あしたも晴れ!人生レシピ “死”を見つめれば“生”が輝く▽まとめ&感想

Eテレ 2020年6月12日(金)午後 8時00分~ 午後8時45分

【司会】賀来千香子,小澤康喬,【ゲスト】玉置妙憂

誰にでも訪れる“死”。死を意識することで、自分の一番大切なものがわかったり、これから先の自分の生き方を見直すきっかけが生まれるかもしれません。がんの手術を受けた後、新天地で新たな生活をスタートさせた女性や、母親の死をきっかけに終活を始めた50代の女性などを紹介。愛する家族を失った人のための「遺族外来」も。スタジオでは、看護師で僧侶の玉置妙憂さんに、死をどう受け止めればいいのかヒントをうかがう。

出典:NHK HP

愛する家族の死を乗り越えるには、 遺族外来で話を聞いてもらう

2017.9.8放送
埼玉医科大学国際医療センター 精神腫瘍科 大西教授
遺族外来で心のケアを行っています。やってくる半数は配偶者を亡くした人。
死別は人生で一番つらい出来事、そのストレスはころと体に影響を及ぼす事が分かっていて、心臓病での死亡率が上がったり、うつ病になったり、自殺も増える。

この男性は 死別する前から、遺族外来での対処が必要だったといいます。
福岡義文さんは2年半前に、妻の香代子さんを がんで亡くしました。69歳でした。
出張が多く、家庭のことは全て、妻に任せきりだったといいます。
4年前 胃の痛みを訴え、精密検査を受けた妻。その時 がんだと分かりました。
早速 胃の摘出手術が行われ、8時間はかかると言われていたのですが、 始まってすぐに
手術は中止されてしまいました。すでに がんが大腸に転移していて、手の施しようがなかったのです。
抗がん剤による治療が続きました。独立していた2人の娘たちも、看病や家事の手伝いに
頻繁に実家に戻ってきてくれました。
しかし福岡さんは、妻の見舞いにも行かなくなり、家に閉じこもるようになりました。
そして自ら命を絶とうとしてしまったのです。
妻は、心のケアのために受診していた、大西医師のもとに夫を連れて行きました。
自分の気持ちを、何でも素直に話すことができました。しゃべりに行くだけで楽になった。
大西さんの外来に通うことで、徐々に気持ちが落ち着いてきた福岡さん。
ある日、妻の命が終わりつつあることを、大西さんから告げられた福岡さん。
「福岡さん、分かっていますよね」という言い方でした。
「こういう経過をたどります」「こうなったら短いです」という話は伝えられ、受け止めることができました。
抗がん剤治療の効果もあり、福岡さんは妻と1年以上、穏やかな時間を過ごすことができ、妻の香代子さんは亡くなりました。
直後には 深い悲しみに襲われた、福岡さんでしたが、妻との楽しい思い出を振り返ることが、できるようになりました。
今も結婚指輪をペンダントで身につけ、「いつも一緒に、支えになる。」
死別の悲しみはゼロにならないが、心がもっと広くなっていく中で、相対的に悲しみが小さくなる。乗り越えるとは、そういう意味だと思う。

看護師で僧侶の玉置妙憂さん、夫を自宅でみとり、死はどうにもならないもの、時間薬がいやしてくれる

看護師で僧侶の玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さんです。
玉置さんは 夫を自宅で みとったことを、きっかけに僧侶となり、死についての講演や執筆なども、されています。

賀来:玉置さんは 死が家族に与える影響の、大きさというのを、どう捉えていらっしゃいますか?

やっぱり人が これだけ生きてきた、エネルギーをしまうということですから、死というのは本当に、大きな影響があると思うんですね。
捉え方を変えれば 死というのは、死にゆく人が人生の最後に、家族たちに残すメッセージなんですね。
受け止めてどうするのかというと、四苦八苦をしながら学ぶわけですよ。
だから、その学びというのは やっぱり、楽ではないということなんでしょうね。

賀来:死を受け入れるにあたって、どういう心構えが必要だと思われますか?

私はやっぱり私たち人間ごときには、どうにもならないものがある、というところを腹に落としとく、ことがまず最初かなと思ってるんですね。
何か、やりようがあったんじゃないかと。治しようだったり、避けようだったり。
何か 自分の方に ミステークがあって、死というものが来てしまったんじゃないかというふうに考えると、非常に厳しいですよね。

小澤:もし それが起きたら、とてつもない喪失感であるとか、悲しみに陥っていくのではないかという、恐怖があるんですけれども。

私たちが抱く恐怖とか怖さとは、そうなりたくないから怖いんですよね。
でも大事な人を亡くしたら、悲しいんですよ。とことん苦しいんですよ。
それは もう致し方ないことなんですよね。
でも覚えておいて頂きたいのは、その悲しみ 苦しみは、ずっと続くものじゃない。
必ず癒えていきます
時間薬というものの流れの中で。


看護師であり僧侶の玉置さん。
「死」に関する数々の本を執筆しています。
『死にゆく人の心に寄りそう』で、死の過程を詳しく書き記しています。

2019年4月17日
クローズアップ現代+「死に様指南、ある看護師僧侶が説く」より

死の予兆は、おおむね3か月前から現れ始めます。
多くの場合、始めに現れるのは、内向きになることです。人に会ったり出かけたりしなくなり、テレビや新聞も見たくなくなります。
その代わりこれまでどういうことをしてきたかなどしきりに話したりします。一生懸命自分自身の人生の整理をしているのです。
死までの期間が1か月を切ると血圧や心拍数などが不安的になり、肌や爪、手足の血色が悪くなります。
亡くなる2週間から1週間ほど前になると、たんが増えて、のどからゴロゴロ音がします。
亡くなるまで24時間を切ると、あごを上下に動かしてする下顎呼吸が始まります。
心停止の前に、それまで出なかった尿と便がいっぺんにバッと出ます。血圧が低下して体中の筋肉が緩むためです。
そのおかげで亡くなった後の体の中はきれいに空になっています。人は自分で自分の体をきれいにして、亡くなるのです。

看護師として働いてきた玉置さん。死と深く向き合う きっかけになったのは夫の死です。
夫の哲さんは 57歳の時、大腸がんと診断され 手術しました。
その3年後 転移が疑われ 再手術。しかし その後抗がん剤による治療を拒みました。
看護婦としては、治療に導く。 家族としては、治療しないのは、愛がない。
しかし 最期は夫の強い思いを受け入れ、自宅で みとることに。
点滴も何もせずに そのまま、枯れていくようだった自然な形の死。
玉置さんは 命とは どういうものなのか、夫が見せてくれたように感じたといいます。

四十九日を終えたあと、命の在り方を深く考え直したいと、玉置さんは出家を決意。
高野山で およそ200日間に及ぶ修行を積み、僧侶となりました。
そして今 看護師として僧侶として、両方の視点を交えて、講演活動を行っています。

何で彼の言うとおりにしたかというと、彼は どうしても やりたいことがあって、それをやるためには、家にいないとできないという、説得のしかただったんですよ。
それを聞いていた時に、私が彼の人生を、私の価値観で邪魔することなんて、できるわけないなって思ったんですね。

だから理解したとか 分かったとか、そんなかっこいいことではなくて、諦め、何かそんなような心持ちですね。

あと ご主人様をみとるという経験を通されて、死というものに対するイメージはどう変わられましたか?

病院だと亡くなりますとね、ドラマなんかでもありますけど、ドクターが こう 時計を見て、「何時何分 ご臨終です」って、そこで パッと線を引きますでしょ。
だけど家で 私 みとったもんですから、だんだん だんだんと間が開いてきた呼吸が、「あれ? さっきのが最後だったの?」という感じだったんです。
だから生と死というものが、分かれていず続いて、ある種 エネルギーのようなものは、彼の肉体が朽ちたところで、変わらずあったんですよね。

後日談なんですけれどもね、主人が亡くなってから、よくハエになって出てくるんですよ。というのは彼が もう、もうすぐだねってなった時に「何にでも きっと なれるはずだから、何かになって会いに来てね」って、ずっと耳元で ささやいてたんです。
よもや、ハエとは思ってなかったんですけども。
書き物をしてると ペンに止まったり、食べてると箸に止まったり、こんな所に来ないでしょっていう所に、よくよく出てくるんですよ。

存在を感じていらっしゃるわけですね?

肉体だけに、どうしても頼りがちですけど、肉体を失っても、あるものがあるなと思いますね。

自分の死について考え、自分が好きに生きていこう

2017年6月16日放送 滋賀県 大津市

大津の街から車で およそ1時間。豊かな緑に囲まれた葛川地区です。
デッキで ヨガを楽しむ人たちがいます。指導しているのは中島英子さん 72歳です。
中島さんは週に1~2回、初心者を中心に ヨガを教えています。

中島さんが住んでいるのは、築100年の古民家。月7万円で借りています。
2年前に大阪から移り住み、一人暮らしをしています。
中島さんの お気に入りは、ダイニングの上の大きな梁と、まきストーブ。
ゆっくりと時が流れる この暮らしを、中島さんは満喫しています。
前は時間に追われていたけど、今はゆったりした気持ちで、人とも接する事もできるから、私自身が一番幸せ。

中島さんは 大阪生まれの大阪育ち。二十歳で結婚し 長女をもうけますが、2年後に離婚。
その後は母親と一緒に、かっぽう料理の店を営んでいました。
店も繁盛し 娘も独立。人生半ばの50歳を過ぎた頃、中島さんに突然 大きな転機が訪れます。
立て続けに、親しい友人をがんで亡くしたのです。
二人それぞれ、ちがう望みがあった。それが完成できなかったのが虚しい。
友人の死から半年後、中島さんは店をたたみ、新たな人生の模索を始めます。
しかし 今度は中島さんの体に、不調が現れます。
子宮がんが見つかったのです。すでに病気は進み 末期の状態でした。
手術は成功したものの、放射線治療のため長期入院。中島さんは死の恐怖と直面します。
病状は奇跡的に回復。5か月後 無事退院しました。
再発する不安とかある。何か目標を持っていないと、生きて行きにくい。
本当に、何をすべきかと考えたいと思ったとき、人の役に立ちたいと言うのがありました。
感謝をささげる仕事に就きたいと考えた、中島さん。
神職を目指して専門学校に通い始めます。大阪市内の神社で働きました。
祈りをささげる中で 再発におびえていた、自分の心も穏やかになっていきました。
すると新たな夢が生まれてきました。

中島さんは住まいを移して、田舎暮らしを始めました。
毎週金曜 中島さんは、小学校に通っています。放課後 子供たちの面倒を見る、ボランティアをするためです。

私は、まだ生きている。ものすごくふっ切れました。私の人生たった1回だから、後は自分が好きに生きてやろう。私は私の人生を完成したい。

あっちの世界の話を聞いて、その死を受け入れていく

死を意識することは大きいと玉置さんは思われますか?

非常に その人のね 器を大きくするな、というふうに思っています。
死を全く考えないで いつまで、この状態が続くだろうと思っている時の時間というものの使い方と、いや 限りがあるぞって、1回でも きちんと考えたことがある方の、この時間というもの、限りのあるものの使い方って やっぱり、質的に変わってくると思います。
本当に自分が大事にしてるものだったり,守るべきものだったり、だから本当に どんどん どんどんシンプルになっていくんだと思います。


玉置さんは以前に ホスピスで、働いていらっしゃいましたが、そこで出会われた方々は どのように、自分の死と、向き合っていらっしゃったんでしょうか?

死んだら あっちの世界は、どうなってるんだろうかっていうのも、そういった方々の大きな興味ですから、よく お話の話題になります。
聞いてきて下さる方って、こんな感じというイメージを、少なからず持ってるんですよ。
だから それを逆に お聞きします。お花畑だったり 光の中だったり、おばあちゃん待ってるって言ってた方も、いらっしゃったし。


そういうイメージを持ち そして、それを語れるまでになるというのは、一つ その死を受け入れていく、ということなのでしょうか。


そうです。 でね それを案外、止めてしまってるのがね、実は ご家族なんですよね。
大抵 縁起が悪いとか そんな話をしたら、向こうに引っ張られてしまうとか。
そんなこと言わないで、もっと頑張ってよって、言いたくなっちゃうんですよね 家族は。
ご本人が そういうことを、話しながら死を受け入れていこうという、そのプロセスを ちょっと、邪魔しちゃうことになっちゃうんですね。

残念ながら やっぱり、死に近づいているんだということを、見送るであろう側が
認識しなければいけない、ということなのかな。

あ~ もうしょうがないな、逝ってしまうんだなと思う頭が半分、絶対に失いたくないと思う頭が半分、もう かっきりあるわけですからね。
だから揺れたくないと思うと、話を聞かないってことになるわけです。
だから揺れてしょうがないんだ、揺れるもんなんだと思いながら、お話を聞くということでしょうかね。、

エンディングノート、終活は、残された人生を前向きに生きるきっかけ

2019年8月23日 放送 2020年2月7日選放送

大磯の52才の女性、子育てが一段落して、エンディングノート(死に備えて、自分の希望や情報を書き残す)を書き始めた。
終末期医療、葬儀などの希望、今の健康状態、財産などの情報を書き留めた。
アレルギーの種類や、介護が必要になったとき、家族の世話になりたくない、延命治療はしないで欲しいと記しています。
保険関係の書類も1つのファイルにまとめ、保管場所を伝えています。

30代の時、 母が68才の時自宅で急に亡くなった。母の遺品、どうしたらいいか、聞いていなかったので、そのままになっている。もっと会話をしておけば、良かった。子供達が困らないよう話している。子供達のために、よく作った料理のレシピ(長男は料理が趣味)を手書きで書き残している。

やりたいことに素直に向き合う。愛犬仲間との1泊旅行。気になっていたレザー教室へ通い出した。
人生の終わりを話し合うことは、これからの楽しみを具体的にイメージすることにつながっています。
終活は、残された人生を前向きに生きるきっかけになっていました。

デス・トライアル 一番大事なものはお母さん、会いに行こう 最期はなるようになる 今日一日が幸せなように

ふだんから、死を意識するということは難しいけれど、実際に降りかかってくる前に、考えるチャンスがあると、いいなと思うんですね。

デス・トライアル。死というものをシミュレーションしてみようというような感じです。
こんなような付箋を使いましてね。まず1枚に1つ 自分の大事なもの、絶対に失いたくないものを書いていくんですね。これを30個ぐらい書きます。
そこからは 病気になりました。余命 あと何か月と言われました。だんだんと体が つらくなってきましたというようなストーリーの進行度に合わせて、大切なものを 1枚1枚丸めて捨てていくんですね。
そのあとに鈴を鳴らして、「亡くなりました」ということで、最後の1個も捨てて あちらに逝くと。そういうようなトライアルなんですね。

わあ~ でも怖いです。それは何のために やるんですか?

私たちが この命をしまっていくということは、今 持っている たくさんの宝物を一つ一つ減らしていくことなんだということを実感するということですね。
そして もう一つは、自分が最後に1枚 残したものを、自分自身が改めて認識する。
割とね 男性の方に多いんですけれども、最後の1枚のカードに、お母さんが残るんですね。
「こんなに母のことが大事だと思ってたんですね」 なんておっしゃるんですよ。
今日 帰ったら電話しましょう。そして ちょっと暇があったら、ご実家に帰ってみましょうよ。会いに行きましょうよ。死ぬ時に一番最後に残すぐらいなら今 やりましょう。

玉置さんご自身は ご自分の死について、どのように受け止めていらっしゃるんですか?

「妙憂さんは もう死なんて怖くないんでしょう?」って、おっしゃって頂くことが多いんですけど、怖いですよ。 とっても怖いです。でも なるようになると思ってます。

さあ賀来さん いかがでしたか?
実際 私も ちょっと この間ですね、大事な叔母を亡くしたり、とても大事だった方が
亡くなったりしたので今日は非常に何か、それを受け入れることができる回になりました。

皆さんから よく 幸せに死ぬには、後悔なく死ぬには、どうしたらいいですか?ということをお尋ね頂くんですね。 私 その時には、「今日一日 あなた様は どうでしたか?」というふうに、お聞きするようにしてるんです。
というのは 今日一日が幸せでなくて、最期の死の瞬間だけが幸せである、ということは やっぱり ないんですね。
だから日々 小さな幸せを見つけて、そして後悔しないように生きていくことが、最終的には幸せな死に方、後悔しない死に方というものに、つながるんじゃないかなと思うんです。

まとめ&感想

愛する家族の死を乗り越えるには、 遺族外来で話を聞いてもらう。
看護師で僧侶の玉置妙憂さん、夫を自宅でみとり、死はどうにもならないもの、時間薬がいやしてくれる。
自分の死について考え、自分が好きに生きていこう
あっちの世界の話を聞いて、その死を受け入れていく
エンディングノート、終活は、残された人生を前向きに生きるきっかけ
デス・トライアル 一番大事なものはお母さん、会いに行こう 最期はなるようになる 今日一日が幸せなように

今回は、死がテーマ。いろいろ心に刺さりました。
死はどうにもならないもの、時間薬がいやしてくれる。
死の予兆、こういうもの、知っていると心構えが出来そうです。
一番大事なものはお母さんだそうで、実父母は亡くなってしまったけど、叔父叔母に会いに行きたくなりました。
今の生活は不安だけれど、最期はなるようになると思っていきます。