太平記 4話「帝 ご謀反」▽あらすじメモ△正中の変で日野俊基 捕縛 高氏 鎌倉で投獄

高氏 正中の変に巻き込まれる

1318年に即位した後醍醐天皇は、天皇に強大な支配権を集中させる、政治の復活を目指していた。
そのために、武家政治の中核である、鎌倉幕府をなんとしても倒し、政治の実権を奪い返そうとしていた。
この頃の朝廷は、皇位の継承をめぐり、持明院統、大覚寺統という2派に分かれ、争っていた。
内部の争いで弱体化した朝廷。皇位の継承にまで口を出す幕府。後醍醐天皇の倒幕の意思はこのような背景で形成された。

元亨4年(1324年)9月19日 早朝 六波羅軍は、土岐頼兼、多治見国長など名だたる武将を京で襲撃した。
土岐頼兼達が公家や僧達と企てた、幕府転覆の計が露見した。後に正中の変と呼ばれる。

早朝騒ぎの中、足利高氏(真田広之)が疲れた顔で、伯父上杉憲房(藤木悠)の館に戻ると、一色右馬介(大地康雄)が駆け寄り、「六波羅は今、血眼になって日野の行方を追っています。よもや若殿は…」と訊く。
「そうか、日野殿は逃げおおせられたか…。」
「日野殿がおやりになさろうとしたこと、この高氏にはようわかる。日野殿は、この腐りきった世を変えようとなされているのじゃ。世の中は動くぞ。日野殿には 逃げていただけねばならぬ。」
右馬介は、六波羅に、若殿が日野会っていると密告があり、そのことでお咎めがあり、上杉様が急ぎ六波羅に行かれた。若殿に直々にお召があるだろうと語った。

佐々木道誉(陣内孝則)は異変を予知し、いち早く京を抜け出し、近江の伊吹山にもどっていた。花夜叉(樋口可南子)一座一行も同行していた

道誉が花夜叉に訊く。
「誰に文を書いておる?」
「隠れ家におわす日野俊基様に恋文を」
「おもとは日野様びいきじゃからの。……文などよせよせ。」
「あれほど日野様日野様と仰せられていたではござりませぬか」
「日野様はいささか目立ちすぎた。もはや手に負えぬ。」
「手に負えぬ故、鎌倉にお引渡しになったのでござりますか?殿様はもともと執権北条高時公ご寵愛の御小姓、鎌倉とは縁深きお方でござりましょう?日野様や土岐様にお近づきになったのも、足利高氏様を……」
最後まで口にしない花夜叉、
「そうでなければ、此度の六波羅の見事な動きは解けませぬ。」
「おもとも不思議な白拍子よのぅ」

同じ頃、まほらの石(柳葉敏郎)は文を書いている藤夜叉(宮沢りえ)に声をかける
「誰に文を書いておる?足利高氏様への恋文か?あの御方はもはや詮無きお方。文などよせよせ。」
「 京のあの一夜から、お主の顔には足利高氏様と書いてあるわ。好きになったか?」
「わからない。でも花夜叉様に言われたの。好きかもしれないと思ったら文をお書き、そうすれば、気持ちがようわかる。……だから、あんなお方に文を書くのはやめた。何もないもの。たった一夜の事だもの」
「それでよい。… お主がワシの敵の足利を好きにならでよかったわ」

(道誉と石 同じリズムの繰り返しで 聞いていました。 六波羅に道誉が密告したのでしょうか?)

高氏は六波羅探題北方の北条範貞(鶴田忍)に、淀の津で、日野俊基と、高氏の姿を見た人がいると
の詰問を受けていた。
高氏は、否定した。醍醐寺の下人も見ていると言われ、都来たのは3日前。醍醐寺の下人がなぜ私の顔を知っていたのか、なぜ私と解ったか不思議がった。
謀叛人日野俊基と会うのに、わざわざ名を名乗るほど、うつけではない。

都の異変、鎌倉へ波及

都の異変は、すでに鎌倉に伝わっていた。幕府も、諸大名も早馬による刻一刻の京の動きに目を光らせていた。
足利屋敷では、上杉家からの早馬により、高氏のことを知り、貞氏(緒形拳)は苛立っていた。

貞氏は幕府に参内し、内管領 長崎円喜(フランキー堺)に、「京において高氏、六波羅殿より詮議を受けたる由。真に面目次第もござらん。お指図を受けるべく参上仕りました。」
長崎円喜は「よもやお子が宮方につきて鎌倉に謀叛いたそうなどとは誰も思いもよらぬこと。のう連署殿」と傍らにいた連署の金沢貞顕(児玉清)に話しかける。
「足利殿とこの金沢貞顕は縁続き、……」
「連署殿もそう申されておりまする。大事あるまい、ご案じなさるな。」

円喜が、立ち去り金沢貞顕が貞氏に声をかける。
「某も案じておったのじゃ。長崎殿がああ申されれば、ひとまず安堵よ。上首尾上首尾」
「しかし高氏殿は真に日野俊基とかかわり合いはあるまいの。日野一人であればどうということはないが、日野の後ろにおわす方がただならぬお方。六波羅を襲い……は、まぎれもなく帝より出たことよ。帝の謀叛じゃ。」
「帝のご謀反?」金沢貞顕に訊き返す貞氏。

朝廷は日野俊基を見殺しに

京 内裏 朝廷では後醍醐天皇(片岡孝夫)の前で、公家達が相談していた。
今回の事件を釈明するための勅書が作成されていた。
「詫び状ではないか、かかる文を関東へ送るのか」
鎌倉に対して詫び状を送れば、北条の者共は、帝のご退位を迫るやもしれません。
帝の退位を望む持明院共を利するところ。
すでに鎌倉では、帝にご出家を勧めるとか、島へ流すべしとか、聞き捨てならぬ論もあるそうだ。
今出来得る限りの手、朝廷の威を失わず、日野俊基らの謀叛には何ら帝はご関知無しする。
「朕のために矢面に立つ日野俊基を見捨てよ、というか?」

後醍醐天皇は面々退避させ、育ての親の吉田定房(垂水悟郎)だけを残す。
定房は帝の問いに、北条を倒し政を朝廷に復するは誰もが思っていることだが、中には時を待たねばならないことがある、と説く。
帝は「朕には六波羅を抑える兵すらない。時至らずか。鎌倉に詫び状をのう。日野俊基を見殺しにのう」

日野俊基の捕縛

日野俊基は粗末な身なりで、ボロ屋に隠れ、糸を紡いでいるところに”石”が花夜叉の手紙を届けに来る。だがすでに六波羅の追手が現れていた。
別の隠れ家に移動するように促す”石”に俊基は言う
「身共は逃げるつもりも毛頭ござらぬ。身共一人であればそれで良い。いずれ後の者が北条を倒しましょう。そうなると必ず、良い世の中になる」

六波羅の密偵の声が聞こえ、俊基は立ち上がる。
「これを河内の楠木正成殿に、お渡しいただきたい」と俊基は一振りの懐刀を”石”に差し出す。
外に出た俊基が六波羅の密偵たちに、連れ去られるのを、”石”は見送った。

六波羅探題では、北条則貞が、高氏に「足利殿、もはや京に長居は御無用ぞ。謀叛人日野俊基もさきほど我が手のものが捕らえたとのことじゃ。心置きのうお帰りなされよ。」

探題の門外には右馬介らが待っており、そこで馬上で縄をかけられひきたれらていく日野俊基の姿を目にすることになった。

高氏 鎌倉の手前で捕縛

追い出されるように京を出た高氏右馬介藤沢の手前まで戻っていた。

「鎌倉へ戻り、また将軍の御座所に相勤めるか?……ワシは都を見てしもうたぞ。…いかがいたせばよいのじゃ。」
そこへ武者の一団が、高氏一行を取り巻き、鎌倉侍所に連行された。

執権 北条高時(片岡鶴太郎)を前に長崎円喜、高資(西岡徳馬)、金沢貞顕。
幕府より奉行2名を派遣し、真偽を確かめ、帝ご謀叛と判明したときは、関東より軍を差し向け、帝の退位を迫ると言う、長崎父子。
高時「それはいかがかのぅ?迫るまでは及ぶまい。うーん、及ばん、及ばん。
思うてもみぃ?朝廷に謀叛があったとて、帝に兵はおらぬ。なにができる?
軍を差し向ければ金がかかる、帝が退位すれば次の帝を選ばねばなるまい。面倒よのぉ」
円喜「面倒な議はこの円喜が考えまする。」
「この高時が14で執権についた時から、面倒は円喜がずーっと考えてくれた。円覚寺におわす母御前もそうじゃ。母御前と円喜はワシの恩人よ。」

円喜は、幕府がこれまで150年、治めて来られたのは、大きな敵を作らぬよう、公平に人を遇した。
それでも敵ができるようなら、大きくなる前に早めに潰してきた。
足利がここまで勢力を大きくしてきたのは、北条が潰してきた有力御家人の残党を所領に匿い養ってきたからだと説明する円喜。
「それは何故?」訊ねる高時。
「わかりませぬ。だが此度の事でそれがわかるやもしれませぬ。」と円喜。

高氏捕縛の件は足利屋敷にも届く。愕然とする貞氏
高氏は侍所に連れゆかれた、侍所の周りは幾重にも兵がとりまき近づけない。
牢内の高氏

▽まとめ&感想

公家を中心とした倒幕の「正中の変」が起こり、足利高氏は日野俊基との関係を疑われ、六波羅にて取り調べを受ける。
鎌倉で、父・貞氏が長崎円喜に頭を下げた。
高氏は六波羅から釈放され、鎌倉への途中、武者につかまり、獄中につながれた。

道誉は、得体が知れません。六波羅に通報したようです。
都に出た、坊ちゃんがあっという間に、罠にはまり、捕まってしまいました。
気になるのは、京から鎌倉への早馬、どのくらいで行けたのかな?