NHK SP 戦国 激動の世界と日本(1) 秘められた征服計画▽その内容は 宣教師・信長・秀吉の思惑

2020/06/28(日) 21:00~ 放送

宣教師のフランシスコ・カブラルが織田信長に接近、鉄砲の弾はタイ産

今 世界各地で、戦国日本に関する発見が相次いでいます。
特に注目されているのが、日本にやって来た、キリスト教の宣教師たちの機密文書
実は この時 宣教師たちは、壮大な征服計画を、胸に秘めていました。
それが 戦国日本の戦いや、天下統一への歴史を左右していたのです。
キリスト教 カトリックの総本山、バチカン。
戦国日本に関する貴重な史料の撮影が、特別に許可されました。

記録の始まりは 1549年。宣教師のザビエルが来日
宣教師には、全世界をキリスト教の国にするという、大きな使命がありました。
達成するため 、 宣教師が極秘の情報活動をしていたことが、明らかになってきました。
各地の日本人キリシタンと協力して、広大な情報網を築き、戦国武将の動向を探っていたのです。
情報網を取りしきっていた、宣教師の名前はフランシスコ・カブラル。
当時 日本になかった眼鏡をかけていたことから、四ツ目のカブラルと呼ばれて、ザビエルから数えて3代目の宣教師のリーダーでした。

カブラルは 布教の拡大を図るため、次々と戦国武将への、接触を試みていた。
その中で 最も有力な候補者と考えたのが、織田信長でした。
「信長は もともと弱小国の武将だったが、鋭い判断力と慎重さを持っていた」。
信長は 現在の愛知、尾張の小さな領主から、急速に勢力を広げていました。

1572年 カブラルは初めて、信長の屋敷を訪問します。

3年後の1575年。信長が天下統一に向け 大きく飛躍した、長篠の戦いです。
信長の鉄砲と 武田の騎馬の戦いだといわれてきましたが、鉄砲対鉄砲の戦いでもあったのです。何が両者の勝敗を分けたのか?

長篠の戦いがあった合戦場の跡地で、去年 戦いの痕跡を探すため、50人がかりの大規模な調査が、行われました。
戦国時代の弾丸です。合戦当時の陣形や見つかった場所から、信長軍の鉄砲玉と推定されました。
帝京大学 客員教授 平尾良光は
この鉄砲玉の素材は 鉛。当時の日本では 極めて貴重な金属でした。
鉛の成分を解析した結果、意外な事実が分かりました。
信長軍の弾丸は、日本から4, 000km離れた、東南アジアのタイのバンコクから車で4時間、山奥にある鉱山で、産出した鉛でした。
坑道の総距離は 50km。アジア有数の巨大鉱山。鉛の埋蔵量は 300万トン。
鉄砲玉に換算すると、20億発に相当する、巨大な鉛の生産地でした。

海外の鉱山まで伸びる、この鉛のネットワークこそが、信長の勝因の一つだったのです。

イエズス会ローマ文書館に、今回 撮影が許された宣教師の記録があります。
カブラルは、布教を後押ししてもらうため、軍事物資である鉛の取り引きを、行っていたと考えられています。
リスボン大学 歴史センター 准教授 ペドロ・コレイア
信長への軍事支援と布教をカブラルは結び付けていた。
天下統一したければ、キリスト教を支持せよ

日本に軍事物資を運んだのは、ポルトガルの交易船でした。
(沈没船 調査 2014年 オマーン)
沈没した交易船の調査の映像です。見つかったのは 大量の弾丸

そして ヨーロッパで作られた鉄砲
長篠の戦いで 宣教師の力を借りて、宿敵 武田家を打ち倒した信長。

キリスト教勢力が世界制覇、信長は石山本願寺をキリスト教で鉄砲を得、キリシタン大名高山右近の力借りる

聖職者の宣教師たちが なぜ、軍事物資を利用してまで、布教を行っていたのか
その背景にあったのは、世界の覇権を巡る争いでした。
片や スペインなど、ヨーロッパの強大なキリスト教勢力
片や オスマン帝国に代表される、イスラーム教の勢力

両者が激突し、キリスト教勢力が勝利を収めます1571年 レパントの海戦。

日本にやって来た宣教師たちは、軍事物資の取り引きを通じて、天下統一にまい進する信長と、タッグを組んだのです。

戦国時代 仏教勢力の中心となったのは、大坂の石山本願寺でした。
信長の、最大の敵となり、10年に及ぶ死闘を繰り広げます。
石山本願寺は、各地の大名と連携し、信長包囲網を形成。
その勢力は 信長軍を、はるかにしのいでいました。

リスボン大学 ペドロ・コレイア
過激な理論だが、改宗は精神を征服すること。
つまり心を支配することで、ヨーロッパ型の思想や社会を広めようとした。

我々には、日本を征服する権利がある。
日本布教長 フランシスコ・カブラル。
信長をキリスト教に改宗させる。そうすれば日本人を素早く、キリスト教に改宗させられる。
布教の妨げになる 仏教勢力を排除し、日本人を改宗させようとしていました。

デウス様のみが国を支配する力がある。

セビリア大学 ファン・ヒル
信長にとって、それは天下統一のためでした。
キリスト教勢力が力を増すことは、秩序も乱すリスクでもあった。
信長は、仏教勢力に対抗するための駒として、リスクに目をつむっていた。

一方の宣教師は、仏教勢力を倒す策を巡らせていました。
聖イグナシオ洞窟教会のレリーフに描かれているのは、キリストの信仰に人生を捧げた人です。フランスの国王、スペインの総督、日本の右近殿
カギを握った日本人が 描かれていました。キリシタン大名 高山右近
右近は 石山本願寺に近い、大坂の摂津の領主。

記録によれば、 1578年、宣教師は 右近に接触し、苦戦を続ける信長を支援するよう、説得していました。
右近を中心に 1万人を超える、キリシタンの援軍を得た信長軍
最大の敵をついに破り、天下統一へ まい進してゆくのです。

宣教師は 予想を超える、日本の軍事的発展を、驚きをもって記しています。
その最大の変化は、ヨーロッパから伝わった鉄砲。
国産化が進む中、急速な技術革新が生じていました。

昭和女子大学 田中眞奈子
こちらは、国友の火縄銃です。
放射線で透視した 銃身の断面を比較すると、海外産と比べ 国産は、不純物が均等に分散し、 銃身の強度が安定している。
その秘密は 鍛造と呼ばれる、技法で 日本刀の製作で、磨かれたものでした。
弾を発射する時、火薬を大量に詰めても、銃身がゆがむことはなく、その爆発力を弾丸に伝えます。
更に 日本では、この進化した鉄砲の大量生産も、進められていました。
堺の町で鉄砲の製造について記された、2万点の古文書が見つかりました。
注目したのは 鉄砲を作っていた職人たちのリスト。
銃身から 台座 火蓋まで、パーツごとに分業制がとられ、鉄砲の大量生産が行われていたと考えられています。
戦国日本にあった鉄砲の数は、30万丁といわれ、世界一の銃大国になったとされています。
宣教師たちは、強大な軍事力を持っている、日本の力は利用する価値がある。
戦国日本を より大きな世界戦略に、組み込もうとしていたのです。

スペインの征服王と呼ばれた フェリペ2世が、ポルトガルを併合し、巨大な帝国が誕生した。
当時スペインは 無敵艦隊と呼ばれる、130隻の軍艦を持ち、世界有数の海軍力を、誇りました。

解読が進む 宣教師の機密文書。スペイン帝国に宛てた報告書が、残されていました。
我々の最大の目標は、と呼ばれた中国の征服である。

アジア征服のため、日本の軍事力を利用しようとする宣教師。
宣教師がもたらす軍事物資を使って、天下統一を目指す信長。
しかし 両者の蜜月は終わりに近づいていきます。

信長は自分こそ支配者と宣言も、本能寺の変で亡くなる

信長の言葉で、「われ 神にならん」。
キリスト教の神ではなく、自分こそ この世の支配者だと、宣言したのです。

戦略の立て直しを迫られた、宣教師は 長崎港一帯を、キリシタン大名から譲り受け、支配下に置きます。
更に 最新兵器、大砲を九州に持ち込み、軍事力の強化を、図ろうとしていました。
宣教師が蓄え始めた軍事力は、信長にとって大きな脅威になっていく。

宣教師の真意を問いただす信長。
記録によれば、宣教師は こう言い放っていました。
我らは、日本の心を盗みに来た。悪魔と手から霊魂を救うため。

本能寺の変で京都にいた信長が、家臣の軍勢に襲われたのです。
宣教師が つぶさに記録していました。
信長は、襲撃を察知できていなかった。なぎなたで戦った後、銃弾を受けた。

後継は秀吉に、宣教師達は日本の軍事力を利用した中国征服計画で朝鮮出兵

信長の後継者を決める山崎の戦い。宣教師が勝利すると睨んだのは、豊臣秀吉でした。
宣教師は 高山右近らキリシタン大名に対し、秀吉側に加わるよう働きかけていました。

リスボン大学 ペドロ・コレイア
右近達が勝利すれば、キリスト教の勢力拡大に、有利に働く。
宣教師達は、情勢の変化に期待していた。

宣教師の狙いは的中。 政権中枢には、多くのキリシタン大名が、名を連ねたのです。
秀吉の時代、日本のキリシタンは 30万人を突破。

最大の目標である 中国。高価な陶磁器や絹織物、金や銀などの貴金属にあふれ、世界一豊かな国でした。
日本の軍事力を利用した中国征服計画、実現のため 宣教師は、秀吉に働きかけます。
われらの軍船をお貸ししましょうか。キリシタンも意のままに動きましょう。
1592年 中国征服の足掛かりにしようと、始まったのは 朝鮮出兵
キリシタン大名を先陣とする大部隊が、海を渡りました。

戦いは激化し、推定で74万人が動員される、大戦争になりました。
最前線で戦う、キリシタン大名の犠牲が急増。
拡大を続けるキリシタン勢力を脅威と捉え、その力を削減しようとしていた秀吉。
日本では、バテレン追放令が出され、キリスト教の布教も禁じられていました。
宣教師の思惑とは、かけ離れた形で進んでいく戦国日本。

宣教師たちにとって、想定外の事態が起きます。
秀吉の野心がスペインの植民地フィリピンにも、向けられたことを知ったのです。
秀吉が狙ったのは スペインの富。征服王 フェリペ2世の、植民地を奪うことで、朝鮮出兵の戦費を賄おうとしていました。

しかし 1598年、スペインのフェリペ2世が急死。その5日後 日本で秀吉が死去
日本軍は 朝鮮半島から撤退を決定します。
宣教師が抱いた中国征服計画は、幕を閉じたのです。

フェリペ2世の死後 超大国 スペインは、世界各地で行っていた征服戦争が、裏目に出て 国力が衰退。 オランダやイギリスなど新興国が台頭します。
新たに勃発した世界の覇権を巡る争い。
その最前線に、戦国日本のサムライがいたことが、最新研究から明らかになってきました。あまたの日本人傭兵が、ヨーロッパ諸国の植民地争奪戦に参加。

家康と手を結んだ オランダ
豊臣家とつながる スペイン
決戦の舞台は、戦国最大にして最後の合戦 大坂の陣
日本とヨーロッパの覇権争いが、深く結び付いていきます。

▽まとめ&感想

宣教師のフランシスコ・カブラルが織田信長に接近、鉄砲の弾はタイ産だった。
信長は石山本願寺をキリスト教で鉄砲を得、キリシタン大名高山右近の力借りる。
信長は自分こそ支配者と宣言、キリスト教と決別も、本能寺の変で亡くなる。
宣教師達は日本の軍事力を利用した中国征服計画で朝鮮出兵に加勢。
秀吉は利用しつつも、キリシタン除外へ。

キリスト教と戦国時代の野望、こんなに結びついていたのに驚きました。
キリスト教の宣教師たちの機密文書、世界中で研究されているんですね。
忖度され無い文書、何が飛び出すか楽しみです。