大河 徳川慶喜 第24回 「久光上洛」▽あらすじメモ▽

チャンネル銀河 2020/10/16(金)AM8:00~

島津久光が多くの兵を連れ都に上ることについて 天皇の許しを得た

薩摩の後見役 島津久光(斉彬の弟・藩主忠義の実父)が多くの兵を連れ、上洛(じょうらく)して、これまでの幕府の政策を批判した上で、慶喜を将軍後見職とし、さらに松平春嶽(しゅんがく)を大老に就任させるとした幕政改革を訴え、朝廷から勅旨を賜ります。江戸では、老中たちが久光の建白書の取り扱いに苦慮し、勅使到着の前に慶喜や安政の大獄で処分を受けた者たちの罪を免じて改革案のなし崩しを図ります。慶喜は謹慎を解かれて登城し将軍・家茂(いえもち)に初めて対面します

一橋家
刑部卿慶喜(本木雅弘) が泣いている美賀(石田ひかり) に訳を尋ねると 母に「子が欲しい 元気なおなごを側に近くに置いたらどうか 。一橋家に世継ぎがかかせぬ。」と言われた。
「そのように なさいますか?」
「余はどちらでもよい」
「さようでございますか。何人集めたらよろしいですか?」
「怒っている? 鼻息が荒い。 でも 子も必要だ。徳川宗家としては、そのために一橋家を作った。子を作るのも我らの仕事だ。 でもそなたを悲しませたくない。 そなたのいいようにせよ。」と、部屋を出る。
廊下で、悲しい毎日と 泣いている たみ(水野真紀)を見かけ、一緒に 美賀の元に戻る。
たみ に 新三郎を忘れ 国元に戻り、余のために働いて欲しい。水戸藩の下々の者の考えを教えてと頼む。表にお出ましを願われ、嫌ならイイ。

中根長十郎(信太昌之)
薩摩の後見役 島津久光(斉彬の腹違いの弟・藩主忠義の実父)が多くの兵を連れ、都に上った。もう上洛したかもと お城で話題になっている。

京都 御所
孝明天皇(花柳錦之輔)岩倉具視(寺脇康文)が、まもなく島津久光(江守徹)が上洛します。
久光は幕閣を疑い、和宮下向とひきかえに攘夷を約束したが 果たせず 幕閣が京に矢を向けかもしれない。久光は 京の守りを整えるため、しばらくの間 兵を都に留めるよう 勅状を願っている。
孝明天皇 は 久光にいかなるときも、国内に争いを生じさせてはならぬと伝えよ。

島津久光 大納言 近衛忠房らに 幕政改革進言・寺田屋事件その1

近衛家
文久2年(1862)4月16日 大納言 近衛忠房 議奏 中山忠能に 久光が幕政改革を進言しました。
安政の大獄で処分された鷹司政道 達公卿の罪を免ずる。
一橋慶喜公など 謹慎されている 大名方の罪を免ずる。
九条尚忠に関白を辞めていただき、一橋慶喜を将軍後見職につけ、越前 松平春嶽を大老にする。

一橋家
慶喜が近衆の杉山寅之介と囲碁。寅之介はすぐに降参したり、殿を待たせてはご無礼と、何も考えずにすぐに打ってくる。
慶喜は、よく考えて打て、碁は心の読みあい、なんとか勝とうとして考える。

中根が戻り、お城は騒ぎになっており、久光が攻め上がるとの噂もあり、 一橋慶喜を将軍後見職につけ、越前 松平春嶽を大老にとの噂がある。

京都伏見 薩摩藩邸
島津久光が 家老 小松帯刀に 願いが叶い 勅状を賜った。
各藩を脱藩したもの達は、御前の上洛を攘夷の倒幕と勘違いして、公武合体を唱える者を襲っている。早急に手を打たなくては、ならない。
薩摩藩士 大久保利通は大阪にて 我が藩の者に攘夷倒幕は時期尚早と説得しましたが、納得せず 長州・土佐などから脱藩した者が熱くなり、手が付けられない。
お上から、都を静かにせよと 内々に言われている。お上は公武合体を唱え、幕府に引き続き政を任せたい意向。
我が藩のものだけでも説得できないか?
あの者達は 九条関白 所司代 酒井を血祭りに上げ、倒幕の勅状賜るつもり。
久光は、納得させろ。せねば斬ればよい。

江戸城 幕閣会議
老中 久世大和守廣周(大和田伸也) は薩摩の島津久光 位もなく ただ藩主の実父であるものが 兵を率いて上洛し 我らに 幕政改革を建白してきた。老中 内藤紀伊守信親、老中 板倉周防守勝静達と協議。
老中 水野和泉守忠精 は聞くところによると伏見の 寺田屋の船宿で攘夷を叫ぶものを多く斬りとった。その中に薩摩のもの 多くいたようです。
老中 久世は、お上は 久光を信頼している。このままではマズイ。久光の建白書 勅命になるかもしれないので、先手を打ちましょう

幕府は先手を打って 慶喜や安政の大獄で処分を受けた者たちの罪を免じた

一橋家
慶喜が近衆の杉山寅之介の月代を剃っていると中根が吉報を知らせる。
今書院に 一橋附家老 松平近韶(田山涼成)が老中よりの書き付け受領し、本日をもってご親族とのご面会、文書の往復など何もかも自由になった とお伝えした。
近々、公方様との面会 ご登城を命じられた。
久光は、攻め込んでくるのか?

奥で 拍手で迎えられた。

江戸城 幕閣
老中 久世大和守廣周(大和田伸也)は 伝え聞いた、久光の建白書に書かれている 慶喜や安政の大獄で処分を受けた者たちの罪を免じた。今 久光に向かって風が吹いている。我らに出来ることは、その風を断ち切ること。幕政改革 我らが先手を打ち、機転を制すること。打つ手を打ち、今日を切り抜ける。また 明日を切り抜ける。小さいことでよい、改革を始めたと言う形を示すことである。

しかし 一橋刑部卿を将軍の後見人にする事は、避けなければなりません。幼少の公方様は、たちまち無視され政は牛耳られてしまう。
今公方様は14歳。現在の後見職は辞めて戴き。後見職は不要としよう。
久光の案 無視すると言うより、我らが先に改革を始めたことにする。

久光は、一橋の罪を免じたなど 幕閣のやりそうなこと。わしの幕政改革の案が届いている。あの者達は、なし崩しにする名人だ。
その前に手を打とう、朝廷より勅使を送り、それにわしが同行しよう。大久保は先に手を打っていた。

一橋家
慶喜達は、揃って、鯛の尾頭付きの御膳を囲みます。4年の苦労でした。

鎌倉
その頃 新三郎(藤木直人)はみよ(一色紗英)が住み込みで働いている宿の前で金をもらっていた。そこで、水戸藩士 広木松之介にばったり会った。
新三郎の家で酒を飲み、広木は、桜田門で井伊を襲い、 切り死にし、首をはねられた。わし一人だけ未だ 生き恥をさらしている。 何もしても この世は変わらぬ。皆 忘れてしまっている。

4年ぶりに慶喜は登城し将軍 家茂に初めて対面 将軍後見人になるかも

江戸城
5月に入り、4年ぶりに慶喜は登城し、将軍・家茂(いえもち)に初めて対面します

鎌倉
新三郎の家にみよが戻り、「こんな暮らし 続けて用意はずがない。水戸藩 の幼なじみで 井伊大老に天誅を加えた一人の 広木が上京し、自害して果てた。俺は、自分のことしか 考えていない。水戸に帰る。」

一橋家
慶喜は、自由になったとはいえ 何も変わりません。それがしは 隠居の身にございます。
直子は、京からの噂によれば、そなたが公方様の後見人になるかもしれない。

これから先、心ない噂や憶測が飛び交うかもしれない。私はあくまでも 幕府や朝廷の争いに巻き込まれたくない。亡き父が御三家でありながら、下の者の仕事である政に巻き込まれ、苦しまれた。私は天下のことは、天下のことが好きな者に任せるべき。私は」隠居の身に満足している。 火中の栗を拾うほど愚かではない。幕府はもはや死に体です。

このあたりから、慶喜さんは 腹の中が判らない人になっていった。




▽まとめ&感想

島津久光が多くの兵を連れ都に上ることについて 天皇の許しを得た。そして大納言 近衛忠房らに 幕政改革進言 その中に 慶喜が将軍後見人になることがあった。
幕府は先手を打って 慶喜や安政の大獄で処分を受けた者たちの罪を免じた。
4年ぶりに慶喜は登城し将軍 家茂に初めて対面 将軍後見人になるかも

※この放送は、字幕が出ません。私の解釈が間違っていたら、ゴメンナサイ。
島津久光 大納言 近衛忠房らに 幕政改革進言していたのにびっくりしました。
思いがけず、別方向から 力が加わりました。