Eテレ 2023.12.8
フィンランドを中心に世界的に活躍する 87歳のピアニスト舘野泉さん。脳出血で不自由な体になり、左手だけで奏でることになるが 奇跡的な復活をはたした。さらに、コロナ禍、50年連れ添った妻を失っても 新たな音楽と向き合うことで力に変えてきた。東京の自宅での一人暮らし、楽しみながら身の回りのことは全てこなし、甘えることをせず、ピアノを何度も弾いていくことですばらしい演奏が生まれる。
【ゲスト】舘野泉 【司会】賀来千香子,小澤康喬【語り】堀内賢雄
米寿を迎える 左手のピアニスト舘野泉
情熱的な音を生み出すピアニスト舘野泉(たてのいずみ)さん。
弾くのは左手のみ。脳出血で倒れ半身不随から奇跡の復活を遂げました。87歳その絶えぬエネルギーの源は「ずっと弾き続けたい。音楽とふれたい。人々とふれたい」という思いです。
今 舘野さんは米寿の記念ツアーの真っ最中で、全国からお客さんが駆けつけ 会場は満席です。この日は米寿を祝うバースデー・コンサートが開かれました
この日のために演奏時間が40分を超える大作や新曲。連日 準備を重ねてきました。舘野さんのために編曲された童謡「赤とんぼ」。管楽器とのアンサンブルでは一転 軽快に音を響かせます。それが リズムを打つように 管楽器と音の調和を作り出していきます。コンサートは2時間超え。その中で全力を出しきりました。
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舘野泉さんは1936年東京生まれ。チェリストの父 ピアニストの母を持ち音楽に囲まれた環境で育ちました。東京藝術大学を卒業。その後フィンランドの文化や暮らしに引かれ拠点を移します。37歳の時に フィンランド人の声楽家のマリアさんと結婚。2人の子どもを授かります。
人間味あふれる豊かな音色が称賛され 舘野さんは世界を舞台 4000回以上の演奏会を開く 目覚ましい活躍を見せていきます。しかし65歳の時、舞台で演奏を終えた直後脳出血で倒れました。リハビリを続けましたが ピアニストとしての右手は戻ることはありませんでした。
2年近く演奏ができない日々。息子 ヤンネさんが贈ったピアノの上に置かれた一つの楽譜を見つけます。妻 マリアさんも舘野さんを支えました。ピアノに取り組む意欲を再び取り戻していきます。そして 67歳 左手のピアニストとして復活を果たし 片手だけで音の世界を深めていく挑戦が始まりました。
しかし4年前 再び苦難が、コロナで自宅に こもる日々が続き「げっそりやせてしまった。筋肉が落ちてしまった」
この逆境にも舘野さんは奮起し 新曲を作曲家に依頼したのです。新曲の題材は「鬼」。コロナ禍で沈黙を余儀なくされた時 抑え込まれたエネルギーが湧きこのテーマを思いつきました。
「この頃 人間が人間らしくなってきてる。鬼が人間らしいと言ったらおかしいんだけれど、非常に違う情念 感情豊かな 笑ったり 泣いたりも 喜怒哀楽が激しい それ本来は人間も持っていたもの」
これは40分を超える大作で、連日リハーサルが行われました。挑戦する「鬼の学校」は極めて珍しい弦楽器との5重奏。鬼の迫力を表現するため音の調和が難しい編成になっています。4か月の準備期間を経て披露の時を迎えます。
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(拍手)
自分は左手で弾いてるとか 考えず、最初から音楽は全身で弾いてるんだ。全部 呼吸 全部で弾いてるんだと。
♬赤とんぼ
舘野さんは都内で1人暮らし。1年の半分をここ日本で暮らしています。87歳 どのように老いに向き合っているのでしょうか?
築90年の一軒家。急な階段を上り下りしながらの生活です。体が不自由になっても身の回りのことは全て自分で行います。洗濯などの家事も時間をかけて行います。「甘えると人に任せてできちゃう。それに寄りかかっちゃうんだよね」
電動車いすを使って積極的に外に出るようにもしています。行きつけの美容院です。身だしなみを整えることも常に心がけているといいます。
食事にも気を遣って 毎日のように自炊をしています。旬のものを取り入れ栄養バランスを考えて おいしく仕上げる。食が細くならないよう工夫を凝らしています。
夕食が済んだ後、一日最低2時間 ピアノに向き合います。背中 腰 腹筋演奏には全身を支える力が必要です。これ自体がいわば筋トレ 欠かすことはできません。老いの中にも日常の一つ一つを楽しむ。それが舘野さんの生き方です。
野菜なんかもね やっぱり新鮮なものを見て 触りたいんですよ。自然とふれあうのが大事なことで、毎朝 起きたら窓を全部開ける。
自分が上向いて 草木がね 光 求めて伸びていくような感じで 自分も生きてるんだと思ってます。
舘野さんのコンサートには欠かせない人がいます。妻 マリアさんです。ツアーが始まると フィンランドから日本へ駆けつけます。二人三脚で日本中を回ってきた2人。
去年10月 沖縄でコンサートがありました。会場は鍾乳洞の中で 谷間に設置されたピアノで演奏するというもの。湿気が多く音が思うように響かないため マリアさんにチェックしてもらいます。同じ音楽家同士 演奏家が気になることも共有してくれる かけがえのないパートナーです。
2人が結婚してから50年がたとうとしていましたが、2人にとって最後のツアーとなりました。この直後 マリアさんのがんが発覚したのです。見つかった時には手の施しようがなく今年3月に亡くなりました。突然の別れで 憔悴した舘野さんは一人フィンランドの別荘に こもりました。自然の中で2か月かけて行った喪の作業。深い悲しみにも変化が訪れます。
また歩いて行かなければいけないと 舘野さんは 新たな一歩としてマリアさんにささげる曲を依頼しました。
この曲は 詩『そのあと』 谷川 俊太郎 がヒントになっていました。
~そのあとがある 大切なひとを失ったあと もうあとはないと思ったあと すべて終わったと知ったあとにも 終わらないそのあとがある‥
「その曲を弾いていることによって 彼女と僕は一緒にいる」
(小澤)私たちから見ますと逆境と言えるような状況を 次々に乗り越えてこられた。そこには そばにピアノがあったことが 支えや力になったのかなと想像するんですけれども。
(舘野)ええ それはね 単純に言えばピアノの音が好きなんですよで どんなピアノであれねかわいがってると ピアノが応えて ちゃんと鳴るようになるんですよ。だから音の世界というのはすごく面白いんですよ。人間の心と同じで もう幅といったらいくらでもある。それが楽しいですね。だから その練習というのもつらくて、あ〜苦しいということだって ありましたけども、それでも いつでも何かが出てくる。それで また空に昇っていくかもしれないし。やっぱり音とのつきあいというのはもう これからも ずっとでしょうね。生きてるかぎりだと思います。
(賀来)今後の舘野さんの夢や目標は何でしょうか?
(舘野)そりゃね 100歳とか 120歳とかなって それでも まだ元気に弾いていけたらすごくいいと思うんだけど そういうことは もう神様のみ知ることだからね。でも生きてる間だけ自分の体が 気持ちがこう動く間はピアノを弾いて 新しい作品も弾いていろんな体験をしていきたいですよね。
▽まとめ&感想
87歳のピアニスト舘野泉さん。脳出血で不自由な体になるが、左手だけで奏でることになるが 奇跡的な復活をはたした。さらに、コロナ禍、50年連れ添った妻を失っても 新たな音楽と向き合うことで力に変えてきた。東京の自宅での一人暮らし、楽しみながら身の回りのことは全てこなし、甘えることをせず、ピアノを何度も弾いていくことですばらしい演奏が生まれる。