所Japan 姫路城(秘)夫婦愛▽本能寺(秘)秀吉黒幕説▽こんな話 千姫のための城 信長ハイウェイ

2020年6月29日(月)放送

徳川家康の孫娘 千姫のために作られた姫路城

今回は、“姫路城”の謎に迫る。世界遺産として有名な城だが、その美しさの裏には、歴史を変えたある戦国美女 千姫 の存在があった。お城のスペシャリスト千田嘉博先生が解説。千姫を演じた芦田愛菜、磯田先生出演。

秀吉の息子・秀頼と結婚した千姫ですが、結婚した時 秀頼11歳、千姫はわずか7歳でした。ところで、秀頼を演じる俳優さんは、スラッとしてカッコい男の子ですが、実際は馬にも乗れないほど太っていたそうです。
それは、家康が、千姫と共に大阪城に送り込んだ、お付きの者たちが、秀頼を御馳走攻めにしたからだそうです。

千姫は「大坂夏の陣」で、わずか18歳で未亡人となってしまいます。その後、千姫は本多忠刻と再婚。一説には 大阪から、江戸へ戻る途中で出会った、1つ年上の忠刻に、ひと目ぼれだったとか言われています。

彼の父親(本多忠政)が姫路城の城主になり、千姫も住み始めました。
姫路城には、戦いのための建築物とは、思えない不思議な空間がたくさんあります
お城にとっていちばん大事なのは、敵の侵入をいかに防ぐため、通常 階段は段を高くつくり、簡単に上れなくするのが常識なのです。
こんなに上りやすく、階段をつくるのは、本多家が若殿の妻となった千姫のためでした。

家臣である、本多家は、城主といえど、千姫より高い場所で暮らすなど出来ないと、
西の丸を千姫のため、山を崩し工事し、城の中にもう一つの城があるようです。千姫の嫁入り時の化粧料(現在の100億とも言われる)で作られました。
特別に入れてもらた、本来 敵を見張る櫓に、なぜか千姫専用の部屋があり、床の間を背にして座ると、天守閣が一望出来ます。
東側に続く窓は、朝お化粧が出来るようになってます。

西の丸の城壁沿いに建つ長屋は、壁をよじ登り侵入しようとする敵を、内側から撃退するための仕掛けを備えています。300mも続く廊下の城内側には侍女のための部屋が19室もありました。

イケメン大名・忠刻は 妻・千姫に、更に驚くべきものをプレゼントしたという伝説があります。
相楽園の船屋形、ピカピカの漆塗りの繊細な建物でした。そこの2階に特別に、入れていただきました。
忠刻は 簡単に外に出られない、千姫のために、船が通れるよう お城の堀を拡張、水路を延ばし、お城から海まで、船で出られるようにしたと考えられるんです。

鳥取城!“中国大返し”は歴史に残る奇跡だったのか

本能寺の変”。なぜ織田信長は殺されたのか?その1つの説に、豊臣秀吉が明智光秀をそそのかしたとされる「秀吉黒幕説」が挙げられる。この説の根拠といわれるのが、秀吉が岡山から京都までの長距離を2万人の大群を連れて、わずか7日間で移動し、光秀を討ったとされる“中国大返し”。なぜ、こんなスピードで移動することができたのは、ある仕掛けがあったから、それは?

なぜか、千田先生は中国大返しのルートから離れた鳥取へ。
鳥取城、千田先生は、軽やかに、谷元アナは ヘトヘトでした。山頂からの眺めは絶景で鳥取砂丘まで望めます。
少し(?)離れたところに移動。軍道、明らかに人が整備したものと思われる、平らで広く歩きやすい道が残っています。


織田信長が快適に通るための、道路整備を秀吉に命じていた。今で言えば、信長ハイウエイを戦のかたわら、整備させていた。そして、サービスエリアに当たるところで、多くの兵達が宿泊、休んだり、食事できるようにしていた。おまけに鎧、兜は脱いで、別に輸送(デリバリー)していた。だから、中国大返しが可能だった

▽まとめ&感想

徳川家康の孫娘 千姫のために作られた姫路城。敵を見張る櫓に、なぜか千姫専用の部屋があり、天守閣が一望出来るなど、特注されたモノばかりでした。
“中国大返し”は歴史に残る奇跡ではなく、秀吉が信長ハイウェイ&サービスエリア&デリバリーサービスを整備していたためでした。

改装していた何年か前、訪れたことがありました。長い廊下をずーっと歩いたこと、覚えています。改装中で覆われていて外観が見えず残念でした。
信長ハイウェイ なるほどの例えですね。視点が変わると納得出来、楽しいです。

写真を探したら、から見た天守閣かな