2020年3月12日(木) 午後8:00~午後8:45
【 司会】古舘伊知郎,赤木野々花,【出演】澤部佑,宮崎美子,森岡浩,【ゲスト】尾美としのり,西村まさ彦,松村邦洋,【語り】里村奈美
主君・織田信長を討ち戦国時代最大の下克上を果たした明智光秀の生涯をひもといてみると戦国大名たちが戦乱の世を生き抜くために「おなまえ」を最大限に利用し、時には武器として使っていた…という意外な事実が見えてきた。おなまえ目線で見てみると「麒麟がくる」がもっと面白くなる!日本史上の大事件「本能寺の変」知られざるおなまえヒストリーもフカボリ。明智光秀と豊臣秀吉、おなまえ戦略でも光秀は負けていた?
出典 NHK HP
明智という名字は美濃国の地名でもあった
明智光秀は織田信長を討った逆臣だと、悪役に描かれていた。
実際は情に厚い人物だったとも言われている。
戦国時代研究者の小和田さんの話。
「光秀の若い頃の史料はほとんどない。ただ、明智という名字は美濃国からきている」
かつて美濃国だった岐阜県可児市では、山間の開けた地を「明智」と呼ばれていた。
展望台の場所にあったのが明智城で、光秀の叔父の光安が城主で、光秀の生誕の地と言われている。
さらに、開墾した地「明智」という意味もあった。
京都府福知山市には光秀が築いたと伝わる「明智藪」という堤防があった。
町を流れる由良川は、荒れた川で、全長500mの堤防をつくった。
光秀は御霊神社に祀られている。この地では神扱いだった。
明智光秀、丹波を広め、
広め、丹波の福知山。どっこいしょ
築城の材料を運んだ人々の掛け声が由来の「福知山音頭」もある。
光秀が、本能寺の変の前に 「ときハ今あめが下しる五月哉」詠んだ詩。
この「とき」は岐阜県瑞浪市の土岐の事。
土岐氏の先祖は清和天皇だった。土岐という地名は崖「トギ」からきた説などがある。
美濃の国の守護となった土岐頼貞の土岐一族は、室町幕府の200年間、最盛期は、美濃・尾張・伊勢を治めていた。東海最大のブランドでした。
一族は領地の名前を名字とした。
明智、 多治見、妻木、墨俣、久々利、鷲巣、蜂屋、石谷
「土岐」は信長よりも、格上だと光秀はアピール
戦国時代は、『家の格』が大きな影響力を持っていた時代。
度々名前を換えていた。
- 斎藤道三(乗っ取った) ⬅ 長井⬅ 西村⬅ 松波
- 北条早雲(勝手に名乗る) ⬅ 伊勢
- 上杉謙信(関東管領・譲り受けた) ⬅ 長尾
室町から戦国時代の1番の名家は足利将軍家。その次が今川家・土岐氏
尾美としのりさんは自身が演じた土岐頼芸について「お公家さんっぽく演じたつもり。執政は斎藤道三に任せ、絵を描いていたり」
姓 (せい) は、天皇がほうびとして家臣にあたえるもの
源・平・藤原・橘・豊臣など。
織田信長・明智光秀・豊臣秀吉の中で豊臣だけ天皇からもらった。
姓というのは、天皇がほうびとして家臣にあたえるもの源・平・藤原・橘・豊臣など
源頼朝(みなもとのよりとも)、平清盛(たいらのきよもり)、藤原道長(ふじわらのみちなが)など。姓(せい)は個人を表すものではなく、その一族をあらわし、間に’の‘が入ります。
これに対して名字というのは、個人が勝手につけたもので、織田や徳川などがこれにあたります。
秀吉・光秀のお名前戦略
貧しい農民の育ちだった秀吉には名字がなく、妻の実家から拝借したといわれる、木下を名乗っていた。その後、両国をもらって一国の主となった秀吉は羽柴という名字が与えられた。
秀吉は丹羽長秀や柴田勝家の2人から名字をもらい、羽柴と名乗った。
かつての上司だった織田信長の家臣を手始めに服属した大名に、羽柴を名乗らせた。
一方で光秀は明智という名字を、配下の武士に与えて擬似的に明智一家をつくって結束を強めようとしていた。
秀吉は、関白になってお名前を改め、秀吉は豊臣という名前を大名達に名乗らせた。
「本能寺の変」のもとである「本能寺」をたずねると、「能」の字が見慣れない文字だった。
本能寺は室町時代に建てられ、何度も燃やされてきた。燃やされるのは「能」という字にあったとみた僧侶は、燃える火を連想させる「能」をやめて、くずし字にしたという。
織田信長は、本能寺を定宿にするので他のものを泊めるなと通告していた。
本能寺の僧侶達は信長の機嫌を損ねないよう、同じ宗派の寺と協力して贈り物をすることに決めた。
そして本能寺の変の2日前、信長は官位をもらうために上洛していた。
信長は天下を狙って平氏を名乗っていた(平信長)。
今まで、源氏のみが征夷大将軍になっていた。
歴史に造形の深い明智光秀は、信長の征夷大将軍就任に歴史の秩序を乱すとおもっていた。
光秀が詠んだ「とき」には、源氏の意味も込められていたともいわれている。
光秀は、信長が、 征夷大将軍 になるのを阻止するために、本能寺の変を起こしたと考えられる。
森岡さんは「徳川家康が将軍になる時に、将軍は源氏である必要があると言って家康も源氏を名乗っていた。将軍は源氏と自称していた」
壇ノ浦の戦い ➡ 鎌倉幕府 ➡ 平家の北条氏 ➡ 源氏の足利幕府 ➡ 平家の信長 ➡ 源氏の家康
源平合戦の繰り返しだった。
▽まとめ&感想
日本人のおなまえっ!選 (1月の放送、見逃していたので楽しめました)
明智という名字は美濃国の地名でもありました。土岐氏の先祖は清和天皇で土岐一族は東海最大のブランドでした。 一族は領地の名前を名字とした。
(私にとっては、よく知らないことで、そんなにハイブランド!、認識を変えなければいけません)
秀吉・光秀のお名前戦略、家の格、(羽柴、豊臣、ずいぶんばらまいて ) 信長、家康まで
おなまえがこんなにも、重要だったのか驚きました。