太平記 23話 「凱旋」▽あらすじメモ▽御醍醐京に還幸 、高氏京の守りを司る左兵衛督 に

後醍醐天皇は 楠木正成に 都入りの先陣の栄誉を与えた

元弘3年(1333)5月22日、北条一族は東勝寺で自害し、鎌倉幕府は150年に渡る歴史に幕を閉じた。
一方、六波羅の北条軍を攻め落とした、足利高氏(真田広之)は都の再建に着手した。

六波羅陥落を受けた後醍醐天皇(片岡孝夫)は船上山を発ち、山陽地を経て京に向かっていた。一行が摂津・福原の福巌寺に着いた5月末、「鎌倉陥落・北条滅亡」の知らせが入り、後醍醐帝は呵々大笑した
同行している名和長年(小松方正)らも「北条は滅んだ!鎌倉は焼け野原じゃ!」「新しき天下じゃ、公家一統の世ぞ!」と喜んだ。
還幸の御途上、何という吉報でしょう」と言う阿野廉子(原田美枝子)に、「隠岐の一年、無駄ではなかった」と後醍醐は述べた。

播磨の赤松則村(渡辺哲)の軍勢も駆けつけ加わった。
西宮では、楠木正成(武田鉄矢)達が出迎えた。千早城の長い籠城戦を耐えた正成は、刀を杖にしながら後醍醐帝の輿に近づいた。
後醍醐天皇は「正成か、笠置以来じゃのう」「負けぬ戦が実ったのう」と声をかける。
労をねぎらい、都入りの先陣を務めさせるようにした

足利高氏 初めて正式に後醍醐帝に拝謁 武士の束ねを任せられた

京の東寺では高氏と佐々木道誉(陣内孝則)が帝の一行を迎える準備を整えていた。

6月4日夕刻、後醍醐一行は東寺に着いた。高氏は初めて正式に後醍醐帝に拝謁する。
後醍醐帝は高氏に「六波羅攻め誠に見事であった。 … こののちも、頼りに思うぞ」と言い、「そちが動けば国中の武士が、動くそうじゃのう」とも口にする。
高氏はハッとし、「…… 帝のまつりごとをお助けし、帝のもとで作る世にござりまする」と答えた。
その言葉に後醍醐帝はうなずき、後ろに道誉を見つけ、声をかける。
そして高氏に「足利治部大輔、武士の束ねはその方に任せる」と言い渡した。

藤夜叉は京でウナギ売りの生活を始めた

京の二条川原で藤夜叉(宮沢りえ)不知哉丸とともに、周りの仲間に助けられながら、ウナギ売りをしていた。不知哉丸ましらの石(柳葉敏郎)の声に気づき、(正季の家人となり身なりが変わっていた)再会。
石は日野俊基にもらった書き付けを藤夜叉に見せ、この和泉の土地へ行って一緒に暮らそうと言うが、「商いってね、面白いのよ。いろんな人が買いに来て、いろんな話ができて」と言うだけだった。

足利高氏 楠木正成と再会 酒を酌み交わす

凱旋の宴が開かれ、倒幕に功のあった武士や公家たちのほとんどが、集まったが、護良親王だけが姿を見せていなかった。
千種忠顕(本木雅弘)高氏に、「まこと足利どのは強い。西国の武士とは戦ぶりが違う」と言いながら酒を注いでいる。
一方で佐々木道誉も阿野廉子らと酒を酌み交わし談笑し合う。
そこへ廉子に仕える勾当内侍(宮崎萬純)が姿を現した。
「さても美しきお方よのう」と感嘆する道誉。
廉子が勾当内侍の美しさは有名で、これまできらめく殿方に思いを寄せられたが、知らん顔と語る。

正成高氏のところへやって来て「お近づきのしるしに…」と酒を注いできた。
高氏は正成に「二年前、伊賀で白拍子の一座に会って覚えた。披露いたそう。」と言って、舞い始めた。それは以前、正成が高氏の前で舞った「冠者は妻儲け来んけるや」で始まるものだった。
正成も一緒に踊りだし、周囲の人々もやんやとはやし立てる。
賑わいの中、北畠親房(近藤正臣)は席を立っていく。

宴の場を離れて、高氏正成は庭で一緒に月を眺め、高氏は「楠木殿には礼を申し上げねばならぬ。の文にあった 大事なものの為に死するは、負けとは申さぬ という言葉が自分の迷いを断ち切ってくれた」
正成「それがしはそのような文は書きませんぞ、それは車引きでござろう」と笑う。
高氏「楠木殿と同じ月を同じ場所で眺めることが叶った」
正成「帝は、ほんに力強い味方を得た。都の月がいつまでも陰らぬように祈りましょうぞ」
高氏「陰りまするか」
正成「陰らせてはなりますまい。のう」

(なんか心配になるようなシーンでした。)

北畠親房・顕家 親子を護良親王が密かに訪ね 高氏への憎悪見せる

北畠親房が帰ってくると、顕家(後藤久美子)が、宮将軍の護良親王(堤大二郎)が訪ねてきて待っているとを告げた。
護良親王は後醍醐帝が都に戻っても、信貴山にこもっていた。
護良は「なぜ高氏が六波羅にいる?なぜ御教書など出すことが許される?」
親房は、「武家の棟梁たる器量かと、都で高氏の声望が高まりつつある」
顕家は問われ「道理をわきまえた者のように思われまする」と述べた。
激しい憎悪を見せる護良に、親房は「東夷(あずまえびす)には頭(かしら)が二つある」と言い、新田義貞(根津甚八)と高氏を巧みに操ることが肝要かと。
三位の局の阿野廉子には、3人の皇子がいる。狙いは解っている。「しばしねばってみよう。それもまた一計」と都へ戻るのを見合わせるのだった。

後醍醐は 護良親王を征夷大将軍に任じ 高氏を京の警備を行う左兵衛督にし 双方の顔を立てる

鎮守府将軍に任じられた高氏の六波羅奉行所には、各地で倒幕に参加した武士達は、高氏の承認を求め続々と上洛していた。
師直や直義たちは、それら武士の配りに苦労する。
慌ただしくなった都の警護に力を注ぎ、特に足利軍の行いに注意するよう直義に指示した。
 
護良親王のこもる信貴山に、後醍醐帝から公家の坊門清忠が使者として来た。
乱が終わったから、僧に戻れとの帝の言葉を伝えると、護良は「そしてまた乱となれば髪を伸ばせと?」とあざ笑う。
「北条は確かに滅んだ。しかし次なる北条が洛中におごっておるではないか」と言う護良。
清忠が「次なる北条とはたれを?」
「高氏よ!」と護良
「帝に伝えよ。高氏の誅罰さえ果たされるならば、この護良、山も降りよう、髪も剃ろう!」

清忠の報告を聞き、後醍醐帝は廉子、忠顕、長年、円心らに意見を求める。
忠顕は「宮はいささか 我らとは思いが違っている。…無用な混乱を起こしてはならない」。
円心は「諸国に令旨を送り、味方を口説き回った。…最後の裏切り者…」
長年は「都人は平穏を求めている」

後醍醐は考えた末、護良を征夷大将軍とし上洛を求める。
一方、高氏を京の守りを司る左兵衛督(さひょうえのかみ)に任じるということに。

護良親王が征夷大将軍になったと聞いて、直義(高嶋政伸)は征夷大将軍は源氏の棟梁が受け継ぐべき職、と怒る。
それを「新政が始まったばかり」となだめる高氏。
師直(柄本明)は「さりながら、我らは帝のために戦をしたのでござりましょうや?我々が北条に背いたのは、足利一族や武士の行く末を思ってのこと。北条殿を倒すためならば、今の帝にあらずとも、かつげる帝であれば、いかなる帝あっても、よろしかったのでは。たとえ、木の帝であれ、金の帝であれ…」
高氏も直義も不遜な発言と師直を叱るが、師直は「これは師直一人の考え」と悪びれる風もない。高氏は「なによりも帝の御新政を見てみたいのじゃ」と言ってこの話をそれ以上つきつめようとはしなかった。
 そこへ鎌倉の登子(沢口靖子)からの書状が届く。登子も千寿王もつつがなく過ごしているとの文に、高氏は心和んだ。

▽まとめ&感想

後醍醐天皇は 楠木正成に 都入りの先陣の栄誉を与えた。
足利高氏 初めて正式に後醍醐帝に拝謁 武士の束ねを任せられた。
足利高氏 楠木正成と再会 酒を酌み交わす。藤夜叉は京でウナギ売りの生活を始めた。
北畠親房・顕家 親子を護良親王が密かに訪ね 高氏への憎悪見せる。
後醍醐は 護良親王を征夷大将軍に任じ 高氏を京の警備を行う左兵衛督にし 双方の顔を立てる

鎌倉幕府滅亡とはいえ後醍醐帝、爆笑しすぎ 天皇のイメージが壊れてしまいます。
不知哉丸が石の声を聞いて、解ったシーン 無理があり過ぎですよ。
高氏と正成の月を見ながらの会話、なんか不穏になっていきそうです。
師直の「今の帝にあらずとも…」これで、話しが続いて行くんですね。