユースなどで活用
「使わないから捨てる」と判断したものの 中でも 活用できるものも あります。母親のバッグ。父親のあまり履かなかった靴などがありました。
原山さん「お値段があれば買い取りします。つかないものは 海外の タイやカンボジアで また新に使ってもらい リユースさせていただきます」
瀬戸物、ぬいぐるみなど 日本製のものであれば海外で人気があり 活用できます。
ポイント⑥故人の思い出話をすることで 気持ちの整理を行う
亡くなった人が大切に とっておいたもの。母親の着物類が 16点も出てきました。
しつけ糸が付いたまま一度も袖を通さずに大切にしまっていたものもありました。
誠さんは「買っても数年してから 着始めたようです。」と思い出を語ります。
着物類は半分だけ残し あとは処分することにしました。
たまには冗談を言ったり 世間話をしたりしながら 笑ったり、処分をすることになっても 話をしながら行うことが大切だといいます。
ポイント⑦位牌の代わりに台帳を利用して名前を残す
そして多くの人が頭を悩ませるのが仏壇です。中から出てきたのは たくさんの先祖の位はい。誠さんの家が手狭なため全てを持ち帰ることは断念しました。
代わりに 位はいに書かれた名前を自宅用の台帳に書き移し仏壇に供えることに。亡くなった日も書き記し後世まで伝えます。仏壇は寺で供養してもらうことにしました。
2日間かけて部屋は ほぼ整理がつきました。父親の作業場も空っぽになりました。
整理をしながら ここで夜遅くまで働いていた 実直な父の姿を思い出していたという誠さん。
遺品整理をする中で「おやじの名刺」を見つけて、新たな感慨が湧きました。
思い出に 引き戻してくれることってあるから、2番目のお別れが できる感じがします。
遺品整理というのは すごく こう悲しい行為というか気が重たくなる行為です けれども、誰かと話をしながら 思い出話に花を咲かせながら整理をしていくことで 、ちょっとこう明るい気持ちにもなるし 供養にもつながると言えますね。
(壇ふみ) 私も 母が亡くなって3年後ぐらいに 片づけというのが あったから、ある意味 母の供養というか 母を思い出すことにも なった気がしました。
本当に ぶつぶつ ぶつぶつ言いながら妹と一緒に「おばばちゃん 何で こんなにおふくろさんって言うけど、お袋ものが好きだったのかしら」とかね。
思い出に引き戻してくれることってあるから 何ていうか お別れができる。2番目のお別れが できる感じがしますよね。
大事なものを これは大事そうだから 取っておきましょうっていうと永遠に使わない。
使えそうなものは 使おう使い倒そうと思いまして さかずき何か 人間国宝の方が お作りになった盃。
小さなのがあったんですよ 箱入りの。料理棚のとこに置いて スープとか おみそ汁とか 味見に使うようにしていました。でもね ある日割っちゃったの。でもきれいに使い倒しました。
父親のスペイン土産の革製の置物を玄関に飾るなど 遺品を見えるところに置くようになったそうです。
リメークして 着物がそばに置ける日傘に
広島市 子供用品・古着販売店 店長 浜口 緑さん。
4年前 思い入れのある洋服をリメイクするサービスを始めました。リメイクは自分たちで一つ一つ 手作業で行っています。
子どもに初めて着せた服が、写真を入れるアルバムに。
着なくなってしまったお気に入りのTシャツは、愛犬の服や、カードケースやバッグに生まれ変わりました。
これらは 思い入れがあって服を捨てられないという お客さんの声に応える形で生まれました。
この注文は 還暦祝いに母のスカーフをリメイクしたいという娘からのもの。
両親の夫婦げんかのエピソードが書かれていました。
こちらのスカーフ 結婚当初、みそ汁の味つけをめぐって父 と母は初めての夫婦げんか。
翌日 父が謝罪のために母にプレゼントしたものでした。このスカーフは大切なものなので アルバムにして再び生かすことにしたのです。
神奈川県の金田安子さんが リメイクしたのは母親から譲り受けた着物。娘の七五三の時 その着物を着せてくれた 思い出もあります。
母親のてるこさんは三味線や踊りをたしなみ 毎日 着物を着ていました。着物も一晩で縫い上げるほどでした。
しかし金田さんは 30代の頃多くの着物を譲り受けましたが ほとんど着る機会が ありませんでした。
母親は およそ40年前に60歳で亡くなり、着物は形見となり どうすればいいかと悩んできました。
母から頂いた大事なもんなので他の方に譲るっていうことは考えなかった。
日傘にリメイクを思いついのは 息子からのお土産の傘でした。
今では どこへ行くにも持ち歩く愛用の品に。早くに亡くなった金田さんの母親と一緒にいられなかった時間を取り戻して、傘に話しかけることが 母に話しかけてるような感じになっています。
衣類を日傘にする作業 これも全ていち工房のスタッフが一から行っています。
生地の素材や伸縮性は それぞれ異なるため 形や縫い方を変えています。
傘作りの経験のある職人に技術を学んで習得しました。他にはない思い出の詰まった一点ものの生地 失敗すれば取り返しがつかないため慎重に進めていきます。
浜口さんは 思い出の品をそばに置くことで 自分の暮らしを豊かにしてもらえればと感じています。
SNSに さまざまなアイデアの思い出リメイクが投稿されています。
40代の女性は 切れてしまった祖母の真珠のネックレスを イヤリングへ 。リメイクアクセサリー作りが趣味だったため自分で作ったそうです。
20代女性のリメイク作品。祖父の背広と父親のワイシャツを1歳になる息子の礼服に。この蝶ネクタイも 背広の裏地で作るという こだわりようです。
(壇ふみ) 私が家を建て直したのは 区画整理にあいまして 家が敷地が半分になってしまったから なんですね。
栗の木は 兄と父が一緒に植えた 思い出の木なんだって 兄が申しまして、たまたま その時 山中の木地師さんに 「硯入れみたいな箱があるといいな」って言ったら 作ってくださいました。
物には拡張された自己ということで、その所有者の一部として感じ取られるという働きがあるんですね。
大切にして身につけてあげることで 自分の思い出としての価値あるなって 前を向いて歩いていくのが望ましい物とのつきあい方なのではないでしょうか。
(壇ふみ)私思うんですけども 人ってたぶん 思い出でできてるんだと思うんですよね。
つらいことも あったかも しれないけども、やっぱり誰かを愛したこと愛されたこと 幸せだったこと楽しかったこと そういうのが、物とともに よみがえってくる。
だから非常に濃い時間を過ごしていたら、物にも濃い思い出が しみついて、その時間を反復できるというかそういう感じがしました。
私は あんまり物に執着のない人間だと 思ってたけれども こんなに好きな物が たくさんあるということは、幸せな人生だったんだ。何かを懐かしいと思えることは、私は すごく充実した幸せな時を過ごしたんじゃないかと 思えたことは収穫でした。
▽まとめ&感想
東日本大震災の陸前高田で思い出のひな人形・遺影が戻った人を紹介
檀ふみさんは 家の建て直しで父檀一雄の蔵書と母の着物を整理、「万葉集」の大伴旅人で40年振りに父と会話出来た
親の遺品整理の夫婦に整理のポイントを専門家がアドバイス
いつも側に置ける日傘にリメークした母の着物
三陸アーカイブ減災センターの活動、本当に頭が下がります。
私の場合 家を改築したので、バタバタといろんなものを処分しました。
その上での 母の遺品整理 、パジャマや普段着くらいしか なかったので あっさりしたものでした。
我が家には 位牌と過去帳があります。台帳はこのことですね。
残しておきたい写真 できるだけもう一度写真に撮ろうと思います。
その他 残しておきたい 孫の絵、賞状、講習会で教わった作品 なるべく写真にしています。
実物残っていなくとも 思い出になるように!