大河 太平記 49話(最終回)「尊氏の死」★足利家のため直義毒を飲み 直冬撤退▽ あらすじメモ

尊氏と義詮が出陣、直義軍越前に集結、尊氏南朝と休戦に。
直義軍は近江で敗退し和議を拒否。尊氏 体に異変を感じる。
尊氏 直義を捕らえて鎌倉で説得するが、直義は足利家のため 兄を思い毒を飲む。
直冬 宣旨を受けて挙兵し尊氏軍と争い 京は混乱に。
右馬介が説得し直冬軍撤退。足利尊氏 穏やかな最後の日々過ごし孫義満に託す

将軍父子が同時出陣、直義軍 越前に 尊氏南朝と休戦に

観応2年(1351)7月28日
足利直義(高嶋政伸)は慌しく幕府に駆けつけた。
将軍 足利尊氏(真田広之)も出陣の支度を終え「おう直義、わしは近江へ行くぞ。佐々木判官が寝返ったのじゃ」 と声をかけた。
佐々木道誉(陣内孝則)が南朝の北畠親房(近藤正臣)と手を組んで兵を集めているという。
直義はいぶかるが、 一色右馬介(大地康雄)も配下の忍びも同じ報告をしていると告げる。
「直義、都の守りは任せたぞ。いざ出陣!」尊氏らは盃を叩き割って出陣していった。

足利直義邸
直義が戻ると、義詮(片岡孝太郎)が、播磨の赤松則祐が吉野方に寝返り 出陣したと報せが入った。
桃井直常(高橋悦史)の「佐々木や赤松とは話が出来ておるのじゃ!」に愕然とする 直義。
都にいることの危険を感じた直義達は、越前で体勢を整えることにして 京をあとにした。
細川顕氏(森次晃嗣)はひそかに直義の一行から離脱する。

近江紫香楽宮 近く
尊氏と道誉は北畠親房(近藤正臣)と接触した。
親房は「我らと和睦をいたしたいとのう。御舎弟直義どのも、この春まで和睦、和睦としきりに申してこられた…」 と笑う。
「将軍は違いまするぞ」という道誉に「どう違う!?」と厳しく問う親房。
尊氏は親房に「幕府を認めてくれるなら 吉野の帝を都へ迎える」と条件を示す。
尊氏は「世が太平を迎えるには朝廷が一つになり、武家もまた一つになること」として 最後の戦いをするので力添えをしてほ しいと訴える。
「御舎弟と戦われるのか」との親房の問いに、尊氏は 「直義と戦うのではございませぬ。直義を支える大きな力と戦いまする」と答える。
「まことに吉野の帝を都へ?」と親房が念を押すと、尊氏はうなずいた。
親房もうなずき 二人は休戦の約束をした。

直義軍 近江で敗退・和議拒否

9月12日、尊氏義詮と共に軍を率いて近江の北へ進撃した。
ここで越前から出てきた直義の大軍と激突する。
激しい攻防の末、直義軍は敗北。直義はほうほうの体で越前へと逃げた。

足利尊氏の陣 近江 塩津
勝利した尊氏の陣に 直義との交渉に向かった細川顕氏が戻り、和議を拒否したことを報告する。
直義はともか く桃井直常が「戦はこれから」との報せに、道誉は「桃井め、まだ勝てると思っておるのか!」と憤る。
尊氏は顕氏に 直義が周囲と手を切って 帰ってくれば手厚く迎える と内密に伝えさせていたが、直義は「ここまで一緒に戦った面々を今さら見捨てることはできない」と断ってきた。

右馬介が敵陣に忍び込んで 直義の身柄をさらってこようと申し出るが、「それで事がかなうなら すでにそうしておるわ」と尊氏。
「直義がなぜ幕府がここまで割れてしまったか 気づいてくれねば…」と尊氏は言い、太刀を杖に立ち上がった。
道誉は不安げに尊氏を見る。 尊氏は「幕府の中の膿は出せるだけ出しておこう」と言い残して、さがって行った。

尊氏 体に異変 少年時代回想

部屋に入り 尊氏は鎧を解こうとしたが、目がくらみ倒れこむ。
近習たちが慌てて駆けつけるが、「少し休めば直る。他言いたすな」と尊氏は言いつけて意識を失った。

「又太郎さま…!」「兄上…!」少年時代直義師泰の声が洞窟に響く。
少年時代の尊氏・又太郎が、岩の上にある小さな祠の扉を開けた。中を照らすと、小汚い木切れが浮かび上がった。 「ただの木切れじゃ」又太郎のがっかりした声。

激しい雨の音に、尊氏は目が覚め、肩に異変を感じる。
肩に手を伸ばすと べっとりと血がついていた。
肌脱ぎになり 見てみると、肩にできものがあった。

尊氏 直義を捕らえて鎌倉で説得

10月、尊氏軍は越前を攻め、直義軍は、北陸伝いに関東へ逃げ、鎌倉に入った。
ここから全国の直義党に指令を送った。

11月尊氏も3000の兵を率いて都を出陣。途中馳せ参じる兵を加えながら、駿河、足柄山で次々と直義軍を破って関東に迫った。

翌観応3年1月2日
尊氏相模の早川尻で直義軍を撃破し鎌倉を奪回。
直義熱海 伊豆山に逃げ込んだが、ここでとらわれの身となった。

鎌倉 若宮御所
尊氏右馬介と共に、捕らえられた直義に会いにやって来る。
尊氏は「鎌倉は遠いのう。こたびほど鎌倉が遠いと思ったことはない。もう戦はやめぬか」と言う。
直義さえ 戦いをやめれば直冬直常もおさまるはず、と言う尊氏。
直義は「それがしに幕府をお渡しになりまするか? 義詮のような愚か者が、自分の作った幕府を壊していくのは見るに耐えない、聞き入れられねば戦を続けるのみ」と言う。
尊氏は「この戦になぜ負けたか考えてみよ」と諭す。この戦いで直義についたのは足利一門の者と鎌倉以来の武士だけではないか と。

直義は「この恵源が敗れたのは、征夷大将軍ではないからじゃ。去年兄上を負かした時に将軍の位を奪うておけばよかった」 と言うと「直義!」と声をあげる尊氏。
「北条を倒して以来、先帝と戦うたのも 幕府を作ったのも、みなこのわしじゃ!兄上は優柔不断で、わしが言わなければ、何も出来なかったでは ござりませぬか!弟はつまらぬものじゃ!わしは都へは戻らん。」 と直義。
尊氏が「直義 頼む、わしはそなたを殺したくない。戻ってくれ」と言うと、直義は「兄上にそれがしが殺せますかのう?それができれば、大将軍じゃ!」

直義が立ち去り、尊氏は右馬介に「もはや、これまでか」とつぶやく。
右馬介は桃井直常らが直義奪回のために藤沢に集結したこと、南朝の 北畠親房が裏切り、信濃から宗良親王率いる南朝軍が、碓氷峠を越えて関東に侵入してきていることを話し、一刻の猶予も許さないと進言した。

一方鎌倉周辺でも 直義党の反撃が始まっていた。尊氏の危機が迫っていた。

直義 足利家のため 兄を思い毒を飲む

尊氏右馬介を連れて 再び直義を訪ねてきた。
尊氏は写経していた 直義に都の菓子を渡した。
尊氏は「そなたは昔から酒も飲まず、田楽も好まず、口説くのに骨が折れる」と言うと、「この菓子ぐらい で恵源は折れませぬ」と直義は笑う。
「そなたとは争わぬ」という尊氏の言葉に、直義は 「何やらさみしゅうござりますな。幼い時から争って参ったんじゃ。兄上と争ってわしは大きゅうなった。」と 少年の日々を思い出す

右馬介も加わり、三人は笑いながら しばし昔を懐かしむ。
直義は 「なぜか分からんうちに、わしがわんわん泣いておるんじゃ。兄上の強情は一枚上手じゃ」と言うと、尊氏も 「それで わしは いつも父上に叱られるのじゃ。兄のくせに また弟を泣かしたと」と付け加える。
直義が 「兄上 来世では喧嘩をしない兄弟に生まれてみとうござりまするな。それも退屈かのう」と言うと、「直義」と呼んだ。
直義は菓子を手にとり、ポリポリと噛みしめる。椀に手を伸ばした。
直義から目をそらすように、「近頃、よう昔の夢を見る」と尊氏は思い出を語り始める。 
「霊験あらたかな神だというのに、祠で覗いた神体は小さな木切れであった…」と語る尊氏に「そうでござりましたなぁ」と懐かしむ直義。
直義は 声を出し もだえ苦しんだ。

「直義ッ!直義ッ!!」尊氏は抱きかかえ、「なぜじゃ!なぜ強情を張ったのだ!?」と問い掛ける。
直義は「今さら、桃井たちを見捨てるわけには参りませぬ。かと申して、このままでは 足利家を滅ぼしてしまう。こうするよりほか、ございませぬ!」しぼり出すように答えた。
 さらに「よくぞ ご決断なさいました。兄上は 大将軍じゃ。足利家は、これで安泰じゃ…」と手が落ち、目が閉じられた。

尊氏は「殺した。殺してしもうた。弟を殺したーッ!」 泣き叫びながら 直義を抱きしめ続けた。

夜が明け、中庭の枯れた蓮の花を眺める 尊氏の顔はげっそりと老け込んでいた。
「わしは、長う生きすぎた」 と右馬介に語る尊氏。
そして「だが、まだやらねばならぬことがある。わしには、直冬が残っておる」と尊氏は立ち上り、右馬介に支えられ ようやく歩み始める。

直冬 宣旨を受けて挙兵 尊氏軍と争い 京は混乱

備後国 鞆の浦
足利直冬(筒井道隆)にも直義死去の知らせが届いた。
2月16日鎌倉延福寺毒殺されたとの報告を聞いた直冬は「合戦じゃ!吉野方と結んで都を攻める!敵は足利尊氏だ!」と家臣たちに出陣の命を下した。

一方の尊氏重い病に罹っていた。背にできた腫瘍がただれ、尊氏は医師たちの治療を受けながら、関東の平定を進めていく。
関東をようやく鎮めて京へ戻ったのは文和2年(1353)秋であった。

文和3年(1354)12月直冬は南朝に身を投じ 後村上天皇の宣旨を受けて 挙兵した。
越中の桃井直常ら各地の旧直義党も呼応して京へ攻め上った。

雪の降る中、門が開き、武士たちが担ぐ輿に乗った尊氏が出陣していく。尊氏最後の戦が刻々と迫っていた。尊氏51歳の暮れである。

京に突入した直冬は東寺に陣を敷いた。桃井直常も 翌文和4年1月に京へ突入。

尊氏はいったん京から逃れたが、2月に体勢を整えて巻き返し、東山に本陣を置いて東寺の直冬とにらみ合う情勢となった。

小雪の降る尊氏本陣に、義詮が「直冬軍を押し返してきた」と意気揚揚と帰って来る。
義詮は父を気遣う。「案ずるな」と尊氏は義詮を軍議へ送り出す。
頼もしくなった義詮を見て諸将も「では我らもひと合戦」と出かけた。

二人になった 尊氏は右馬介に「この都を、わしがどれほど大事に思うておるか。北条を倒そうと思うたのも、初めてそちとこの都を見たときからじゃ。この都は、わしに夢を与えてくれた藤夜叉(宮沢りえ)に会うたのもこの都じゃ」
 尊氏は、白拍子の姿で美しく舞う藤夜叉など 次々と思い出された。
「藤夜叉の子が、この都を焼き払うておる」と尊氏はつぶやく。 
「おん殿がお治めになれば、この都は美しい都になると、そう思うております」藤夜叉の声がよみがえる。

右馬介が「それがしを 直冬殿のもとへおつかわして くださいませぬか?」と申し出る。
かつて、父親代わりを したことのある自分が 直冬に戦を止めるよう言ってくる と右馬介は言い、「根は心の優しいお子でござりまする」と語った。

右馬介は尊氏の前に膝をつき、自分の生涯の夢は親兄弟を討った北条を倒すこ とだった、それを尊氏のおかげで果たすことが出来たが、その恩返しがまだできていない と懇願する。
「会うて直冬が聞き入れぬ時は?切られるかもしれんぞ!」と尊氏が問うと、 「明日までにそれがしが帰参せぬ折は、事やぶれ、どこぞに消え失せたと 思い下さりませ」と言い残して、右馬介は立ち去っていった。

直冬を右馬介が説得し切られる・ 直冬軍撤退

東寺の直冬本陣では、直冬が家臣たちに「明日の早朝、軍議」と言い渡して自室にさがっていた。
直冬は地図を取り出して戦略を練り始めるが、くるはずの兵部が来ず、確かめるため扉へと近づく。
いつの間にか黒装束の右馬介が部屋に忍び込んでいた。
推参なり!」と斬りかかる直冬だったが、 右馬介はたやすく刀を奪い ねじふせてしまう。
「今日は右馬介としてではなく 具足師 柳斎として申し上げたき儀があり、参上つかまつりました」 との声に、直冬も気がついた。

右馬介は「あの赤子が、30年後に都を戦で焼き払うお方になるとは…」と言い、都を愛した母上も嘆こう、と直冬を諌める。
「将軍を討つためじゃ!やむをえぬわ」と答える直冬。
右馬介は「将軍を討つ?実の父上でござりまするぞ。討てるとお思いか?」と問う。
直冬 「将軍は我が養父を殺した!おのれの弟を殺した人でなしだ!」と叫ぶ。

尊氏が病魔に冒されていることを直冬に教えた。
右馬介は「将軍には もはや若殿に勝つ 余力はござりませぬ。それでも なお戦い続けようとなされておる」
直冬の「わしには分からぬ!苦しいのなら戦をやめれば良かろう!何ゆえ弟を殺す!何ゆえ我が子を敵とす る?」と問う。
右馬介は「執念でござりまする…家を守り、幕府を守り、この都を守る。その一念でござりまする!」と答える。
「若殿が父上を恨む、その執念はいかが?その恨みがこの都を焼き払うておるのじゃ!これを鬼の執念と申しませぬか!?」と右馬介も声を荒らげる。
右馬介が「なにとぞ 戦をおやめくださりませ。これ以上父上を苦しませてはなりませぬ。お引きくださりませ!」と懇願するが、「引かぬ!」と直冬は拒絶する。

右馬介は刀を抜いて立ち上がった。「わしを斬るのか?」とおびえる直冬。
「無念でござりまする…御免!」右馬介は刀を振り上げたが、どうしても振り下ろせない。直冬の顔に、母・藤夜叉に甘える不知哉丸少年の面影が重なる。

そこへ侵入者に気づいた武士たちが、右馬介に一斉に襲い掛かり、めった斬りにしていく。
武士の一人がとどめを差そうとすると、「よせ!」と直冬は声をあげた。

 右馬介が「若殿は 勝たれたのじゃ。十分 勝たれたのじゃ。父上を許しておあげなされ。これ以上 戦うても みなが苦しむだけでござりまする。なに…とぞ…」と言いながら事切れた。

すけどの!伯耆国より援軍が到着いたしました!」翌朝 桃井直常が直冬の本陣にやって来た。
直冬は 「東山を攻め、本陣を落として、それで勝てるか?わしは将軍を斬れるか?戦に勝っても、しょせん父上は斬れぬ」つぶやくように言う。
直冬は 並ぶ弓の弦を次々と刀で切り「もうよい!この戦、ここから先は どうやっても わしの負けじゃ!父上にとどめは差せぬ」刀を投げ捨て、自らの烏帽子をはずし直常に渡した。

東山の尊氏本陣では「敵がひくぞ!」「どういうわけだ!?」と兵士たちが騒ぎ出した。
義詮も尊氏の前に駆けつけ、直冬軍の撤退を告げた。 
「右馬介は?右馬介は帰参いたしたか?」と 尊氏が尋ねるが、誰からも返事がなかった。
義詮は「我らは勝ちましてござります る!」と尊氏に声をかけた。

尊氏は全く無反応で、義詮は ただちに追撃にとりかかろうとするが、尊氏は「敵は引いておるのじゃ。引くと 決めたのじゃ。引く者を追うことはない。この上無益な戦を重ねるには及ばぬ」と地図を火に入れた。

尊氏は雪の本陣の中で ひとり天を仰いで涙する尊氏。
「わしは また 生き残ってしもうた!さらばじゃ、直冬!右馬介!」 

文和4年3月、直冬は都から去っていった。そして二度と尊氏の前に現れることはなかった。

3年後 足利尊氏 穏やかな最後の日々

三年後の延文3年(1358)4月
足利尊氏の館
満開の桜が舞う中、佐々木道誉尊氏から猿楽の宴に招かれ 登子(沢口靖子)の出迎えを受ける。尊氏の病はすでに重く、巷では危篤の噂も流れていた。
登子と道誉が近づくと 尊氏は脇息きょうそくにもたれてウトウトとしている。
道誉が 一緒に来るはずだった義詮は政に忙しく遅れてくると言うと、登子が義詮も秋には子が出来るので頑張っているようだと語った。
尊氏は「あれはわしに似ず気短かじゃ。父上の初孫ゆえ、元服の名を考えろとせきたてるのじゃ。まだ見ぬ孫の、 元服ときたものじゃ」と苦笑する。
「何とおつけになりました?」と登子が尋ねると、尊氏は空中に文字を書き、 「義満…義詮の義、思いが満つるの満、満願かなうの満じゃ 義満!」と言った。

猿楽が始まるまで横に と登子が勧めるが、尊氏は「これでよい」と脇息にもたれて庭を見る。
「まるで犬じゃ。何もせず、一日中 うとうとと眠っておるのじゃ」
道誉「うらやましい限りじゃ」
尊氏は「妙な心地ぞ。目が覚めると庭に日が差しておるのじゃ。花が美しゅう咲いておるのじゃ。そこはかとのう 良い心地になるのじゃ。もうこれでよい。政も足利家の行く末も皆忘れて、これでよい、そう思うのじゃ」 と二人に言う。
「わしが手に入れたいと思ったものは、もそっと大きなものじゃ。もそっと美しいものじゃ。だが庭の花を見て、これでよい、と…」 尊氏の言葉に 登子が「長い間 いくさで 家を留守にした罰でござりまする。少しは家にいていただかねば」と言う。
道誉も「これからは御台どのに 孝行いたさねばのう」と続ける。
「十分しておる!」と怒ったように言う尊氏に、「まだまだ足りませぬ」と登子。

道誉は 舞台の様子を先に見てこようと すると「判官どの」と尊氏が呼び止め、道誉の前に両手をついた。 「行く末、義詮をよろしゅう頼みまするぞ。幕府を頼みまするぞ」
「わしは…頼りにならん男ぞ…?」と道誉が言うと、尊氏は 「いや 三十年前 初めて会うた時から 友じゃ、と思うておった。生涯の友じゃと!」
道誉は「かなわぬな!」と苦笑して立ち去っていった。

「三十年前と申せば、登子が殿に初めてお会いしたのも、三十年前でござりましたな」と言いながら登子は尊氏の肩に羽織をかける。尊氏は手を伸ばし、登子の手を強く握り締めた。

桜の舞う中、猿楽の舞が始まり、尊氏、登子、道誉は並んでこれを見物する。
尊氏は またウトウトと夢見心地になっていく。 「今となっては敵も味方も無いのう、判官どの。みな同じじゃ…」とつぶやくように言う尊氏。多くの人々とのさまざまな思い出が次々と浮かんでくる。

「無念」だった父・ 貞氏(緒形拳)

顕子と戯れて仏の絵を真っ赤にする 北条高時(片岡鶴太郎)

「尊氏の申す通りじゃ。天下を率いるは肩が凝る… 」後醍醐帝(片岡孝夫)

「大事なもののために死するは 負けとは申さぬもの…」 花夜叉一座の楠木正成(武田鉄矢)

「尊氏どの、出合え!一騎打ちにて、この勝負を決せん!」 新田義貞(根津甚八)

高氏と一緒に都見物をする若き日の一色右馬介(大地康雄)

「高氏どのがいやなら致し方のないこと。嫁とりの話は強いては申しますまい」 母 清子(藤村志保)

「攻める時は攻める!引くときは引く!戦には仕掛け時というものがござるのじゃ」兄に語る若き日の 直義

「誰が何と言おうと手放さん!わしから政を奪いたくば、わしを殺してからになされ!」絶叫する直義

「みな 共にこの世を生きたのじゃ。共に生きたのじゃ」と尊氏がつぶやく。
尊氏は また うつらうつらと目を閉じていく。

1358年4月末、足利尊氏は54年の波乱に満ちた生涯を閉じた。

尊氏の開いた室町幕府は、それから40年後、孫の義満により大輪の花を咲かせることになる。
南北朝は1つのの朝廷に復し、天下は太平の世となるのである。
そして都は北山文化に彩られた美しい都として、栄華をこの世にとどめることになる。

▽まとめ&感想

尊氏と義詮が出陣、直義軍越前に集結、尊氏南朝と休戦に。
直義軍は近江で敗退し和議を拒否。尊氏 体に異変を感じる。
尊氏 直義を捕らえて鎌倉で説得するが、直義は足利家のため 兄を思い毒を飲む。
直冬 宣旨を受けて挙兵し尊氏軍と争い 京は混乱に。
右馬介が説得し直冬軍撤退。足利尊氏 穏やかな最後の日々過ごし 孫義満に託す。

ついに 最終回になりました。 複雑な人間関係も 見続けている内に 判ってきました。
最後まで バサラな佐々木道誉が 尊氏の友達であったことが 意外でした。
この時の 足利家の家臣達の子孫が、 麒麟がくるに 登場したんですね。