「鎌倉殿の13人」の予習!永井路子 「炎環」ネタバレ感想 ☆

「鎌倉殿の13人」の予習で文春文庫 永井路子 「炎環」を読んでみた。頼朝の異母弟 全成梶原景時と 政子の妹で全成の妻の阿波局 と政子の弟第2代執権 北条義時の話があり 別の角度から見ると 全然違ったことになっていて 面白かった。

登場人物は

北条家
北条義時(ほうじょう よしとき)演:小栗旬
北条時政(ほうじょう ときまさ)演:坂東彌十郎/義時の父
牧の方(まきのかた)演:宮沢りえ/義時の継母。
北条宗時(ほうじょう むねとき)演:片岡愛之助/義時の兄。
北条政子(ほうじょう まさこ)演:小池栄子/義時の姉、源頼朝の妻。
阿波局(あわのつぼね)演 : 宮澤エマ/義時の妹。

源氏
源頼朝(みなもと の よりとも)演:大泉洋/鎌倉幕府初代将軍。
源頼家(みなもと の よりいえ)演:金子大地/頼朝と政子の嫡男。
大姫(おおひめ)演:南沙良/頼朝と政子の娘。

源義経(みなもと の よしつね)演:菅田将暉/頼朝の異母弟で天才軍略家。⬅藤原秀衡
源範頼(みなもと の のりより)演:迫田孝也/頼朝の異母弟で義経・全成の異母兄。⬅高倉範季
阿野全成(あの ぜんじょう)演:新納慎也/頼朝の異母弟で義経の同母兄。

源行家(みなもと の ゆきいえ)演:杉本哲太/頼朝らの叔父。
亀(かめ)演:江口のりこ/源頼朝の愛妾。

木曽義仲(きそ よしなか)演:青木崇高/源氏の棟梁の座を争う頼朝のライバル
木曽義高(きそ よしたか)演:市川染五郎/大姫の婚約者。
巴御前(ともえごぜん)演:秋元才加/義仲の愛妾。

坂東武士とその家族
比企能員(ひき よしかず)演:佐藤二朗/頼朝の側近。
道(みち)演:堀内敬子/比企能員の妻。
比企尼(ひきのあま)演:草笛光子/比企能員の義母。源頼朝を乳母として支える。
梶原景時(かじわら かげとき)演/中村獅童/御家人筆頭。
安達盛長(あだち もりなが)演:野添義弘/頼朝の従者。
和田義盛(わだ よしもり)演:横田栄司/鎌倉幕府軍事長官。

足立遠元(あだち とおもと)/平治の乱からの家臣
八田知家(はった ともいえ)/鎌倉幕府御家人。

三浦義澄(みうら よしずみ)演:佐藤B作/三浦党の惣領。
三浦義村(みうら よしむら)演:山本耕史/義澄の嫡男,義時の盟友。

畠山重忠(はたけやま しげただ)演:中川大志/若手御家人の筆頭。
土肥実平(どい さねひら)演: 阿南健治/相模国の豪族。

伊東祐親(いとう すけちか)演:浅野和之/義時の母方の祖父。伊豆国の豪族。
八重(やえ)演:新垣結衣/義時の初恋の相手,伊東祐親の娘,頼朝の最初の妻。
伊東祐清(いとう すけきよ)演:竹財輝之助/家族思いの優しき八重の兄。
善児(ぜんじ)演:梶原善/伊東祐親に仕える下人。

上総広常(かずさ ひろつね)演:佐藤浩市/房総半島の豪族。
武田信義(たけだ のぶよし)演:八嶋智人/甲斐武田氏初代当主。
仁田忠常(にった だだつね)演: 高岸宏行(ティモンディ)/北条を支える武士。
牧宗親(まき むねちか)演:山崎一/都文化に通じた牧の方の兄。
千葉常胤(ちば つねたね)演:岡本信人/無骨で一本気な坂東の重鎮。

工藤祐経(くどう すけつね)演:坪倉由幸(我が家)/伊東祐親を怨む伊豆の武士。
山内首藤経俊(やまのうちすどう つねとし)演: 山口馬木也/母が頼朝の乳母を務めた相模の豪族。
大庭景親(おおば かげちか)演:國村隼/平清盛の信頼篤き坂東の大物。

鎌倉幕府官僚
三善康信(みよし やすのぶ)演:小林隆/鎌倉幕府司法長官。
大江広元(おおえ の ひろもと)演 :栗原英雄/鎌倉幕府初代別当。
中原親能(なかはら ちかよし)/ 大江広元の兄
二階堂行政(にかいどう ゆきまさ)/大江広元の補佐

平家
平清盛(たいら の きよもり)演:松平健/平家の総帥。
平宗盛(たいら の むねもり)演:小泉孝太郎/清盛の後継者。

朝廷
後白河法皇(ごしらかわほうおう)演:西田敏行
丹後局(たんごのつぼね)演:鈴木京香/後白河法皇の側室。
平知康(たいら の ともやす)演:矢柴俊博/後白河法皇の側近。

奥州藤原氏
藤原秀衡(ふじわら の ひでひら)演:田中泯/奥州藤原氏第3代当主。

その他
文覚(もんがく)演:市川猿之助/頼朝にあやしく迫る謎の僧。

源頼朝について

平清盛がクーデターで 後白河院を幽閉 高倉天皇 を即位させた
高倉天皇との皇位争い 敗れた 以仁王(後白河の第2皇子)は八条院の猶子になっていた。
※八条院(鳥羽天皇の皇女 暲子内親王で膨大な荘園持つ)

平清盛は後白河上皇や貴族の所領を次々と平家一門の所領へと強引に変えていたので 清盛に不満を持つ人が多くいました。
平治の乱で源氏の棟梁である源義朝が死に、その息子の源頼朝が伊豆へ流された。

しかし、源頼政は源氏でありながら平氏側で着実に出世し 従三位という高い身分になっていた。

以仁王が 源頼政 と挙兵
頼朝 叔父源行家より 以仁王による平氏追討の令旨を受けとる。
平氏政権は鎮圧しても 戦後処理に苦悩し 安徳天皇を福原遷幸

三善康信(小林隆)の母が頼朝の乳母の妹だったので 弟 康清が 「以仁王の令旨を受け取った諸国の源氏は 奥州に逃れた方が良いと助言。

源頼朝は 伊豆の豪族・北条時政の長女・北条政子と結婚。

悪禅師(阿野全成の話)

以仁王(もちひとおう)が平家打倒の詔を発令
頼朝は挙兵を決意し 伊豆を制圧したが、 石橋山の戦いに破れ 安房国へ脱出。安房国から鎌倉へ入る。
頼朝の旗揚げを聞いて 異母弟 全成(今若)が駆けつけた。
※母常磐は清盛の娘産み 一条長成に再嫁しています。

頼朝は鎌倉に入り 新府作り始め、伊豆に隠れていた政子がやってきた。
平家軍は 平維盛が大兵を率いてやってきた。
石橋山の敗戦で分かれた北条時政 合流、 伊東祐親 父子も加わる。
富士川の合戦に勝利。その後 黄瀬川で異母弟・九郎(牛若 源義経)と対面。

阿野全成 政子の妹の保子と結婚
(北条時政の子の内 政子・保子・四郎義時は同腹の姉弟)
無邪気な保子は 政子妊娠中 頼朝の側女 亀の前の噂をした。
産後の政子は怒り 継母 牧の方の一族に襲わせる。時政 伊豆に引き上げる。
阿野全成 保子に男子生まれる。

平清盛の死。木曽義仲入京。平家の没落。
嫡男・源頼家が生まれる。

義仲を追討 範頼・義経 大将に
畠山重忠・梶原景時・土肥実平・小山朝政 など有力御家人集まる.
一ノ谷で勝利
頼朝 後白河に 関東武士の行賞は自分で検討し 上申すると申し入れ、範頼 一族の平賀義信 姉婿の一条能保は任官。九郎除外された。

頼朝 武家の棟梁としての地位固める・関東御家人の 行賞権握る
範頼 平家追討の総大将になり、九郎 許しなく 後白河から左衛門小尉(検非違使尉)に任じられた。
留守を預かる 大江広元、北条時政、阿野全成。

屋島の戦いに九郎出陣 勝利。壇ノ浦の戦い 平家を滅亡させるが 無断任官に断固たる処置がとられた。
鎌倉入りを乞うために源義経の所領もすべて没収する。
九郎帰洛 ‥ 4年後 奥州平泉で源義経を自害へと追い込む。
藤原泰衡の追討に向かう(奥州合戦)

全成 遠州阿野庄を与えられひっそりと人目につかない存在
保子と全成 頼朝の次男 千万の乳母に
(頼朝の乳母 比企尼・首藤経俊の母・小山政光のの妻・三善康信の母の姉
比企尼 伊豆に流されて20年世話。安達盛長・比企能員・河越重頼は娘婿)
長男 万寿(頼家)の乳母は 河越重頼の妻(比企尼 の娘)ら

1192年 46歳 後鳥羽天皇より征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉幕府を開く。

富士の巻狩りで嫡男・源頼家が初めて鹿を射止める。
曾我兄弟 工藤祐経を討つ。謀反騒ぎ?
範頼 嫌疑かけられ殺害。

1199年 頼朝死去
頼家 北条氏敬遠 側室の若狭局の一族 比企氏重用
頼家 独裁権取り上げられ 腹いせに側近だけ狼藉勝手に

しばらくして 比企能員が梶原景時に敵意
梶原景時は石橋山の戦いで 敵方でありながら わざと見過ごして 頼朝助けていた。
小山七郎朝光の発案で 侍所で念仏 ‥ 景時不満‥朝光 三浦義村に相談
梶原景時 弾劾 所領の相模一宮に退き 討ち取られる
阿野全成(禅帥) を頼家が糾弾

萌黄
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義経 有能なのに勝手に後白河に引き立てられ 頼朝の武士制度 全然理解してなくて なんだか‥
頼朝の弟と 政子の妹が結婚 次男の乳母になり ひっそり実権を握ること狙っていたんですね。

黒雪賦(梶原景時の話)

石橋山の合戦 頼朝 300の手勢で と大庭景親 3000と対決。
山中で梶原景時(平三)は土肥実平に出会い 見逃してやった。その時頼朝がそばに隠れていた。

その1ヶ月も立たないうちに 頼朝は源氏の頭領として 鎌倉に入り 新府作り始めた。
土肥実平の元に梶原景時がやってきて 御家人に。
頼朝は景時を信任
平治の乱に義朝に従った 上総広常(かずさ ひろつね)は傲慢になってきていた。
その頃 木曽義仲が京に入り 後白河から 義仲追討を促してきていた。上総広常は上洛に反対した。
景時はなんとかしなければと 頼朝の上意を得て、上総広常を殺害。
景時は侍所の所司に任ぜられた。
義仲を追討 範頼・義経 を大将に命じ 景時は後見する軍監に任じられた。

木曽勢はまたたく間に蹴散らされた。九郎義経は 小気味いい若武者だった。
院から西国の平家追討が命じられた。
義経の戦ぶりは さすが源氏の嫡流と感嘆。
鎌倉への報告 景時のみ褒めた。他は認めない。
平家追討の行賞 義経は無し。
院は直接 義経任官、景時 義経を訪ね 忠告
頼朝は心の底では都への憧れがあり、荒っぽい坂東武者に囲まれ ともすれば公家好みの生活に傾きかけている頼朝、義経が自分を差し置いて院に近づいている。

九郎と行家が頼朝追討の院宣
義経奥州へ逃れるが、奥州藤原氏は首を討って差し出してきた。
鎌倉で首検め
景時 厳しい統制、奥州に出兵 奥州藤原氏滅ぼす。
景時 は武田源氏の横暴に怒り 安田義資・義貞 梟首。
頼朝の弟範頼も謀反の疑いで 誅された。
畠山重忠
も頼朝がうるさがった。
気の弱い頼朝は他愛なく折れてしまう、これでも武家の棟梁か?
弱腰の頼朝を支えているのは 自分だと景時は思った。

いつか 頼朝は武家の棟梁の風格を身につけていた。
頼朝は征夷大将軍に任じられた。

頼朝が落馬が元で急死
頼家が跡を継いで、妻が乳母なので 乳母夫として支えるつもりだったが、頼家は軽率、気ままだった。
頼家の裁決権は取り上げられ 十三人の御家人の合議制になったのが、景時は不満だった。

小山七郎朝光の発案で 頼朝のため侍所で念仏
景時に 朝光が忠臣二君に仕えずと言ってしまい 讒言されると思った。
有力御家人六十六人から弾劾状が出され、頼家に呼ばれ 大江広元だけ傍らにいた。
景時を除かなければ 安んじて奉公できないとあった。
梶原景時 は所領の相模一宮に退き謹慎の形をとり、改めて鎌倉追放を言い渡される。
景時は九郎殿・蒲殿・安田父子・広常・重忠 らを嫌われたのは御所。しかも明らかに口に出されない。代わりに口に出し、行った。
御所は いつも気が進まないながら同意するふりをされた。武家の世を創るためにしなければならなかった。
景時は上洛し 鎌倉討伐を行うつもりだったが 討ち取られた。

萌黄
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梶原景時は石橋山の戦いで 頼朝が隠れていたの見逃してあげてこっそり 優位に立っていた。
景時は武士の世を作るためと 自分から 頼朝の意に染まない人を除いていった。最後は皆に弾劾されてしまった。

いもうと(保子・阿波局の話)

木曽義仲を討ち 平家を滅ぼした翌年 北条時政の館で 足利義兼 を迎え酒宴があった。
その時北条政子 25歳 1女の母であり、時政は 高子 元子 栄子と次々に嫁にだした。

保子 24歳
四郎義時 19歳
高子 18歳 足利義兼(頼朝の従兄弟)に嫁ぐ
元子 16歳 稲毛重成に嫁ぐ
栄子 12歳 畠山重忠に嫁ぐ
腹違いの 妹 久子4歳

政子は 一人そばに置きたいと 保子を頼朝の異母弟 全成と結婚させた。
保子は すぐ妊り 男の子出産。
その後 政子妊り 万寿を出産。頼朝は35歳。
時政の妻 牧の方も 女の子出産。見舞いに行った保子は頼朝が亀の前の元に通っていると おしゃべり、数日後に 時政 伊豆引き上げ起こる。

政子の長女 大姫 6歳の時 木曽義仲の嫡男 11歳の義高 が婿になるためやってきた。
義高は 人質で 大姫の相手を務めたが 義仲の死により、政子が逃がすも 義高は殺害された。保子は大姫に教えてしまい 大姫はショックを受けた。

その後 保子は 次々と 男の子を産んだ。
政子は 三幡という女の子を産み 6.7年して 妊った。頼朝は 保子を今度生まれるこの乳母にしたいと言い出した。全成が申し出ているので うなずいた。
千万(実朝)誕生して 保子は乳母になり阿波局と呼ばれるようになった。千万は保子の側を離れようとせず 政子は不満だった。

数年後 頼朝を失った。その前に 政子は 大姫も失っていた。義高を失い 大姫は 普通の健康体に戻らなかった。後鳥羽天皇の女御として入内させようとしたが いたらないうちに 命を終えた。
万寿が元服して 頼家になり 跡を継いで 政子は 出家して尼御台と呼ばれるようになった。
将軍母公として 御家人達から 敬意を払われるようになった。

しかし いつの間に時代は変わっていた。頼家の側室 若狭局比企一族が側近になり, 北条一族は隅の方に押しやられた。
政子は 二女の三幡も失い、千万は保子を慕い 孤独だった。
一方 若い頼家の決断は、後家人の反感を買い、合議制になった
これにより 御家人達は互いに 牽制しあい猜疑心を深めていった。
梶原景時の失脚事件も 保子のおしゃべりで 景時が朝光を非難していると 政子達に触れて廻ったのが始まりだった。
保子は その頃から 比企一族の噂話をするようになり 政子は聞いている内に 比企一族に我慢ならなくなった。北条一族も比企反撃を考え 全成が政子に伝えた。

突如 全成が比企方に 捉えられ 御所に曳かれていった。
頼家は 叔父が自分を押しのけようとしたと、妻の保子の引き渡しを要求した。

全成は下野国で誅され、長男の頼全は僧であったが 誅された。保子は政子が引き渡しに応じなかったので 罪を逃れた。

その2ヶ月後 頼家 突然重病になったとき 比企氏が北条氏の謀略にかかって 総帥 能員を失い 、頼家の子 一万の住む小御所に立て籠もり、炎の中で最期を遂げた。

頼家は危篤を脱したが 出家させられ 将軍職を千万に譲った。
千万は時政の館に 三浦義村や義時の息子泰時が 迎えに来た。
しかし 牧の方が恐ろしく 政子の館に戻った。
数年後、牧の方が 実子の婿の平賀朝雅を将軍にしようとした陰謀が露見。

22歳の頼家は 伊豆に下向させられ 死んだ。
千万は元服し 実朝と名乗り 将軍に、先の大納言坊門信清の娘を室として迎えていた。
保子は 実朝をぐっとつかんでいた。
政子は 頼家の遺児 3人の男児と一人の女児を心にかけた。5歳の善哉を鶴岡八幡の別当尊暁の門弟とした。

この善哉が十数年後 公暁と名乗り 実朝を襲い 首級を挙げた。
保子の子供達 阿野時元 以下が謀反を起こした。
二人の老いた姉妹には何も残っていなかった。
北条四郎義時が 政子から命令が出ている形で 行っていた。

将軍の後嗣は 頼朝の姉の血をひいている 九条道家の子 2歳の三寅に決まり、世話をするのは保子だった。

その2年後 後鳥羽上皇が 北条義時追討の院宣を下した。
北条政子は 義時の太郎泰時にお言葉を賜る。

萌黄
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北条政子の妹は 姉と違って おしゃべり好きで 早耳で 無邪気にぽろっと‥
隠した対抗心で 次男の乳母になって 実権を握れると思ったら 政子がかわいがっていた長男の遺児に殺されてしまった。
北条の血の入っていない 将軍をいただいて 北条は執権として 足利尊氏に滅ぼされた高時まで続くんですね。

覇樹 (北条義時の話)

韮山の山木兼隆を襲撃を計画も手勢が少なく時が過ぎていた。
頼朝は、侍が来るたびに「お前だけが頼りだ」を繰り返していた。
山木攻めは成功したが、相模に押し出し 大庭景親率いる平家被官の徒に敗北を喫した。
石橋山の戦いで時政は 三郎宗時を失った。
頼朝に従って 安房に逃れた 時政は甲斐源氏に挙兵を促し 2ヶ月ぶりに対面した。
鎌倉に新府を開いた頼朝は 武家の棟梁としての道を歩み始めていた。
三浦や千葉や上総の一族が集まっていて、頼朝は鎌倉に戻るとすぐ 和田義盛を侍所の別当に任命していた。
頼朝の 亀の前との浮気も 本気で腹を立てていなかったが、嫌がらせのつもりで わざと 大げさな一芝居を打ち伊豆に引き上げた。四郎は 皆居なくなったら姉上が心細かろうと 鎌倉に残っていた。

上洛して 木曽義仲を追い落とした鎌倉勢は一旦戻り 西海の平家攻めに出発した 総大将 参河守範頼(蒲殿)に率いられた大兵団の中に 手勢をつれた義時も混じっていた。食糧難に悩まされており、御所から「帝と神器を取り戻せ 」と手紙が来て 動けずにいた。
一方 九郎義経は 屋島から壇ノ浦に平家を追い詰め 生きの根を留めていた。

鎌倉に戻り 時政に 何をしていたといわれる 四郎だった。
やがて 赫々たる戦功を上げた義経はあえなく没落、範頼も‥。

四郎は 政子の側にいた。御所の女房の姫前を妻にした。このとき四郎30歳 先妻との太郎金剛丸は10歳になっていた。
二人の姉たちは 無口な四郎に気を許して 愚痴をこぼした。

頼朝が突然死んで、頼家の愛妾若狭の局や 若狭の父 比企能員があらぬ噂を立て 時政を権力からはずそうとしている。
合議制になり 時頼は三浦義澄と手を組み 義澄の甥 和田義盛 と四郎を押し込んだ。
五郎も 頼家の蹴鞠にひかれ 取り巻きになっていた。

比企能員が梶原景時を追討、頼家が荒淫と酒と鞠にむしばまれ 病に倒れると 阿野全成が 比企氏討滅を持ちかけてきた。
比企方に 全成が 連行され 斬首された。

なぜか 北条と比企が親密になったように見えた。
薬師如来造立の供養の場で 比企能員を時頼が殺害、比企の館を炎が包み一万も亡くなる。
数日後 能員の返り血を浴びた 新田忠常が事件に巻き込まれ殺されてしまった。

源頼の死の前に、「将軍頼家が薨じたため 千万を征夷大将軍に任ずる院宣と従5位下に叙する位記」を得ていた。
頼家は出家させられ 修善寺に移され 翌年 そこで命を終えた。

人々は 12歳の将軍 実朝と 中原広元と並んで 政所別当に収まった北条時政を見た。
時政は絶大な権力を手に入れました。
四郎はめざましい働きをし 五郎も幕府内の雑事を取締る役与えられ 重用されるようになり 北条の体制が固めたと思われた。

しかし 時政の 後室の 牧の方が 娘 久子の婿である 平賀朝雅(ともまさ)を後押し、実の兄 大岡時親を 時政の側近に押し込んだ。

畠山重忠ら豪族は 平賀朝雅に反感を抱いていた。
鎌倉から若い侍達が上洛した時、加わっていた 牧の方の六郎政範が発病 京で危篤になり、近くにいた重忠の息子六郎重保を 牧の方は恨んでいた。
時政は 平賀朝雅を通じて 次女を関東伝奏の坊門信清の息子忠清にと嫁がせており 忠清の妹を御台所に推薦した。

朝雅・牧の方と畠山の仲は険悪になり、秩父から 稲毛重成が仲裁に出てきた。重成と重忠は従兄弟で 共に政子の妹を妻にしていた。
時政が 畠山重忠が謀反を企てていると謀略で消し、稲毛重成も消してしまいます。

北条義時が 姉 政子と協力し、有力御家人 三浦義村の協力を得て時政を伊豆国に追放し、平賀朝雅も誅された。
義時は、父に代わって執権。しばらくして 弟の時房が武蔵国の守護・国司となる。
義時は常に政子と実朝を表面に立てながら、政所別当 大江広元安達景盛らと実権を握った。

幕府創設以来の重鎮 和田義盛を和田合戦において滅ぼした。
政子は 頼家の遺児 善哉に目をかけ 実朝の猶子にして 京都に修行させ 鶴岡八幡の別当に据えた。

善哉が公暁と名を変え18歳になっていて、実朝の左大将の拝賀の礼で実朝を襲い 首級を挙げたが、公暁は誅に伏した。三浦義村が公暁を見殺しにし 義時は和えて実時を見殺しにした。
三浦に白刀を交えず戦いは終わり 義時は東国の王者の座についた

政所執事の二階堂行光が上洛、実朝の跡継ぎに後鳥羽上皇の皇子を迎えたいと願い出るが、地頭改任を要求され 五郎時房が出陣 交渉するが壁を抜けず やむなく 将軍の後嗣は 頼朝の姉の血をひいている 九条道家の子 2歳の三寅で折り合いを付けた。
地頭職を守ったことで 御家人達は 義朝が自分たちの側に立ち 権利を守り抜く代表者と認めた。

承久の変が起こり 都方は京都守護 伊賀光季を血祭りに上げ 関東の諸将に 義朝追討の院宣を下した。しかし 三浦義村らは応じなかった。
大江広元 三善善信義朝の長男 太郎泰時に総大将で出陣を勧め、義時も 「謀反ではない 上皇こそ御謀反遊ばされたのだ」と一言。
政子の名によって出陣が宣された。数万の兵が都に向かった。
京都はあっという間に 鎌倉軍の手に収められ 後鳥羽以下の三上皇と皇子を壱岐 佐渡等に 配流して処分を終えた。

萌黄
萌黄

北条義時は 大事な局面でその場にいたためしがなかったのに しっかりと抑えていました。
それにしても 何度も何度も裏切りの繰り返しで この時代を生きていたら大変です。
私の頭の中も混乱して 理解しきれません。