明智光秀:各番組 取り上げ方・本能寺の変の謎★まとめ

所JAPANなどテレビで 取り上げられた明智光秀、比叡山焼き討ち、本能寺の変 のネタバレの一覧作ってみました。
大河の 光秀と信長と違うことがたくさんあります。どれか エピソード取り上げられるか楽しみです。
打ち上げなのに廊下でボコボコ事件・扇で流血事件・金柑頭事件  三好・長宗我部との四国外交あたり見てみたいです。

何だコレミステリー 明智光秀と本能寺の変 第3弾

フジテレビ 2021.1.13 放送 (▽ネタバレ感想 こちら)

光秀 本能寺の変後 瀬田の唐橋を改修 近江を情報遮断し、安土城を奪い天皇から後継者と認められた。
秀吉は 光秀の変を予見し準備していた。細川藤孝は秀吉に懐柔され家を残す決断をした。
光秀山崎の戦い雨で鉄砲使えず、藤孝の勝龍寺城に逃げるが秀吉に包囲される。
秀吉は 光秀を討つと反逆者になるため 門を1つ開け逃がし 光秀は落ち武者刈りに命落とした。

ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!「麒麟がくる もうすぐ本能寺の変SP」

NHK 2021.1.7放送 (▽ネタバレ感想 こちら)

明智光秀は”明智”でなく 「惟任日向守光秀 」と信長に変えられ屈辱を感じていた。
足利将軍のおなまえプレゼント作戦は 戦国大名をしっかり味方につけていた
明智光秀は 名前を「荒深小五郎」に変え美濃で生きていた!?

歴史発掘ミステリー 京都 千年蔵 大原勝林院

NHK 2021年1月5日放送 (▽ネタバレ感想 こちら)

大原三千院の隣 勝林院は、声明の聖地であり 証拠の阿弥陀があります。
足利義満の豪華な肖像画があり、これは天皇家の法事で声明のリードボーカルを務め、権力を誇示したた証だった。
明智光秀の安堵状・浅井長政の安堵状があった。長政は大原を支配し 米の流通を止め織田信長を追い込んでいた。

所JAPAN 「ドラマで描かれない明智光秀!大河女優も驚く比叡山焼き討ち(秘)真実」

フジテレビ 2020.12.21 (▽ネタバレ感想 こちら)

1571年 比叡山延暦寺焼き討ち 光秀は出世欲の強い上昇志向の男だった。
焼き討ちに対し恨みは残っていなかった。 当時比叡山は 最強の要塞で関所を設け、流通を支配。
光秀は宇佐山城を拠点に 新しい道を作り 穴太衆の石垣 の技術で山城作った。
焼き討ちは仰木村と延暦寺の一部で、瑠璃堂から京に逃げる道を残していた。

所JAPAN 姫路城(秘)夫婦愛▽本能寺(秘)秀吉黒幕説

フジテレビ 2020.6.29放送 (▽ネタバレ感想 こちら)

徳川家康の孫娘 千姫のために作られた姫路城。敵を見張る櫓に、なぜか千姫専用の部屋があり、天守閣が一望出来るなど、特注されたモノばかりでした。
本能寺の変での“中国大返し”は歴史に残る奇跡ではなく、秀吉が信長ハイウェイ&サービスエリア&デリバリーサービスを整備していたためでした。

所JAPAN 超ディープ裏京都巡り信長&明智光秀(秘)お宝

フジテレビ 2020.5.18 (▽ネタバレ感想 こちら)

磯田先生の歴史に学ぶ 新型コロナ。流行が始まって3ヶ月後島村抱月が急死。その後、恋仲にあった、大女優の松井須磨子が後追いで命を絶った。
信長の刀 義元左文字の謎の文字
消えた信長の遺体の謎
本能寺の変での明智光秀 謎のキーマン木俣守勝

所JAPAN 明智光秀はなぜ信長を裏切った?最新古文書から本能寺の変(秘)新事実

フジテレビ 2020.5.11 (▽ネタバレ感想 こちら)

滋賀県 犬上郡多賀町の多賀神社に書状:佐目の里で光秀誕生。
多賀神社近くで、十兵衛をかくまった見津(けんつ)一族
本能寺の変は、妻との死に別れて決心。
光秀と天海の書状の筆跡鑑定は、別人だった。

所japan 最新古文書から本能寺の変 新事実

フジテレビ 2020.4.13 (▽ネタバレ感想 こちら)

宣教師 ルイス・フロイスが「信長が光秀を足蹴にした」と書いていた。
信長と光秀は、互いに信頼し合う上司と部下であった。
光秀は医療の知識でチャンスを掴み、歴史の舞台に登場。
信長は、四国統一の責任者に光秀を任命。宿敵の三好一族を討つため、長宗我部元親と同盟を結び、三好一族を攻撃。
しかし 信長は「太刀 光忠」を見て三好一族と長宗我を攻撃。光秀は板挟み状態になった。
信長の元で佞人が暗躍

激レアさん 偉人がくる▽信長と光秀がCGで奇跡の和解

テレビ朝日 2020.3.29放送 (▽ネタバレ感想 こちら)

今回の偉人ゲストは、織田信長(CV:秋山竜次)さんと明智光秀(CV:小手伸也)さん!
本能寺の変、きっかけは信長のパワハラだった!?
打ち上げなのに廊下でボコボコ事件
信長の命令は絶対、扇で、流血事件
命の危機?金柑頭事件
お二人の子孫登場、織田信成とクリス・ペプラー

明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行、古文書に

朝日新聞 2021.1.3
戦国武将の織田信長が、配下の明智光秀に討たれた本能寺の変をめぐり、光秀は本能寺の現場には行かず、部下に実行させていたとする学説が出てきた。
加賀藩の兵学者、関屋政春が書いた「乙夜之書物」に、斎藤利三と光秀重臣の明智秀満が率いた先発隊2千余騎が本能寺を襲い、光秀は寺から約8キロ南の鳥羽に控えていたと書かれている。